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第五十三話 春遠からじ ③

 クレアが精神的な災難に見舞われていたのと丁度同じ頃。

 何の因果(いんが)か夫である達也までもが、招かざる客たちを前にして心中で深い溜息を吐いていた。


「御弟妹の御方々を学校へ通わせる?」


 その眉目秀麗(びもくしゅうれい)な顔立ちに(さわ)やかな笑みを浮かべたケインからの申し出を、達也はオウム返しに問い返すしかなかった。

 これが、つい先日まで不機嫌の(かたまり)だった人間と同一人物だとは到底思えない変貌(へんぼう)ぶりに、達也としては少々複雑な思いを(いだ)かざるを得ない。


 次期皇王として皆から将来を嘱望(しょくぼう)されているケイン皇太子は、その期待を裏切らない優秀な人物だ。

 その人柄と(ひい)でた才能を()めそやす(やから)は枚挙に(いとま)がなく、その点は達也も大いに賛同する所である。

 文武の修練に()いても自己研鑽(じこけんさん)(おこた)らないし、その努力も常人のそれを(はる)かに凌駕(りょうが)する程であり、『未来の賢皇』と国民から期待を寄せられているのも当然だと受け止めていた。

 だが、だからといって欠点がないという訳ではなく、時折突飛な事を言い出しては家族や家臣団を困惑させる、困った悪癖も持ち合わせているのだ。

 そして、今のケインは、まさにその困ったちゃんでしかなかった。


「うん。その通りだ。この先どれほどの時間をこの星で過ごすにしろ、安閑(あんかん)として無為(むい)に時を浪費しては勿体(もったい)ないではないか。ならば、ランズベルグでは経験し得ない事にチャレンジさせるのも良いと考えてね」


 如何(いか)にも『名案だろう?』と言いたげなドヤ顔の皇太子殿下を見た達也は、この面倒な案件をどうするべきか考え込んでしまう。

 先日のマーカスの失踪騒動の経験から人的交流を思いついたのだろうが、あれはセリスやさくらが一緒だったからこそ、無難に済んだという側面が大きい。

 大国の皇族。(しか)も直系の殿下と呼ばれる子供達ともなれば、警護は元より従者の随行(ずいこう)必須(ひっすう)だ。

 そうなれば、日常的な学校風景の中に見知らぬ大人たちが混在する事態となり、そんな環境に一般の子供達が如何(いか)なる反応を示すか……。

 親睦(しんぼく)を図る所か、近寄り難い存在だと認識されて逆効果になるのではないかとの懸念を(いだ)かずにはいられなかった。


 基本的に達也の権限でこの申し出を却下するのは容易(たやす)い。

 何故ならば現在このセレーネ星は国家形態を成しておらず、只の独立勢力に過ぎない存在だからだ。

 アルカディーナの長老衆と血気盛んな若手たち、そして移民者の中から経験者を(つの)って各種運営を任せてはいるが、そこから上がって来る案件を決裁し、最終的に承認するのは達也以外にはいない。

 しかし、それはあくまでも一時的な処置であり、行政組織が機能を始める段階で身を引くつもりでいた。

 だから、時期尚早(じきしょうそう)とでも何でも理由をつけて、穏便(おんびん)に先送りするのがベストだと判断したのだが……。


(この面子(めんつ)を前にして却下した場合。納得させるのは至難の(わざ)だな……)


 ニコニコ顔のケインの両隣には、これまた不気味としか言い表し様のない微笑みを(たた)えたアナスタシアとアルエットが陣取っており、そのまた隣には育ての親であり幼年部門の実質的責任者の由紀恵までもが顔を(そろ)えているのだ。

 勿論(もちろん)、彼女らは陳情団(ちんじょうだん)の一員としてこの場に居るのであり、ケインにとっては強力無比な援軍に他ならない。

 達也がこの三人の女傑に頭が上がらないのは今更言うまでもなく、ある意味ではクレア以上に厄介な相手ばかりだ。

 つまり、この時点で勝機は微塵(みじん)もないという現実を理解した達也は、取り(つくろ)った笑みの下で盛大に嘆息せざるを得なかったのである。

 とは言うものの、皇族の身に万が一の事態が及んだ場合は謝罪で済む筈もない。

 だからこそ、説得を(あきら)めるという選択肢もまた存在せず、達也は不利を承知の上で口を開いた。


「殿下が御弟妹の方々を思われての御意見だとは重々承知しておりますが、万が一にも怪我(けが)をなされる様な事態が起これば洒落(しゃれ)では済みません。それに学校に護衛官や侍従などの大人が立ち入れば、子供達の方が身構えてしまう恐れがあります」


 極めて穏便な物言いながら要点を衝いたその説得に、ケインは思案顔にならざるを得ず、達也は一気呵成(いっきかせい)に畳み掛けて有耶無耶(うやむや)にしてしまおうとしたのだが……。


「過保護一辺倒では(ろく)な大人になりませんよ。何時(いつ)までも古めかしい仕来(しきた)りに縛られていては皇王家に未来はない。当然ですが、警護を含めて御付きの者など付ける気はない(ゆえ)、心配せずともよい」


 良く言えば進歩的な英断だが、悪く言えば無責任な放任主義に過ぎない暴言を、()も当然だと言わんばかりにアナスタシアが(のたま)えば、それに追随(ついずい)するアルエットの絶妙の援護射撃が入る。


「先日のマーカス殿下の一件で、子供達の間でも皇族の御方々への興味は増していますし、初等部にはティグル君とさくらちゃんが、そして中等部にはスキップしたユリアさんが在籍しているので問題はないでしょう。賢いあの子達ならば丁度良いクッション役になってくれる筈です」


 自分の子供達に期待すると言われれば正面切って反論するのも躊躇(ためら)われてしまい、腕組みをした達也は押し黙らざるを得なかった。

 それでも説得に有効な材料はないかと彼是(あれこれ)模索(もさく)したのだが、それも由紀恵の言葉によって断ち切られてしまう。


「この星に生きる人々の唯一の共通理念が『共生』であるならば、未来を(にな)う子供達にこそ身分の壁などは不要ではないかしら? 相手の立場を(おもんばか)って敬意を尽くすのと、盲目的に(おもね)るのは別です……その違いを子供達に教える意味でも、皇族の御方々を御迎えする意味はあると思うの」


 流石(さすが)に上手い事を言うものだと感心する達也だったが、教育関係の責任者であるアルエットと由紀恵の意見は無視できない。

 思慮深い彼女達の事だから、殿下方の安全には充分な配慮をしてくれるだろうと思い直した達也は、表情を(ほころ)ばせてケインの申し出を了承した。


「分かりました。そこまで(おっしゃ)るのであれば私に(いな)やはありません。(ただ)し、殿下方には事前の周知徹底をお願いします。(かしず)いてくれる者がいないという環境に戸惑われるでしょうし、それが元で(いさか)いが起きては本末転倒ですから」


 そう念を押すとケインとアナスタシアが(うなず)いてくれたので、アルエットと由紀恵にも要望を伝えた。


「我々が(かか)げる理念は全ての者達が共有しているのではない……その現実を教えるのも大切だと思います。この銀河の未来を(にな)う子供達に、自分が進むべき道を考える機会を与えてあげて下さい」


 そう懇願し真摯(しんし)(こうべ)()れれば、二人は笑顔で頷いて了承の意を示してくれた。

 陳情者達の満足げな表情を見た達也もこれで解放されると安堵したのだが……。


「それで達也。(すで)に建国の覚悟は決めたんだろうね?」


 そこには先程までの人の()さげな老婦人の面影を消し、何時(いつ)もの冷然とした表情を(たた)えた為政者が顕現(けんげん)しており、その質問と併せて憂鬱(ゆううつ)な気分にならざるを得ない達也だった。


            ◆◇◆◇◆


「おめでとうございます。ご懐妊ですよ。ファーレンの医師にも確認して貰いましたから間違いありませんわ」


 白衣姿の春香の言葉が脳に染み込むまでに(しば)しの時を(よう)してしまう。

 茫然自失の体でいるエリザにとって、その宣告は心から願い待ち()びていた朗報(ろうほう)に他ならなかった。

 だからこそ、夢ではないのかと疑心暗鬼になっていたのだが……。


「おめでとうございます! 良かった! 本当に良かったですわ!」


 感極まったのか、祝福の言葉を口にしながらも抱きついて来たクレアによって、妊娠したのが夢でも幻でもない事をエリザは実感できたのである。

 長年の切望が叶った彼女は、それが当然であるかの様にクレアを抱き締め返し、感涙に(むせ)ぶ声で喜びを口にした。


「う、嬉しいわ……(ようや)くあの人に……夫に我が子を抱かせてあげられます……」


 その万感の想いが込められた言葉にもらい泣きする看護師らもいたが、エリザとクレアにとっては、胸の中に抱えて来た葛藤(かっとう)から解放された安堵(あんど)が大きく、だからこそ喜びも一入(ひとしお)だったのだ。

 クラウスとさくらという存在を介して結ばれた奇妙な因縁は、エリザが実子を身籠(みごも)り子を()す事で、より良い関係へと変化していくだろう。

 それで、皆が過去の(しがらみ)から解放されて身も心も軽くなるのであれば、何も言うべき事はないのだ。


(きっと達也さんも祝福してくれるわ……これで少しは肩の荷が下りたかしら)


 時に苦しみ(なげ)きもしたが、あの辛い体験が今度こそ(むく)われたのだと思ったクレアは、感涙に(むせ)びながらエリザの肢体を抱き締めるのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] シンプルにさ、護衛の方々を一新するか新たに雇うかして、その方々を副担任にしとけばよくない? 心配なら。 というか最近の婚約破棄ザマァな話には、校内の状況を王様に報告する“影”な存在が居るく…
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