第八話 神将は唖然とする
そもそも無事地球圏に帰還し、軌道エレベーターと一体化した宇宙ステーションに辿り着いた時点で充分に波乱の予感はあった。
大手企業が運営する定期便から下船して、久しぶりに我が家へ帰れると御機嫌なユリアと共に到着ロビーに足を踏み入れた達也は、訳も分からぬ儘に人波に呑まれ周囲を取り囲まれてしまったからだ。
『今回の大統領予備選挙の結果を、どのようにお考えですか?』
『制度上無効とはいえ、少なからぬ民意を平然と無視した現統合政府に対し、何か一言お願いしますッ!』
『熱狂的な民意に応える意思は御在りですか!?』
質問の内容は余りにも抽象的であり、何を問われているのかさえ理解できなかったが、彼らが報道に関わる人間だというのは直ぐに察せられた。
だが、無遠慮に浴びせられる強い感情の奔流に当てられたのか、ユリアは怯えて萎縮する有り様で、父親として到底看過できない状況だ。
『民意の熱狂』云々を問う前に不躾な取材マナーを何とかしろと憤ったものの、暴発する寸前で辛うじて堪えた。
白銀達也という存在が、社会に対し少なからぬ影響を及ぼす可能性がある以上、迂闊な真似はできないと考えて自重したのだ。
とは言え、事前に会見を申し込むという常識も弁えず、一方的に質問を浴びせるような輩に付き合う必要はないと断じた達也は、愛娘を抱え上げるや、彼らの輪を掻き分けて足早にその場を離れたのである。
その後はステーションの職員が彼らの盾になってくれたお蔭で難を逃れたのだが、軌道エレベーターを利用すれば先程の二の舞いは必至だ。
地球を目前にして足止めを喰らってしまい、どうしたものかと困却したのだが、管理公社が専用の小型シャトルを手配してくれて何とか無事に降下できた。
漸くひと息つけたシャトルの機内で、公社の職員から今回の大統領予備選の顛末について説明を受け、併せて民衆の強烈な政権批判に曝された統合政府、延いては政治家達の混迷ぶりを克明に報じたニュース番組をビデオ映像で見せられた。
達也とて聖人君子ではないのだから、評価されれば嬉しいし、貶されれば不快に思うのは当り前だ。
だが、一介の軍人に過ぎない自分に民衆が過度の期待を寄せるのは、ひどく危険だと自戒する程度の良識は持ち合わせている。
だからこそ、地球統合政府の稚拙な戦略に呆れたのと同時に、それに対し過剰に反応する民意にも、薄ら寒いものを覚えざるを得なかった。
(反政府的な感情が騒乱の火種にならなければいいが……)
そう危惧する達也だったが、さりとて打てる手がある訳でもない。
だから、この騒動も所詮は一過性のものとして、早晩沈静化するだろうと自分に言い聞かせるしかなかった。
だが、その楽観が後の後悔に繋がるとは、この時は知る由もなかったのである。
そんなアクシデントに見舞われながらも無事に地球に降下した父娘は、取材攻勢を避ける為に東南アジア方面の僻地にある空港にシャトルを降ろして貰い、バラディースに迎えを寄越すように要請した。
愛しい家族が待つ我が家を目前にすれば、安堵して気が緩んでしまうのは神将と謳われた達也も例外ではなく、迎えに来たアイラが意味深な笑みを浮かべているのに気付けなかったのは、まさに痛恨の極みだと言う他はないだろう。
あの時、アイラの不審な様子に気付いてさえいれば……。
後々そう後悔する羽目になるのだが、それも自宅に帰り着いた後では文字通り『あとの祭り』に過ぎなかったのである。
帰宅早々に達也を待ち受けていたのは、最愛の家族との再会を喜ぶ時間すら与えられずに、緊急家族会議という名の法廷に連行されるという、憐れな展開だったのだから……。
◇◆◇◆◇
「そっ、それで……皇国を飛び出して来られたと?」
帰宅早々に想定外の事態に見舞われて唖然とするしかない達也は、そう問い返すのが精一杯だった。
眼前に座る藍青色の美しい髪を持つ姫君は、愛らしい顔を羞恥に染めて俯いてはいるが、それでも、その問いにハッキリと頷いて己の意志を示す。
「私を貴方様の妻にして下さい!」
常識の斜め上をいく要望に面食らった達也は、性質の悪いジョークだとその懇願を一笑に付そうとしたのだが……。
周囲から降り注ぐ同調圧力がそれを許してくれず、迂闊に何かを口走れば只では済まない雰囲気が出来上がっており、言葉を呑み込むしかなかった。
(なんだ、この状況は? 新手のビックリか何かなのか?)
狼狽する達也が戦くのも無理はないだろう。
サクヤが座る長ソファーには彼女を中心にしてクレアと由紀恵が左右に陣取り、愛妻の膝の上にはニコニコ顔のさくらが鎮座して、背凭れの後方にはマリエッタが澄ました顔で、そしてエレオノーラとアイラ、正吾と秋江夫婦が意地の悪い笑みを口元に浮かべて控えている。
明らかに敵の陣容は準備万端であるのに対して、当方の味方はユリア一人だけという絶望的な状況……。
戦況の不利は如何ともし難く、唯一の味方の頭を撫でて心の安寧を図ろうとした達也は、差し出した手が虚しくも空を切ったのに驚く他はなかった。
見れば何時の間に移動したのか、ユリアは敬愛する母親の隣に身体を潜り込ませており、申し訳なさそうな視線を此方に向けているではないか。
……万事休すである。
しかし、だからといって訳も分からぬ儘にOKだと言える筈もない。
努めて平静を装いつつ、一度だけ咳払いして口を開く。
「サクヤ様の言い分は分かりましたし、皆が姫様を応援する気持ちも理解した……だが、だからといって『はい、そうですか』とは言えないだろう? 第一にバーグマン伯爵夫人の言葉通りなら、この様な無茶な話を皇王家が許す筈もない。第二にそもそも俺には姫様に対する恋愛感情がない……そりゃぁ。出来の良い妹みたいだと思った事はあるけれど、それ以上でもそれ以下でもない」
言葉を取り繕った所で事態が好転する訳でもなく、変に話を拗らせない為にも、敢えて突き放すようなキツイ言い方を選んだ。
案の定サクヤは表情を曇らせて落胆の色を露にしたが、夫の素気無い対応に苦言を呈したのは、他ならぬクレアだった。
「確かに今回の騒動の発端はアナスタシア様の暴走であったのかもしれませんが、サクヤ様があなたを長年慕い続けて来たのは事実ではありませんか? それを一顧だにせず、『愛情がないから』と切り捨てるのは些か薄情だと思いますわ」
「如何にも御尤もな意見だがねクレアさん? 君は俺の奥さんだという自覚はあるのかい? そもそも、嫁が亭主に他の女性を勧めるなんておかしくはないかな? いくら貴族社会で多妻制度が認められているとはいえ、俺は君が居てくれるだけで充分満足しているし、それ以上を望む気はないよ」
その言葉にクレアは思わず赤面してしまうが、『あらあら御馳走さま!』という背後からの強い圧力と、羨ましそうなサクヤの視線を咳払いひとつで退けて説得を続ける。
「そう言って貰えて嬉しいわ……私だって女ですもの。人並みに嫉妬心も独占欲もあります。でもね、これから達也さんが歩んでいく道には数多くの困難が待ち構えている筈です。それを乗り越える為にも協力者は一人でも多い方が良いし、それが信頼できる家族であるのならば最高じゃありませんか?」
「だからといって……」
「勿論、出過ぎた真似だというのは分かっていますし、多忙なあなたを必要以上に煩わせているのは申し訳ないと思うわ……でもね、私はサクヤ様とならば、一緒にあなたを支えていけると思うの。だから無理を承知でお願いします。姫様の願いを受け止めてあげて」
強力無比な援護射撃に感激して瞳を潤ませるサクヤの姿と、真剣な愛妻の懇願を前にすれば、如何に神将白銀達也とて防戦一方にならざるを得なかった。
然も、追い打ち同然の強力な支援攻撃を喰らって更に追い詰められてしまう。
「クレアさんが此処まで言ってくれているのに何を躊躇っているの? それとも、姫様に何か不満があるとでも? 聞けばサクヤ様は官僚としての才能を認められた才媛であるとか……いったい何が気に入らないと言うのかしら?」
選りにも選って、常識人である筈の由紀恵にまで責められれば、着実に追い詰められているとの危機感を懐かざるを得ない。
確かに彼女の言は正しく、達也も否定する気は毛頭なかった。
サクヤが為政者として類稀なる才能の持ち主であるのは以前から知っていたし、ブレーンの大半が現役軍人で占められている状況で、彼女の協力が如何に有益であるかは考えるまでもないだろう。
しかし、協力を得る条件が『妻にしてくれ』では、おいそれと頷くわけにはいかないではないか……。
サクヤは魅力的な女性であり、ランズベルグ皇国第一皇女である彼女と結ばれるという事実が、頑迷な貴族社会に於いてどれほど強力なアドバンテージになるかは言わずもがなだ。
しかし、これが単純な政略結婚だったならば、彼女を受け入れるという選択肢もあったかもしれないが、本気で自分を好いてくれている女性を、己の思惑のために利用するが如き真似は断じてできない。
そう腹を括って姫君を説得しようとしたのだが、一瞬早く当のサクヤが強い眼差しを向けて来て機先を制されてしまう。
口籠る達也を見たサクヤは此処が正念場だと思い定め、精一杯の勇気を振り絞って想いの丈を吐露した。
「達也様が困惑されるのはよく分かります……ですが、一方的な申し出であるにも拘わらず、私を応援して下さいますクレア様や皆様の御厚意を無駄にしたくはありません。ですから、私にチャンスを戴けないでしょうか? いきなり妻に……とは申しません。協力者として、貴方様をお慕いする一人の女として、御傍に置いては戴けないでしょうか?」
これには流石の達也も戸惑わざるを得ず、すぐさま反論できずにいると、多方面からの畳み掛ける様な援護射撃に滅多打ちにされてしまう。
「こんなに可憐で愛らしい姫様に此処まで言わせておいて、それでも尻込みする様なヘタレなの? あんた?」 (by エレオノーラ)
「男らしくないわぁ。そもそも生活不能者の提督に、クレアさんに加えてサクヤ様までが献身的に尽くすなんて、こんな奇跡は二度とないわよ?」(by アイラ)
「達兄ごめん……早めに観念した方がいいよ……」 (by 正吾)
「達兄のくせに生意気っ! でも、これで断ったら男じゃないわ」(by 秋江)
「まさか……うちの姫様に不満があるとでも?」(by マリエッタ)
苛烈な集中砲火を喰らって気圧されした達也が反論も儘ならずに口籠っていると、クレアから止めの一撃が放たれる。
「あなたの姫様に対する気遣いも、こんなやり方に納得ができないのも重々承知していますわ……ですが、私とも恋情を重ねて行こうと言ってくれた達也さんだからこそ、こうしてお願いしているのです……家の事は何も心配要りません。さくらもティグルも賛成してくれました。ですから、サクヤ様の願いを聞き届けては貰えませんか?」
気難しい表情で唸るしかない達也だが、これ以上抗っても勝ち目はないと悟り、緊張した面持ちの姫君に告げた。
「サクヤ様。貴女様の御気持ちに応えられるか否かは分かりません……でも、そのお気持ちに向き合ってみようと思います。返事が何時になるかも約束できませんし望む答えを返してはあげられないかもしれない。それで宜しいのであれば、どうか私に時間をください」
サクヤの顔がクシャクシャに歪み、両の瞳から涙が溢れて頬を伝い落ちる。
それが、喜びに感極まったものに他ならないのは一目瞭然であり、応援団の面々の顔にも喜色が浮かんだ。
周囲の野次馬から口々に祝福されて嬉しそうに何度も頷くサクヤと、異様な盛り上がりを見せる周囲の状況に苦笑いしながらも、達也は愛妻に訊ねた。
「それで。もう一方の問題児達は何処に?」
「あなたの書斎の方で待って貰っています。私も同席しますわ」
またぞろ援護側に廻る気満々のクレアに、達也は勘弁してくれと言わんばかりに肩を落とすしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
「随分待たせてしまった様で済まなかったな……伏龍を去った時以来だから二か月ぶりか……ふたりとも元気そうでなによりだ」
仕事場兼用の書斎に足を踏み入れると、応接ソファーに並んで腰を降ろしていた蓮と詩織が立ち上がるや、敬礼して出迎えてくれた。
「おいおい。そう物々しく構える必要はない。気楽にしてくれ」
「御無沙汰しております。華々しい御活躍は報道で拝見しておりました」
「奥様の御厚意に甘えてしまい申し訳ありません。今日はお時間を戴けて感謝申しあげます」
緊張しているのか、妙に堅苦しい教え子達の様子に苦笑いしたが、それでも訪ねて来てくれたとなれば嬉しいもので、達也は相好を崩して歓迎した。
一頻り再会を喜び合ってから、四人は応接用のテーブルを挟んで腰を降ろす。
「来訪の目的はクレアから聞いてはいるが、馬鹿な事をしたものだな。努力の甲斐あって成績も上がり、残りの期間を無難に過ごせば、晴れて少尉任官を勝ち取れただろうに。好き好んで先行きの不透明な新興貴族に仕官しようなんて……酔狂にもほどがあるぞ?」
わざと渋面を装い厳しい声音でそう断じたのだが、二人から反論が返って来る前に、隣の奥方様がクスクスと笑いながら揶揄うように口を挟んできた。
「あらあら。嬉しいなら嬉しいとハッキリ言えばいいのに。そんな憎まれ口ばかり叩いていると、そのうちに〝因業ジジイ″と呼ばれてしまいますよ?」
「誰が〝因業ジジイ″だ? そう言えば、今の君は俺の味方じゃなかったものな……あ~ぁ! 最愛の妻に詰られる旦那なんて惨めな存在だよ。本当に悲しくなるぞ」
揶揄われて拗ねる達也を見た蓮と詩織は、笑いを堪えるのに一苦労する
付き合いが発覚した当時は驚愕と疑問しか感じなかったが、今のやり取りを見る限り、本当に素敵なカップルであり夫婦なのだと認めざるを得ない。
此処でも妻のファインプレーに助けられた達也は、場の空気が和らいだのを察し表情を改めて本題を口にした。
「二人とも親御さんに許可は戴いたのかい?」
「はいっ! 先日帰省して両親に相談して許しを貰いました……母さんからは、『あなたの思う道を行け』と言われました。ですから、どうか閣下の下で働かせて下さい! お願いします!」
蓮が立ち上がって深々と頭を垂れると詩織も彼に倣って腰を折る。
「既に伏龍も退校して退路は断ってきました。今更実家に戻る事もできませんから、どうか私達を雇って下さい! 骨身は惜しみません!」
二人の覚悟を知った達也とクレアは顔を見合わせて微笑み合う。
「そこまで言うなら仕方がなかろう。今更追い返すのも不憫だからな。ただし俺の事は《伯爵》や《閣下》とは呼ぶな。それ以外なら何でも良い」
この瞬間に自分達の念願が叶ったと知った蓮と詩織は、目を輝かせて破顔した。
「本来士官候補生だったはずの残り半年間は研修生として艦隊勤務を命ずる。如月はエレオノーラの従卒として行動を共にし、艦隊勤務に必要とされる基礎を仕込んで貰え、真宮寺は次回の航海時は俺が面倒を見るが、それ以降は航空戦隊指揮官のラルフ・ビンセント中佐に指導して貰いなさい」
「「ありがとうございます提督! 今後とも御指導を宜しくお願い致します!」」
喜びに満ちた教え子達の溌溂とした声が室内に響く。
こうして一人また一人と、宿命に導かれるかの如くに白銀達也の下に仲間が集うのだった。
◇◆◇◆◇
「ふう~~漸く解放して貰えなぁ」
苦笑いしながら寝室に入って来た旦那様を見たクレアは、思わず相好を崩してしまう。
大人達の難しい話が終わった途端、さくらの我慢が崩壊して達也に抱きつくや、一刻も離れなくなってしまった。
まるで『離したら逃げられちゃう』と言わんばかりに背後から首筋にしがみ付いて、食事も食後の団欒も、そしてお風呂までも大好きなお父さんと一緒に過ごし、本当に嬉しそうな顔で燥いだのである。
流石に就寝時間になると、気を利かせたユリアとティグルが『まだ眠くないもんッ!』と駄々を捏ねる妹の両腕を拘束して子供部屋へ連行してくれたお陰で、漸く夫婦水入らずの時間が持てたのだ。
「ご苦労様でした……ごめんなさいね。色々と負担を押し付けた挙句にさくらの我儘まで、あんっ…………」
達也は申し訳なさそうに謝る愛妻を抱き寄せるや、くちづけで言葉を奪った。
「も、もうっ! 私だってアナタに相談もせずに勝手な事をしたと反省していたのに……」
長いくちづけから解放され、照れながらも憤慨するクレアに、達也は労いの言葉を贈る。
「俺の為を想ってしてくれたのだろう? 謝る必要はないし反省も不要だ……君という素敵な女性をお嫁さんにできた俺は、本当に幸せな男だと改めて思い知らされたよ」
「本当に仕方がない人ね……普段は鈍感なくせに。こんな時だけ凄腕のジゴロになるんだから……」
顔を赤くする奥様を抱き締める達也は苦笑いするしかない。
「こんな誠実な男を捉まえてジゴロ? そんな陸でもない評価は払拭して君に対する愛情は本物だと証明する必要があるな……勿論ベッドの中で……」
「ばっ、ばか……」
照れて詰るクレアだったが、再び顔を寄せて来た達也を拒みはしなかった。
サクヤ姫やさくら以上に白銀達也という存在を求め待ち侘びていたのは、他ならぬ彼女自身だったのだから。
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