第九話 サクヤの提案 ②
「資産運用と申しましたが、内容は中堅の企業連合体を二つ買収したという事です。それぞれ傘下に百程度の子会社を持つ複合企業体であり、中堅とはいえ堅実な経営とグループ内の堅固な繋がりを武器に商いを展開し、業績を伸ばして来た企業体です……詳細はお手元の資料に纏めておりますので御目を御通しください」
殊更に誇る訳でもなく、淡々と経緯を語るサクヤとは対照的に、会議に参加している面々は一様に驚き、室内は軽い騒めきに包まれた。
彼女に促されて資料に目を通したラインハルトとエレオノーラは、書類に記載された企業名を見るや、驚きを露にし呻いてしまう。
「本当にこの二社を買収したと言うのですか? どちらも銀河連邦軍と軍需物資の取引がある名の知れた企業ではありませんか?」
信じられないと言わんばかりに、ラインハルトが息せき切って訊ねる。
冷静なこの男にしては珍しいほどの取り乱し様は、それだけサクヤの話が衝撃的だった事の表れだと言えるだろう。
「その通りですわ……ラインハルト様の仰る通り、高い技術力と先見性を併せ持つ子会社を多数傘下に収め、銀河連邦軍のオーダーにも充分対応できるだけの実力を兼ね備えた一流の複合企業体です」
柔らかい微笑みを浮かべて彼の質問を肯定したサクヤに、今度はエレオノーラが問い掛ける。
彼女はラインハルトとは違いこの買収話に懐疑的であり、眉間に皺を寄せる険しい表情からも、それはありありと見て取れた。
「その有名処の一流企業を……然も二つも買収できたなんて、余りに都合が良すぎないかしら? いくら大国の国家予算並みの資金力が有るとはいえ、札束で横っ面張り倒しただけで唯々諾々と従う……そんな柔な経営陣でもないでしょうに?」
彼女の刺すような視線と厳しい指摘にも、サクヤは欠片ほども動じずに、寧ろ、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに破顔する。
「ふふふ……そうですわね。気高い理念をお持ちの方々ばかりでしたわ。企業人として優秀であるばかりでなく、人間としても尊敬できる指導者達だと御見受けいたしました」
買収した企業トップに掛け値なしの賛辞を贈るサクヤだったが、次に飛び出した言葉に他の全員が怪訝な表情を浮かべてしまう。
「……但し、理想を追求するといえば聞こえはよろしいのですが、頑迷で一本気。そういう危うさも内包しております。その気質がこの二つの企業を窮地に追いやったのですわ」
銀河連邦を中心とする経済圏で名を馳せる両企業に降り懸かった災難を、サクヤは簡潔に説明する。
事の起こりは、銀河連邦軍との取引の契約更新に関して、連邦評議会貴族閥から異議申し立ての動議が発議された事だった。
曰く、銀河系最強を誇る銀河連邦軍艦隊の性能向上と維持という重大事を、一部とはいえ脆弱な企業体に委ねるのは、連邦全体の安全保障を揺るがす暴挙だ!
そんな言い掛りにも等しい難癖をつけられたのである。
理解し易い様に彼らの言い分を翻訳すれば。
『我々に賄賂を寄越さないような企業は、実績面で劣るから陸な収益が上げられないのだ! そんな御粗末な企業は排斥し、我々を物心両面で優遇してくれる企業に認可を与えるべきである』
……という、下世話な欲望に他ならない。
勿論、言い掛かりをつけられた経営陣もロビー活動を展開し、評議会内で多数派工作を行ったが、優勢な貴族閥の牙城を崩すには至らなかった。
然も、権力者に対し公然と反旗を翻した事で逆恨みされ、息が掛った大企業体からの圧力を受けた彼らの企業業績は悪化の一途を辿ってしまう。
その結果、傲慢な貴族閥に膝を屈するか、自ら破綻を選択するかの瀬戸際にまで追い込まれてしまったのだ。
「最初に『事態が切迫していたが故』と申し上げましたのは、両複合企業体を容易く手に入れる環境が御膳立てされていたからです。譬え貴族閥に膝を屈して一時の安寧を得ても、先々に待っているのは、優秀な子会社の人員と技術力だけを吸収された挙句に本体は他の企業に売却されて消え去る運命しかありませんわ。経営陣はそれを分かっていたからこそ、当家からの申し出を受け入れてくれたのですわ」
経緯を説明するサクヤに、今度はイェーガーが小首を傾げながら質問する。
「確かに、千載一遇のチャンスに他ならないという貴女様のお言葉は理解できますが……ロビー活動や対貴族閥工作に多額の資金を注いだ挙句、連邦軍との取り引きも失って体力を消耗した企業をどうなさるおつもりなのですかな? この先も陰湿な嫌がらせは続くものと考えるべきでしょうし……」
状況は彼が危惧する通りであり、先行きは厳しいと誰もが思ったのだが、それでも姫君の微笑みは消えない。
「その点は問題ありませんわ。両企業は独自に、食品、鉱産資源、工業製品の物流ネットワークを持っており、バイオ関連や電子産業の世界ではフロントランナーと称賛される子会社をも傘下に収めております」
そこで一旦言葉を切ったサクヤは、その愛らしい顔から笑みを消す。
「失った銀河連邦軍との取り引きの代わりに、ランズベルグ皇国とファーレン王国が国策として取り扱っている産物の専売契約を両企業と結ぶ事で合意しております。それが買収にあたり当方が提示した条件です。これによりグループ全体の業績は、少なく見積もっても倍増すると確信しております」
「し、しかし……そんな国家運営の根幹を成す重大事を、皇国と王国が承認するのですか?」
「大叔母様とヒルデガルド殿下の御承認は戴いております。加えて担当部署の優秀な官僚をヘッドハントする手筈も整っておりますれば……この話を拒んで損をするのは両王家の方ですわ……第一あの御二方に素で勝てる者など銀河系には存在いたしませんもの」
アナスタシアとヒルデガルドを敵に廻す事で生じる不利益を骨身に染みて理解しているのは、他でもないランズベルグとファーレンだ。
そんな事態を両国が好んで選択する筈がないと熟知しているからこそ、サクヤは彼女らを味方に引き込み自らの手札としたのである。
『虫も殺さない様な顔をして、何と強かな……』
老獪な策士でもあるイェーガーが珍しく戦慄している様子を見たラインハルトとエレオノーラは、サクヤに対する認識を改めざるを得なかった。
すると、それまで黙って話を聞いていた達也が口を開く。
「正直なところ、俺としてはランズベルグとファーレンを捲き込むのは気が進まないのだがなぁ……下手をすると貴族間の争いに発展する恐れがある以上、大恩ある両王家を危地に立たせたくはない」
珍しく歯切れが悪いその物言いを受け止めたサクヤは再度微笑みを浮かべた。
「お気遣いは嬉しく思います……しかし、貴族閥が強引に権勢を拡大しようとしている現在。七聖国は銀河系の安寧の為にも安閑としている訳にはいかないのです。それに両国の介入が表沙汰になれば、黒幕が当家である事をカムフラージュできましょう……息をひそめて力を蓄え軍備増強を図る為には、これ以外に方策はないと断言致します」
そこには普段見せる気弱な姫君の面影は微塵もなかった。
潤沢な資金力と七聖国のお墨付きがあったとはいえ、状況を見据えて海千山千の企業人を口説き落とした手腕は瞠目に値する。
「投資する対象を本社や子会社の株式とした場合、当然ながら申告の義務が生じます。それでは白銀家の存在が表に出て大変都合が悪いので、当家からの個人融資という形で資本投下を行い、その対価として、グループが所持している株式を三年後の年度初日を以って白銀家に全て無償譲渡する覚書きを交わしました」
買収工作とその実行者をカムフラージュする手立てまで講じている用意周到さに、一同は舌を巻いて脱帽するしかない。
懸念があるとしたら、両企業が覚書きを無効にして借財を踏み倒すという力技を行使された場合と、面子を潰された貴族閥が苛烈な報復に出て来ないかという点だが、そんな些事を心配する者は誰もいなかった。
白銀家の後ろの控えているランズベルグとファーレン……と言うよりも、アナスタシアとヒルデガルドと置き換えた方が適切であろうか。
あの女傑二人の恐ろしさは、数々の伝説となって銀河中に鳴り響いている。
彼女らを敵に廻した者には、地獄に堕ちた方がマシという末路が待っているのは周知の事実であり、それを知らない貴族や企業人はいない。
好き好んで自ら破滅の道を選ぶ酔狂な人間は、この世には存在しないのだ。
「当家の活動や皆様方の日常生活に必要な物資は、両企業を通じて正式な取引をするつもりです。また、ヒルデガルド殿下から要望されております艦隊建造に必要な物資も同様に搬入させる予定です……事後報告になってしまいましたが、私からの御報告は以上です」
見惚れるような所作で頭を垂れる美しい姫君へ、惜しみない称賛の言葉と拍手が送られる。
今この瞬間に自分が仲間として認められたのだと実感し、サクヤは達成感と共に気分が高揚していくのを心地良く受け止めるのだった。
◇◆◇◆◇
その後、幾つかの懸案事項を協議してから会議は終了した。
領地が無いが故に不安視されていた将来的な資金問題に一応の目途がついた事で、一同の表情にも明るさが戻り、達也は先々に光明を見出せた思いだった。
「本当にありがとう……君のお蔭で大きな問題がひとつ片付きそうだ」
達也が礼を言うと、サクヤは顔を赤くして照れてしまう。
会議室に残っているのは達也とサクヤ以外にはクレアのみであり、先程までの凛々しさから一転して顔を赤らめる姫君に彼らも表情を綻ばせた。
「そ、そんな……私にはこれしかありませんし……でも、達也様の御役に立てたのであれば、これほど嬉しい事はありません」
そんな姫君を見て『良い事を思いついた!』と言わんばかりにクレアが旦那様に提案する。
「ねえ、達也さん。頑張ったサクヤ様に御褒美を差し上げたらどうかしら?」
「御褒美? う~~ん、何がいいかな?」
目の前で相談を始めたおしどり夫婦に、姫君は慌てて辞退しようとしたのだが、クレアが悪戯っぽく微笑んで口にした提案を耳にして、それも出来ないほどに舞い上がってしまう。
「大袈裟に考えなくてもいいじゃない。アイランド東部の繁華街やマリゾンの市民公園を二人で散策するだけでも、大国の姫様には大冒険ではなくて? 三日後には下賜された星系の調査に出発するのだからチャンスは今日しかないわ。初デートと洒落込んでは如何?」
「ふむ……それもそうだな。どうです? 君さえよければ市内を案内するが?」
お手軽過ぎて少々手抜きではないかと懸念したが、サクヤは『初デート』という言葉に過剰反応し、顔を赤らめながらも即座に応諾したのである。
「行きますっ! 是非、是非とも御一緒させて下さいませ! 賑やかな街中を見て回れるなんて……あぁっ! 長年の夢が叶うのですね」
ランズベルグ皇国第一皇女ともなれば、護衛もなしに市井を出歩くなど許される筈もない。
しかし、大国の姫君とて好奇心溢れた年頃の女の子なのだ。
皇宮の窓から見える首都の街並みを駆け回る自分の姿を、何度夢に見た事か。
然も、恋い焦がれる想い人と一緒となればこれに勝る喜びはない。
既に期待と興奮に顔を蕩けさせている姫様にクレアが止めの一言を耳元で囁く。
勿論、達也には聞こえないように……。
「頑張って甘えて下さいね。誘惑するのもOKです。戦果を期待していますわ」
クレアの言葉に煽られ妄想が爆発。
淡い朱程度だった顔色を真っ赤に染めたサクヤが、その可愛らしい口をパクパクさせて狼狽する様が妙におかしくて、クレアも嬉しそうに微笑むのだった。
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