第九話 サクヤの提案 ①
留守中の業務はラインハルトが代行してくれたものの、達也が決済しなければならない案件は多く、必然的に残務は膨大な量になっている。
山積した仕事は目を覆わんばかりの様相を呈しており、それ故に帰還後の達也は日がな一日事務処理に追われる羽目に陥っていた。
そんな怱忙を極める状況であっても、今後の方針を含めて重要案件は目白押しで、早急に結論を出さねばならないものが多々ある有り様だ。
そこで達也とラインハルト、エレオノーラの三人組にフレデリック・イェーガーを加えた軍部首脳陣と、白銀家代表という名目でクレアとサクヤの女性二人も出席し、ランチを兼ねた懇談形式の会議が開催されたのである。
(私なんかが此処に居て良いのかしら?)
地球統合軍を中尉で退役したクレアは、大元帥を筆頭に将官が三人も居並ぶ重圧の中で恐懼緊張していた。
現状で一番階級が低いエレオノーラですら中佐であるし、サクヤに至っては軍属でないとはいえ、歴とした大国の第一皇女に他ならない。
既に軍人ではない自分がひどく場違いな場所に居るように思えてしまい、クレアは折角のランチを味わう余裕すらなかった。
視線を隣に向ければ、ここ数日のポンコツぶりが嘘の様に為政者然とした凛々しい姫君が、優雅な所作で書類に目を通している。
(さ、流石にアナスタシア様の後継者と認められるだけの事はあるわね……今日は私の方が醜態を晒してしまいそう……)
ネガティブな思考が脳内を駆け巡って心細くなったクレアは、対面に座る達也へ『助けて!』と視線で訴えるが、愛しの旦那様は愛妻の願いに気付かないばかりか、何の御利益も期待できない微笑みを返してくる始末。
(あぁ~~ん! 達也さんの朴念仁っ! 愛しい女房が困っている時ぐらい察してくれてもいいじゃないのっ!)
憤慨して言葉にできない罵倒を投げつけるのだが、女性心理を読み解く等という高等スキルを達也が持ち合わせている筈もない。
一向に埒が明かない状況に業を煮やしたクレアは、恐る恐る手を上げた。
「あっ、あの……このような重要な席に私などが呼ばれたのは、何か理由があるのでしょうか? 私は既に軍籍から離れておりますし……」
自分に注がれる他の人々の視線が痛い……。
だが、公人と私人の境界線は明確にしてケジメをつけなければ、いざという時に痛くもない腹を探られてしまう。
曰く『才能も能力もない人間を身贔屓し、重要な意思決定に関与させた』などと非難されれば、達也の風評にも傷をつける事態になりかねない。
それだけは絶対に避けねばならないと固く思い定めたのだが……。
どんな返事が返って来るかと身構えていると、聡明なイェーガーまでもが不思議そうな顔をしているのに気づいたクレアは、何かしら不吉な予感を覚えてしまう。
(なっ、なに? この沈黙は? 私なにか変な事を訊ねてしまったのかしら?)
周囲の反応に戸惑い、不安を露にする彼女に答えを返してくれたのは、好々爺然とした笑みを浮かべたイェーガーだ。
「奥様の御懸念は尤もであります。しかしながら、我が軍は深刻な人手不足という問題を抱えておりまして。ヒルデガルド殿下の御力で新造艦を建造しても、肝心の乗員が圧倒的に不足しているという有り様で、編成も儘ならない状態なのです」
彼が言葉を切ると、意地の悪い笑みを浮かべたエレオノーラが後を引き継ぐ。
「つまり我が軍には経験者を遊ばせておく余裕はないのよ。そこでアナタも強制的に転籍して貰ったという訳なの。情報処理や電探関係の技量は超一級なんだから、家庭以外でも愛しい旦那様の御役に立ちなさいな」
後半部分は妬み嫉みを含んだ冷やかしだったが、妻としてだけではなく、軍人としての経験を期待していると言われれば悪い気はしない。
寧ろ、愛する夫の役に立てるのであれば、これ以上の喜びはなく、クレア自身も復職は望むところだった。
だが、自己完結して決意を新たにする彼女に、驚天動地と言っても過言ではない人事案がラインハルトから告げられたのである。
「新たに軍の人事を再編成する事になりましたので、銀河連邦軍から白銀軍に転籍した者達の階級を、役職に合わせて昇進させると決まりました。クレアさんは白銀伯爵夫人として対外的に表舞台へ出る機会も増えるでしょうし、実質的に伯爵家を切り盛りせねばならない立場を考慮して、階級は少将といたします。戸惑いはあるかとも思いますが、どうか宜しく」
何を言われたのか全く頭に入って来ない。
約十秒ほど無言で瞼を瞬かせていたクレアは、唐突に再起動するや、弾かれたように席を立って悲鳴を上げていた。
「しょ、少将って!? 冗談はやめて下さいっ! 統合軍での私の最終階級は中尉なんですよ! そんな私に将官が務まる筈がありません。それこそ身贔屓人事だと誹りを受け、敵対する者達につけ入る隙を与える事になります。断じて御受けする訳には参りませんっ!」
正論を以て昇進案を辞退する彼女の言葉にいちいち頷くラインハルトは、満足げに微笑んで賞賛の言葉を口にする。
「虚栄心に溺れず、実直で公明正大な貴女だからこそ将官に相応しいのです。実務で不慣れな点は私やエレンがフォローしますし、面倒事は達也に押し付けてしまえばいいので、そう深刻に考える必要はありませんよ」
身も蓋もない親友の物言いに憤慨する達也が睨むが、ラインハルトは何処吹く風と言わんばかりに知らん顔。
そんな二人を無視して微笑むエレオノーラは親友を励ます。
「気楽にやれば良いのよ。今はまだ真面な艦艇もない名ばかりの軍なんだから」
そうは言われても事が事である。
どうして事前に相談してくれないのかと憤るしかないクレアは達也を睨んだが、鈍感な旦那は相変わらずニコニコ微笑むだけで、少しも反省する素振りもない。
(うぅ~~っ! ばかっ! あんぽんたんっ! 達也さんのおたんこなすっ!)
腹立ち紛れに胸の中で悪態をついたものの、軍としての体裁が整うまでは……という要請を承諾せざるを得なかったのである。
◇◆◇◆◇
「……以上が銀河連邦軍との約定内容だ。軍籍が残るのは俺だけだが、大元帥とはいえ退役将校同然の扱いだから、実質的な権限は無いに等しい……【神将】騒動のほとぼりが冷めたら本腰を入れて潰しに来るだろうな。あの爺様達は」
エンペラドル、モナルキア両元帥を爺様呼ばわりする達也の顔に笑みはない。
「ふん。それが分かっていたのならば厚かましく御強請りして、もっと戦闘艦艇を分捕ってくれば良かったじゃない? 手切れ金が軽巡クラス三隻って、倹しいにも程があるんじゃないの?」
内心の不満を隠そうともしないエレオノーラがそう言えば、イェーガーが窘めるかの様に口を挟む。
「此方から過剰な戦力を要求すれば『白銀大元帥に叛意有り』という口実を連中に与えかねない。現状で正面切って銀河連邦軍指導部と敵対するのは悪手だよ」
「そうですね、軍令部や軍政部の連中を油断させて時間を稼ぎ、その間に力を蓄えるしかないでしょう……幸い航宙艦隊統括幕僚部はガリュード様が抑えておられるので、連邦軍が早急な敵対行動に出るとは考え難いですから」
ラインハルトがそう付け加えたが、エレオノーラは執拗に食い下がる。
それは『事象を楽観的に捉えて後で後悔する位ならば、疑問点は徹底的に検証せよ』というガリュードの指導の賜物であり、幕僚としての高い資質を持つ彼女の面目躍如たる部分だとも言えるだろう。
「そうだとしても、仮想敵は百万の大戦力を誇る怪物よ……限られた資金で戦力を整えるといっても限度があるでしょう? 当初プランでは、戦力が手薄な星間国家から海賊討伐の依頼を受け、手持ちの艦隊で傭兵稼業をして資金を貯めると言っていたけれど……上手くいく目算はあるのかしら?」
最新鋭艦などは望むべくもないが、標準配備されている護衛艦ならば三百隻程度の戦力は確保出来るとエレオノーラは考えていた。
無償での譲渡は無理だとしても、比較的安価で購入するのは可能だとも皮算用を弾いていたのである。
しかし、得られた戦力が軽巡クラスの護衛艦三隻だけとなれば想定外も甚だしく、何よりも今後の資金調達計画に重大な齟齬をきたすのは明白だ。
自分達の舵取り次第で仲間とその家族達四千人の運命が左右される以上、看過してよい問題ではないと覚悟したが故の苦言だった。
「エレンの懸念は至極真っ当だと思う……それでも、好んで対決姿勢を明確にするのは避けた方が良い。多少の戦力を得ても所詮は焼け石に水だ。ましてや、基盤となる領地もない我々が、強大な権力を有する貴族勢力に正面から挑むのは無謀以外の何ものでもない」
達也の言い分は正論ではあるが、それで懸念が払拭される訳ではないし、根本的な問題が解決する訳でもない。
それ故にサクヤから提案された計画を会議の俎上に上げ、眼前に居並ぶ幹部らの意見を募る事にしたのだ。
「当初は傭兵稼業をして資金を捻出するつもりだったが、戦闘による損失や兵站を考慮すれば、採算ラインが極めて高くなるのは避けられない。下手をすれば赤字になる可能性もある。だが、他に妙案もなく、それしかないと思い込んでいたんだが、サクヤ姫から別の方策を提案されてね……それを検討して貰いたくて姫様にも御臨席いただいた。それではサクヤ様。お願い致します」
一同の注目が集まるなか、彼女は立ち上がって一礼すると、事前に用意していた数枚綴りの書類を各自に配った。
「最初にお願い致します。只今お手元にお配りいたしました書類は、この会議終了後に回収して廃棄します。情報の漏洩を防ぐ為の処置だとご理解ください。それから達也様。私との関係を考慮すると仰ってくれたのですから、敬称は不要に願います……どうか『サクヤ』と呼び捨てになさって下さいませ」
気心が知れた者ばかりとはいえ、他人の目がある前で堂々と宣言したサクヤとは裏腹に、不意打ちを喰らった達也は狼狽して顔を引き攣らせてしまう。
周囲から浴びせられる揶揄う気満々の生温かい視線が痛く、何度も咳払いをして体裁を取り繕うしかなかった。
「それでは御説明致します……まず初めに、達也様が御不在であるにも拘わらず、認可も戴かない儘にプランを実行いたしました無礼をお詫び申し上げます。事態が切迫しておりましたので、クレア様の同意を戴いた上で、下賜された白銀家の資産を運用し、大規模な企業買収を行った事を御報告いたします」
彼女の口から飛び出した突拍子もない内容に、弛緩しかけた雰囲気は一瞬で消し飛び、緊張した空気が会議の場を支配する。
「し、資産投資? それは博打に等しい行為ではありませんか? 連邦評議会からの資金は今後の軍備強化には無くてはならないものです。万が一にも含み損を出せば、我々の計画そのものが頓挫しかねませんよ?」
血相を変えたラインハルトが真っ先に彼女の提案を危ぶんだが、サクヤは動じた素振りも見せない。
寧ろ、平然としたその顔には笑みさえ浮かんでおり、これが先日まで不安に青ざめていた人間と同一人物なのかとクレアは驚かずにはおれず、改めて彼女がアナスタシアの後継者だと認められた理由を垣間見た気がした。
「確かにラインハルト様の御懸念は尤もですわ。ですが、少し誤解があるようですので、これから詳しく御説明させて頂きます」
その言葉を皮切りにして彼女が語った内容は、その場の全員を感嘆させると同時に、その後の白銀家と仲間達の運命を大きく変えていくのだった。




