第五十八話 人の数だけ想いはありて ③
ラインハルトらとの会談が思ったよりも長引いてしまい、漸く家路についた頃にはランツェは大きく傾き、地上は夕間暮れを迎えていた。
軌道エレベーターで降下する最中に見た、薄闇が迫る都市に煌々と明かりが灯る光景は、まさに幻想的で心を惹かれるものだと達也は思う。
今回の任務は敵地での活動であり、常に緊張を強いられた為か、疲労も半端なものではなかった。
幸い休みは貰えたが、留守の間に山積した仕事を片付けなければならない達也には長期休暇など望むべくもなく、せいぜい二日間の休養を取得するのが精一杯だ。
銀河連邦軍の軍人ではなくなったにも拘わらず、『日雇い提督』と揶揄されていた頃と少しも変わらない境遇を思えば、思わず溜息が零れてしまうのも仕方がないだろう。
(俺もさくらと一緒に待遇改善要求してみるかなぁ)
そんな馬鹿な事を考えているうちにバラディースの玄関口である宇宙港に到着した達也は、護衛武官達の任を解いた後、無人タクシーの後部座席に身を委ね帰路についた。
生憎、同行する筈だったセリスとサクヤは、ソフィア皇后主催の晩餐会への参加を強要されており、今宵は仮皇宮に宿泊させられるのが決定しているらしい。
(ソフィア様もアナスタシア様も好奇心の塊みたいな方々だからな……然も、暇を持て余しているだけに性質が悪い。残念ながら、サクヤとセリスには、御愁傷様と言う他はないね)
年若いふたりの雰囲気が良いのは誰の目にも明らかだし、皇国と帝国の止事無い者同士のロマンス故に、酒の肴にするには最高だといえる。
第一皇女が降嫁するともなれば、皇国にとっては第一級の国事に他ならず、その御相手がグランローデン帝国の皇子だといえば、事実が公にされた段階で国を挙げての大騒ぎになるのは必至だろう。
本来ならば、両国の合意の下で家臣団が挙式の段取りを検討して然るべき段階なのだが、それもサクヤの返事待ちという状態では、イマイチ盛り上がりに欠けるというのが実情だ。
そのお蔭で、痛む胃を抱えて右往左往するしかない御付きの重臣達が、実に以て可哀そうではあるのだが……。
しかし、そんな状況とは別に、暇を持て余して日々娯楽に飢えているソフィアとアナスタシアが、自らの無聊を慰める為に事情聴取という名目でふたりを呼びつけた……それが、今夜の成り行きの背景だ。
皇后と老宰相を良く知る達也はそう確信して憚らず、然も、そこにケインを筆頭に他の弟妹達も加わるのだから、宴が乱痴気騒ぎになるのは容易に想像できた。
夜通し根掘り葉掘りと質問攻めにされるサクヤとセリスには心から同情するしかないが、招待を逃れた我が身の幸運を思い、達也は胸を撫で下ろしたのである。
(さて……残された問題は、如何にしてクレアの機嫌を取るかだが……)
シートに背中を預けて瞑目すれば、サクヤから聞いた愛妻の不自然な態度に釈然としないものを覚えずにはいられなかった。
(俺なりに成算あったとはいえ“疾風”が危険極まる兵器であるのは確かだ。なのに何の反応もないというのは……相当怒っていると考えて間違いないだろうな)
軍権を持つ身として一々言い訳をする必要がないのは分かってはいるが、心配してくれるクレアに泣かれるのは辛い。
子供達には知られない様に配慮したぐらいだから、皆の面前で追及する様な真似はしないだろうが、ふたりきりになれば叱責は避けられないだろう……。
そんな思考に沈んでいるうちに、無人カーは早くも自宅正門前に到着した。
大切な家族に疲れた顔は見せられない。
だから、憂鬱な想いを胸の中に仕舞ってから車を降りた刹那……。
「おかえりなさぁ──ッ! 達也お父さんッ!!」
喜色に表情を弾けさせるさくらが、歓声を上げながら正門から走り出て来たかと思うや、全力で飛び掛かって来た。
辛うじて愛娘を受け止めるのに成功した達也だったが、不意を衝かれた所為もあり、面喰って立ち尽くしてしまう。
然も、ほんの僅かに遅れて駆け寄って来たユリア、ティグル、マーヤにも抱きつかれて身動きが取れなくなってしまった。
それでも、口々に『お帰りなさい』と言ってくれる子供達の温もりを感じれば、寸瞬前まで蟠っていた憂いは雲散霧消し、自然と表情が綻んでしまう。
「ただいま。みんな元気そうで何よりだが、随分と手荒い歓迎だねぇ? それに、さくらはお姉さんなんだから、もう少し淑やかにした方が良いんじゃないかな?」
達也は横から抱き着いているマーヤの頭を撫でてやりながら、引っ付いて離れないさくらを揶揄ったのだが、どうやらそれは悪手だったらしい。
さくらは顔だけを上向けるや、如何にも“異議あり!”といった風情で文句を言いだしたのだ。
「あぁ──ッ! ひっどぉ─い! さくらはもう七歳だよ! 立派なレディーだもん! 達也お父さんは意地悪だぁ! せっかく今日はみんなのバースデーパーティなのにぃ……最低だよぉ!」
もの凄い剣幕で非難された達也は、苦笑いしながらも愛娘の言葉に小首を傾げてしまう。
(みんなのバースデーパーティー? 今月の誕生日はティグルだけだった筈だが)
既に七月も半ばになっており、ユリア、さくら、マーヤ、蒼也の誕生日はとっくに過ぎた筈だと思案していると、ユリアが含み笑いを漏らしながら事情を説明してくれた。
「『お父さんが帰って来てからパーティーをするの!』、この子達がそう言い張ったのです。それなら私と蒼也も皆と一緒にと思って……」
「そうか、それは悪い事をしたなぁ。ほら、さくら。僕が悪かったよ……謝るから機嫌をなおしておくれ」
大好きなお父さんから頭を撫でられて懇願されれば、如何に憤慨してはいても、憤りを持続できるさくらではない。
だが、しかしである……。
(うぅ~~~! 今日こそは誤魔化されないんだからぁ! 絶対にお願いをきいてもらうんだもん!)
笑み崩れそうになる顔を懸命に引き締めたさくらは、その黒曜石を思わせる両の瞳で達也を見つめて懇願したのだ。
「だっ、だったら! 明日は一緒に遊んでぇ! さくらだけじゃなくて、みんなと一緒にだよっ!?」
何とも可愛らしいその要求に、達也は思わず相好を崩してしまう。
考えてみれば、セレーネに辿り着いてからというもの、子供達には陸に構ってもやれなかった。
その罪滅ぼしだと思えば、一日付き合うぐらいは造作もない。
子供達を見廻せば、さくらだけではなくどの顔にも期待が滲んでいる。
慕われているのだ……そう思えば答えは一つしかなかった。
「了解しました。みんなの誕生日プレゼントも買わなければならないから、一緒に買い物に出掛けようか? ついでに何処かで食事でもしよう」
満額回答を得たさくらは笑みを弾けさせて燥ぎ、ユリアたちも嬉しそうに表情を綻ばせたのである。
すると、賑やかな子供達の声に誘われたかの様に玄関のドアが開き、蒼也を抱いたクレアが顔を出した。
「お帰りなさい、あなた。任務ご苦労様でした」
喜びに気が逸るのか、小走りに駆けた愛妻は弾けんばかりの笑みを浮かべて夫を労う。
その笑顔を見た達也も喜びを禁じ得ず、微笑みを返してクレアに感謝した。
「ただいま、クレア。長く留守にして済まなかったね。でも、そのお蔭で仕込みは上手くいったよ……本当にありがとう」
「それは良かったわ……でも、何だか他人行儀で嫌だわ。私達は夫婦でしょう? 助け合うのが当然じゃありませんか。感謝されるほどの事ではありませんよ」
そう言ってコロコロと愛らしく笑うクレアは、その腕に抱いた蒼也を達也に差し出す。
ジタバタと小さな手足を暴れさせる我が子を達也が抱き受けた途端、不思議にも蒼也は一瞬で態度を変化させ、キャッキャッと歓声を上げて燥ぎだした。
「ただいまぁ、蒼也。良い子にしていたかい? ママやお姉ちゃん達を困らせたりしなかったかな?」
まだ赤ん坊の蒼也に達也の言葉など理解できるはずもないが、それでも笑顔で『あ~~! う~~!』と声を発する様は可愛らしくて、達也もクレアも顔を見合わせて微笑みを交わし合う。
「お義父さんとお義母さんは、どうしたんだい?」
一頻り我が子とのスキンシップを堪能した達也が問うと、肩を竦めて苦笑いするクレアが、声を潜めて夫の耳元で囁いた。
「パーティーに出す料理とリビングの飾りつけに夢中なのよ。この子達の誕生日を一番楽しみにしているのは、孫バカ丸出しの爺婆で間違いないわ」
随分な言い種だと思ったが、両親を忌避している訳ではないのは、その穏やかな表情からも一目瞭然だ。
そして、それを証明するかの様に明るい声で子供達を促したのである。
「さあ、あなた達もお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの御手伝いをしなさい。御手伝いしない子にはケーキはなしですからね」
その言葉を聞いた途端、子供達は脱兎の如き勢いで屋敷に駆け込んで行くものだから、達也としては少々複雑な思いを懐かずにはいられなかった。
だから、恐る恐るながらも愛妻に訊ねたのである。
「アメとムチかい? 子供の教育に、あまり打算的なやり方はどうかと思うのだけれどね?」
「あら。賞罰を明確にして部下のヤル気を促すのは鉄則……そうアナスタシア様に教わりましたよ?」
(いつの間に子供達が部下? まったくぅ……あの人は何を教えているんだ?)
ニコニコと微笑む妻の言葉に達也は溜息を零してしまう。
聡明なクレアの事だから、アナスタシアの教えを鵜呑みにしている訳ではないのだろうが、子供相手に信賞必罰は如何なものかと考えざるを得なかった。
とは言え、クレアには家庭の差配を丸投げしている上に、この星の未来まで背負わせている現状では正面切って文句も言えない。
だから、それ以上の言葉を飲み込むしかなかったのである。
すると……。
「帰還早々に大変だったわね? サクヤさんやエレンも随分と御立腹だったから……あまり責めない様にと言っておいたのだけれど……」
何処か悪戯っぽい笑みを浮かべながらも、微かに憂いを帯びた表情のクレアからそう問われた達也は、来るべき時が来たと覚悟を決めた。
「君にまで秘密にして本当に悪かったと思っている。だが……」
謝罪して真意を説明しようとした達也だったが、柔らかい笑みを口元に浮かべ、小さく左右に頭を振る愛妻の仕種に言葉を途切れさせてしまう。
「ユリアやさくらの身を案じてくれたのでしょう? 土星宙域の戦闘で無理をしたあの娘達を気遣って……直ぐに分かったわ」
その言葉に驚きを露にする夫の様子に笑みを浮かべたクレアは、小さく息を吐いてから話を続けた。
「以前言ったでしょう? 私は達也さんの妻ですもの……だから、あなたを信じている……譬え、銀河系に生きる全ての人々があなたを否定したとしても、私だけは信じてついていくわ」
その言葉が何よりも嬉しくて、感極まった達也は蒼也を抱いていない手をクレアの背に廻し、その澄んだ瞳を見つめて心からの謝意を伝えたのである。
「あ、あぁ……本当にありがとう。だから約束するよ……俺はクレアの期待だけは絶対に裏切らない。なにがあっても、必ず君の所に帰って来るから……信じて待っていて欲しい」
その言葉を聞いたクレアの表情が恍惚に彩られ、ふたりはニーニャの淡い光の中で口づけを交わすのだった。




