第八十二話 とあるエゴイストの切望 ②
「散々威勢の良い事を言っていたくせに……そう呆れるかもしれないが、俺が戦場で倒れた時はセレーネに残される人々の未来を君らに託したい」
勇躍出撃していく味方艦を見送りながら達也が漏らした言葉は、ポピーにとっては想定内のものでしかなく、特に驚きはなかった。
(まあ、コイツはこういう奴だよねぇ。豪胆なのか小心者なのか未だに判断がつかない……でも、達也らしいと言えば、そうなのかもしれないわね)
内心でそう揶揄しながらも性急に言葉を返すのを控えた大精霊は、達也の真意を見極めんとして敢えて無言を貫く。
勝利する為に可能な限りの手段を講じたという台詞は間違ってはいないのだろうが、だからといって勝てると明言していないのも事実だ。
強大な相手との戦力差を鑑みれば、総司令官が軽々しく景気の良い事を口にはできないというのは理解できる。
だが、唯の空威張りであっても構わないから、死地へと飛び込む仲間達に虚勢を張る程度の洒落っ気は見せられないものか……そうポピーは思うのだ。
そんな彼女の慨嘆を察したのか、外へと視線を向けた儘の達也は口元を綻ばせて言い訳がましい言葉を零した。
「出撃に際して威勢の良い訓示を口にする司令官は多いが、常日頃から気の利いた台詞ひとつ言えない俺では逆効果になりかねないだろう? 下手に真に受けられて緊張感がなくなるのも問題だしな。気難しい顔をして押し黙っている方が、仲間達も気楽だろうと思ってね」
「それ、唯の自己弁護に過ぎないからね? まぁ、アンタの場合は、確かにそれで正解なのかもしれないわ。でも、最悪の場合の対処を私達精霊に委ねた点は大いに評価してあげる」
性悪相棒からの容赦ない突っ込みに達也は苦笑いするしかなかったが、それでも苦しい心情を包み隠さずに吐露する事で感謝の代わりとする。
「君達以外には頼めないさ。志を同じくする他国には申し訳ないが、強大な権力への対抗勢力は必要だ……その意味でもアマテラスには生き残って貰わなければならないんだ。譬え、ランズベルグやファーレンが滅亡に追い込まれる事態になったとしてもね」
様々な要素を検討する限り、梁山泊軍が勝利できる可能性は限りなく低いと言わざるを得ないだろう。
それは謙遜等ではなく、少しでも軍事に詳しい者ならば百人が百人とも懐く見解に他ならない。
そんな厳しい状況の中で達也は可能な限りの戦略を駆使し、不利な戦況を少しでも好転させるべく手を尽くして来た。
それらの全てが無に帰すとは思えないが、今回ばかりは『勝てる』と断言できる自信は微塵もないというのが偽らざる心境なのだ。
だからこそ、最悪の場合アルカディーナ星系全体を侵入不能エリアにする事で、少なくともアマテラス共生共和国という反抗の芽を未来へと残すべきだと考えたのである。
その先行きは決して平坦なものではなく、茨の道と呼ぶに等しい困難なものになるとしても、諸共に滅びの道を歩むよりは遥かにマシだろう……。
そう達也は決意したのだ。
ただ、全く心残りがないといえば嘘になる。
(已むを得ない事とはいえ、クレアとの約束を反故にしてしまう可能性も否定できないし、子供達にも嘘を吐く事になる……)
脳裏に浮かんだ最愛の妻や子供らへ詫びる達也だったが、良い意味でも悪い意味でも場の空気を読まないのはポピーの得意技だ。
「まぁ、アンタの覚悟は分からないでもないから引き受けるのは吝かじゃないけどさぁ~~。謝罪の言葉はキチンと本人に伝えるべきじゃないの?」
そんな無謀な提案を振られた達也は戸惑うしかなく、その真意を測りかねて胡乱な視線を彼女へと投げた。
胸の中の本音を読まれるのは何時もの事だから驚きはしないが、ポピーの言葉を額面通りに受け取れば、事後の舵取りをしなければならないクレアにこそ自ら許しを請い、その上で未来の全てを託すべきだと説教されている様にもとれる。
普段はちゃらんぽらんな大精霊が、〝生きて帰る″との約束を守れない事も併せて謝罪するべきだと至極真面な事を言っているのには驚くしかないが、妻や子供達の事さえ既に今更だと割り切っている達也には、彼女が言葉の裏に潜めた謎掛けには気付けなかったのである。
「忠告には感謝するしかないが……それは生還できた時に考えるさ。それよりも、身勝手な頼みを受けてくれて感謝するよ。ありがとう、ポピー」
その気遣いは素直に嬉しかったが、ここまで鈍感だと、いっそ哀れに思えるから不思議だとポピーは唸るしかない。
(なるほどねぇ……これが朴念仁って奴なのね。まぁ、事前に心構えぐらいさせてやろうという私の好意にも気付かないのだから、結局は自業自得よね。精々反省して貰おうかしら)
精霊であるポピーに見透かせない事象などひとつもない。
当然だが、現在本艦には乗船していない筈の人間の存在も随分と前から察知しているし、この部屋の入口へその人物が辿り着いたのも承知していた。
だから、コン、コンという乾いたノック音がしても驚かず、入室を許可する達也の横顔を素知らぬ顔を取り繕って眺めていたのである。
※※※
「入り給え」
官姓名の申告が為されないのを訝しみながらも、達也は何時もと同じように入室を許可した。
しかし、厳しい作戦を控えて緊張しているのかもしれないが、軍人としては迂闊だな……その程度の違和感を覚えたのも確かだ。
主力艦隊の出撃までは幾許かの時間はあるとはいえ、全ての乗員が各々の配置についている今、急を要する報告があるとも思えない。
思い当たる節がない達也は、次々と出撃していく艦船を敬礼を以て見送っていたのだが、眼前の硬質ガラスに映し出された入室者を確認するや、それまでの冷静さをかなぐり捨てて振り向いてしまった。
矜持を投げ捨てる程に彼が吃驚したのは、入室者がアマテラスの大統領であり愛妻でもあるクレア本人に他ならなかったからだ。
「ク、クレア!? どういう事だ? なぜ君が此処に?」
珍しく狼狽を露にする夫とは対照的に、嫋やかな物腰で敬礼をする妻は落ち着き払った口調で上申する。
「白銀達也提督へ申告いたします。本日〇三:〇〇を以て大統領権限を行使。私も今回の作戦に同行するべく 大和 乗り組みを希望するものであります。尚、本件は要望の形を採ってはいますが、梁山泊軍との雇用契約に基づく正当な要求ですので拒否は認められません……どうか御配慮を賜りますように」
そう淀みなく一気に捲し立てたクレアがお茶目にもウィンクをしてくるが、正に〝開いた口が塞がらない″といった体の達也は茫然と立ち尽くすしかなかった。
だが、既に闖入者の正体を察知していたポピーは、如何にも愉快で堪らないといった風情で呵々大笑するや、クレアの肩へ移動して燥いだ声を上げる。
「星系を出るまでは何処かに隠れているのかと思っていたら、正面突破で説得しに来たってワケ? 随分と図太くなっちゃったじゃないのよ」
「まぁっ! 御挨拶ねっ。これでも、愛しい旦那様から叱責されるんじゃないかとビクビクしているのよ?」
「わあぁ──ッ! 誰か! ここに大噓つきがいるわよぉ! 女も三十を過ぎると図々しくなるって言うけど、本当ねぇ~~純真無垢な精霊には刺激が強すぎるわ」
「まぁ、他の精霊さん達は純真無垢に相応しい方々ばかりだけど、あなたは違うわよね、ポピー? 食い意地は張ってるし、自己顕示欲は強いし……それから、私はまだ三十前ですからね。誹謗中傷は絶対に許しませんよ?」
「僅か一年や二年の誤差に固執し、自己弁護に血道を上げる自分を恥ずかしいとは思わない?」
「全然! 間違いは間違いだと主張して何が悪いのかしら?」
眼前で繰り広げられる軽口の応酬から完全に取り残された達也だが、次にポピーの口から飛び出した言葉には無反応ではいられなかった。
「いやぁ~~それにしても思い切ったわね、クレア。さっき出撃していったイ号潜に乗っていたでしょう? ユリアとティグルとさくら……どうせアンタが手引きしたんでしょ?」
「ちょ、ちょっと待てッ! さっきのイ号潜に子供達が?? 一体全体どういう事なんだ!? クレア!?」
再起動した達也は御気を強めて愛妻を問い詰めるが、その剣幕を泰然として受け流したクレアは、優雅な微笑みを浮かべて如何にも大した事ではないと言わんばかりに驚愕の事実を告げるのだった。
「どうもこうもないわ。あの子達自らが強く希望したから、ダネル急襲部隊を指揮する志保に三人を預けて来ただけです。一応用心の為にヒルデガルド殿下に引率をお願いしてあります。ですから心配なさらないで」
平然とした口調で語られる内容の何処にどう突っ込めばいいのか分からない。
クレアの肩の上で笑い転げる大精霊様とは対照的に達也のダメージは計り知れず、崩れ落ちる様にして愛用の椅子へ身体を委ねるしかなかったのである。




