第八十一話 譲れない想い ④
時計の針は既に午後九時を廻っており、明朝五時ジャストを以て作戦発動、稼働可能な全戦力で出撃すると決して最終ミーティングは一旦解散された。
補給作業が終了する午前三時をタイムリミットとし、それまでに現隊に復帰しなかった将兵は退役希望者として扱うとも決まった。
それらの空席となった人員の穴埋めも必要だし、各艦の最終チェックも疎かにできない点を鑑みれば、時間が幾らあっても足りないのは自明の理だ。
おまけに、前衛艦隊は星系周辺宙域の警戒の為に本隊に先駆けて進発しなければならず、何時までも持ち場を離れている訳にはいかないというのが、各艦隊司令官や幕僚らの本音だった。
だから、地上戦を担当する部隊の指揮官以外の将兵を出撃準備へ専念させる為、一旦会議を終了させた上で、該当メンバーのみで再度テーブルを囲んだのである。
参加メンバーは、達也、クレア、ヒルデガルド、地球統合軍からの逃亡組であるセルバ・ヴラーグと皇 霊蓬、そして、梁山泊軍空間騎兵団を率いる志保とデライラという顔ぶれだった。
「艦隊同士のドンパチが始まるまでは異次元空間にて待機。敵の注意が逸れた所で一気に惑星ダネルへ降下し、王都要衝の奪還をお願いしたい」
今更念押しする必要もない事だが、戦術目標の優先度を曖昧にしては作戦遂行に支障を来す恐れがある。
宇宙空間と地上で同時作戦を展開する以上、不測の事態が起きた時の対応次第で、戦局が左右されるのは避けたいというのが達也の本音だ。
言葉を飾らずに言えば、主力艦隊は敵戦力への対処で精一杯だから、地上部隊は臨機応変に戦局の変化に対応し、独力で作戦を遂行して欲しいという、かなり無茶な言い分に他ならない。
しかし、そんな総司令官の苦衷はセルバも志保も承知しており、この期に及んで異論を差し挟むつもりは毛頭なかった。
それどころか、困難が予想される激戦を前に昂る戦意を抑えられずにいるのは、その鋭い眼光に滲む喜色からも明らかだ。
そして、指揮官の不退転の決意は、彼らの部下達も共有するものだった。
「情報部からの報告では、戒厳令下にあるとはいえ、王都に配備されている部隊は一個師団規模が精々とか……供給されている武器や装備品も通常装備のみで、主力戦闘車両は装甲車クラスが占めているとの事ですから、制圧するだけならば、然して難しくはないと思われます」
参謀長を務めている霊蓬が言を強くすれば、志保の副官のデライラも同調する。
「改良型の機動甲冑 焔 参式を装備した精鋭らが、ヴラーグ大将閣下の陸戦部隊に五百名。我が空間騎兵団にも百名ほどが配備されているからね。悪く見積もっても五分以上の展開には持ち込めるわ」
革命政府軍の旗を掲げている敵師団の規模は八千人程だと報告を受けているが、不思議な事に重装備の機甲化連隊は含まれておらず、専ら歩兵による普通科連隊で構成されているとの情報が齎されていた。
片や梁山泊軍の地上部隊は、セルバ率いる陸戦隊と志保の空間騎兵団を合わせても二千人が精一杯という状況だが、ヒルデガルドが考案開発したスーパーウェポンで武装されており、その装備と火力は完全に敵軍を凌駕している。
つまり、兵員数で劣ってはいても、総合力で上回っている自軍が劣勢を強いられる可能性は低く、王宮、評議会議事堂、GPO本部、そして、主要マスメディアを含むインフラシステムの奪還は比較的に容易だと考えられていた。
だが、全ての計画が承認された後に齎された報告により、地上部隊の作戦計画に大きな齟齬が発生し、優先度の高い作戦目的の達成が困難になったのである。
それ故に、その調整に腐心しているという次第だった。
「当初の状況通りならば、貴君らの実力を鑑みれば充分に達成可能な作戦だったのだが、肝心要の救出目標が所在不明では、立案した作戦そのものが無意味なものになったと判断せざるを得ないな……ジュリアンの傍に此方側の人間を忍ばせた事で少々油断していたよ」
苦虫を嚙み潰したかの様な顔で達也が慨嘆するのも無理はないだろう。
嘗ての情報局本部に監禁されて取り調べを受けていたジュリアンの消息が途絶えたとの一報が入ったのは、つい二日前の事だ。
敵情報部へ潜入したクラウス配下の工作員がジュリアン付きの取り調べ担当官に抜擢された事もあり、先々の展開を楽観視していたという面は否定できない。
だが、アマテラス建国に際して功績の大きい彼を見捨てるという選択肢はなく、何としても無事に奪還しなければならないというのは、皆が共有する想いだ。
とは言え、強襲作戦に備えて王都に潜入していた工作員らは既に各地の重要拠点で待機しており、今更移送先の探索に駆り出す訳にはいかない。
況してや、戒厳令下にある王都は、住民すら出歩かないゴーストタウンと化しており、新たな工作員を潜入させても悪目立ちするのが関の山だろう。
つまり、ジュリアンが監禁されている場所を探り出すのは不可能だと言う他はなく、王都攻略戦のハードルが格段に上がったというのが現状の全てだった。
これらの情報は、この場に居る全員が共有しており、ヒルデガルドや志保までもが険しい表情を崩そうとはしない。
「ジュリアンが捕らわれている情報局を真っ先に強襲するのが当初のプランだったけれど、彼が何処かに移送された以上は目標から外すべきね」
腕組みをしたままで志保が言えば、その言に達也も頷く。
「潜入していた工作員は〝情報局から移送″との連絡を最後に消息を絶っている……生死は不明だが此方の優位性は失われたと考えていいだろう。だが、あのクラウスの側近ならば簡単にやられたとも思えないからね……何かしらの意図を以て沈黙を貫いている可能性は否定できないな」
すると、それまで無言だったクレアが、隣のヒルデガルドに問い掛けた。
「ジュリアンが服用しているナノマシンには、特殊電波を発信する機能もあった筈ですわね? それで、居場所を探知特定はできないのですか?」
「う~~ん。所詮は簡易タイプの代物でしかないからねぇ……軍用とは違って有効範囲は狭いから、期待はできないと考えた方が良いよん」
その回答に消沈するしかないクレアは小さな溜め息を零すが、実働部隊を率いる志保や豪胆な性格で知られるセルバからは、落胆した様子は微塵も感じられない。
そして、悲壮感を打ち払うかの様な不敵な笑みを浮かべて言い放ったのだ。
「ある程度のアクシデントは覚悟していたからね、今更騒ぐ程の事じゃないわよ。要人を確保できる場所は限られているし、警察機構や収容施設を虱潰しにすれば見つかる可能性は高いわ」
「そうだな……ロックモンド財閥の総帥であるジュリアン氏の価値は計り知れないからな。戦後の事を考えれば、処分するよりも生かして利用しようとするだろう。大丈夫、必ず生きておられるよ! ただ、地上施設で発見できない場合はアスピディスケ・ベースに拘禁されている可能性もある。その時は……」
強襲部隊の責任者二人から視線を向けられた達也は、双眸に強い決意を滲ませて力強く頷いた。
「分かりました。その時の対応は私に任せてください。必ず救出してみせます」
ユリアの為にも必ず無事に助け出す……。
多くの命を預かる総司令官だからこそ、言葉にできない想いはある。
だが、それはクレアも全く同じだったし、夫が揺るぎない決意を言葉にしてくれた事に心から安堵していた。
だから、自らも覚悟を決め、誓いを新たにしたのである。
(えぇ……必ず助けてみせる。ユリアの未来を壊させはしないわ)
◇◆◇◆◇
その後、幾つかの懸案事項で合意を得てから最後の会議は終了した。
王都強襲部隊を乗せたイ号潜十五隻は主力艦隊に先駆けて出撃し、ダネル周辺で次元潜航して待機。
艦隊同士の戦闘が始まると同時に作戦行動に移り、以降はセルバと志保の判断で任務を遂行すると決まった。
出撃時刻は補給作業が完了する明朝午前三時ジャスト。
間もなく午前零時になろうかという今、乗艦を急がねばならない志保らは慌ただしく司令官公室を後にした。
これで司令官として事前に成すべき事は全て終えたと言える。
残された仕事は、留守を託すクレアとヒルデガルドへ言葉を掛けるだけだ。
「殿下。我々が星系を出たら、直ちにブラックホール・システムを最大稼働させて下さい。高性能護衛艦すら航行不能にするレベルならば、例の〝ユニコーン″も防げます。何よりも、セレーネの安全確保を最優先でお願いします」
「うん。分かっているよん。もしも、南部方面域から艦隊が派遣されたとしても、君らがアスピディスケ・ベースを攻略する間は持ち堪えてみせるさ」
自信ありげに胸を叩いて見せるヒルデガルドの表情にも迷いは見られない。
彼女の言う様に、南部方面艦隊が襲来する可能性は極めて高いだろうが、彼らに先んじて出撃してしまえば、何の問題もないと達也は考えている。
もしも、派遣艦隊がアルカディーナ星系を窺う動きを見せるのであれば、却って好都合であり、彼らが梁山泊軍本拠地攻略に執心すればするほど、時間という恩恵を得られるのだから、寧ろ、そうなってくれた方が有り難いと言える。
しかし、その公算は極めて低いだろうとも思っていた。
現在、南部方面域はクラウスが仕掛けた攪乱工作が功を奏して混乱の最中にあり、派遣できる戦力は当初予定より大幅に削減せざるを得ない状況の筈だ。
(ならばアスピディスケ・ベースの救援を優先させるだろうな……やはり楽はできないか)
打てる手は打ったとはいえ、相手との戦力差が歴然としている事に変わりはなく、劣勢を強いられる状況が簡単に覆る訳ではない。
長い間〝日雇い提督″と揶揄されてきた所為で貧乏くじ体質から抜けられなくなったか……そんな馬鹿げた考えが脳裏を過った達也は苦笑いするしかなかった。
だが、呑気に感傷に浸っている余裕がないのも事実だ。
こうしている間にも、刻一刻と出撃時刻は迫って来ている。
表情を改めた達也は、最愛の妻へ歩み寄って少しだけ口元を綻ばせた。
「いってくるよ。留守を宜しく頼む……必ず帰って来るから、心配しないで待っていて欲しい。子供達にもそう伝えてくれ」
「うん、分かっているわ。セレーネの事は心配しないで。でも、ジュリアンの件をユリアには伝えなくていいの?」
柔らかい微笑みで応じたクレアから問い返された達也は、左右に頭を振る。
「伝えるべきだとは思うが、恐らく不安を煽るだけになる。だから黙って行くよ。ユリアに言付けを頼む……必ずジュリアンは連れて帰るから、私を信じて欲しいとね。それから、君との約束も粗略にはしない。必ず君の所へ帰って来るよ」
「えぇ……信じているわ。どうか、御武運を……」
クレアからの激励の言葉に敬礼を以て応えた達也は、柔らかい笑みを残して部屋を後にした。
後には居残り組のふたりだけが取り残され、先程までの熱気と喧騒が嘘だったかの様に静寂だけが彼女らに纏いつく。
しかし、達也の言う通り、最早やるべき事はやり尽くしており、肩の荷が下りた気分のヒルデガルドは、疲労感すら心地良く感じていた。
だから、共に苦労したクレアを励ます意味で軽口を叩いたのだが……。
「思えば、三年なんてあっという間だったねぇ……散々無茶振りされて苦労もしたけれど、充実した時間だったよん。ありがとう、クレア君。君が身を粉にして働いた結果も直ぐに出るさ……留守番のボクらは、一足先に高みの見物と洒落こませて貰おうじゃないか……って、何かな? その怖い微笑みは?」
視線の先にあるクレアの顔は艶やかな笑みに彩られているのだが、それが喜悦によるものでないのは直ぐに分かった。
そして、その威圧感は半端なく、ヒルデガルドは恐怖しか感じられない。
(これは、ヤバい時の顔だよん! 絶対厄介な事を考えている顔だ!)
クレアとの付き合いも長くなり、その心情を察する術は身につけている。
今日まで培ってきた優秀な対クレアレーダーが、消魂しい警報を掻き鳴らしているのだ……『逃げろ』と。
「さ、さあ! ボクも遣る事を遣らなければねぇ! それじゃぁ、お先に失礼するよん。艦隊を送り出した後に大統領府で会おうじゃないか!」
身に迫る危機を回避するために躊躇いもせずに撤退を選択したヒルデガルドだが一足遅く、先回りして唯一の出入り口を塞いだクレアに阻まれてしまう。
「な、何だい? ボ、ボクは何も悪い事をしてないぞ!」
事実、彼女は何ら咎められる事をした訳ではない。
それにも拘わらず、言い訳がましい物言いになるのは日頃の行いの成せる業か?
だが、警戒感を露にするヒルデガルドには御構いなしに、さくらが恐れて已まない地獄の微笑みで表情を取り繕うクレアは、必要以上に柔らかい口調で懇願した。
「高みの見物の前に殿下には御助力賜りたい事がありますの。これから、御時間を頂いても宜しいでしょうか? 勿論、御断りになるのは御自由ですが……」
途中で言葉を切ったクレアの瞳に宿る圧力が凄い。
申し出を断った場合の己の末路が脳裏に浮かんだヒルデガルドは、その凄惨さに身震いするや、壊れた人形の如くにコクコクと頷くしかなかったのである。




