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第六十七話 託す者と引き継ぐ者

「セ、セリス殿下……御立派になられた……見違えましたぞ……」


 苦しい息の下で途切れ途切れに言葉を漏らすクリストフの手を取るセリスの顔からは、困惑と悲嘆が綯交(ないま)ぜになった心情が(うかが)えた。

 そんな彼らの様子を見た達也も、胸の中に滲む憐憫(れんびん)の情と遣る瀬無さを持て余して言葉を失ってしまう。


(あの深傷(ふかで)では動く事すら儘ならなかっただろうに……それも忠義の為せる(わざ)か)


 主の窮地に奮起し、己が命も(かえり)みずに立ち上がって敵に挑み掛かる忠臣……。

 あの瞬間のクリストフの姿を見れば、誰もがそう思うだろう。

 事実、虎口から救われたリオンは安堵して喜色を浮かべていたし、達也の喚声に反応して斬撃を(かわ)したセリスも、強敵の介入に動揺を(あらわ)にしていた。

 クリストフの性格を良く知るふたりですらそうなのだから、忠義一徹だと称えられた騎士団長の真意を余人が察せられずとも、それは当然なのかもしれない。

 だが、達也だけは、彼の想いを正確に看破していた。


(あの時の彼には(すで)に闘志も殺気もなかった……それでも立ち上がれたのは、(ひとえ)に帝室への忠誠心があったればこそなのだろうな)


 虫の息だった彼を衝き動かしたものの正体と、命を削ってでも成そうとした事。

 クリストフの心情が痛い程に理解できる達也は黙して瞑目するしかなかったが、図らずもその憶測が正鵠(せいこく)を射ていたと、当の本人の述懐で証明されたのである。


「な、なぜ兄上を(しい)したのですッ? 揺るぎない忠節を兄へ奉げていた貴方が……なぜなのですかッ!?」


 信じられない事態を目の当たりにしたからか、セリスの声には疑念が色濃く滲んでおり、(かす)かに震えてもいた。

 そんな第十皇子にクリストフは真意を吐露する。


「我々は負けたのですよ……一代の野望にその身を焦がした帝王の最後が余りにも見苦しくては、先帝陛下並びに歴代の皇帝陛下に泉下で申し開きができませぬ……ならば、臣として主の最期を(あや)なすのは、当然の務めでありましょう」

「そんな……そんな(むご)い事が……」


 血の気が引いて蒼白になった武人の独白に、セリスは何とも言えない苦悶に(さいな)まれてしまい、そう(つぶや)くのがやっとだった。


「御(なげ)きなさるな……リオン様は道を間違われてしまった。そして、私も御(いさ)めできなかった……だからこそ、陛下の御最期を貴方様に(ゆだ)ねる訳にはいかなかったのです。ぐっ、ごほっ……」


 軽く吐血して(むせ)たクリストフは、差し出されたセリスの手を制して話を続ける。


「貴方様までもが肉親の血でその御手を(けが)したとなれば、帝室は呪われた身内殺しの一族と(そし)られ、未来永劫、臣民からの信頼は得られますまい……」

「カイザード団長……貴方という人は……」

「もはや帝国の未来はセリス様へ託すしかないのです……ならば、貴方様だけは、悪名とは無縁の存在でなければなりませぬ……それが疲弊した臣民の希望となり、()いては帝国の復興に繋がる……(たと)え、どれほど政治形態が変わろうとも……私はそう信じております」


 何よりも祖国の未来を想っての決断だったと述懐するクリストフの表情には一点の曇りもなく、(むし)ろ穏やかでさえあった。

 リオンが“莫逆の友”と呼んで寵愛(ちょうあい)した側近中の側近でもあり、その懐刀として“皇帝の護剣”と称せられた男が、私心を捨てて主を誅したのだと知ったセリスは、零れ落ちる涙を止める事ができなかった。

 あの時に振り下ろした刃は、血塗られた同じ道を歩むしかなかった兄弟の運命を確かに断ち斬ったのだ。

 そして、そのお蔭で自らの手を兄の血で染めずに済んだセリスは、呪われた未来からも解放されたのである。

 少なくとも、今後セリスを“親族殺し”と罵る者はいないだろうし、疲弊した帝国を立て直す旗頭として相応(ふさわ)しくないと忌避される事もないだろう。

 帝国と其処(そこ)に生きる臣民にとっては、実直で清廉な彼の存在は何よりの希望になるだろうし、未来へ向けて踏み出す力になる筈なのだから。

 それが帝国が唯一生き残る道であり、クリストフは己が歩んで来た人生の全てを投げ打ち、その救いの道を(ゆだ)ねたのである。

 しかし、その真摯(しんし)な彼の想いが分かるだけに、セリスは己の不甲斐(ふがい)なさに歯噛(はが)みする思いだった。

 何も知らないフリをして目を(つぶ)り、醜い肉親の相剋(そうこく)から逃げた自分にそんな資格があるのかと……。

 だが、そんな葛藤などクリストフにはお見通しだった。


「御心配なさいますな……貴方様ならば大丈夫……孤独と憎しみを(かて)にしなければならなかったリオン様とは違いましょう。貴方が信じた道を往かれませ。きっと、泉下のザイツフェルト陛下も、それをお望みの筈……」


 そう告げるクリストフの眼差しは穏やかで、その口元には笑みが浮かんでいる。

 そして、死を目前にした忠臣の願いに胸を打たれたセリスは、その想いを無下にはできないと悟り頷いていた。


「一度は先帝陛下に反旗を翻した身なれば、何を今更という思いはありましょう。で、ですが……何卒(なにとぞ)、何卒御賢察賜りますよう……ごほっ! ごほっ!」


 再び激しく喀血(かっけつ)したクリストフの身体を抱き起したセリスは、何度も頷きながらその願いに応えたのである。


「分かりましたッ! 兄と貴方が願ったであろう未来を……誰もが平和を享受できる国を……必ず、必ずッ、創ってみせますッ!」


 涙で湿った決意の言葉を聞いたクリストフは安堵したかの様に表情を(やわ)らげるや、ふたりの(そば)まで歩み寄って来た達也に視線を向けて懇願した。


「しっ、白銀閣下……身勝手な願いであるのは重々承知していますが、どうかっ、リオン陛下の御名を(はずかし)めぬ様に取り計らっては頂けまいか?」


 現在進行形で帝国が混乱しているのは事実であり、一刻も早く騒乱を鎮静化させなければならないが、それ以上に問題なのは戦後処理だ。

 増長し、法を無視して享楽に(ふけ)った貴族らを粛清するのは当然だが、長年に(わた)って(しいた)げられた挙句、身内からも多くの死者を出した民衆を慰撫(いぶ)するのは並大抵の事ではないだろう。

 下手に中途半端な憐みを掛けようものならば、彼らが(いだ)く怨念は新しい為政者へと向き、いつの日か新たな騒乱を生む土台となる恐れさえある。

 そんな事態を避けるためには、打倒された前支配者に汚名を被せて糾弾するのが最も効率が良く、それが新しい為政者が政治基盤を築く為の常套(じょうとう)手段(しゅだん)だった。


 本来ならば敗者の懇願など“虫がよすぎる”と斬って捨てるのが当然だ。

 (たと)え、どのような事情があったにせよ、リオンが帝国臣民に()いた苛烈な政策は許されるものではなく、(しいた)げられた者達の怒りは彼の死を(もっ)てしても癒されはしないだろう。

 今後の円滑な統治を優先するならば、悪行を尽くした皇帝には、臣民の憎悪と怨嗟(えんさ)の声を一身に引き受けて貰うのが正しい選択なのかもしれない。


 しかし、裏切り者の汚名を甘受してまで帝国の未来を護った男の懇願を、達也は無視できなかったのである。


(そんな(すが)る様な目で見られてはな……俺には無理だな)


 クリストフの瞳からは徐々に光が弱まっており、もはや死が目前に迫っているのは明らかだ。

 “皇帝の護剣”とまで称えられた騎士が、その最後の瞬間に乞い願うのが主の名誉を護る事であるのならば、その忠節を全うさせてやるのも生き残った者が成さねばならない責務だろう。

 そんな想いで自らを納得させた達也は、クリストフの(そば)に片膝をついてその手を取り、彼の願いを応諾したのである。


「心配はいらない。自ら敗北を悟られたリオン陛下は、帝国の未来を弟君に託して(いさぎよ)く自刃して果てた……そう発表させよう」


 最後の心残りが払拭されて安堵したクリストフは、苦しい息を繋いで謝意と切望を吐露した。


「かっ、(かたじけな)い……やはり、人生の最期に剣を交えた相手が貴方で良かった……い、いずれ……また……」


 両の瞳から急速に光が失われていくに従い、言葉も(かす)れて弱々しくなっていく。

 惜別の瞬間は目前だと察した達也は、クリストフが苦しい息の下で懸命に繋ごうとした最後の懇願を了承して微笑むのだった。


「待っていてくれ。いずれは私も同じ場所に行く……再戦を楽しみにしているよ」


 その言葉に満足したのか、クリストフの口元が(かす)かに緩んだ。

 しかし、それが稀代(きだい)の英雄が見せた最後の表情となり、光を喪失した双眸の(まぶた)を、達也はそっと閉じてやるのだった。

 そして、忠臣の遺体に()(すが)って(むせ)び泣くセリスへ言葉を掛けたのである。


「託された想いを無下にしてはいけないよ……命を懸けて忠節を全うした彼の最後の願いだ……頼むよ、セリス」


(カイザード団長。貴方の願いは決して(おろそ)かにはしません)


 涙で(むせ)て言葉にできないセリスは強く決意するのだった。

◎◎◎

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― 新着の感想 ―
[一言] ありがとう、クリストフ(´;ω;`)
[良い点] >自ら敗北を悟られたリオン陛下は、帝国の未来を弟君に託して潔いさぎよく自刃して果てた……そう発表させよう クリストフ────!!!!(滂沱の涙) [一言] クリストフの行動は鉄板というか…
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