第五話 さくらとサクヤ ③
「達也様に初めて御会いしたのは丁度十年前でした。ガリュード大伯父様から紹介された時、彼はまだ二十歳前で……」
少しも色褪せない懐かしい記憶を追えば、自然と口元が綻んでしまう。
ガリュードの従卒に抜擢されたばかりの達也は当時十九歳。
供廻りの一人として頻繁に皇宮を訪れており、丁度その頃サクヤは達也と出逢ったのだ。
「私は臆病な性格でしたから、元々軍人という方々が苦手でした。然も、出会った頃はあの御顔が怖くて……でも、それは私だけだったようで、兄を筆頭に弟妹達は一人の例外もなく彼を慕っていたのです」
頑ななまでに達也を避けていた理由は、未だに彼女自身にも分からない。
それを上手く説明できずに苦笑いを浮かべると、アナスタシアが口元を押さえて笑いだした。
「生母が違う子供ばかりで、決して仲が良いとはいえなかったのに、達也が皇宮に出入りするようになってからは、互いの距離を縮めながら、相手を気づかえるようになっていった……正妃のソフィアや側妃達も随分と感謝していましたよ」
「そうでしたわ。でも私だけは一向に馴染めず、ケインお兄様からも随分と叱られて……そんな事もあって益々彼を避ける様になったのです」
そう言って白い歯を見せるサクヤは、言葉を切って小さく吐息を漏らした。
「それから数か月が過ぎた頃でした。あの事件が起こったのは……」
そう口にした途端、胸の奥に忸怩たる思いが込み上げて来る。
当時の記憶が蘇る度に、傲慢で未熟だった己への嫌悪感に苛まれてしまう。
「事の発端は国軍の一部将校が関与した密貿易でした。その者達は皇国内の各惑星から身寄りのない孤児やホームレスを攫い、また、自分達に逆らう者やその家族を陥れて奴隷商へ売り飛ばすという言語道断の行いをしていたのです……」
◇◆◇◆◇
【約九年前~親善訪問途中のサクヤを乗せた御召艦~】
幼いとはいえ皇王家の一員として無様な姿を見せる訳にはいかない……。
そう思い定めて唇を噛むサクヤは、目の前に居並ぶ反乱兵達を毅然とした眼差しで睨みつけた。
孫娘の誕生祝いの式典とパーティへの招待状が隣国の国王から届き、その孫姫様と仲が良いサクヤが皇王名代として一連の祝賀行事に参加する事になったのだが、その航海途上で事件が勃発したのである。
ランズベルグ皇国が治めるテュール星系を出た途端、貴族の子弟たちで構成された近衛師団とは別に、護衛名目で国軍から選出されて乗艦した精鋭二十名が反乱を起こして御召艦を掌握したのだ。
「無礼者っ! この様な不埒な真似をして只で済むと思っているのですかっ!?」
乳母でもあり、御付きの筆頭女官を務めているマリエッタ・バーグマン伯爵夫人が、怖めず臆せず賊徒らを一喝したが、その程度で屈強な兵士達が怯む筈もなく、リーダーらしき男が慇懃に一礼するや、サクヤの前に歩み出て片膝をついた。
「無礼は重々承知の上でございます。サクヤ姫様には、どうか我々が蜂起した理由を御聞き戴きたく……こうして罷り出ましたる次第」
少佐の階級章をつけた指揮官が恭しく頭を下げて申し出る。
しかし、それは表向きの態度に過ぎず、自分らの要求が通らねば如何なる蛮行も辞さない……そんな仄暗い決意を秘めている様にも感じられた。
激昂して怒鳴り返そうとしたマリエッタを寸前で押し留めた幼い姫君は、懸命に冷静さを取り繕って問い返す。
「この船の乗員や近衛の者達はどうしたのですか?」
「運航に関わる者達には手を出しておりませんが……その他の乗員と護衛の兵士は抵抗いたしましたので……」
如何にも事務的で何の感情も窺えない首謀者の物言いに絶句するしかないサクヤは、恐怖に身体を震わせた。
近衛師団が皇国貴族ばかりで構成されているとはいえ、指揮官はそれなりに戦場経験もあり、選抜された兵士達も一定以上の技量を持つ者ばかりだった筈だ。
それを僅かな人数で葬ったとなれば、反乱兵らの力量が並大抵のものではないのは明らかであり、サクヤは暗澹たる想いに眩暈がしそうだった。
そんな彼女の不安を看破したのか、口角を釣り上げた指揮官が嘯く。
「所詮近衛師団とは名ばかり。貴族子弟の箔付け目的の部隊が、厳しい訓練を積み重ねてきた我々に及ばないのは当然でありましょう?」
その言葉からは憐憫の情などは微塵も感じられず、この反乱兵達が死者に対して何の感慨も持ち合わせていないのを如実に物語っていた。
そんな酷薄な彼らに逆らえば皇族である自分は兎も角、マリエッタや生き残ったクルー達の生命が危険に晒されるのは明白だ。
「分かりました……貴方達の言い分を聞かせて貰いましょう」
時間を稼いで事態の好転を待つしかないと覚悟を決めたサクヤは、怖じける心情を悟られないよう毅然とした態度を取り繕い、彼らの要求を受け入れた。
危急の際に見苦しい真似をしてはならないと教え込まれているとはいえ、それが九歳の姫君にとって如何に荷が重い決断だったかは察して余りあるだろう。
「姫様の思し召しに感謝申し上げます……」
そして、その場で首謀者が滔々と語った内容は、彼らの暴挙が霞むほどの我欲に満ちた愚者達の蛮行だった。
一部の軍上級将校が高級政務官僚と結託し、中央から目の届き難い辺境の各惑星から低階級層の住人や孤児を攫っては、皇国内でも名の知れた商社を隠れ蓑にし、奴隷商に売り捌くという非人道的な行為が罷り通っているというのだ。
その上、悪人共はこの悪行に気付いた軍人や官僚を陥れ、家族共々拉致しては、他の獲物同様に奴隷商に売り飛ばし、証拠隠滅と大金の双方を手中に収めて高笑いしているという、俄かには信じ難い話だった。
しかし、幼いサクヤは未だ未熟な存在であり、目の前の事象を深く考えず、世間一般の価値基準で判断しがちだ。
「なっ、なんという愚かな真似を……警察や司法省、いえ、皇王家直属の公安局は何をしているのですか! そのような暴挙が許されて良い筈がありません!」
だから、反逆者と断ぜられるべき者の言を信じ、人間を売買し私腹を肥やす者達への怒りに声を荒げて憤りを露にしたのである。
しかし、反乱兵の直訴の正当性に心を揺さぶられたサクヤは、その時点で彼らの凶行の是非を失念したばかりか、幼稚な正義感に酔い痴れてしまったのだ。
それが過ちだと気付かぬ儘に……。
「国内の他の組織にも奴らの賛同者が存在しており、皇王陛下に伝わる前に情報が握り潰されるのです……これらの悪事を知った仲間や部下達が理不尽にも謀殺されたが故に、我らは決起した次第であります」
「よく分かりましたっ! ならば私を人質にしてセーラの皇都に帰還しなさい! 私が直々に皇王陛下にお伝えし、悪行を暴いて見せます!」
分かり易い悪に対する己の義憤が正しいのか否か、それを判別するべき理性的な思考を九歳の姫君に求めるのは酷だろう。
それ故に自らの信じる正義に酔い、己の立場を顧みる余裕さえ失くしてしまったサクヤを誰が責められるだろうか。
だが、皇族が自らを人質にして皇王に直訴するなど、最悪の恫喝行為に他ならず、譬え彼女が罰せられなかったとしても、マリエッタ以下、御召艦の生き残った全乗員が責任を問われて処断されるのは避けられない。
そんな愚かしい結末など賢い姫君が望む筈もなかったが、怒りに囚われて冷静さを欠いた状態では、己の失態に気付くなど簡単に為せるものではなかった。
だが、視野狭窄状態に陥ってしまったサクヤは、決定的な過ちを犯す寸前で激変する事態に救われたのである。
首謀者をはじめ、背後に控えていた五名の兵士たちの顔に、歓喜と安堵の笑みが浮かんだ瞬間、前触れもなく唯一の入り口が開け放たれた。
室内に陣取っていた反乱兵達は国軍の精鋭であり、仲間同士の所在は常に把握しいる。
だから、この不測の事態は敵の作戦行動以外にないと瞬時に判断し、自動小銃を腰だめに構えて入り口に向けて乱射した。
間断なき銃声が室内に木霊し、弾丸が命中した部分が盛大に破片を撒き散らす。
しかし、その見事な対処を以てしても敵対者を屠るには至らなかった。
姫君の御前という事もあり、敵意のない証に銃口を床に向けていたのが仇となり、ほんの僅かながら対処が遅れ、それが彼らの命取りになったのだ。
「ぐふうぅぅッ!」「ぎゃあぁぁぁ──っ!」「げえぇぇッッ!」
疾風の如き動きで踊り込んで来た兵士が、一瞬早く弾丸を掻い潜って反乱兵達に肉薄するや、手にした近接戦用のビームソードで三人を一刀のもとに斬り捨てた。
近衛仕様の空間防護服で身を包んだその兵士は、素早く身を翻して残った二人に襲い掛かるや、彼らが照準をつける前に首を撥ね飛ばす。
血飛沫をあげる生首が宙を舞い、物言わぬ骸となった二つの物体が崩れ落ちる凄惨な光景を目の当たりにしたサクヤは、恐怖に双眸を見開いて幼い身体を震わせるしかなかった。
「悪逆無道の者共に飼い慣らされたイヌめが! 大義の邪魔をするかぁ──ッ! 武人として恥を知れぇッ!」
仲間の惨い死に様に逆上した指揮官は、一矢報わんとナイフを引き抜いて格闘戦を挑んだが、一瞬で得物を叩き落されるや、体勢を崩した所を背後から拘束されて身動きを封じられてしまう。
「武人を語るならば、己の軽挙妄動が如何なる結果を生むかを考えるべきだったな……残念ながら、お前達の行為を正当化してはやれない。だが、無駄ではなかったぞ。ガリュード・ランズベルグ様の御名に誓って、それだけは保証しよう」
それが、反乱に及んだ彼が聞いた最後の言葉になった。
悲哀を含んだ声が耳朶に響いたのと同時に、取り落とした愛用のナイフで喉元を斬り裂かれ、苦痛を感じる間もなく人生の終焉を迎えたのである。
※※※
全てが終わり、噎せ返るような死臭が漂う室内に静寂が戻った。
荒事の当初に意識を失ったマリエッタとは違い、サクヤは気丈にも正気を保っていたが、それは烈火の如き怒りが恐怖を上回っていたからに過ぎない。
だからこそ、目の前で返り血を浴びて立ち尽くす救出者へ、抑えきれない憤りと遣る瀬ない想いを懐いてしまう。
間違いなく正義は彼ら反乱兵達にあった筈だ。
悪行の限りを尽くして私欲に走る姦賊共を告発せんが為の義挙だった……。
少なくともサクヤはそう理解し、彼らの行為を正当化したのだ。
それ故に、何の抗弁も許さず彼らを断罪した眼前の兵士に憎しみにも似た感情を懐き、激情に任せて罵声を浴びせたのである。
「無礼でありましょうっ! 皇族の前であるにも拘わらず、礼儀すら無視して悪鬼の如き姿を晒すなど言語道断です! 然も、顔を隠して拝謁しようなどと、それが礼節を重んずる我が軍の兵士の在り様だと言うのですかっ!?」
昂ぶる感情を一気に吐き出したサクヤが眦を決して睨みつけると、馴染みのある声に耳朶を打たれた。
「御無礼いたしました……サクヤ様」
命ぜられる儘に防御用のヘルメットを脱ぎ、片膝をついて慇懃な仕種で頭を垂れる兵士。
その曝された素顔を見た姫君は『アッ』と小さな悲鳴を漏らしてしまう。
「し、白銀……達也……」
眼前に控えているのは、ガリュード大叔父の従卒を務める人物に他ならず、その正体を知ったサクヤの混乱は深まるばかり。
(ランズベルク皇国の兵士でもない彼が、どうして此処に……)
この場にいるはずがない人物を目の当たりにし、日頃からの苦手意識も相俟って幼いサクヤは狼狽せざるを得ず、自ずと気勢を削がれてしまう。
「御無事でなによりです。船内を占拠していました反乱兵は全て討ち果たしておりますれば。どうか御安心くださいますよう」
だが、その言葉を耳にした途端、再び熱を帯びた憤りが込み上げて来て声を荒げてしまった。
「なぜですっ!? なぜ彼らを討つ必要があったのですか!? あの者達は義憤にかられ、己の正義を貫いて奸賊を告発したのですよ? そっ、それを……」
跪く達也の背後に横たわる兵士たちの骸が嫌でも目に入る。
その人間だったものの残滓が余りに哀れに思えたサクヤは、激昂する感情の儘に達也を詰っていた。
「命を以て罪を贖うべきは、法を犯し罪もない人々を苦しめた者共ではありませんか? その悪行を告発した者達の命を奪う必要が何処にあるというのですかっ? 黙っていないで答えなさいっ!」
気が付けば、サクヤは泣いていた。
正義が踏み躙られた事に激しく憤る姫君にとって、目の前の男は紛れもなく悪鬼羅刹に等しい存在だったのだから。
すると無言のまま叱責に甘んじていた達也が顔を上げるや、真っ直ぐにサクヤの双眸を見据えて口を開いた。
「姫様のお怒りは御尤もな事でございます……しかしながら、それが正義と信じ、悪行を正す為ならば何をやっても許される……というものではない筈です」
正論を突き付けられたサクヤは言葉に詰まってしまう。
「この者達は国軍兵士です。己が命を盾とし、皇王家や民衆を護るべき存在なのです……それが耳障りの良い名分に酔って反乱を企てるなど、断じて許される事ではありません。それを正義の行為だと称賛すれば、この者らによって惨殺された船のクルーや近衛師団の兵らは浮かばれないでしょう」
そこまで言った時、御付きの文官や近衛師団の生き残りが駆けつけて来て、この騒動は終幕を迎えたのだった。
◇◆◇◆◇
【現在・白銀邸応接室】
「あの時の私は達也様の御言葉に一言も反論できませんでした。子供だったと言ってしまえばそれまでですが、何が正しくて、何が間違っているのか、私にはまるで見えてはいなかったのです」
サクヤの独白が終わると、アナスタシアが話を引き取る。
「結局人身売買に手を染めた連中は、一人残らず召し捕られて死刑に処せられた。この娘は知らなかったが、当時の国軍では軍規違反に対する懲罰には連座制が適用されていてね……反乱兵士達の家族も法に則って罰するべきだと、一部の貴族から声が上がったんだよ」
「そんな……罪もない御身内まで連座だなんて……」
クレアが眉を顰めて不快感を露にすると、サクヤがフルフルと頭を振った。
「だから、達也様はあの者達を情け容赦なく処断したのです。いえ、あれこそが、反乱に及んだ兵達に対する、あの方なりの精一杯の温情だったのです」
「反乱兵を一人残らず処断した上で褒賞を辞退した達也は、彼らの家族に咎が及ばないよう陛下に直訴したのです……だから、事件は海賊の襲撃だったと公表され、反乱兵の家族が罪に問われる事はなかった」
アナスタシアは感慨深げに事件の顛末を簡潔に語った。
そして最後にサクヤが、柔らかい微笑みを浮かべて自分の心情の変化を吐露したのである。
「公正無私……達也様の行動の根底にあるものがこれなのです……子供だった私は自分の浅慮を恥じるしかありませんでした。あの事件以降。事の真偽を見極め様と懸命に努力してまいりました。そして苦手だったあの人の存在が、私の中で日増しに大きくなって……」
「好きになってしまった……と?」
クレアが口元を綻ばせて訊ねると、サクヤは恥じらいながらも小さく頷いた。
その姿が余りにも初々しくて見ている自分の方が照れてしまい、クレアは微苦笑を浮かべながらも、改めてサクヤへの助力を約束したのである。
「分かりました。姫様を家族としてお迎えするのに何の問題もありませんわ。先程も申しましたが、達也さんを説得できるよう、微力ながら協力させて戴きます」
「ありがとうございます! 本当に……本当にありがとう……ございますぅ」
感極まって涙ぐみながら何度も礼を言うサクヤと、そんな姫様を見て目を細めるアナスタシアとクレア。
そんな中で無言でいるのに痺れを切らしたのか、さくらが母親に訊ねた。
「ねえ? ママぁ……サクヤお姉さんも家族になるのぉ?」
子供には難しい会話の連続で事態が呑み込めない愛娘の問いに、クレアは苦笑いしながら分り易いように説明してやる。
「そうよ……お父さんの二人目の花嫁さんになってくれるの……さくらに二人目のママができるという事になるわね」
「えぇ──っ? ママが二人になるのぉ?」
「ユリアお姉ちゃんとティグルお兄ちゃんが家族になってくれたでしょう? 今度はサクヤ姫様がママとして家族に加わるのよ。達也お父さんは貴族になったから、お嫁さんを何人貰ってもいいの……だから、さくらにもママが二人できちゃうの」
大雑把過ぎはしないかとサクヤがハラハラしていると、腕の中にいる少女は満面の笑みを浮かべ、喜びを露にして姫君を驚かせた。
「うわぁ、すごぉいっ! さくらうれしいよっ! ママが増えて、家族が増えて、いっぱいいっぱい、うれしいのぉ──っ!」
少女にとって家族が増えるのは、これまでの体験から幸福な出来事に他ならず、何ら忌避するものではない。
それはクレアが言った通り、大好きな人間と共に暮らせる事なのだから。
手放しで喜び燥ぐ少女の様子に大人達は一安心したのだが、次の瞬間に炸裂した少女の無邪気爆弾に目を丸くするのだった。
「それでねっ! さくらはお父さんの三番目のオヨメさんになるのぉっ!」
一瞬の沈黙の後アナスタシアが声を上げて笑いだすや、オマケに意地の悪い事を口にする。
「ホッホホ……クレアさん。サクヤ! 貴女達もウカウカしてはいられませんよ。ライバルは手強そうですわよ」
サクヤは反応に困って無理矢理微笑んだだけだったが、眉間に皺を寄せたクレアは深々と溜息を漏らして嘆くしかない。
「アナスタシア様。冗談じゃありませんわ……達也さんはこの娘に甘すぎるぐらい甘くて……いいえ、完全に激甘なんです。間違いなく、さくらは最強のライバルになりますわね」
その困り果てた顔が可笑しくて、アナスタシアはもとより、サクヤも口元を押さえて笑いだす。
そして、幸せな未来を思い描くさくらは、満面に笑みを浮かべて燥ぐのだった。
◎◎◎




