第七話 集う人々 ②
両の銀翼に眩い夏の陽光を煌めかせる中型支援輸送機ライゼC-Ⅱは、危なげなく飛行甲板に舞い降り滑走するや、徐々に減速しながら駐機ゾーンへと向かう。
北海道の養護施設を引き払った佐久間由紀恵一行を迎えに行ったラルフ父娘が、引っ越し便の大役を果たして無事帰還したのだ。
バラディース都市部の第二層からせり出した甲板上の待機場所で、一行の到着を待ち侘びていたクレアは、つい一時間ほど前には同じ場所で旅立つアナスタシアとヒルデガルドを見送ったばかりだった。
アナスタシアはサクヤの件に目途がついた事で帰国を決め、ヒルデガルドは研究施設兼プラントとして使用している自前の改造小惑星を本格的に稼働させる為に、一旦ファーレン王国に戻って準備をすると聞いている。
永久の別れではないとはいえ、親しい人間との別離は、譬えそれが一時的なものだとしても寂しさを感じずにはいられないものだ。
だが、別れがあれば、新たな関係の始まりもある。
達也にとって育ての親である由紀恵や弟妹に等しい正吾や秋江。
そして幼い子供達との新生活は、クレアにとっても新たな団欒を育むという喜びを予感させるに充分なものであり、期待に胸が膨らむ思いだった。
しかしながら、初対面のサクヤにとっては、由紀恵達に受け入れて貰えるかどうかの正念場に他ならない。
緊張するなという方が無理であり、見ていて気の毒なほどに青褪めている姫君をクレアはさりげなく気づかう。
「サクヤ様。そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。もっと気を楽にして……気の良い方々ばかりですから、きっと貴女様の事も受け入れてくれますわ」
「はっ、はい! そ、そうだと良いのですが……」
クレアが優しく声を掛けたが、姫君の緊張を解くには至らない。
そうこうしているうちに、低速でランディングする輸送機が駐機ゾーンに到達し、動力がカットされるのと同時に後部ハッチがゆっくりと開いていく。
真っ先に飛び出して来たのは達也の妹分の山崎秋江で、人懐っこい笑みを満面に湛えてクレアに抱きついた。
「クレアさんっ! 御言葉に甘えて来ちゃいました!」
「ようこそ秋江さん。私も今日という日を楽しみにしていたわ」
以前、達也からクレアの写真を見せて貰った事があったが、その時は秋江も夫の正吾も『こんな美人が達兄なんか相手にする訳がないじゃん!』と散々馬鹿にして笑い転げたものだった。
だが、結婚報告をしに達也と共に養護院を訪ねた彼女に接した二人はもとより、由紀恵や子供達までもがクレアを気に入って直ぐに親しくなったのだ。
そして今回統合政府の強引なリゾート開発の煽りを受けて、立ち退きを余儀なくされた彼女達を受け入れる様に達也に進言し、地元自治体との交渉を含め、方々の手続をしてくれたクレアに心から感謝して益々親愛の情を強くしたのである。
「クレアさん。この度は何から何まで御世話になりっ放しで……私が不甲斐ないばかりに、院の皆には不安な思いばかりさせてしまって……先々に希望が持てたのも貴女のお蔭ですわ。本当にありがとうございます」
正吾に支えられながら輸送機から降りて来た由紀恵が、感謝の言葉を口にしながら申し訳なさそうに頭を下げる。
クレアは急いで歩み寄るや、頭を下げる彼女を労わるように抱擁した。
「他人行儀な事を仰らないで下さい……貴女は私にとっても大切なお母様なのですから。娘が母親に尽くすなど当たり前ではありませんか……どうか私にもお母様と呼ばせて下さいませ」
「えぇ……勿論ですとも。貴女のような素敵な娘ができて本当に嬉しいわ。どうか末永く仲良くして下さいね」
概ね和やかな雰囲気に包まれた再会の場であったが、皆から少し離れた場所に、ポツンと立ち尽くすサクヤに最初に気付いたのは、やはり秋江だった。
「あら? そちらのお嬢様は……」
その明け透けな性格で誰とでも打ち解けるのを特技にしている彼女だが、高貴な気品を纏うサクヤには近寄り難い何かを感じる様で、気安く踏み込むのを躊躇ってしまう。
一方のサクヤも過度の緊張から上手く言葉が出て来ず、気ばかり焦って何を喋れば良いのか皆目見当もつかない。
(ど、どうしましょう……この儘では失礼な女だと思われてしまうわ……)
想い人の育ての親に悪い印象を与えるのは、マイナス要因でしかないと分かってはいるのだが、『何か言わなければ』と焦れば焦るほど、頭の中が真っ白になって立ち尽くす他はなく、サクヤは思わず唇を噛んでしまった。
(どうして何時もこうなんだろう……肝心な時に失敗ばかり……)
だが、自責の念に押し潰されて閉じた双眸に涙が滲んだ時、背後から優しく両肩に手が添えられ、温かい声が耳元で響いたのだ。
「この方はランズベルグ皇国の第一皇女サクヤ様です。達也さんのお嫁さんになるために地球まで訪ねて来られたのですよ」
助け船を出してくれたクレアに姫君は感激で潤んだ瞳を向けて感謝したのだが、クレアの口から飛び出したトンデモ発言を耳にした由紀恵一行は、頭上に疑問符を浮かべて立ち尽くしてしまうのだった。
◇◆◇◆◇
「はぁ~~なるほどねぇ……事情は理解しましたわ」
由紀恵は片手を頬に当て戸惑い気味に吐息を漏らしてしまう。
困惑している彼女の様子を目の当りにしたサクヤは生きた心地がしない。
職員の先生方や子供達も含めて由紀恵ら一行は、全員この館での同居が決まっている。
現在隣の空き家を幼年保育所として活用するべく改装中であり、施設の完成後は、イェーガー夫婦が取り仕切る学校に通う五歳以下の児童四十人も合流する手筈になっていた。
由紀恵と正吾、そして秋江を除く人々は、ラルフらと共に荷物を屋敷内へと搬入する作業をしており、達也とは最も近しい関係にある三人には事情を説明する為にリビングに場所を移して貰っているのだ。
クレアから一通りの話があり、漸く落ち着きを取り戻したサクヤも自分の想いを赤裸々に語った。
その上での反応が先程の由紀恵の言葉だったのだが、何とも言えない複雑な感情を持て余しているのは明らかであり、正吾や秋江も戸惑っているのは一目瞭然だ。
そんな中で躊躇いがちに正吾が口を開く。
「いやぁ……母さんが言う通り事情は分かるんです。俺達には初対面の姫様に含む所はないし、達兄に対する想いも真剣なんだと感じました。ただねぇ……」
何とも煮え切らない口調の夫に代わって秋江が言葉を続ける。
「少なくともクレアさんが了承しているのなら、私達が口出しする事ではないのだけれど……問題は達兄だよねぇ」
彼女の言葉に正吾も相槌を打たざるを得ず、三人が共通して懐く懸念を由紀恵が溜息交じりに吐露した。
「あの子は結構古風な所がありますからねぇ……幾ら貴族に叙せられたとはいえ、複数の妻を持とうなどとは考えもしないでしょう。クレアさんや子供達を何よりも大切にしていますから、姫様の想いを受け入れるとは思えないのだけれど……」
謹厳実直な達也の性格を思えば、サクヤの願いが叶う確率は極めて低いだろうというのが、三人の正直な思いだった。
それはクレアも承知の上であり、だからこそ由紀恵達を味方に引き込み、少しでも達也の説得に有利に働けば……と画策しているのだ。
兎にも角にも、彼女達を味方につけるべく説得を続け様としたのだが、それは、けたたましい音と同時に響き渡った絶叫に遮られてしまう。
「姫様ぁぁ──っ!」
ノックもなく扉が勢いよく押し開かれたかと思えば、気品が滲む出で立ちの女性が血相を変えて飛び込んで来たのだ。
「マ、マリエッタではありませんかっ!? どうして此処に?」
その場にいた一同が唖然とする中、驚きを露にして立ち上がったサクヤが、その女性の名前を口にする。
目を大きく見開いて立ち尽くす姫君に駆け寄った貴婦人はマリエッタ・バーグマンといい、皇国の有力貴族であるバーグマン伯爵の奥方だ。
跪いてサクヤに縋りついたマリエッタは、涙を流しながら詰るかの様に恨み言を捲し立てた。
「『どうして此処に』と仰いますか! 何と冷たい御言葉。乳母として十八年間もお仕えしたこの私を置き去りにして皇国を出奔なさるとはぁっ! 余りにも冷たい仕打ちではございませんか!?」
その大仰な物言いに一同が目を点にしていると、遅れて駆け込んで来たエレオノーラが室内の状況を見て天を仰ぐ。
「エ、エレン……この御婦人は何方なのかしら?」
「御免ねクレア。ゲートで足止めしていたんだけど、私も顔見知りだから余り強く言えなくてねぇ……この人はマリエッタ・バーグマン伯爵夫人。サクヤ様の乳母を務めた後、女官長として長年傍仕えをしておられる御方よ」
エレオノーラの説明を聞いたクレアの脳裏を昨夜の不穏な出来事が過る。
何時もの如く、達也秘蔵の高級酒を持ち出したアナスタシアが、ほろ酔い気分も手伝ってか、ポロリと恐ろしい事を口走ったのだ。
『新皇王はいい歳をして娘離れもできない根性ナシですからねぇ! 説得するだけ時間の無駄なの! だからぁ、拉致同然にサクヤを掻っ攫って来たのですよぉ!』
(じょ、冗談かと思って聞き流していたけれど……まさか本当だったなんて)
軽い眩暈を覚えたが何とか態勢を立て直し、困惑するサクヤに助け舟を出すべく伯爵夫人に歩み寄る。
「あの……初めて御目に掛かります。私は白銀達也の妻でクレアと申します」
腰を折り頭を垂れて丁寧に挨拶をしたのだが、返って来たのは怒りを含んだ罵声だった。
「あっ、貴女が諸悪の根源なのですねっ! 如何にアナスタシア様が暴走なされたとはいえ、サクヤ様は栄えある七聖国の一柱ランズベルグ皇国の第一皇女で在らせられるのですよッ! ぽっと出の新興伯爵家とは釣り合う筈もない高貴な姫君なのですっ! それを、それをっ! 思い上がるにも程がありましょうッ!」
激情に駆られたマリエッタが指摘した点は重々承知しているので、クレアは殊更に気にはしなかったが、同席している他の面々はその限りではない。
エレオノーラや正吾は不快げに眉を顰めているし、由紀恵ですら眉根を寄せて剣呑な視線を老伯爵夫人に向けていた。
特に怒りを隠そうともしないのは秋江であり『無礼なのはどっちだ!』と今にも怒鳴り返そうとしているのが分かるほど嚇怒している。
しかし、そんな彼女が怒りを爆発させるよりも早く、厳しい声音でマリエッタを叱責したのは、他でもないサクヤだった。
「大恩あるクレア様に対してそのような無礼な物言いは私が許しませんっ! 今回の騒動は私が自分の意思で押し通した我儘です……それなのに、無様な私を御許し下されたばかりか、御助力まで賜っている御方に何という事をッ!」
十八年もの間サクヤの成長を見守って来たマリエッタですら、これほど激昂した姫君を見るのは初めてであり、叱責されて狼狽し顔色を失ってしまう。
「しっ、しかし! 姫様は紛れもなくランズベルグの第一皇女……」
「もはや私は白銀家に骨を埋める覚悟をしております……お父様やお母様には申し訳ないと思いますが、今の私に自分を偽って生きるという選択肢はありません……ですから皇国に戻るつもりも毛頭ありませんっ!」
「サ、サクヤ様……」
自分の乳を与え長年仕えた姫君の本気をマリエッタが見間違う事はない。
思慮深く万事控えめであるが故に、他人の意見に流されがちなサクヤが、初めて見せた炎の様に燃え盛る激しい想い。
その譲れない真意に圧倒されたマリエッタは息を呑むしかなかった。
「もう一度だけ言います。この御方は私が敬うべき奥方様です。貴女が今後も私に仕えてくれるというのであれば、クレア様には最上級の礼を以て接する様に命じます。お父様やお母様に対するのと同様の敬意を払いなさい。それができぬと言うのならば、今すぐランズベルグにお帰りなさい」
見た目ふわふわの御姫様の何処にこんな激しい胆力があったのか……。
二人のやり取りを呆然と見守るしかない一同の中でいち早く我に返ったクレアが、その場を取り成そうとしたのだが……。
それまで激昂していたマリエッタがクレアに向き直るや、一転して優雅な所作で腰を折り頭を垂れたものだから、一同も驚くしかなかった。
そして、如何にも貴族然とした気品に満ちた物腰で真摯に謝罪したのである。
「はしたなくも己を見失った挙句、貴女様に対し無礼な物言いに及んだ愚かな私をお許しください。今後は性根を入れ替えて御仕えする所存ですので、どうか私めも御雇い戴きたく……伏してお願い申し上げます」
「し、しかし……貴女様は皇国に御実家が御在りなのではありませんか? 大国の伯爵家に連なる貴女様を、格下の当家にお迎えするのは不遜になりましょう?」
「浅ましい物言いをしたのは私の不徳の致すところでございます……どうか御許しください奥方様。私にとりましては、バーグマン伯爵家よりもサクヤ様が大切なのでございます……どうか、この私めにも姫様の御傍に居場所を戴けますよう伏してお願い申し上げます」
その変わり様に面食らったものの彼女が悪い人間ではないと判断したクレアは、サクヤ姫の処遇共々に彼女の願いも受け入れたのである。
どうにか話が纏まって胸を撫で下ろしたクレアは、この騒動の顛末が思いもしない効果を生み出すのを目の当たりにし、更なる喜びに顔を綻ばせてしまう。
それは、一連の遣り取りを見て感極まった秋江がサクヤに抱きつくや、惜しみない称賛の言葉を口にしたからだ。
「見直したわ姫様! 断然気に入っちゃった! OK。OK。達兄なんかチョロいチョロい! 私達はサクヤ様を応援しますからねぇ──っ!」
突然の変貌に戸惑っていたサクヤも、秋江同様に優しく微笑む由紀恵を見て自分が認められたのを知り、破顔して何度も何度も礼を言うのだった。
(棚から牡丹餅だったけれど、思惑通りに纏まって良かったわ。あとは達也さんを説得するだけ……ふふっ。きっとビックリするでしょうね)
なにも知らない愛しい旦那様の驚く顔が目に浮かぶ様で、クレアはつい含み笑いを漏らしてしまう。
その後エレオノーラから蓮と詩織を引き合わされた彼女は、達也の帰還を待って彼らの処遇を決める事にしたのである。
勿論、蓮と詩織にも『全力で応援するからね』……と約束して。
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