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第五十二話 埋火(うずみび) ④

「……という訳で……これ以上、姫様の御前を汚す訳にも参りません」


 サクヤの唇を奪うに至った一部始終を告白したセリスは、沈痛な面持ちのままで(こうべ)()れるや、再度懇願(こんがん)する。


「非は私にあります……処罰は甘んじて受けますが、その前にサクヤ様の御心痛を(やわ)らげるのが急務でしょう。ですから、お屋敷を出るのを御許しください」

「駄目だ。許可できないな」


 断られる筈のない提案だと確信していたにも(かか)わらず、その意に反して返答は『No!』の一言だった為、セリスは思わず語気を荒げて言い(つの)ってしまう。


「私と顔を合わせればサクヤ様が不快に思われるのは明白ですし、決して良い顔はなさらないでしょう。我々の間がギクシャクすれば、クレア様やお子様達にも()らぬ気遣いをさせてしまいます!」


 言下に提案を一蹴(いっしゅう)されて憤慨したセリスから喰って掛かられた達也は、鋭い視線で彼を(にら)み返した。

 その剣呑(けんのん)な眼光で射竦(いすく)められれば、セリスは言葉を失わざるを得ない。


「それは少々身勝手な言い分ではないか? 腹立ち(まぎ)れに実力行使に(およ)んでおいて、今更彼女が心配だと言っても道理が通らないだろう?」


 サクヤとのやり取りは詳細に説明したが、彼女に対する己の秘めた想いをセリスは口にできなかった。

 自分の存在が彼女の中ではちっぽけなものであるのを思い知り、落胆した果ての狼藉(ろうぜき)だったとは口が裂けても言えない。

 だが、そんな矮小(わいしょう)な想いなど、達也には簡単に見透(みす)かされてしまうのだと察したセリスは、羞恥(しゅうち)に顔を赤らめて唇を噛むしかなかった。


「仮に君が我が家を出ても状況は何ひとつ変わらない。アナスタシア様が見込まれただけあって、彼女は政治家として図抜けた才覚を持っている。しかし、恋愛事に関しては純粋培養(ばいよう)の箱入り御嬢様でしかないんだ」

「だ、だからこそ! 私が退去して彼女の前から消えさえすれば!?」


 妙手を思いつけない儘にそう言い(つの)るセリスを冷然とした瞳で(にら)みつけた達也は、辛辣(しんらつ)な問いを投げ掛ける。


「一方的に想いを押し付け、サクヤを傷つけた儘で逃げるつもりかい?」 


 酷薄な言葉の刃に胸を貫かれたセリスは、その指摘が正鵠(せいこく)を射ているだけに苦悶に(ゆが)めた顔を背けるしかなかった。


(卑怯だというのは分かっている……だが、今の私に何ができるというんだ!)


「それが彼女の為だと言い訳をして逃げるのかい?……と聞いているんだ」


 再度問われても明確な答えなど出せる筈もなく、己の不甲斐(ふがい)なさに切歯扼腕(せっしやくわん)するセリスは、達也から視線を()らしてしまう。

 恋愛経験値が圧倒的に不足しているのは何もサクヤばかりではなく、それは彼も同じで大差はない。

 だから、自分がどうするべきかも分からずに懊悩(おうのう)するしかないのだ。

 達也は『やれやれ』と言わんばかりに溜息を吐くや、今にも泣きだしそうな顔で(うつむ)いてしまった少年に命令した。


「今から稽古(けいこ)をつけてやる……拒否は認めない。君が本心からサクヤに済まないと思うのならば、俺を叩き伏せてそれを証明して見せろ。それが出来たならば屋敷を出るなり何なり好きにすればいいさ」


 達也の挑発めいた提案にどんな意味があるのか分からず、セリスの困惑は増すばかりだが、その有無も言わせぬ口調に明確な怒りが滲んでいるのを察した彼には、執務室を後にする達也の後を追う以外に選択肢はなかったのである。


              ◇◆◇◆◇


(何を話せばいいのだろう……セリスが何を不満に思ってあんな事をしたのか)


 隣接する移民船の都市部にある軍司令部までの短い時間、送迎車の後部シートに身を(ゆだ)ねたサクヤは煩悶(はんもん)するしかなかった。

 これ迄にも何度も交わした軽口の(たぐい)だと思っていたのに、いきなり唇を奪われて告白されたのだから、彼女が懊悩(おうのう)するのも無理はないだろう。

 そして何よりもサクヤを困惑させているのは、そんな理不尽な仕打ちを受けたにも(かか)わらず、セリスへの怒りや憎しみの感情が微塵(みじん)も湧かない事だった。


 こんな時に軍司令部に呼ばれたのは、セリスとの一件以外に思い当たる節はなく、事情を知った達也が、何らかの仲裁を(こころ)みようとしての招集だと察しはつく。

 恐らく当事者であるセリスもいるだろうし、達也とクレアが間に入ってくれれば話ぐらいはできるかもしれない。

 だが、一体全体何を話せば良いのか、サクヤには皆目(かいもく)見当もつかないのだ。


 そもそもが、セリスの『愛している』という言葉を信じていいのかさえ分からず、それ以上に自分自身の彼に対する気持ちも明確な形を成してはいない。

 しかし、堂々巡りするだけの懊悩(おうのう)(さいな)まれる彼女がその答えを得る前に、無情にも車は司令部施設の正面玄関に到着してしまう。


「意外に時間が掛かったわね。早くしないと終わっちゃうから急いで頂戴」


 車から降りたクレアとサクヤを出迎えてくれたのはエレオノーラであり、彼女は少々困惑した表情でふたりを(うなが)すや、(きびす)を返して施設内へと歩を進める。


「あんたの旦那も何を考えているんだか……私は止めたんだけど『口を出すな』の一点張りでさぁ」


 その溜息混じりの言葉を聞いたサクヤは、不安を禁じ得ずに顔色を悪くするしかなかった。


「それで? 達也さんは今何処(どこ)にいるの? セリス君も一緒なんでしょう?」


 クレアの問いにも彼女は肩を(すく)めるのみで、早々にエレベーターに乗り込んでしまう。

 地下区画に降りた一行はエレオノーラに先導されて目的の部屋に到着する。

 ドアが開くと同時に室内の照明が点灯し、正面に配された大型スクリーンが(あらわ)になり、そこがモニタールームだというのはサクヤにも分かった。


『なんだ? 君の想いとはその程度のものなのかい?』


 唐突に耳朶を叩いたその音声は達也のものに他ならず、それが合図であったかの様に室内の機材が稼働を始める。

 そして、スクリーンに映し出された画像を見たサクヤは、アッと息を呑んで立ち尽くすのだった。

 モニターされているのは隣接する武道場の様子であり、軍服の上着を脱いだ軽装の達也が、訓練用の木刀を肩に乗せて溜息交じりに(うそぶ)く姿が移っている。


「事情は(おおむ)ね推察できるけれど、やはりセリス君と揉めたのかしら?」

「さあね。私はアンタ達を連れて来るように言われただけですもの。自分達のやり取りを見ておけと言いたいんでしょうけど……これは(いささ)かねぇ……」


 困惑するクレアと憐憫(れんびん)の情を滲ませたエレオノーラの会話を耳にしたサクヤは、画面の隅に惨憺(さんたん)たる有り様で倒れ伏すセリスの姿を見つけ、悲鳴にも似た叫び声を上げてしまった。


「なっ、何ですかあれは!? まさか意識がないのではありませんかッ?」


 狼狽して声を張り上げたサクヤだっが、画面中のセリスが辛うじてといった風情で起き上がろうとしているのを見て一応の安堵を得る。

 だが、軽装の達也とは違い、コンバットスーツを装備しているセリスの方が格段に消耗しているのは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。

 如何(いか)なる理由でこの様な仕儀に(いた)ったのかは知る由もないが、兎にも角にも争いを止めねばと思ったサクヤはクレアとエレオノーラに取り(すが)って懇願する。


「止めさせてくださいッ! 彼では達也兄さまに(かな)う筈がありません! これでは体のいい虐待ですっ!」


 懸命に()(つの)るが、眼前で(たたず)むふたりからの返答は、彼女の意に沿うものではなかった。


「それは彼らも承知の上なのよ……私達は軍人ですからね。司令官の命令には絶対服従。『如何(いか)なる結果になっても手出しするな』と言われた以上、私達に止めだてする権限はないわ」


 エレオノーラがそう言えば、クレアも何処(どこ)諦観(ていかん)した表情で言葉を重ねる。


「達也さんがセリス君に何を求めているのかは分からないけれど、この一部始終を見て聞く必要が貴女にはある筈よ。そうではなくて?」


 ふたりが何を言いたいのか考える余裕もないサクヤは、仲裁が叶わないと分かるや(きびす)を返して部屋を駆けだそうとする。

 とてもではないが一方的に打ち据えられるセリスの姿など見ていられなかった。

 言葉を尽くして説得すれば達也も分かってくれると思い、仲裁するべく武道場へと向かったのだ。

 しかし、そんな彼女の背中をクレアの鋭利な言葉の刃が貫く。


「サクヤ・ランズベルグ様ッ! 仮にも貴女を好いた男が戦っているのですよ? その顛末(てんまつ)を見届ける義務が貴女にはあるのではありませんか!?」


 その言葉に打たれて脚を止めたサクヤが、愁色(しゅうしょく)を濃くした表情で(すが)る様な視線を向けて来る。

 酷薄な仕打ちだと思いながらも、クレアは()えて痛言した。


聡明(そうめい)な貴女ならば、セリス君の戦いから彼の心情も理解できる筈です。その上で貴女の本当の気持ちを確かめてごらんなさい」


 その言葉を受けたサクヤは、痛苦に(ゆが)めた顔をスクリーンに向けるしかなかったのである。


            ◇◆◇◆◇


(クッ! た、立たなければ……)


 散々に打ち据えられて悲鳴を上げる身体を叱咤(しった)したセリスは、木刀を杖代わりにして辛うじて立ち上がった。


(まるで大人と子供だ、これが本気になった白銀達也……今までの稽古(けいこ)では手加減されていたんだ)


 そう理解した途端、セリスは戦慄(せんりつ)して身震いするしかない。

 (かつ)て『帝国の護剣』と(うた)われたクリストフ・カイザード近衛騎士団長を畏怖(いふ)させた達也の実力を、今更ながらに思い知らされてしまう。


 見た目は極薄のボディスーツでありながらも、軍の重武装アーマーにも匹敵する防御力と機動力を誇るコンバットスーツを装備しているにも(かか)わらず、徒手空拳に等しい達也に一方的に叩きのめされているのだから、己の不甲斐ない(ざま)にセリスは唇を噛むしかなかった。

 その屈辱を晴らそうにも、必死の攻撃は容易(たやす)(かわ)された挙句(あげく)に重い木刀の一撃を受けて返り討ちに遭い、幾度(いくど)となく床を()めさせられる始末で嫌と言うほど実力差を思い知らされてしまう。


『君の木刀の切っ先が俺の身体に(かす)れば君の勝ちで良い』


 この場に連れて来られ、困惑する中で提示されたその条件に憤慨(ふんがい)したが、それが冗談の(たぐい)ではなかったのだと今ならば理解できる。

 だが、セリスにもやられっ放しで終われない理由があるのだ。


(どう足掻(あが)いても勝ち目はない……だが、サクヤ姫の為にも一矢報いなければならないんだ! 私に残された道はもう……)


 己の未熟な性根に負けて彼女を傷つけたと煩悶(はんもん)し続けるセリスは、唯一の贖罪(しょくざい)を勝ち取るために(まなじり)を決して木刀を構えるのだった。



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― 新着の感想 ―
[一言] こいつぁ荒療治な(゜Д゜;) でも、これが軍人流って感じですかねぇ。
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