第五十四話 羊頭を懸けて狗肉を売る ⑤
「帝国では覇権主義が顕著になっていますねぇ。鮮やかにクーデターを成し遂げた皇太子が政敵である身内を排斥し、彼を快く思っていなかった重臣たちの選択肢を奪った手腕は見事という他はありませんがね……実母である皇后どころか、先帝の愛妾と幼い弟妹達まで一人残らず誅殺した残忍性には、さすがに眉を顰める臣民も多いとか……」
その内容に反し何処か飄々としたクラウスの物言いに、生真面目なラインハルトなどは嫌な顔をしたが、事実であるだけに咎めだてする声は上がらなかった。
この場に居る者達が気遣うのは、皇帝リオン以外では帝室唯一の生き残りであるセリスの存在に他ならないが、沈痛な面持ちながらも、声を荒げるでもない彼は、自ら率先して帝国の現状を訊ねて皆を驚かせた。
「自分を支持しない者達の反抗を封じる為に神輿として担がれる可能性がある身内らを排除する……兄の立場ならば当然の対応だとは思いますが、処刑された愛妾達の実家も相応の力を持つ有力者ばかりなのです。そんな彼らからの反発はなかったのですか?」
内心では憤りが渦巻いている筈なのに、冷静に事実を把握しようとするセリスの態度を痛ましく思いながらも、その胆力に他の面々は感心するしかない。
それはクラウスも同じだった様で、珍しく口元を綻ばせて表情を改めた。
「勿論、新皇帝の非道な行為を糾弾する公爵家もありましたが、処刑が執行された後では如何ともし難かったようでねぇ……他の星間国家を滅ぼして得た領地を分け与えられれば、それ以上の追及はできなかったようですな。尤も、それでも非難を止めなかった家は、親衛隊に蹂躙されて滅んだそうですが……」
その凄惨な手法に一同は顔を顰めた程度だが、母国の悲惨な現実を知ったセリスは、唇を噛み締めて悔しさを露にする。
それでも取り乱してはならないと自らに言い聞かせ、努めて平静を装って質問を重ねた。
「軍はどうなっているのでしょうか? 親衛隊を含む母星の守護艦隊は敵に廻ったとはいえ、帝国の領域内に散らばる戦力は、充分に反乱を鎮圧する戦力を有していた筈ですが?」
「そこは新皇帝の強かさを褒めるしかないでしょうね。主だった作戦区の司令官と幕僚部は決起前に皇太子派に挿げ替えられましたし、クーデター後は、異議を唱える方面司令官は精神錯乱を理由にして更迭。後釜にはリオン新皇帝の息が掛かった腹心を配している様ですねぇ」
無惨な実態を聞かされたセリスは、弥が上にも落胆せずにはいられなかった。
「という事は、帝国の戦力は殆んど損なわれずに温存されたと見て間違いないな」
瞑目して押し黙ってしまったセリスに代わり、ラインハルトが険しい表情でそう言えば、思案顔の志保も懸念を口にする。
「戦力という点ではシグナス教団も侮れない存在よね。自前の艦隊を所持しているそうだし、何だっけ……そうそう! 法具と呼ばれる武器を扱う戦闘集団を抱えているなんて尋常じゃないわよ?」
ふたりからの問いにも、クラウスは調査した限りの情報を惜しまずに開示した。
彼の言う所によると、ヴェールトの戦役で多少の損害が発生したものの全体的に見れば軽微なものに過ぎず、前皇帝の御代では差し控えていた侵略戦争を再開。
銀河連邦が南部方面域と称する宙域に存在する星間国家を、電撃強襲作戦を以て僅かな期間で蹂躙し、次々とその支配圏を拡大し権力基盤を確立したとの事。
支配下に置いた惑星国家での占領統治は、リオン新皇帝の元で新しく制定された帝国法に則り、厳格な人民統制と苛烈な搾取によって為されているという。
帝国占領下にある星々の人民は二等帝国臣民と呼称され、生粋のグランローデン帝国人民と比して、遥かに劣る存在だと新帝国法に定められているのだから始末に負えない。
当然ながら二等臣民の烙印を押された人々は、理不尽な差別の元で生存権を脅かされ、絶望の底での生を余儀なくされているのだった。
一方のシグナス教団はそんな民衆の心の隙に付け入って改宗を強要し、その星系や星々由来の宗教を駆逐する中で布教拡大に邁進している。
また、敵対する団体や個人には神衛騎士団を差し向け、叛逆の徒として粛清するのも辞さない強硬路線を是としていた。
「まあ、所謂やりたい放題という奴ですねぇ。圧倒的武威を笠に着てこの世の春を謳歌する……権力の快楽に酔った蛮勇の徒がやらかす愚行が、彼方此方で繰り広げられているという次第ですよ」
口にするだけで気分が悪くなるのか、クラウスまでもが剣呑な表情を隠そうともしない。
しかし、想像以上に酷い様相を呈している故国の有り様を知ったセリスは、身を裂かれる様な苦悶に苛まれてしまう。
今すぐにでもに母星であるアヴァロンへ駆け付けたいとの焦慮と、自身の無力を知るが故の絶望とが鬩ぎ合い、葛藤と懊悩の狭間で苛立ちは募るばかりだ。
そんな彼を見兼ねた達也が沈黙を破って声を掛けた。
「歯痒い気持ちは分かるが、今は耐えてくれ……増強が成ったとはいえ、我が軍の総戦力は銀河連邦どころか帝国にも遠く及ばない。寡兵の我々に勝機があるとすれば、強大な戦力に驕る連中の隙を衝いて乾坤一擲の戦を仕掛けるしかないだろう。だから、もう暫く我慢してくれ」
自分を気遣ってくれる達也の深憂を察したセリスは、左右に激しく頭を振って、その言葉に謝意を返す。
「過分なお気遣いは無用です! 本来ならば敵である私の命を救って戴いたばかりか、絶大な助力を賜っているのです。私は貴方様に命をお預けした身なれば、その決断に従う所存です。どうか過ぎたお心遣いをなさいませぬ様にお願い致します」
そう告げて真摯に頭を垂れたセリスに周囲からは好意的な視線が向けられ、場の雰囲気が和らいだ。
それを頃合いだと感じた達也は話題を切り替える。
「話は変わるが太陽系と地球の様子はどうだった? 先日同居を始めた義父の話では、銀河連邦と絶縁間近と聞いていたんだが、我が故国とはいえ政情が不安定すぎて先行きが読み辛くてね……何か面白い情報はないかい?」
気安い口調の問いに隠された達也の真意を察したのか、クラウスも肩を竦めながら軽口を返す。
「我が身の保身に汲々とするしか能がない政治屋ばかりではねぇ……政情が不安定になるのは当然の成り行きです。しかし、あんな役立たずしか候補者がいなかったのが、最大の悲劇だったと言うしかありませんよ」
冗談交じりの会話で場を和ませて、セリスの負担を少しでも軽くしてやろうとしたのだが、その選挙時に地球に居なかった達也は苦笑いするしかない。
だから二人の意図を察した志保が、自らを指導者だと口にして憚らない統合政府の愚物達を嘲笑ったのだ。
「例の土星宙域での新造艦隊壊滅事件の責任を追及され、その挙句に総選挙で当時の与党が惨敗。その時に政権交代して権力を手に入れた元野党議員ばっかだもん。口先で綺麗事を並べる以外に誇れるものなんて何も持ち合わせていない馬鹿ばっかりですもの。私も同じ地球人として恥じ入るしかないわ」
発言した本人は楽しそうだが、他のメンバーは微妙な顔をせざるを得ない。
そんな愚昧な連中を選んだ民衆にも非があるのでは……。
そうは思わないでもないが、それを指摘したからといって今更何が変わる訳でもないので、敢えて口にする者はいなかった。
だが、蒼白だったセリスの顔にも漸く赤みが戻ったからか、最低限の目的は果たしたと判断したクラウスは話を進める。
「近日中にも太陽系は銀河連邦と絶縁して帝国に鞍替えするでしょうな。統合政府と政治屋達は自らが決断したと思っている様ですが、所詮は連邦と帝国の掌の上で踊らされただけですからねぇ……全く憐れな連中だという他はありません」
「つまり今後は帝国の一員として、太陽系が対銀河連邦の最前線になるのか……」
クラウスの言葉にラインハルトが気難しい顔をすれば、志保と同じく地球人である信一郎も思案顔で言葉を重ねた。
「仮に帝国から戦力を融通されるにしろ技術供与を受けるにしろ、戦術経験値が脆弱な統合軍では良いように使い潰されるだけでしょう」
政治的にも軍事的にも修羅場を経験していない地球人では、この難局は乗り切れないというのが皆の一致した見解の様だ。
しかし、そんな中で達也だけが、含み笑いを漏らして嘯いたのである。
「俺も地球人の一人として、災禍を被る同胞らには同情せざるを得ないが……我々にとっては千載一遇の好機だ。統合軍の内情と独自路線を歩む土星木星連合公社の動きはどうだい?」
クラウスに質問を振ると、灰色狐と呼ばれた男は意味深な笑みを浮かべ新情報を披露した。
「統合軍も連合公社も同じ様に内部分裂して喧々囂々の大騒ぎの真っ最中ですよ。特に連合公社は、銀河連邦から梯子を外されて見捨てられたも同然ですからねぇ。その所為で親帝国派が勢いを増しているので、以前の様に結束して事に当たるのは不可能でしょう」
その返答を聞いた達也は、先日義父から齎された情報が裏打ちされたと確信し、更なる調査を依頼した。
「統合政府と軍。そして連合公社の動きを逐一知らせてくれ。太陽系の情勢次第では、早ければ今年中にも戦端が開かれるかも知れないからね」
「ほう。分かりました。私も探りを入れてみましょう」
クラウスが短く了承の意を伝えれば、ラインハルト以下その場に集った幹部達の顔にも緊張の色が滲む。
そんな彼らを見据えた達也は、諭すかの様に訓示する。
「今後は銀河連邦も帝国も腐敗が進むだろう。表向きは強大で立派な形をしていても、選民思考に汚染された歪な組織へと堕していく。まさに『羊頭を懸けて狗肉を売る』の例えの通り、紛い物が罷り通る世界がやって来ようとしている……」
そう言いながら皆の顔を見廻したが、誰一人悲壮な顔をしている者はいない。
寧ろ、静かな戦意を胸に懐いているのは一目瞭然であり、今にも弾けそうな闘志に満ちているのが感じられる。
だから、達也は迷わず己の決意を口にしたのだ。
「そんな歪な世界は真っ平御免だ。我々が目指す共生社会を実現するために、皆の力を貸してくれ。宜しく頼む」
その言葉に円卓を囲む全員が頷いて賛意を示し、その後は今後の作戦計画について達也の腹案が披露され、各々が己の職責の中で細部を検討すると決まった。
この日を境にして梁山泊軍は、開戦に向けて準備に取り掛かったのである。
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