第五十九話 一擲乾坤を賭す ⑥
「レーダーに感あり! 避難船団前方に艦影多数! 太陽系との境界線上に展開しています! 識別コード照合……銀河連邦軍艦隊ですッ!」
そう叫んだオペレーターの声には明らかに喜色が滲んでいたが、司令官のセルバや参謀長の霊蓬は、胸の奥から込み上げる嫌な予感に表情を強張らせた。
勿論、オペレーターが懐いた安堵と希望は、この危地にある全ての人々に共通するものだとは理解している。
グランローデン帝国と敵対関係にある銀河連邦ならば、太陽系に居場所を失くした自分達を避難民救済という大義名分を以て庇護してくれるのではないか……。
そんな淡い期待を懐いている者達の複雑な心情を、セルバ自身も否定はしない。
だが、しかしである……。
「このタイミングで救援? 銀河連邦は本気で帝国と開戦する気なのか?」
その口元に皮肉げな笑みを浮かべて嘯くセルバの言葉に、霊蓬も苦笑いせざるを得ない。
「だとしたら、我々にとっては救いの神に他なりませんがね。不当な言い掛かりで地球を排除した彼らが、逃亡者に恩情を掛けるとも思えませんが……」
そもそも、白銀達也大元帥の反乱騒動に端を発しているとはいえ、今回の騒乱を誘発した原因は、一方的に地球圏を除名した銀河連邦評議会にあると言っても過言ではなかった。
そんな事情を良く知るふたりだからこそ、懐疑的な思いが口を衝いて出たのだが、それは正に正鵠を射ていたのである。
『こちらは、銀河連邦軍西部方面域所属の第十二打撃艦隊である! 貴官らがこれ以上銀河連邦の支配宙域へ接近するのを我々は容認できない! 直ちに進路を変更せよ。許可なく防衛ラインを犯した場合、当方は武力を以て貴艦隊を排除する!』
その一方的な通告によって、残された儚い希望も打ち砕かれた逃亡艦隊は、暗い絶望感と悲嘆に覆われてしまう。
それは、避難船に身を寄せ合うようにして恐怖に耐えていた人々だけではなく、命懸けの防戦を続けて来た艦隊将兵も同様だった。
だが、多くの命を預かるセルバには諦めるという選択肢は許されず、最後の瞬間まで司令官としての役割を全うするべく、胸を張って顔を上げたのである。
※※※
「ちくしょうッ! 人の不幸を高みの見物かよッ!【銀河系秩序の守護者】が聞いて呆れるぜッ!」
腹立ち紛れにそう吐き捨てたヨハンの気持ちは、神鷹以下ブリッジの面々も同じだが、それを言葉にするには落胆が大きすぎた。
ヨハンは苛立ちから揶揄したが、銀河連邦は自由主義秩序の護り手として尊敬に値する存在だったし、様々な問題を内包しながらも、今日まで平和を維持して来たその努力には、敬意を払うに相応しいと彼らは信じていたのだ。
だが、敬愛する白銀達也の唐突な反乱に対する強硬な姿勢と、それ以降の不可解な動きは、そんな彼らの夢想を打ち砕くには充分なものだった。
そして、今また罪のない人々を平然と見捨て、死地に追いやるかの如き仕打ちを強要する彼らに失望したヨハンら白銀組が、怒りを募らせたのは至極当然の帰結だと言えるだろう。
そんな彼らを更に憤慨させたのが、セルバと連邦軍司令官とのやり取りだった。
『統合軍に在籍していた我々はいざ知らず、無辜の避難民の救済まで拒むとは如何なる所存か?』
『我々には、貴官の理屈を考慮する権限は与えられてはいない。銀河連邦非加盟国の人間は、たとえ難民であっても受け入れられない。それが評議会の決定であり、方面司令部からの厳命でもある』
『御再考願えないか? せめて無力な民間人だけでも受け入れては貰えないか?』
『くどいッ! 貴官も軍人ならば、命令を蔑ろにできないのは理解できるはず』
旗艦ヴェールトを通じて交渉の様子がリアルタイムで全艦艇に伝えられるが、欠片ほどの希望も残されていないのは、この遣り取りからも明らかだった。
然も、今この時も背後からは帝国の前衛艦隊が迫りつつあるのだ。
現状では射程の長い高出力砲を装備する数隻の艦艇から攻撃を受けているだけだが、全ての敵の砲火に曝されるのも最早時間の問題でしかない。
おまけに、その後方からは帝国軍本隊総勢二百隻、前衛艦隊と併せれば実に二百五十隻にも上る大戦力が追撃して来ている以上、どう贔屓目に見ても助かる道はなかった。
「だったら、帝国艦隊じゃなく銀河連邦軍艦隊と刺し違えてやろうじゃねぇか! 奴らこそが白銀提督の仇だ! あの世の手土産には丁度いいぜ!」
不敵な笑みをその口元に浮かべて嘯くヨハンの言葉が、ただの強がりだというのは神鷹達にも分かっているが、誰一人として異を唱える者はいなかった。
それは、この場いる全員が等しく同じ想いを懐いているからだ。
『白銀提督や真宮寺、そして如月に逢いに行くのに手ぶらで逝けるものか!』
……と。
神鷹が決意を秘めた視線でヨハンを見ると、彼は口角を吊り上げて頷いた。
これ以上の交渉は時間の無駄だと判断した彼は、全艦で前方に展開する銀河連邦軍艦隊五十隻に突撃するべく、旗艦へ意見具申しようとしたのだが……。
『たとえ非武装船であっても警告に従わない場合は撃破する! 一切の容赦はないものと心得よッ!』
無意味な交渉に焦れた銀河連邦軍艦隊司令官の最後通牒が下された刹那だった。
『ならば貴様らも帝国艦隊と同じく俺の敵だ! 黄泉路の片道切符はくれてやる。迷わず成仏するがいいッ!』
混迷を極める戦場に、激しい怒りを隠そうともしない台詞が木霊したのである。
※※※
「何だ今の通信はッ!? 何処の身のほど知らずの戯言だッ!?」
銀河連邦軍西部方面域所属第十二艦隊司令官セラータ・ミッターナハト中将は、恫喝に等しい謎の通信に嚇怒して声を荒げた。
つい先日西部方面域司令部に配属された彼は、御多聞に漏れず、モナルキア派の貴族閥に属する将官だ。
しかし、その中将という高位の階級は自らの実績に対する正当な評価故の物ではなく、実家である伯爵家が持つ縁故と派閥重臣に媚びた賜物に過ぎない。
そんな愚物であるからこそ、実戦経験は皆無に等しく、それ故に真面な艦隊指揮など望むべくもなかった。
当然ながら彼の幕僚も貴族出身者ばかりであり、陸な作戦立案もできずに威張り散らすだけとあって、部下将兵からの評判は頗る悪い。
その結果、艦隊乗組員の士気低下は極めて深刻であり、それが彼らの運命を悲劇へと導くのだから、まさに不運という他はなかった。
「艦隊後方より高熱源反応接近ッ!?」
オペレーターの金切り声がブリッジに響いたのと同時に、艦隊最後尾に布陣していた新鋭重巡クロイツ級五隻が一瞬で火達磨と化す。
敵対勢力からの攻撃を受けたのは明白であり、艦隊各艦は一気に喧騒の坩堝へと叩き落とされてしまう。
「ば、馬鹿なぁッ!? 何処からの砲撃だッ!? 貴様らは能無しの集団か!? 敵が射程距離に入るまで気付かないとは、怠慢にも程があるッ!」
「さ、索敵範囲内に敵の存在は確認できませんッ! レーダーはクリアーな状態を保持していますッ!」
正体不明の敵に急襲されて僚艦に被害が出ているにも拘わらず、緊急回避の指示も出さずに部下の責任追及に躍起になる司令官に憤慨しながらも、オペレーターは泣きそうな声で事実を報告するしかなかった。
だが、彼らを責めるのは酷だと言わざるを得ないだろう。
なぜならば、襲撃者は彼らの常識の範疇を逸脱した存在だったのだから。
※※※
「あいつめ……美味しい所を独り占めするなんて、本当に巫山戯ているわね」
「全くです! せっかく殴り込み艦隊旗艦の艦長に抜擢して貰ったのにぃ……決め台詞は私が言いたかったなぁ~」
忌ま忌ましげに舌打ちするエレオノーラが悪態をつけば、眉間に皺を寄せて不満を露にする詩織がボヤく。
これからが戦闘本番だというのに、緊張感の欠片もない艦隊司令官と艦長のやり取りにブリッジクルーは苦笑いするしかない。
しかし、エレオノーラの指揮能力は疑うべくもないし、達也から直接指導を受けている詩織の潜在能力は、これまでの実戦に於ける戦果で証明されており、多くの艦隊将兵からの信頼を勝ち得ている。
だから、この作戦の成否や戦闘の結果に懸念を懐く人間は、ブリッジクルーには一人もいなかった。
「そろそろ敵の熱源探知に捕捉されるわよ。ヒルデガルド殿下御自慢の特殊装甲の御蔭でレーダーは無効化できるけれど、艦が排出する熱量だけは誤魔化せないからね。一気に勝負を仕掛けるわッ! 全艦攻撃開始ッ!」
遠距離射撃で機先を制し主導権を握った以上、持てる戦力の全てを投入して一気呵成に畳み掛けるのは兵法の常道だ。
詩織以下鍛え抜かれた乗員達はエレオノーラの命で表情を改めるや、瞬時に戦闘態勢に移行した。
「了解しました。旗艦 妙高突撃します。通信士、僚艦へ打電。『全艦隊は各旗艦に従って突撃せよ!』、並びに『吹雪、白雪、初雪、叢雲は単縦陣にて我に続け』以上! さあ! 溜まりに溜まった鬱憤を晴らすわよ!」
梁山泊軍第三艦隊は詩織の命令が下された刹那、楔から解き放たれた猟犬の如き勢いで銀河連邦軍艦隊に襲い掛かった。
重巡級一隻と汎用型駆逐艦四隻からなる小隊が五組、計二十五隻で艦隊は構成されており、それらの全てがヒルデガルドが精魂込めて設計建造した新鋭艦だ。
常識的な近代宇宙船のスタイルを色濃く継承しているその船体は美しい流線形をしており、達也や詩織の懐古趣味も露なイ号潜とは趣を異にしている。
だが、その獰猛な牙は汎用型駆逐艦であっても、連邦軍の標準型重巡クラスにも引けは取らない以上、たとえ寡兵であっても負ける筈はない……。
エレオノーラ以下艦隊将兵は、そう確信していた。
※※※
「す、凄げぇ……」
スクリーンに映し出される一方的な蹂躙劇に、ヨハンや神鷹らブリッジクルーは言葉を失い、その映像に見入るしかなかった。
最初の攻撃から僅か一分と経たぬうちに、単縦陣を組んだ艦隊が五本の矢となって殴り込みを掛けたのだから、混乱する銀河連邦軍艦隊にとっては堪ったものではなかっただろう。
謎の艦隊の精強ぶりは人語に絶し、見事な連携を保ったまま敵艦隊の陣形を切り裂いては、次々と連装ビーム砲で孤立した敵を屠っていく。
その動きは、あの土星宙域決戦で見せた白銀艦隊の戦法に酷似しており、ヨハンも神鷹も、そして他のブリッジの面々も、半信半疑の疑念が徐々に確信へと変わるのを感じずにはいられなかった。
「お、おい、神鷹! あれ、もしかしたら……」
「うん……さっきの通信の声も……でも……そんな……」
二年以上も前に異次元に呑まれて消えた敬愛する恩人の死は、彼らに絶望と悲嘆の涙を流させた。
心を蝕む諦念に抗い、『白銀教官が死ぬ筈はない』と何度も呪詛の如く呟いた日々。
いつしか時間の流れと共に色褪せていく悲しみの残滓を、彼らは愛惜の情と共に今もまだ引き摺っていたのだ。
だが、それが杞憂であったのならば……。
確かめなければならないと思い定めたヨハンは、意を決して通信回線を開くように命令しようとしたのだが、それよりも一瞬早く指向性の強制通信波に射貫かれ、艦内に女性の声が響き渡った。
『地球圏よりの脱出艦隊に告げます。直ちに進路一〇:五二に転進。避難民を乗せた船団を護衛して太陽系を離脱しなさい! 殿は我々が引き受けます』
嘗て、短い間だったとはいえ、自分達を鍛えてくれた恩人の声をヨハンらが聞き間違える筈がない。
だから、藁にも縋る想いだった希望が確信に変わった瞬間、彼らは声を揃えて、その声の主の名前を叫んでいた。
「「「エレオノーラ教官ッ!!」」」
すると一拍の間があってからスクリーンが起動するや、懐かしい女性士官の顔が映し出され、ヨハンらは歓喜に胸を詰まらせ言葉を失くしてしまう。
相も変らぬ怜悧な美貌を湛える眼鏡美人は、スクリーン越しに彼らを見渡すや、声を弾ませながらも簡潔に命令した。
「また逢えて嬉しいわ……とは言え、積もる話は危地を脱してからにしましょう。直ちに指示に従って進路を変更しなさい」
連邦軍艦隊は既に壊滅寸前だが、戦場では何が起こっても不思議ではない。
だから、再会を喜ぶよりも、安全圏への離脱が優先だと判断したエレオノーラだったが、今度は神鷹に名を呼ばれて通信機をオフにする手を止めた。
「エレオノーラ教官! ひ、一つだけ教えてくださいッ! さっきの声は白銀提督なのですか? 蓮や如月さんはッ?」
その神鷹の問いは、その場にいる全員の想いと同じであり、たとえ現状がどうであれ、確認せずにはいられなかったのだ。
するとエレオノーラの背後から、如何にも『今はそれどころじゃない!』と言いたげな顔をした詩織が現れるや、あろう事か表情を険しくして文句を言い始めたものだから、級友らは驚きと呆れが綯交ぜになった声を上げてしまう。
『そんなのは後にしなさいッ! グズグズしてたら帝国艦隊に追いつかれて一巻の終わりよ?』
「「「「「なぁッ!??」」」」」
詩織にしてみれば、切迫している状況を鑑みた上での指摘だったのだが、級友らにとっては噴飯物の仕打ちに他ならない。
だから、瞬間湯沸かし器よろしく怒りを爆発させたヨハンは、偉そうに説教をする詩織へ人差し指を突き付け、盛大な罵声を叩きつけたのだ。
「馬鹿野郎ッ! 生きているなら生きていると、連絡のひとつも寄越しやがれ! 俺たちがどれだけ心配したと思ってるんだッ!」
その大音声と剣幕に詩織は顔を顰めるしかなかったのである。




