第五話 さくらとサクヤ ①
巨大移民船バラディースの都市部で生活する人々は、軍民合わせても四千人ほどしかいない。
これは専ら白銀伯爵家に縁を繋いだ人々の集まりであり、対外的には白銀達也を主とする家臣団と認識されている。
だが、達也とクレアにしてみれば爵位など青天の霹靂以外の何物でもなく、彼らを家臣扱いするなど論外であり、大切な仲間として接していた。
それは、住民らの爆笑を誘った『伯爵・伯爵夫人の尊称にて当人らを呼んだ者は重労働の刑に処す』という無体極まる宣言の布告からも明らかであり、貴族に叙せられたのが、どれほど嫌だったのかが窺い知れるエピソードだと言えるだろう。
それ故『この船に乗っている者は全員仲間だ』との意思を明確にし、階級や役職を理由にした差別的な言動を固く戒めたのだ。
このバラディースが文字通り天国であるためには、差別を助長する選民思想等は必要ないと達也とクレアは信じており、また、ユリア、さくら、ティグルの三人を特別扱いしないよう、イェーガー夫妻らには強く念を押してもいる。
それは、親の立場や柵に囚われずに、子供達には大勢の友達と仲良くノビノビと成長して欲しいという願いからであり、誰の子であっても住民全員で慈しみ育てたいとの想いの表れでもあった。
◇◆◇◆◇
学校での授業を終えた子供達は、都市の中心部にある広々とした公園へ移動し、仲の良い友達同士で元気に燥ぎ廻るのが日課だ。
学校に通う子供達は上は十五歳から下は三歳までと年齢に差がある為、年長組は学校のグラウンド、十歳から下の子供達は公園へと分散し、誰が決めた訳でもないのに自然に放課後の住み分けができている。
友達が駆け回っているいる中、さくらは一人ブランコに座ったまま、ぼんやりと空を見上げていた。
住み慣れたマンションや、大好きだった幼年保育園を追われるようにして此処に引っ越して来てから、まだ一ヶ月にもならない。
当初は仲の良かった友達との別れを悲しみ、新しい場所での生活に不安を感じて心細かったが、直ぐにミュラー家のキャサリンや多数の友達もできた事で、今では引っ越しして良かったとさえ思っている。
しかし、である……。
「なんだよ。さくら……ぼ~っとして? 腹でも空いたのか?」
心ここにあらずといった妹に声をかけたのは、最近では殆んど人の姿で生活しているティグルだ。
「ちがうよぉ~~ティグルじゃあるまいし……さくらは、そんなに食いしん坊じゃないもんっ!」
何時もの底抜けの明るさは見られず、不満げな顔を隠そうともしない……。
この娘がこんな風になる原因は目下のところ一つしかなかった。
その投げ遣りな物言いに苦笑いしながらも、ティグルは落ち込んでいる妹の真意をズバリ言い当ててやる。
「俺じゃあるまいしって何だよ? まぁ、寂しい気持ちも分かるけどさ。パパさんだって忙しいんだから許してやれよ……もう少しの辛抱だろう?」
「……わかってるもん……」
「あれでも大勢の仲間がいるんだからさ、やる事がスゲ─多いんだよ」
「……わかってる……もん……」
「だから、俺達が我儘─っ!」
「わかってるって、いってるでしょ──ッ! ティグルのあんぽんたぁんっ!」
兄貴風を吹かせる幼竜にドヤ顔で説教され、さくらの癇癪が爆発する。
どこに隠し持っていたのか、キャッシーと協力して完成させたばかりの泥団子を、人化幼竜の顔面目掛け全力で投擲した。
しかし、残念ながら格段に優れた反射神経の持ち主のティグルに、五歳の幼女が放ったヘロヘロ球などが通用する筈もなく、容易く叩き落とされてしまう。
「ううぅぅぅ~~~ティグルのくせにぃぃっ! なまいきだよっ!」
「ふふんっ! 自分の非力は棚に上げて、その台詞は百年早い!」
地団駄を踏んで悔しがるさくらと、勝ち誇るティグル。
そんなふたりを、少し離れた場所で見守っていたキャッシーは……。
(やっぱり二人とも仲がいいなぁ~~うらやましいなぁ~~そうだぁっ! パパとママに弟か妹がほしいって、おねがいしよ~~っと!)
娘から弟妹を強請られるイベントに見舞われ、慌てふためく両親の事など考えもせず、無邪気で的外れな決意を固めるのだった。
「それと『~くせにっ』はいい加減にやめろ。ユリア姉が安心して俺らと暮らせるように、パパさんはヒデー父親に話つけに行ってるんだからさ」
「わ、わかってるよぉ……」
今回の出張の前に達也からそう聞かされた時は、父親が何を言っているのか理解できなかった。
ただ、何時も冷静な姉が取り乱して、必死に思い止まるように説得していたのを、ただ眺めているしかなかったのである。
結局達也は渋る姉を連れて仕事に出掛けたのだが、その後どうしても気になって母親に訊ねたところ、クレアはさくらにも分かる様に丁寧に姉の秘密を話してくれたのだ。
何時の間にか自分の心の中に存在していて、最大の理解者であり友達でもあったユリア。
その彼女が如何なる人生を歩んで来たのかを聞かされたさくらは、想像もしなかった姉の不幸を知り、悲しみのあまり母に縋り付いて泣いたのである。
『ユリアお姉ちゃんは悲しい目にあったけれど、今は私達と一緒に暮らせて幸せだと言っていたわよ……さくらの事も大好きだってね。だから帰って来た時は笑顔で出迎えてあげてね』
一通りの話を終えたクレアは、そう言って微笑んでくれた。
勿論、言われるまでもなくそうするつもりだったし、何よりも、さくらは優しい姉が大好きなのだから、ユリアには何時も笑顔でいて欲しいと思っている。
しかし、大切な姉に対する思慕の情と、達也お父さんを独り占めしている事への嫉妬は別のものであり、一日中父親と一緒に居られるユリアが羨ましくて羨ましくて仕方がないのだ。
だから、つい不満が口から零れ落ちたのである。
「でもさ、お姉ちゃんはズルイよぉ……さくらだってお父さんといっしょにいたいんだもん。最近は、ずぅ~~っと、お仕事でお家にいないんだよ?」
「まあな……でも、あと一週間もすれば帰って来るじゃんか?」
ティグルが明るい声で励ましてくれて、おまけに頭を撫でて貰ったお蔭か、少しは心が軽くなった気がした。
しかし、そんな喜びは束の間の幻に過ぎなくて……。
「うんっ! そーだね、もう少しだもんねっ!! お父さんとお姉ちゃんが帰ってきたら、また皆で遊園地に行きたいなぁ~~」
自分を鼓舞する様に言ったまでは良かったが、その気分を台無しにする馬鹿竜の一言が炸裂する。
「あん? そりゃ無理だろう。帰ってきたら直ぐに貰った星の調査に出掛けるって言ってたぜ。パパさん」
『がぁ~~~ん!』 聞こえもしない効果音が脳内に鳴り響き、さくらは余りのショックに一瞬で堪忍袋の緒が切れてしまった。
可愛らしい眉毛を吊り上げ唇を噛み締めた少女は、勢いよくブランコを飛び降り脱兎の如く駆け出す。
「おっ、おいっ! さくらぁ──っ! どこへ行くんだよぉッ!?」
猛然と公園から飛び出して行く妹の背に向けて叫ぶと……。
「ママのところだよぉ──っ! ふとうなたいぐうの、かいぜんようきゅーするのぉぉっ!」
怒りに満ちた叫び声が返って来たが、たどたどしくも難解な単語が混じっているのは何なんだとティグルは呆れるしかない。
さくらの気持ちも分かるだけに、追いかけてまで止めようとはしなかったのだが、どうしても納得できない事があって小首を傾げてしまった。
「待遇改善要求なんて難しい言葉を何処で覚えたんだ? あぁっ! エレオノーラさんかぁ」
彼の推理は強ち間違ってはいなかったのである。
◇◆◇◆◇
今日はもう一人の母とも慕う、佐久間由希恵と彼女が営んでいた養護院の人々を迎えに行く予定だったのだが……。
統合政府の強引な政策のトバッチリを受けて、養護院は事実上の閉鎖を余儀なくされ、再開の目途も立たない事態に追い込まれてしまった。
そのため、達也の弟分妹分である山崎省吾・秋江夫妻をはじめとする保育士や、難題を抱えて里親の引き取り手が無かった子供達が七名ほど、行く当ても決まらぬまま近日中に立ち退きを迫られていたのだ。
それを知ったクレアが達也に相談し、由希恵を説得してこのバラディースに新しい養護院を構える事を了承して貰い、今日がその引っ越しの日だった。
彼女達を迎えに行くついでに引っ越し作業の手伝いをするつもりだったのだが、先日以来待ち兼ねていたサクヤ姫の来訪と重なってしまい、仕方なく由希恵と面識があるビンセント父娘に代役を頼んだのである。
※※※
『朝露の妖精』の愛称で広く皇国の臣民から慕われている第一皇女殿下だという説明を、事前にエレオノーラから聞かされていたクレアは、その姫君を前にして、彼女の評価は正しかったと感嘆する他はなかった。
地球人には見られない美しい藍青色のロングヘアーが目を引くが、容姿端麗という言葉すら霞むほどの、美貌と可憐さを併せ持つ姫君には見惚れるしかない。
アナスタシアの薫陶を受けており、その実力を認められていると聞いていただけに、自分のような一般人に御相手が務まるのか不安で仕方がなかったのだが……。
(こっ、これは想定外だったわね。アナスタシア様は我関せずを貫いておられるし……少し無責任ではありませんかぁ?)
サクヤ姫の隣に腰を降ろして紅茶を楽しんでいる大伯母様に視線で救けを求めたクレアだが、完全無視の仕打ちを受けて困惑せざるを得なかった。
お出迎えして初対面の挨拶を交わした後は、この応接室に案内するまで終始無言だったサクヤ姫の楚々とした態度に、大国の姫君ともなれば、かくも気位が高いものかと思ったものだが……。
それは勘違いだったとクレアは直ぐに気づいたのである。
高級アンティーク調の長ソファーを勧め紅茶を用意して、いざ向かい合った彼女が見たのは、整った美しい顔を強張らせ、色素が消え失せたのではないかと心配するほどに顔面蒼白と化した姫君の姿だった。
然も、簡易タイプとはいえ、立派なドレスに包まれた華奢な身体を震わせている様子を見れば気の毒に思えてならない。
「あ、あの。そのように緊張なさらずとも……もっと楽になさって下さい」
「はっ、はいぃっ! も、も、申し訳ありませんっ……」
こんなやり取りが既に何度も繰り返されており、声をかける度にサクヤ姫の顔に滲み出た緊張の色が濃くなって、状況は悪化するばかりだ。
クレアは何とかして欲しいと切に思い、再三再四無言の救援要請をアナスタシア送るのだが、彼女が応えてくれる様子はない。
姫様ともなれば寛容でもう少しは世間ズレしたものだと、勝手に思い込んでいたクレアにしてみれば、この状況は完全に想定外の事態だった。
実際には何処にでもいる普通の少女が緊張し固まっているだけなのだが、まるで自分が姫君を虐めている様に思えてしまい、酷く居心地が悪いのだ。
(これは困ったわね……志保なら巧く相手の気持ちを解きほぐして場を取り繕うのでしょうけれど、私にそんな洒落たスキルはないし。はぁ~~どうしようかしら)
ほとほと困り果てた瞬間だった。
バタ──ン! と大きな音と共に、蹴破られたのかと思うほどの勢いで扉が開け放たれるや、その入り口からさくらが飛び込んで来たのだ。
その愛娘の無礼に唖然としたクレアだったが、我に返るや心の中で悲鳴を上げてしまった。
(きゃあぁ──っ! いったい何をしているのっ! さくらぁっ?)
「こ、こら、さくら……」
慌てて叱責しようとする母親よりも一呼吸早く、その愛娘が不満を露にして叫んだから堪らない。
「ママぁっ! さくらは、たいぐ─かいぜんを、ようきゅうするのぉ──っ!」
(意味が分からないからぁ! さくらぁ~~)
謎の雄叫びを上げた少女に、クレアだけでなくサクヤ姫やアナスタシアまでもが、度肝を抜かれたかの様に惚けてしまい、呆然とした視線を熱り立つ幼子に注ぐしかなかったのである。




