第七十六話 ジュリアン受難 ②
「漸くの御出座しか……銀河連邦軍の情報収集力も劣化したものだね。まあ、此方としては充分に時間稼ぎができたのだから、寧ろ感謝するべきなのだろうが……」
本社ビル最上階の一角を占める執務室から下界の様子を見下ろすジュリアンは、その整った顔に皮肉気な微笑みを浮かべて呟く。
ひと目で軍仕様だと分かる装甲車両に護衛された複数のワゴン車が敷地内に押し入って来るや、そこから降りた多数の人間達が正面玄関へ駆け込むのが見えた。
彼のいる場所からは、まるで豆粒が動いている様にしか見えないが、それが銀河連邦軍特殊監察部の捜査官達だと判断したジュリアンの勘は間違っていなかったらしく、間を置かずに入室して来た者がそれを教えてくれたのである。
「総帥。厄介な客が押し寄せて来ましたぞ」
ノックもなしに入って来たのは重役筆頭のランディウス・クレセントだ。
仏頂面がトレードマークだと評判のこの男が、一段と深い皺を眉間に刻んでいるのを見たジュリアンは、思わず相好を崩して自身の右腕的存在を冷やかした。
「待ち草臥れていたところさ。それにしても、ランディウス……折角のお客様なのだから、もう少し愛想の良い顔をしてはどうだい? 特に目力がきつ過ぎるよ? まるで、彼らを射殺さんとしている様だ」
「そんな芸があるのならば、偏屈で我儘な人間に仕えた挙句、薄給で扱き使われるような貧乏くじは引いておりませんな」
「き、君も言う様になったねぇ……偏屈で我儘とは僕の事かい? これでも世間様からは、実直で正直者だとの評判を戴いているのだがねぇ……」
「総帥。世の中には『お世辞』とか『おべんちゃら』という便利なものが存在するのです。その程度は見抜けないと『世間知らずのボンボン』との嘲りを受ける羽目になりますぞ。お気を付け下さい」
「ぐっ……それ、本気で言っている訳じゃないよな? 少し凹んだぞ!」
少しだけ揶揄うつもりだったのに、忠臣の多分に嫌味を含んだ返答に滅多打ちにされたジュリアンは憤慨するしかなかったが、悪怯れた様子もないランディウスは御構いなしと言わんばかりに本題を告げる。
「軍の特殊監察部が連邦評議会命令を盾に乗り込んできました。警備部が足止めしていますが、間もなく此処にやって来るでしょう」
その声には明らかに焦慮が滲んでおり、どんな状況でも泰然とした体を崩さない普段の彼を思えば、寧ろ可笑しくさえあった。
だが、ランディウスの言う通り、時間が僅かしか残されていないのは確実であり、巫山戯てばかりもいられないと察したジュリアンも表情を改める。
「想定済みの事態さ。慌てる必要はない。アルカディーナ星系戦役以降の銀河連邦は、未だに混乱から立ち直れないでいる……商人としての我々には、最早直接的に白銀提督と梁山泊軍を援護する手段は残されていないが、間接的にであれば出来る事はまだある筈だ。分かっているな?」
揺るぎない決意を滲ませた主の表情と言葉から、翻意は叶わないと察したランディウスは、忸怩たる思いを胸の中に秘めて肯くしかなかった。
ジュリアンが言った通り、現在連邦評議会も軍も未曾有の混乱の只中にある。
辺境の弱小勢力を討伐するべく派遣した遠征軍が敗北を喫したのだから、評議会や軍部の指導者らが恐慌を来すのも当然だと言えるが、彼らにとって誤算だったのは、唯の一人さえも生還者が存在しないという信じ難い現実だった。
常識的に考えれば、艦隊は前衛と後衛、そして司令部を擁する中央部隊で編制されるものだ。
勿論、その他にも遊撃艦隊や後方支援艦隊など本隊に随伴している部隊もあり、いざ味方が不利な状況に陥った時には、それらが戦線を後退させて支援に徹するのも作戦要項には含まれている。
にも拘わらず、唯の一艦どころか、将兵すら誰一人として帰還を果たせなかったのだから、討伐戦の実相を知る術は失われたと言っても過言ではなかった。
その上に今回の遠征には報道機関や戦場ジャーナリストらの従軍も認めていなかった為、民間人の立場を尊重されて、捕虜には成り得ない彼らからの貴重な情報も得られないと来ている。
何事も正確な情報がなければ正しい判断などできる筈もなく、連邦の指導者らが動揺して喫緊の対応策すら打ち出せずにいるのも至極当然の結果だと言う他はないだろう。
そんな厳しい状況もあって情報部の調査は遅々として進まず、ロックモンド財閥は安寧を享受していたのだが、それもどうやら時間切れのようだ。
ジュリアンの言葉で〝来るべきものが来た″と察したランディウスは瞑目するや、慇懃な仕種で頭を垂れた。
「お任せ下さい……銀河連邦に加盟している各国の指導者らには大なり小なり貸しがございます。その中にはモナルキア派の重鎮らも含まれておりますので、色々と揺さぶりを掛けてみましょう。然すれば、総帥への無体な取り調べも抑止できましょうし、派閥内に不協和音を芽生えさせられるかもしれません」
この言にジュリアンは眉根を寄せて不快感を示す。
「僕の事は心配いらないと言った筈だ。それよりも……」
「承知しておりますよ。早々に銀河連邦に見切りをつけ、近日中に結成されるであろうランズベルグ皇国とファーレン王国主導の新同盟へ参加する様に要請する……これまでに蓄積している借金の放棄と、今後の変わらぬ支援を確約すれば、交渉に応じる国々は必ずある筈です」
ランディウスの返答に満足げに肯くジュリアン。
「新同盟の結成と反銀河同盟宣言が銀河中を席巻するのも間もなくだ。そうなれば一気に事態は動くだろう……飽くまでも短期決戦による決着を白銀提督が望むのならば、状況の遅滞は有り得ない。この世界の覇権を握るのが誰なのか……その答えも遠くない未来に示される筈だよ」
「ヘンドラー経済連合の常任理事会への恫喝は如何いたしましょう?」
「それは最後の手段でいい……徒に民衆の生活を脅かしては、戦後に白銀提督やクレア大統領に迷惑を掛ける恐れがあるからね。それに、何れは僕の義理の両親になる御方たちだ……余り怒らせたくはない」
ランディウスが問うた〝恫喝″とは、アマテラス共生共和国との取引で財閥が得た金や銀、そして宝飾品としても取り引きされている希少鉱石の存在を指す。
現在これらの保有量は莫大なものなっており、それらを市場に流通させ様ものならば、忽ち相場が大暴落するのは必至という代物だった。
財閥にとっても痛手ではあるが、銀河系の経済を牛耳っているヘンドラー経済連合にとっては、各種取引市場の混乱は死活問題に他ならず、傘下の大小企業体にも倒産や廃業を余儀なくされる所が出るのは避けられない筈だ。
だが、それをやれば、経済連合だけではなく、多くの民間人にも災禍が及ぶのは確実であり、そんな事態は可能な限り避けたいとジュリアンは考えていた。
何よりも、そんな暴挙をユリアは許してくれないだろう。
だからこそ、銀河系中の国々に深く食い込んでいるヘンドラー経済連合を恫喝し、その力で連邦傘下の国々を離反させるという手は、彼にとっては最終手段でしかなく、その優先順位は極めて低かった。
だから、強硬策も辞さないという意志を見せるランディウスに、やんわりと釘を刺したのである。
「承知いたしました。ですが、最悪の場合には躊躇わずに最終兵器を使う。それもまた企業人としては当然の判断だと愚考いたしますれば……我々がその様な決断をせずに済むよう、総帥にはくれぐれも御自愛下さいますよう伏してお願い申し上げます」
諫言しながらも口元を綻ばせるランディウスだったが、その目が笑っていないのは一目瞭然であり、ジュリアンとしても忠臣の諫言は無碍にはできなかった。
「分かった、分かった。僕だって早死にしたい訳じゃないからね。くれぐれも無理はしないさ。ん?」
そう言って軽く手を振って見せたのと同時に執務机の端末がコール音を響かせるや否や、焦りを露にした秘書官の声が招かざる来客の到来を告げた。
『総帥っ! 銀河連邦情報局のっ、きゃあぁ!!!』
フロアーの受付での騒動ならば猶予はない。
秘書らの安否を気遣うジュリアンだったが、身柄を拘束される前にやっておかなければならない事がある。
それはランディウスも承知しており、敬愛する主の身を案じる彼は、監察官らが押し入って来る前に為すべき事を成す様にと急かした。
「総帥、お早くなされませ。奴らが来る前にアレをっ!」
そう促されたジュリアンは、執務机の引き出しから小型のケースを取り出すや、その中に納められていた薬剤のようなカプセルを指で摘まみ上げてランディウスに見せる。
「この風邪薬みたいなカプセルが一千万ヴィーテ(一ヴィーテは約一ドル)もするって信じられるかい?」
そう言うジュリアンの顔は呆れを含んだ苦笑いだったが、時間を気にする忠臣には感傷に浸る余裕はなかったらしい。
「お早く! 効き目が確かだと証明された暁には、我が社で製品化して量産すれば元は取れましょう!」
「おいおい……僕はモルモットなのかい? まあ、胡散臭くはあるが、あの殿下が開発した代物だからねぇ……効果を疑う訳じゃないんだが……」
「総帥ッ!」
一抹の不安を払拭できないジュリアンにしてみれば、効果も定かではないものを口にするのは憚られたのだが、険しい表情の忠臣から、今にも射殺さんとするかのようなキツイ視線で睨まれれば是非もない。
覚悟を決めたジュリアンはカプセルを口に含むや、グラスのミネラルウォーターを呷って一気に腹の中へと流し込んだ。
それを見たランディウスが安堵の吐息を漏らすのと、執務室のドアが乱暴に押し開かれて大勢の男達が雪崩れ込んで来たのは同時だった。
「ジュリアン・ロックモンド! 反乱行為の共同正犯ならびに幇助の嫌疑で拘束する。抵抗するならば然るべき対応をしなければならないので、大人しく縛に就く事をお勧めするッ!」
監察官のリーダー格の男が居丈高な態度で言い放つが、肩を竦めてその圧を受け流すジュリアンの表情には狼狽する様子は微塵も見られない。
それどころか、その口元には笑みすら浮かんでおり、寧ろ戸惑ったのは監察官らの方だった。
「さてさて、全く身に覚えのない罪状だが、司直の方々に無用の手間を掛けさせるのは一市民として気が引けます。何かの間違いだと思いますので、存分に取り調べられるといい。逆らいはしませんよ」
そう言って立ち上がるや、率先して部屋を出て行こうとするジュリアンを、彼らは慌てて追いかけて行く。
「総帥……どうか御無事で……」
一瞬の喧騒が去った後ひとり残されたランディウスは、沈痛な面持ちでそう呟くのだった。
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