第十話 子供達は大冒険という名の反乱を起こす ①
「う~~~~っ! こんどこそは、さくらの番なんだもんっ! ぜったいについて行くんだも──んっ!」
神将の称号と共に下賜された星系の調査に出発する前夜の白銀家。
リビングで寛いでいる達也に肩車の状態でしがみ付き、癇癪を爆発させているのは他でもないさくらだ。
先日『待遇改善』を決意し、母親に直訴に及ぶつもりだったが、新たに家族として迎えられたサクヤを巡る一連の騒動の中で、すっかり忘れていたのである。
然も、サクヤは言うに及ばず、彼女の乳母でもあるマリエッタ伯爵夫人が家族に加わり、更に北海道から引っ越して来た由紀恵達までもが同居する事になったものだから、だだっ広くて物寂しかった邸宅が一気に華やかになった。
それ故に毎日が楽しくて仕方がないさくらは、沢山の人達に可愛がって貰えることが嬉しくて嬉しくて、夢見心地に浸りきっていたのである。
しかし、そんな優しい人々の想いに満たされてはいても、何よりも大切なのは、大好きなお父さんの傍にいたいという一途な願いだ。
達也と一緒にいられる事こそが、さくらにとって最高の幸せなのだから。
それなのに……。
『ごめんよ、さくら。明日からまたお家を留守にするけれど、ママの言う事をよく聞いて皆と仲良くするんだよ……今度の航海が終わったら、暫くは一緒にいてあげられるから、それまでは我慢しておくれ』
夕食の献立が大好物の《ママ特製・ハンバーグステーキ》だった事もあり、最高の気分で舞い上がっていた最中に打ち明けられた言葉。
その瞬間に忘れ去っていた憤慨と共に『待遇改善要求』という、エレオノーラの仕込みの難しい言葉が頭の中に蘇ったのである。
だから、前回のお出かけに姉のユリアが連れて行って貰えたのだから、今度こそは自分の番であると息巻き、冒頭の騒ぎに発展しているのだ。
「うぅ~~ぜったい、ぜぇ──ったいっ! さくらの番なんだもんっ! 今度こそいっしょなんだも──んっ!」
そう主張してやまない愛娘を達也は両手で支えてヒョイと持ち上げてやる。
すると、必死の抵抗も虚しく、さくらは呆気なくも膝の上に降ろされてしまう。
「あぁっ! いや、いや、いやぁ──ッ! はなれないもん! ぜったいについていくんだもんっ!」
手足をバタつかせて暴れる小さな身体を優しく抱きしめてやりながら、穏やかな声音で達也は愛娘を諭した。
「さくらの気持ちは嬉しいけれど僕もお仕事だからね……皆が安心して暮らす為にも必要な事なんだ。さくらだって新しいお友達がいっぱいできたから、以前の様に寂しくはないだろう? だから、もう少しだけ我慢しておくれ」
余談ではあるが、達也は相対する相手によって一人称を使い分けている。
身分が高く目上の人間。もしくは一般的な他者に対しては『私』。
身近で親しい人間。近親者や友人に対しては『俺』。
そして幼い子供達には教育上の観点から『僕』。
と言う風に出来るだけ乱暴にならないようにと日頃から留意しているのだ。
しかし、今回はそれが仇になり、達也からは滅多に叱られた事がないさくらの執拗な反抗を招く結果になっていた。
「いやだ! いやだ! い・や・だ・もぉ──んっ!!」
強くお願いすれば聞き届けてもらえると信じていたさくらは、思惑が外れて業を煮やし、達也の手を振り解いて身体を反転させるや、離れてなるものかとばかりに全力でしがみ付く。
このまま抱きついていれば、仕事に同行させて貰えるに違いないと思っての我儘だったのだが、所詮は子供の浅知恵でしかなかった。
「あぁっ!? いやんっ! はなして、はなしてぇぇ──っ!」
背後から羽交い絞めにされて強引に達也から引き剥がされたさくらは、抗議の声を上げながらも手足をバタつかせるしかない。
だが、そんな必死の抵抗も、怒りを滲ませた一喝で水泡に帰してしまう。
「いい加減にしなさい! 我儘を言ってお父さんを困らせるのは許しませんよ!」
頭上から降り注いだ厳しい叱責の主とその本気度を肌で感じ、母親が怒り心頭に発しているのを瞬時に理解したさくらは戦慄くしかなかった。
この状態のクレアを更に怒らせたりしたら……。
そう考えただけで過去の恐怖体験が蘇り、口を閉ざさざるを得なかった。
漸く、大人しくなった愛娘を床の上に降ろしたクレアはしゃがみ込み、さくらと目線を合わせ厳しい声で諭す。
「さくらだって分かっているのでしょう? お父さんは沢山の人のために頑張っているのよ。それなのにあなたが我儘を言ったら、お父さんだって悲しい思いをするわ。だから、もう少しだけ我慢しなさい。そうすれば、またいっぱい遊んで貰えるのだから……ねっ? あっ! さくらっ!?」
さくらとて母親の言い分は分かっているのだが、それでも、これ以上我慢なんかできないのだ……。
キャッシーや学校の友達、そして新しく生活をともにするようになった養護院の子供達。
彼らだって大切な友人であり、大好きな存在に変わりはない。
しかし、さくらにとって、達也は唯一無二の掛け替えのない存在なのだ。
一番寂しくて一番辛かった時に出逢って、優しい温もりを教えてくれた人。
それがどれほど嬉しくて、どれほど心を癒され救われた事か……。
そんな想いを理解して貰えず悲しみと憤りに衝き動かされたさくらは、クレアの手を振り払って駆けだすや、その儘リビングを飛び出した。
「待ちなさいっ! さくらっ!」
慌てて後を追い掛けようと立ち上がったクレアを止めたのは、微かに苦笑いするユリアだった。
「お母さま……あとは私が話をします。今はあの娘も興奮していると思いますから、落ち着いてから言いきかせます」
すると姉を援護するかの様にティグルが言葉を重ねる
「その方がいいよ。さくらもパパさんと離れ離れで随分と寂しいのを我慢していたからなぁ……俺からも言っておくからさ。任せてくれよ」
二人にそう言われてはクレアも承知せざるを得ない。
結局、さくらの説得は白銀家子供軍団のツートップに委ねられた。
しかし、その場に居合わせた大人達は、これが一連の騒動に繋がる波乱の幕開けになるとは、誰一人思いもしなかったのである。
◇◆◇◆◇
ユリアとティグルが子供部屋に戻ると、お気に入りの子熊のヌイグルミを抱いたさくらが、カーペットの上に座り込み啜り泣いていた。
そのヌイグルミは、初めて達也からプレゼントされた想い出の品であり、さくらが何よりも大切にしているのをユリアもティグルも良く知っている。
二人は顔を見合わせて『仕方がないな~~』と微笑みを交わし合うや、愛おしく想う妹に歩み寄った。
「さくら……悪くないもん……」
涙で湿った声音で、ぽつりと呟くさくら。
鼻を啜りながら意地を張る妹を挟んでユリアとティグルは腰を下ろし、二人同時にポンポンと少女の頭に軽く手を落とす。
「ふぅっ、うっぅぅぁぁぁぁ~~~~!」
兄姉の優しさに触れて我慢できなくなったのか、さくらはユリアにしがみ付いて本格的に泣き出してしまう。
ユリアはそんな妹を優しく抱きしめてやり、労るように囁いた。
「さくらの気持ちは分かるわよ。お父様が忙しい間ずっと我慢していたものね……寂しさが募るのも仕方がないわよ」
気休めに過ぎない一般論だと分かってはいても、頭ごなしに説教する様な真似はしたくなかった。
それは、多くの人々が達也に期待を寄せているのを、さくら自身が誰よりも分かっている筈だと信じていたからに他ならない。
「でもさ、ママさんの言う事も尤もだしなぁ……どうしてもパパさんと一緒に行きたいのか?」
ティグルは何かしらの思惑があるのか、愚図る妹に単刀直入に訊ねる。
彼の意図はユリアも容易く看破したのだが、それ故に苦笑いするしかなく、敢えて口は挟まなかった。
「いっ、いっしょにいたいよぉ! そばにいるだけでいいんだもん……それだけでいいんだもんっ!!」
切ない想いが滲んだ妹の言葉を聞いた姉兄は、互いに顔を見合わせて口元を綻ばせてしまう。
さくらを宥めるとクレアには約束したが、ふたりには元からその気はなく、寧ろさくらの願望に便乗し、自分達の想いを叶えようと悪巧みを企てていたのだ。
(だって……お父様は危なっかしいんですもの……お母様や私達のためなら平気で無茶をするし、私が御傍で見張っていないと……)
尤もらしい理由をつけてはいるが、達也の傍に居たいと願っているのはユリアも同じだった。
ただ、それを素直に認めるのは弟妹の手前恥ずかしかったので、うん、うん、と頷き、さくらに同情的な姉という役を演じて見せたのである。
すると、ティグルが満面に悪戯っぽい笑みを浮かべてユリアを揶揄う。
「ユリア姉は結構腹黒いからなぁ。一体全体なにを企んでいるのやら?」
「ふんっ! そういうあなただって、本当はお父様について行きたいくせに……。私知っているのよ。『養子登録が認められてから俺の扱いが雑じゃね? どーして俺が置いてきぼりなのさ!?』とかボヤキまくってたくせに」
「うっ! き、聞いてたのかよ、ユリア姉……しょ、しょうがねぇなぁ……まあ、何をやろうとしているのかは分かるけどよ。バレたらママさんカンカンだぜ?」
「仕方ないわよ。それでもお父様について行きたいと全員が思っているんですもの。叱られる時は三人一緒に叱られましょう」
そう言って朗らかに微笑むユリアに、ティグルも笑みを以て応諾する。
何時の間にか置いてきぼりにされたさくらだったが、ユリアから内緒の計画についての話を聞いた途端、円らな瞳を輝かせて姉のプランに賛成するのだった。
打ち合わせのあとベッドに入ったものの、明日から始まる大冒険に想いを馳せるさくらは、興奮して中々眠りにつけなかったのである。
◇◆◇◆◇
同居人が増えた事で白銀家の食事風景は一気に賑々しさを増している。
特に時間的に余裕がなく煩雑な朝食時は、人数分の食事を用意するだけでも大変な作業で、まさに目の回るような忙しさだ。
当然ながら、クレア一人で全てを捌くのは不可能であり、由紀恵や秋江、そしてマリエッタまでもが手伝うのが日課になっていた。
残念ながら、自分で料理などした事もないサクヤは、早々に戦力外通告を受けてしまい、育成枠と認定されて大いに落ち込む羽目に。
しかし、それでは進歩がないと自ら奮起した彼女は、余裕のある昼食時にクレア直々の指導を受ける事になり、目を輝かせて上達を誓うのだった。
「はぁ……」
人数分のサラダを準備しながら、クレアは小さな溜め息を吐いた。
(さくらは聞き分けてくれたかしら……ユリアやティグルが上手く話してくれていればいいけれど……)
愛娘の我儘を見かねたとはいえ、つい声を荒げてしまった自分の未熟さには忸怩たる想いが募るばかりだ。
(あの娘だってずっと我慢していたのに……それなのに私ときたら……)
母親として成長できない自分が歯痒くて、気分ばかりが落ち込んでしまう。
すると、隣で目玉焼きを作っていた由紀恵が労わる様に声を掛けてくれた。
「あまり思い詰めてはいけませんよ。子供達だって日々を一生懸命に生きているの……それこそ大人が思いもよらない様な事を考えながらね。だから母親は鷹揚に構えていなければ駄目……子育てに真剣に取り組むのは大切だけれど、深刻になるのは褒められた事ではないわ」
クレアは驚いて振り返るが、彼女は敢えて視線を合わせようとはしない。
そうする事により、自分の言葉は単なるアドバイスに過ぎないのだから、もっと気楽になさい、と伝えたかったのである。
唐突に伯爵夫人に祭り上げられて困惑しているクレアの負担を、少しでも軽くしようという彼女なりの思いやりだった。
「子供は失敗し、叱られて成長していくものでしょう。時には口を挟まず、黙って見守る事も必要です。母親であるからこそ……それが許されるのですよ?」
テーブルに食器を並べながら、マリエッタが独り言のようにさらりと助言を与えてくれる。
貴族社会の先達として、また伯爵夫人としてサクヤやクレアに厳しく接する彼女だが、極めて常識人で細やかな心遣いができるという一面も持ち合わせた素晴らしい女性なのだ。
そんな二人の心遣いが心に染み、クレアが素直に頭を下げて感謝したのと同時に、話題の子供達が三人揃ってキッチンに入って来た。
そして居合わせた大人達に『おはようございます』と、ペコリと頭を下げて元気に挨拶をしたのである。
子供達、特にさくらの顔に笑みが浮かんでいるのを見て、ユリアとティグルが、上手く説得してくれたのだと察したクレアは胸を撫で下ろした。
すると、パタパタと小走りに近付いて来たさくらが、モジモジしながらぺこりと頭を下げるではないか。
「ママ……昨日はごめんなさい。ユリアお姉ちゃんとティグルにおこられちゃったの……」
か細い声で謝りながら項垂れる愛娘がいじらしくて、クレアは思わずその小さな身体を抱き締めていた。
「うん……分かってくれたのならいいわ。お父さんが暫く留守にするから寂しいでしょうけれど、もう少しの辛抱ですからね」
愛娘がその言葉に素直に頷き、この件は決着したと誰もが思った。
事実、子供達はいつもと変わらない様子で朝食を済ませ、元気に登校して行ったのだから。
しかし、館の正門まで見送りに出たクレアにさくらが投げ掛けた言葉……。
「ママ! ごめんなさいっ! いってきまぁす!!」
挨拶として何らおかしな所はないが、何かが違う……。
坂道を駆け降りて行く子供達の背中を見送りながら、クレアは漠然とそう思って小首を傾げてしまう。
しかし、その不安は明確な形を成さなかった為、彼女は自分の取り越し苦労だと一笑に付したのである。
それよりも喫緊の問題は、お寝坊している旦那様を如何にして叩き起こし、遅刻しない様に送り出すかという難事だった。
意気込んで踵を返したクレアは館へ向かって歩き出したのだが……。
大騒動に翻弄される一日は、まだ始まったばかりだった。
※※※
【いただきものFAの紹介】
令和4年8月10日(水)
瑞月風花 様(https://mypage.syosetu.com/651277/)からFAを頂戴いたしました。
冒険を前にした三人の雰囲気が良く出ていますね。
瑞月風花 様。この度は本当にありがとうございました。【桜華絢爛】




