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第六話 留別 ③

 グランローデン帝国で生を繋いだ十年間は、(すが)る光明すらない牢獄に囚われていたようなものだったとユリアは思っている。

 数多(あまた)の迫害を受けながらも何故(なぜ)か命だけは奪われなかったのは、父である皇帝の強い意向があったからだと乳母から聞かされた時はひどく驚いたものだ。

 だが、結局十年という月日の中、この父から名を呼ばれた事は唯の一度もなく、それは幼い彼女が帝国皇女としての人生を終える瞬間まで変わりはしなかった。

 それなのに、眼前に座して(かす)かに笑みを浮かべるその憎い男が、忌み子と呼ばれた自分に声を掛けたばかりか、死んだ母の名まで口にしたのだから、驚くなという方が無理だろう。

 (いだ)いていたイメージとは違う父親の姿に戸惑うユリアは、あの冷淡な皇帝とこの男が同一人物だという現実に理解が追い付かないでいた。


「い、今更……どういう御つもりですか? モルモットにされた忌み子を気づかい、死んだ母様の名前を口になさるなんて」

「冷血非情と恐れられる我には似つかわしくなかったかな? ふっふふ……まぁ、何をどう言い(つくろ)っても言い訳にしかなるまい……それだけの仕打ちを其方(そなた)にしたのも事実だからな」


 これほど饒舌(じょうぜつ)なこの男に相見(あいまみ)えた者はそう多くはない筈だと、驚きの中でそんな愚にもつかない事を考えてしまう。

 帝国の方針を左右する重要な会議でもない限り、この皇帝が率先して口を開く事がないのは周知の事実であり、それは乳母の話からも(うかが)い知れた。


「相変わらず感情の起伏(きふく)に乏しく愛想のない娘だのぅ……今や帝国の頸木(くびき)から解き放たれたというのに何を恐れているのだ? そんなザマでは最後まで其方(そなた)を案じていたユリーシャも地下でハラハラしていようぞ?」


 何処(どこ)か愉快そうな言葉を投げ掛けられたユリアは、母親の名前を引き合いにだされた事に不快感を覚え、視線を険しくして語気を強める。


「私に愛想があろうが無かろうが、貴方にとっては些末(さまつ)な事ではありませんか? ()してや(すで)に此の世に亡い母様の名まで御口になさって何を(おっしゃ)りたいのです?」


 少女の毅然とした双眸に見据えられたザイツフェルト皇帝は、それでも柔らかい笑みを崩さずに、その問いに答えた。


其方(そなた)の大切なお父さまが言っておったであろう? 『死人にならば本音を聞かせても問題はないだろう』とな。おそらくこれが今生の別れとなろう。だから、其方(そなた)にユリーシャの本意を伝えておくのも悪くはない……そう思ったまでの事よ」

「かっ、母様の本意ですって?」


 今は亡き母親の本意をと言われて狼狽するユリアには御構いなしに、皇帝は胸の奥に秘した重大な秘事を明かす。


其方(そなた)の父親は我ではない。本当の父親はユリーシャが巫女の座にいた部族の若き戦士長だそうだ。(もっと)も、我が帝国の部隊との交戦で戦死したらしいがな……これは彼女から直接聞いた話であるから間違いはあるまい」

「……そ、そんな……そんな事が……」

「我が彼女に出逢った時には、(すで)其方(そなた)身籠(みごも)っていた……自分の命と引き換えに腹の子の命を助けて欲しいと懇願されたのでな。暇つぶしには良かろうと、願いを聞き届けてやったのだ」


 驚きの余り絶句したユリアは、呆然と眼前の男を見つめる他はなかった。

 今まで父親だと信じて疑わなかった人間が、実は血の繋がりもない赤の他人だったという事実は、少女を悩乱させるのに充分過ぎる効果を発揮する。

 だが、ザイツフェルト皇帝は何が可笑しいのか、忍び笑いを漏らしながら喜色を滲ませた声で言葉を続けた。


「しかし、其方(そなた)の母御は随分と厚かましい女であったぞ。何とか無事に出産を終えたと思ったら『十年の時間をこの娘に与えて欲しい』と図々しくも懇願してきおった。『邪教の汚れた巫女の血を引く母娘は即刻処刑せよ』と息巻く教団の阿呆(アホウ)共を(なだ)めるのには、随分と苦労させられたものよ」

「そっ、そんな話を……信じろと(おっしゃ)るのですか?」


 混乱するユリアはそう問い返すのが精一杯だった。


「信じるも信じないも其方(そなた)の自由だ。我は白銀達也の懇願を承諾して話をしているに過ぎぬ……(もっと)も、作り話を考えるほど暇でもないし、我が帝国の都合で死に追いやった其方(そなた)を哀れに思った訳でもない……ただ、話しておかねばユリーシャが安心して眠れまいと思っただけの事よ」


 最後の言葉を口にした瞬間、目を細め宙に視線を向けた皇帝から、ひどく寂寞(せきばく)とした波動を感じ取ったユリアは、彼が死んだ母を……ユリーシャを愛していたのだと唐突に気付いてしまった。


「あ、貴方は……母様の事を……」

「その先を口にするのは許さぬ」


 一瞬で絶対的支配者の顔に戻って釘を刺す皇帝の言葉は、彼女の考えを肯定したに等しい。

 しかし、彼の立場を考えれば、それを認める筈もないと知るユリアは言葉を飲み込むしかなかった。


「我にとって妃など子を()す道具に過ぎぬ。皇子が十五人、姫が二十人。妃の人数に至っては数さえ知らぬわ……そんな中でユリーシャは、己の願いだけ押し付けてさっさとあの世に逃げ出したトンデモナイ女であったからな……印象が深いというだけの事よ」


 そんな憎まれ口さえも楽しそうに語る皇帝を見たユリアは、(ようや)く混乱と緊張から立ち直り、何時(いつ)もの冷静な思考を取り戻す。


「なぜ、御自分のモノにもならない母様の願いを聞き届けて下さったのですか? 強引に我が物にして、飽きれば教団に(にえ)として引き渡せばそれで済んだのではありませんか?」 

「身も(ふた)もない言い方よな。少なくとも年頃の娘が口にする台詞ではあるまい? それとも新しい両親の影響かな?」

「ば、馬鹿な事をっ! 白銀のお父さまもお母様も立派な方々ですっ!」


 揶揄(からか)われているのだと分かってはいても、達也やクレアを侮辱されるのは我慢ならない。

 ユリアの剣幕を見て、ザイツフェルト皇帝は初めて苦虫を嚙み潰した様な顔をして不快感を(あらわ)にした。


「ふふふ。戯言(ざれごと)だ。許せ。我がユリーシャにどんな感情を(いだ)いていたかなど些末(さまつ)な事だ……ただ、教団の思い上がりに辟易(へきえき)していたのは事実……それ(ゆえ)に奴らの要請を突っぱねたというのはあったやもしれぬな」

「教団? シグナス教団は帝国のパートナーではありませんか?」

「覇権主義を掲げて拡大戦略を推し進める内は必要な存在であったがな。武力侵略による版図の拡大には(おの)ずと限界があるのだ。占領地を平定し安定させなければ、いずれ国家は破綻する。歴史を振り返れば同様の末路を辿った国など()いて捨てるほど在ろう?」

「教団が帝国の意向を無視し始めたと?」

「教団の馬鹿共……いや、(およ)そ宗教という幻想に酔う(やから)は、(すべか)らく己が信じる神が(あまね)く銀河の隅々まで、その威光を及ぼし教義の下に民が平伏(ひれふ)すものだと思い上がっておる。それ故に己の奉ずる神以外の存在を許さず。邪神、邪教、そして忌み子と敵を(あげつら)い、信者を駆り立て他者を排斥(はいせき)するのだ」


 皇帝の隠された本音を聞かされたユリアは圧倒されてしまう。

 この人は母を愛しながらも護れず、その忘れ形見である自分をも帝国の為に(にえ)に差し出さなければならなかった事に、忸怩(じくじ)たる想いを(いだ)いて生きて来たのだ。

 そう理解してしまうと、長年(いだ)き続けて来た悲憤が、淡雪が解けるように薄れていくのを感じずにはいられなかった。


 皇帝はそこで我に返ったのか表情を改め、軍服の右袖を捲くるや手首に巻き付けてあった銀鎖を取り外し、何も言葉にできずにいるユリアに手渡す。


「こ、これは?」

其方(そなた)の母ユリーシャの形見だ。彼女は風土病に(かか)っていて余命は一~二年と言われていた。その残された命を全て使い切って、其方(そなた)をこの世に送り出したのだ……母の想いを決して無駄にしてはならぬ。これは今生で我から贈るただ一度の留別の言葉だ……今後は其方(そなた)を愛してくれる家族と共に精一杯生きていくが良い」


 ユリアは小さなロケットを吊るした銀鎖を受け取り両手で包み込んで胸に抱く。

 亡き母の想い、そしてその想いを(たく)してくれたザイツフェルト皇帝の想いに胸打たれ、込み上げて来る熱いものが両の瞳から(あふ)れそうになる。

 しかし、別離に際し涙を見せるのを良しとせず、彼女は黙って深々と(こうべ)()れるのだった。


            ◇◆◇◆◇


 銀河連邦軍情報局局長という職は激務過ぎると、クラウス・リューグナーは忸怩(じくじ)たる思いを(いだ)いている。

 軍令部や軍政部の阿呆(アホウ)共からは、(あご)でこき使われた挙句(あげく)に感謝の言葉すらないし、先日の白銀達也の様に、骨の折れる依頼を持ち込む個人の対処も(おろそ)かにできないとあっては、多少なりとも気分がささくれても仕方がなかろうと、大いに不満に思っていた。

 (もっと)も、情報局としても有形無形の報酬は戴いているのだが……。


「そうですか……白銀大元帥閣下との接触はできませんでしたか。まぁ構わないでしょう。今回の件で帝国に築いた足場を確保したのであれば充分ですよ」


 惑星バンドレットに()いて、達也とコンタクトを取る筈だった部下が肩透かしを喰らい、彼ら父娘の行方も途絶えたとの報告を受けたクラウスは、特に叱責するでもなくあっさりと了承した。


(日雇い提督殿に我らを(たばか)る理由はありませんしねぇ。この件に関しては帝国側の思惑と考えた方が妥当でしょうか……)


 現役の銀河連邦軍高官が、敵勢力と秘密裏に接触するなど許される事ではないし、露見(ろけん)すれば軍上層部を巻き込んだ大スキャンダルに発展するのは必至(ひっし)だ。

 しかし、クラウスは殊更(ことさら)に問題を大きくする気はなかった。

 (むし)ろ、達也に貸しを作る事で、()の提督との今後の関係を有利に進める為の武器にするつもりでいたのだ。


(今回の助力は恩に着て貰わねば困りますよぉ。まぁ、いずれキッチリと取り立てさせて貰いますがねぇ)


 そんな事を考えていると空中展開型の通信システムが起動し、五十センチ四方のスクリーンが形成されるや、隣室に常時(ひか)えている秘書官から報告が入った。


「局長。軍政部総長付筆頭補佐官ローラン・キャメロット中佐が面会を求めておられますが、如何(いかが)いたしましょう?」


(ほおぉぉ……最近頭角を現してきた若手急進派のリーダーと目される俊英(しゅんえい)ではありませんか。モナルキア元帥閣下の信任も厚いと聞いていますが……)


「失礼のないように御通ししなさい」


 特に断る理由もないため面会を許可したクラウスだったが、秘書官に案内されて入室した青年を見るや、言い表し様のない不信感を(いだ)いてしまう。

 四百年にも(わた)る長い人生の中で(みが)かれた彼特有の直感が警鐘(けいしょう)を鳴らしたのだ……この男は危険だと。


「これは、これは……軍政部のプリンスと評価も高いキャメロット中佐に会えるとは光栄ですよ」


 しかしそんな思いはおくびにも出さず、親愛の情を()(つくろ)った笑顔で右手を差し出すクラウス。

 その手を握り返す男も無防備な笑顔を(よそお)うのだった。


「こちらこそ……情報局局長であらせられるリューグナー少将閣下。いえ、銀河系にその御名を(とどろ)かせた伝説の情報員【グレイ・フォックス】に御会いできて光栄であります。早速ですが本日は御願いがあって(まか)り越しました……これは軍政部総長カルロス・モナルキア元帥閣下も同意されていると御承知おき下さい」


 厄介事だと直感で理解したクラウスは、その()(つくろ)った笑顔の下で盛大な溜息を零して嘆くのだった。


(どうやら、当分はサービス残業から解放されそうにはありませんねぇ……)


            ◇◆◇◆◇


 連絡シャトルの舷窓から視認できる船が次第に小さくなっていく。

 ユリアはその船影を瞳に焼き付けるかの様にじっと見つめ、漆黒の宙空に紛れて見えなくなるまで微動だにしなかった。

 惑星バンドレットから一番近い航路中継ステーションまで送るという皇帝の好意に甘え、達也とユリアは用意されたシャトルに乗船して帰路に就いたのだ。


「ちゃんと話はできたかい? その様子なら心配するまでもないようだが」


 その問いに小さく頷いたユリアは、改めて今回の機会を(もう)けてくれた達也に感謝した。

 おそらく二度と逢う事はないであろう父と会話を交わし、真実を知る事ができて本当に良かったと思う。

 亡き父母の願いと、その想いを継いで精一杯尽力してくれた二人目の父の厚情によって、自分は今を生かされているのだと分かったのだから。

 多くの人の想いによって生かされたが(ゆえ)に、幸福な居場所を得る事ができた。

 そう胸に刻んで忘れまいと、ユリアは固く誓ったのである。


(ザイツフェルト皇帝陛下。いえ、御父様。貴方から戴いた御言葉を忘れずに私はこれからの人生を生きて行きます……私を生かして下さってありがとうございました……心から感謝致します)


 胸の中で精一杯の感謝を告げたユリアは、小さな吐息を漏らしてから振り向いて大好きな父親を見た。

 その顔に晴れ晴れとした笑みを見た達也も安堵して微笑み返す。


「私は幸せ者です……だって、私には三人のお父様がついていて下さるのですから。それに母様も二人。弟妹が二人……これからはもっともっと家族が増えるのでしょう? だから、ユリアは本当に幸せなのです」

「そうだね…君が幸せでいてくれるのならば僕もクレアも本当に嬉しいよ。さあ、帰ろうか? 待っていてくれる大切な家族の所に」

「はいっ! お父様」


 そう返事をしたユリアは、舷窓から何も見えなくなった虚空に視線を投げ、もう一人の父親に想いを馳せるのだった。 

◎◎◎

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[一言] まさかの事実だったのよさ(´;ω;`) 支配者にとっては従順な異性よりも思い通りにならない異性の方が惹かれるものなんですかね。 ふぅ~~ずぃこちゅわんみたいな女性に(ぇ そしてキャメロット…
[良い点] ユリアと皇帝のエピソード、切なかったです。 ユリアが「私には三人のお父様が居る」と達也さんに言い切った時の心境を思うと、彼女の歩んできた道のりの長さ、その過去をその一言で胸に抱えることので…
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