第六十五話 アルカディーナ星系戦役 ①
少し時間を戻すが、賊徒征伐の命を受けたホスティス元帥率いる銀河連邦軍艦隊五万隻と、リオン皇帝自らが率いる三万隻の帝国軍艦隊は、アルカディーナ星系の入り口に陣取っていた梁山泊軍艦隊を一蹴し、撤退する残存艦艇を殲滅するために追撃戦へと移行していた。
「ふんっ! 所詮は無知蒙昧な蛮族の寄せ集めだ! 我らに逆らった愚行が如何に罪深いか、骨の髄まで思い知らせてやるッ!」
一方的な勝ち戦に気分を良くしたホスティス元帥が哄笑すれば、取り巻きの参謀らも威勢のいい台詞を並べ立てて追従に余念がない。
しかし、そんな上官達の燥ぎっぷりは、戦場経験が豊富な艦長達にしてみれば、不愉快を禁じ得ない代物でしかなかった。
(たかが前哨戦を優位に進めたぐらいで、何を浮かれているんだッ!?)
これから侵攻するのは敵の勢力圏であり、様々な粒子で構成される乱流帯が複雑に絡み合う難所として知られる宙域だ。
然も、正確な航路図も航行不能領域の有無や範囲も判然としない中、偵察部隊も派遣せずに全軍で突入するなど、戦術の正道に照らせば正気の沙汰ではなかった。
だからこそ、資質に欠ける上官らの呑気さに歯噛みしながらも、艦長は己の職権が及ぶ範囲で打てる手を打つしかなかったのである。
「星系内は各種光学機器の使用が困難になる。監視要員は目視による対空、対艦、対潜警戒を厳にせよ! それから、他の友軍艦艇との距離にも留意。乱流帯に翻弄されて接触しないよう、操艦には細心の注意を払えッ!」
だが、懸念された罠や敵からの抵抗もなく、易々と星系入り口を突破した艦隊を出迎えた宙域は、事前の予想に反して静謐そのものの様相を呈していた。
磁気乱流帯などは影も形もなく、各種レーダーや通信機器も正常に作動しており、艦隊行動への支障は一切見受けられない。
事前情報と乖離した様子に艦長は困惑を禁じ得なかったが、ホスティス司令官は口角を吊り上げ、然も可笑しそうに彼を揶揄した。
「苦労性が過ぎると早く老けるぞ、艦長。仮に敵に何らかの思惑があったとしても、我が連合軍の戦力の前では全てが無意味でしかないっ!」
そして、有効射程距離の僅かに先を遁走する敗残艦隊に視線を投げ嘯いたのだ。
「どうやら白銀達也の運も尽きたようだな。唯一の拠り所だった地の利も失ってはもはや為す術もあるまい。さあっ、最大戦速で追撃せよッ! 帝国の連中に手柄を渡すでないぞッ!」
◇◆◇◆◇
その連合軍艦隊の猛追を受けている梁山泊軍艦隊を指揮するマーティン・サンライト艦長は、旗艦の専用シートに身体を預け、スクリーンに映し出されている戦況に見入っていた。
接敵当初は一千隻だった味方艦もその多くが撃破されてしまい、今や百隻に満たない有り様で懸命の逃走を余儀なくされいる。
この儘では間を置かずに全滅の憂き目を見るのは確実な状況だが、危殆に瀕しているにも拘わらず、彼の表情からは動揺も焦慮も窺えなかった。
寧ろ、その顔はイタズラを成功させて得意げに笑み崩れている悪ガキそのものであり、事情を知らぬ人間ならば、余りにも不謹慎だと憤慨していたかもしれない。
だが、その余裕の態度は明確な理由に裏打ちされた自信の表れに他ならず、緊迫した事態とは裏腹にブリッジは何処か呑気な空気に満たされていた。
「予定地点までは、あとどれ位だ?」
「現在の艦隊速度を維持すれば三分です。何とか役目を果せそうですね、艦長」
マーティンに問われて即座に答えを返した副長が、安堵の色を隠そうともせずに口元を綻ばせる。
「最後まで気を抜くな。敵艦隊の最後尾が星系内への突入を果たすまでは、本艦がやられる訳にはいかんのだ。そうでないと、囮役を買って出た俺の面子が立たん」
部下の油断を戒めはしたものの、実はマーティン自身も大役を無事に果たせたと秘かに胸を撫で下ろしていた。
ロックモンド財閥を隠れ蓑にして梁山泊軍の為に物資輸送の任に就いていた彼らは、その役目を終えた後に家族共々セレーネへと移住を果している。
だが、如何に平穏を得たとはいっても、多くの仲間達の命運を賭けた戦いはこれからが本番であり、敵の強大さを思えば安閑としていられる筈もない。
それを理解しているマーティンとその部下達は自ら志願して入隊し、軍の兵站を支えるべく輸送艦隊を編成して後方支援の任に就いたのである。
そして、作戦の重要な役所である囮艦隊を率い、アルカディーナ星系へ敵艦隊を誘引するべく奮戦しているという次第だった。
「分かっていますよ、艦長。でも、敵さんは艦隊陣形も崩れて足並みが揃っていませんね。どうやら、我々を本命の白銀艦隊だと信じて追撃に夢中なのでしょう」
「はっはは! 欲に目が眩んだ人間は盲目同然とはよく言ったもんだ。奴らが撃破したのは外装だけが擬装されたハリボテ艦だというのに、もう勝った気で遮二無二突っ込んで来る……この先に待ち受けているのが地獄だとも知らずにな」
口角を吊り上げて嘯くマーティンだったが、その双眸に笑みはない。
銀河連邦と帝国の連合艦隊が先に一蹴した梁山泊軍艦隊は、形ばかりの動力システムと反撃用自動兵器のみを装備した無人艦で構成されており、マーティンが坐乗する旗艦 筑摩からの無線コントロールで統率された囮艦隊だった。
端から旗艦以外の艦艇は捨て駒に過ぎず、その全てを喪失したとしても問題はないのだ。
彼らの役目は敵艦隊をアルカディーナ星系の奥深くまで誘引する事に他ならず、そして、それは理想的な形で達成されつつあった。
だが、目的を果たして安堵しながらも、迫り来る大艦隊の威容には恐怖を懐かずにはおれないのか、マーティンを見る副長はやや声のトーンを落とす。
「でも、本当に大丈夫なんですかねぇ……白銀提督は顔色ひとつ変えませんでしたが、さすがに敵の戦力が八万隻もの大艦隊となれば、決して楽には勝てないのではありませんか?」
だが、そう問われたマーティンは軽く鼻を鳴らして副長を見返した。
「ロックモンド財閥を隠れ蓑にした輸送部門を御預かりした時、財閥調査部が調べ上げた白銀提督に関するレポートを読んだんだがな……正直な所、その内容が余りにも荒唐無稽で唖然とさせられたものさ」
抽象的な台詞に合点のいかない顔をした副長へ、更に説明を補足してやる。
「僅か二年の間に五十以上の戦場を渡り歩き、その悉くで自軍に勝利を齎したそうだ。然も、絶対に勝てない、敗北は必至だ、と誰もが絶望した戦況を引っ繰り返しての完全勝利……恐れ入るしかないだろう?」
「それ程のものなのですか……俄かには信じられませんが」
半信半疑といった風情で呟く副長の無知を咎めるでもなく、マーティンは言葉を重ねた。
「それが普通さ。俺だって実際にこの目で見た訳じゃないからな……だが、これだけは言える。あの大艦隊に白銀提督の下で戦った兵達が配属されていたとしたら、今頃は恐怖に震えて生きた心地もしないだろう。神将に敵対した連中の末路は記憶に焼き付いている筈だし、今度は自分の番だと思えば、何が起こるか分からんぞ」
「戦況次第では反乱が起こる可能性がある、そう艦長は御考えなのですか?」
「さてな……だが、充分期待はできる筈だ」
副長の問いにマーティンが口元を綻ばせた時だった。
「艦長! 予定ラインまで一分を切りました。尚、敵艦隊の最後尾も星系内に侵入した模様です。補給部隊と僅かな護衛部隊だけが星系外で待機していると、監視中のイ号潜から報告が入っています」
オペレーターからの報告に歓声が起こり、ブリッジの空気が僅かながら緩んだ。
「よしっ! 皆よくやってくれた! 我々の役目は此処までだ! 友軍の邪魔にならぬ様に進路を変えるぞ。艦首下げ二十! そのまま増速してセレーネ方面へ退避する!」
艦長の号令を受けたブリッジクルーが慌ただしく操艦する中、マーティンは頭上に視線をやって胸の中でエールを贈るのだった。
(白銀提督。我々が望む未来の為にも勝利を信じていますよ!)




