第五十三話 春遠からじ ④
「建国の覚悟と言われましても……」
アナスタシアから問われた達也は、眉間に皺を寄せて言葉を濁すしかなかった。
思っていた以上に順調な人口の増加に伴い、社会の在り様とそれを形成する民衆の多様性も急速に高まっている。
現状の独立勢力としての機能では、今後あらゆる分野で限界を迎えるのは自明の理だし、何よりもこの星で生きて行く人々の将来を鑑みれば、国家というシステムが必要不可欠なのは言わずもがなだ。
その点は達也も充分に理解はしているのだが、今はまだ時期尚早だと考えているからこそ、敢えて口にはしなかったという経緯がある。
(できれば穏便に先送りしたい話なんだがなぁ……)
「勿論、現状のままで良い筈はありませんし、いずれは住民の拠り所となる国家を起ち上げるのに否やはありませんよ」
取り敢えずは忌避している訳ではないという姿勢を見せ、眼前に居並ぶ女性陣の反応を窺う達也に対し、アナスタシア以下全員が表情を和らげる。
「それを聞いて安心しましたよ。何時までも山賊の親分では対外的にも体裁が悪いですからねぇ。今の言葉を聞けば子供達も喜ぶというもの……まずは目出度い」
含み笑いを漏らすアナスタシアが口にした意味深な台詞を聞いた達也は、怪訝な表情で問い返す。
「山賊の親分って……アナスタシア様も『水滸伝』を御読みになられたのですか?まぁ、それは兎も角として、子供達が喜ぶとはどういう意味です?」
「国家という存在を知って建国したいと言い出したのは、移民組の子供らから外の世界の成り立ちを聞いたアルカディーナの子供たちなのよ。歴史や社会科の授業に於ける最近のトレンドは、専ら国家の興亡や銀河史なの」
アナスタシアに代わって明快な答えを返したのはアルエットだ。
すると、間髪入れずに由紀恵が言葉を重ねる。
「中等部以上に所属する子供達は、国家の成り立ちや有用性について真剣に学んで議論していますよ。ただ、幼年部や初等部の子らは、純粋な憧れに衝き動かされて燥いでいるようですけれどね」
事情は呑み込めたが、育ての親でもある由紀恵のニコニコ顔には不安しか感じられず、こんな無邪気な笑顔を彼女が浮かべた場合、凡そ陸でもない事態に陥るのは間違いないと達也は経験上よく知っていた。
然も、純粋過ぎるほどに純粋だからこそ、いつの場合でも良かれと思って進言するから余計に性質が悪いのだ。
だが、それでも確認しないという選択肢はなく、恐る恐る聞き返した達也の不安は、ものの見事に的中してしまう。
「憧れ? 一体全体どういう意味ですか?」
「嫌ですねぇ……共生を理念とした国家の誕生。そして自分がその国の一員になるという未来は、子供達にとっても憧れに他ならないわ。それに自国の指導者が貴方となれば、それを望まない者はこの星にはいませんよ? 大人も子供もね」
とても良い笑顔でそう宣まわれたものの、不本意極まりない達也は眉根を寄せて気難しい顔をするしかない。
現状で建国となれば、自分に指導者のお鉢が廻って来るのは極めて自然な流れだと理解はしているが、残念ながら、その要望は受け入れられないのだ。
「この非才の身に過分な期待を頂くのは光栄ですが、建国は梁山泊軍の蜂起後にしか認められません。何よりも、その指導者の地位に私が就くなど有り得ませんよ」
彼女らの思惑をはっきりと否定して見せたのは、この程度の考えは見透かされているだろう思ったからだが、その予想通り女性陣の顔に驚きの色はなかった。
寧ろ、意外だと言わんばかりに狼狽して口を挟んだのは他ならぬケインだ。
「まっ、待ってくれ達也。君はこの星の領主であり民衆からの信望も厚い存在だ。然も、実質的に軍部を統括している以上、他に適任者はいないだろう?」
そう言って語気を荒げる皇太子殿下に視線を向けた達也は、軽く頭を左右に振って自身の譲れない存念を語った。
「まず誤解のない様に言っておきますが、私は領主ではありませんよ。下賜された伯爵位など今では有名無実化していますし、まして一千五百年前からこの星で生を繋いで来たアルカディーナ達には、些かも関係のない話です」
「それはそうかもしれないが、しかし……」
「共生という理念を掲げる以上は、この星に身分制度など不要です」
釈然としない表情のケインに代わってアナスタシアが問う。
「栄達に興味を示さない貴方なら、そう言うとは思っていましたが……それで? 指導者を引き受けられない理由はあるのでしょうね? 少なくともアルカディーナ達が貴方に寄せる信頼と憧憬は並々ならぬものがあります。生半可な事情では納得させられませんよ?」
「理由は簡単です。私が軍人であり、同時に軍人だけは政治家になってはならないと、私自身が信じているからです」
躊躇せずに断言した達也にアナスタシアは双眸を眇めただけだったが、納得がいかない由紀恵は憂色を濃くして窘めた。
「達也君が謹厳実直でな性格で、誰にでも至誠を尽くす人間であるのは良く知っているわ。でも謙遜が過ぎて、他者からの期待を蔑ろにするのはどうなのかしら?」
母親と慕う由紀恵からの諫言にも顔色ひとつ変えず、それは違うと達也は淡々と説明する。
「長い人類史を紐解けば、軍事政権という歪な存在は数多とありました。そして、凡そ陸な成果も残せずに、歴史の波に呑まれて消えていったのです……その原因は唯ひとつ。軍人は当然の様な顔をして国民に忍従を強要します。そして、その裏で自分らに都合のいい妄想に溺れ、国家国民を破滅へと導く……私も軍人ですから、そうならないという保証はありませんし、万が一の時に暴走した軍部の手綱を握るのは国家でなければならない。その為にも行政府と立法府には軍人を入れてはならないのです」
その言い分は正論であり、反論できない由紀恵は口を閉じるしかない。
「政治とは国民を豊かにし、誰もが幸福に暮らせる世界を創る為にあるべきです。たとえ甘っちょろい理想論だと嗤われても、その理念を忘れてはならない……私はそう信じていますよ」
その言葉に面と向かって反論するのは難しく、ケインや由紀恵は不承不承ながらも口を閉ざしたが、政治巧者のアナスタシアを黙らせるには不充分だった。
「それだけなのかい? だったら、『建国は敵対勢力に対して蜂起した後』という説明がつかないわね。達也……たとえ成り行きとはいえ私達も貴方の船に乗ったも同然の身よ? 協力するのは吝かではないけれども、本音を隠された儘というのは気分が悪いわ」
言葉ほどに表情は厳しくはなく、寧ろ、何処か楽しんでいるのが窺えるだけに性質が悪い……そう嘆息せざるを得ない。
長年に亘って政治と言う修羅場で暗闘を繰り広げて来たアナスタシアに、純粋な駆け引きで勝つのは不可能だと改めて認識した達也は、観念して微苦笑を浮かべるしかなかった。
「相変わらず容赦なしですね……まぁ、梁山泊軍の指揮官クラスの者達には伝えておりますので、今更隠すほどの事ではないのですが……」
そう前置きして本音を詳らかにする。
「ヴェールトから獣人らを救出する作戦によって、既に戦端は開かれたと認識しています……そして、それを決断したのは、他の誰でもなく私自身なのです」
アナスタシアを真っ直ぐに見つめる達也は言葉を重ねる。
「どう言い繕っても現行の秩序に対する反乱に他ならないのです。今後銀河連邦やグランローデン帝国が如何に乱れたとしても、戦いを望まない人々は多数存在する筈です。だが、我々が引鉄を引いたが故に、自身や大切な人の命を喪う者は星の数ほどにもなるでしょう」
「だが、それは秩序を正し、延いては安寧に満ちた世界を取り戻すには必要不可欠な行為ではないのか!?」
生まれながらに皇族としての教育を受けて来たケインにしてみれば、達也の言は必要悪の範疇に含まれているとの意識が強く、思わず反論したのだが……。
「『世界の安寧の為に死んでくれ!』……そんな理不尽で傲慢な台詞を無辜の民に言えますか? 少なくとも、私は納得できないでしょうね。他人の都合で死ぬなど馬鹿々々しい……だからこそ、自ら戦う事を選んだのです」
ひどく冷めた視線で射抜かれたケインは、自分の考えが貴族という人種が抱える傲慢さ以外の何ものでもないと突き付けられ、赤面して俯くしかなかった。
そんな皇太子の今後の成長に期待しながらも、達也は再びアナスタシアを見据えて想いを吐露する。
「私は私の譲れない信念に従って戦います。ですが、その身勝手な行為に巻き込まれて非業の死を遂げなければならない人々が存在する以上……たとえどの様な形で戦いが終結したとしても、私は戦争を引き起こした者として審判を受けねばならない……敗北して戦場で命を落とすにしても、勝利して戦後の法廷で裁かれるにしても、其の罪からは逃れられないのです」
いっそ清々しいまでに淡々と語る達也にアナスタシアは呆れる他はなかったが、それでも予想していた答えとは大差なかったが故に失望はしなかった。
「なるほどねぇ……この星の人々を呪われた戦争犯罪者にしない為に、貴方一人で罪を被ろうと言うんだね?」
「そんな立派なものではありませんよ……元々我が梁山泊軍は圧倒的に寡兵です。国家の柵に縛られていては戦えませんし、山賊には山賊の戦い方がありますからね。勝つ為に最善を尽くす……それが軍人たる私の本分です」
そう嘯いて笑う達也の真意をアナスタシアは正確に理解していた。
梁山泊軍とこの星で生きる人々を切り離し、将来的に降り懸かるであろう非難を一身に引き受けるつもりなのだ。
そうして新しく誕生する国を護り、延いては国民を護る。
それが達也の矜持であり覚悟に他ならないのだと、アナスタシアは納得し満足げに頷いた。
「良いでしょう。融通の利かない頑固さは、旦那様譲りだからどうし様もありませんが、それが白銀達也ですものね……ならば、建国の準備については私が指導いたしましょう。文句はありませんよね?」
半ば強引に捻じ込んで来たアナスタシアに、達也は苦笑いせざるを得ない。
おそらく最初から目的はこれだったのだと気付いたが、もはや後の祭りだ。
だが、この難事を託すのに彼女以上の適任者がいないのも事実であり、寧ろ、三顧の礼を以て迎えるべき人材を得たのだから文句があろう筈もない。
「アナスタシア様に総指揮を執って戴けるのであれば、もはや後顧に憂いはありません。アルカディーナの長老衆や若手ら、そして出自を問わず見込みのありそうな者達の指導もお願い致します。それから願わくば、広く民衆が参加できる様な国家形態を構築して頂けたら……それだけは伏してお願い致します」
そう懇願する達也は深々と頭を下げるのだった。
◇◆◇◆◇
行政府の玄関を出た時には冬の短い陽は既に遠い山脈に掛かり始めており、周囲には寂寞とした風情が漂っている。
冷たい風に頬を撫でられたケインは、思っていた以上に自分の中に熱が籠っているのを知り、胸に蟠る感慨を吐露していた。
「人間はあそこまで愚直な生き方を貫けるものなのでしょうか? 達也自身に非があるわけでもないのに……私には到底真似できそうにはありません」
そう言って項垂れる彼をアルエットが諭す。
「死んだ主人が生前よく言っていましたわ『達也は他者の想いを大切にするが故に何時も貧乏くじを引いてばかりだ。しかし、だからこそ信頼されて慕われるのだ』とね……」
彼女の言葉に思い当たる節があるのか、由紀恵も穏やかな微笑みを浮かべた。
そして、迷える皇太子をアナスタシアが一喝したのだ。
「白銀達也こそが王たる者が目指すべき理想像だと心得なさい。この星に滞在する間に彼から多くを学ぶ様に努めれば、それは今後の貴方にとって大きな糧となるでしょう。取り敢えずは、私が一から鍛え直してあげますから覚悟なさい。達也から託された建国という大業……必ず形にしてみせますわよ」
その言葉にケインは身が引き締まる思いだったが、同時に胸の中に灯った熱いものに興奮を覚えずにはいられなかったのである。




