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第五十二話 埋火(うずみび) ①

 端末の画面に次から次へと表示される案件を決裁し、開発の進捗(しんちょく)具合(ぐあい)齟齬(そご)がないか慎重に精査する。

 最近では(もっぱ)らデスクワークが主な仕事となり、尋常(じんじょう)ではない肩凝(かたこ)りに悩まされる日々に達也は少々うんざりしていた。


 とは言うものの、ファーレン人の献身的(けんしんてき)な協力もあって、この星に住まう人々を支えるだけの基盤は整いつつある。

 その中でも農林水産業の発展は(とみ)目覚(めざま)しく、自給率は優に百%を超えており、余剰な生鮮食料品は、地下に建造された大規模な保管庫に備蓄する余裕さえ生まれていた。

 (しか)も、今年初めて作付けした米が無事に収穫できた事もあり、住人達の評価次第では作付け面積を増やそうとも考えている。

 その他の商業や鉱山開発も順調で、ロックモンド財閥が(もたら)す貿易品と共に都市部の商業地を大いに(にぎ)わし、人々の生活の質の向上に大いに貢献(こうけん)していた。

 主に北極圏に近い大陸の各地で発見された複数の金鉱脈は、その調査の結果から膨大(ぼうだい)な埋蔵量を誇るとの報告がなされており、将来的に開星した際には、他の勢力を牽制するに足る武器になるだろう……。

 ジュリアンら経済関連を取り仕切る者達は、悪い顔でそう(うそぶ)くのだった。


 財政面に()ける不安が払拭(ふっしょく)された御蔭で軍備開発も順調に推移しており、現在は造船ラッシュの真っ只中で、航宙艦隊は日毎(ひごと)にその威容を整えつつある。

 また、クラウスの人材ハントの甲斐あってか、(かつ)て達也の下で共に戦った経験があり、今回のモナルキア派の急激な台頭(たいとう)に異を唱えて軍を追われた者達が、家族共々続々とセレーネに移住してきており、人材不足も徐々にではあるが改善の(きざ)しを見せていた。


此処(ここ)までは順調に来ているな……艦隊に配備される乗員の訓練も日増しに成果を上げているし、艦や各種装備も期待以上の出来で何も文句はない)


 端末画面から目を離した達也は、一度大きく背伸びして息を吐く。

 この星に根を張って一年以上になるが、まさかこんなにも早く反転攻勢の準備が整うとは思わなかった。

 そして、頭を悩ませていた皇国皇太子ケインの案件が解決した事で、(ようや)く今後の展開を検討する段階に入れる目途が立ったのだから、その立役者となったセリスには感謝するしかない。


(セリスのお蔭で思ったよりも早く意志の統一ができそうだ。何か礼をしなければならないなぁ……)


 呑気にそんな事考えていた達也はインターホンのコール音で我に返る。

 すると、一拍の間を置いて秘書官が御伺(おうかが)いを立てて来た。


『白銀閣下。セリス・グランローデン少将が面会を求めておられますが、如何(いかが)いたしましょうか?』


 彼女はシレーヌと同じアルカディーナの獣人女性だ。

 先日秘書官に就任したばかりのルーキーだが、細やかな気遣いとその能力の高さには定評があり、達也も非常に助けられていた。

 そんな彼女の声音に(いく)ばくかの躊躇(ためら)いを感じたのだが、(ねぎら)おうと思っていた矢先の来訪に歓喜した達也は、()したる注意も払わずに了承する。


「構わないよ。入って貰ってくれ」


 秘書である彼女が(ひか)えているのは、執務室に一つしかない入り口の()ぐ外。

 必然的に間を置かずにドアが開いたので、席を立ってセリスを歓迎しようとしたのだが……。

『一体全体、どちら様でしょうか?』

 喉まで出掛かったその台詞を辛うじて呑み込んだ達也は、後ろ手にドアを閉め、その場に立ち尽くす少年の変わり果てた姿を見て呆気に取られてしまった。


 昨日ケインを説得した時の精悍(せいかん)さは微塵(みじん)もなく、何処(どこ)(うつ)ろな双眸と悄然(しょうぜん)とした表情で(たたず)んでいるセリスが、やや猫背ぎみに背中を丸めて肩を落としているのだから、驚くなという方が無理だろう。

 今の彼と比べれば、真冬の曇天(どんてん)すら(はな)やいで見えてしまいそうで、達也は怪訝(けげん)な顔で問い(ただ)すしかなかった。


「どうしたんだセリス? 何があった?」


 すると、そう問われて痛苦に顔を(ゆが)めた元帝国第十皇子は、(しば)し逡巡した挙句に苦しげな声で懇願(こんがん)したのである。


我儘(わがまま)を言って申し訳ありませんが、御屋敷を退去したいのです。御許し頂けますでしょうか?」


 その突飛な申し出に困惑し、又候(またぞろ)厄介事の匂いを感じ取った達也は、顔を(しか)めて溜息を吐くのだった。


             ◇◆◇◆◇


 夫が溜息を吐いたのと同じ頃、白銀邸ではクレアも困惑の最中にあった。

 彼女がいるのはサクヤの自室であり、目の前のソファーには重病人かと見紛(みまが)わんばかりの皇女殿下が、その身を小さくして座っている。

 顔色は青白く、泣き()らした両の瞳は赤く充血しており、『朝露の妖精』とまで(うた)われた美貌は見る影もない。


(一体全体なにがあったというのかしら……兄上様の件が片付いて、昨夜はあんなにも嬉しそうだったのに……)


 サクヤが一夜で変貌(へんぼう)する理由に思い当たる節がないクレアは、ホトホト困り果ててしまった。

 賑やかな夕食の後もマーカスと子供らの交流は続き、お開きになって皆が部屋に引き上げるまでは、彼女も上機嫌だったのを覚えている。

 今日は早朝から達也とマリエッタが付き添い、マーカスを仮宮に送ったのだが、子供達の見送りの中にサクヤの姿はなかった。

 一応声を掛けようとしたのだが、『最近は難題続きで神経を()り減らしていたからね。今日一日ぐらい休ませてあげればいいさ』という達也の言葉に、それもそうだと思い直し、その儘にしていたのだ。

 その後は何時(いつ)もの朝の喧騒に追われて、再び彼女の様子が気になりだしたのは、子供達を学校へと送り出した後だった。


 食事の後片付けや掃除などの家事はメイドの仕事であるから、最近ではクレアの出番はなく、こんな暮らしは自分には分不相応ではないかと秘かに悩んでもいる。

 育児と料理だけは死守しているが、彼女を取り巻く周囲の環境が何時(いつ)までそれを許してくれるか……。

 そう考えれば嫌でも憂鬱(ゆううつ)にならざるを得ないクレアだった。

 だが、夫が留守の間は家裁を取り仕切るのも妻の役目だ。

 だから蒼也の子守をメイドの一人に託して、サクヤの部屋を訪れたのだが……。


 最初は入室を拒まれたものの、その蚊の鳴くような、(しか)も、涙声に異変を感じたクレアはサクヤを(なだ)(すか)し、押し問答の挙句(あげく)(ようや)くドアを開かせる事に成功したのだが、彼女の姿を見たクレアは狼狽(ろうばい)せざるをえなかった。

 夜着も着替えておらず、一睡もしていないのが一目瞭然な程に憔悴(しょうすい)している彼女を見れば、驚くなという方が無理だろう。

 おまけに泣き()らして目を赤くしている様子は尋常ではなく、何があったのかとクレアが問い掛けても、唇を引き結んで一言も答えようとはしないのだから困惑は増すばかり。


(これは余程の事があったのね……でも放ってはおけないわ)


 クレアは席を立つとサクヤの隣に腰を下ろし、彼女の肩に手を廻し軽く抱き寄せてやる。

 サクヤは身を固くしたが(あらが)う素振りはない。

 だから、触れた肩から二の腕(あた)りを優しく撫でながら、偽りのない本心を吐露するのだった。


「何があったのか、話したくないのならば仕方がないけれど……悄然(しょうぜん)とした貴女を見るのは辛いわ。妹には笑顔でいて欲しい……そう思うのは姉の我儘かしら?」


 当然だが、ふたりに血縁関係がある訳ではなく、同じ男を愛した者同士の友情に等しい(ちぎ)りなのだが、クレアを姉と(した)うサクヤにとっては、これ以上に心を揺さぶられる言葉はない。


「うっ、ふうぅぅ~~~」


 途端にくぐもった声を漏らした皇女殿下は、ポロポロと涙を(こぼ)しながらクレアに(すが)りつくや、声を上げて泣き伏すのだった。


「気が済むまで泣くと良いわ。ずっと(そば)にいますからね」


 そう言いながら震える彼女の身体を抱き締めたクレアは、赤ん坊をあやすかの様に背中を優しく撫でたのである。


             ◇◆◇◆◇


「す、すみませんでした……みっともない姿をお見せして……」


 三十分ほどクレアの温もりに抱かれていたサクヤは(ようや)く泣き止むや、恥ずかしそうに顔を伏せて謝罪した。


「謝る必要なんかないわ。それよりもシャワーでも浴びてサッパリしてこない? その間に温かい飲み物でも用意しておくから……ねっ?」


 そう勧められたサクヤは、夜着の儘の自分の姿に気付いて驚き、赤面し頷くしかない。

 慌てて自室と同じ階にある浴室に駆け込むや、熱いシャワーに身体を(ゆだ)ねると、冷たい夜気に満たされた部屋で泣き伏して冷え切ってしまった身体と心を熱い湯が生き帰らせてくれた。

 その心地良さに安堵の吐息を漏らすサクヤだったが、同時に胸の中に(わだかま)った儘の苦い想いも呼び起こされてしまう。

 頭の天辺から手足の爪先まで流れ落ちていく温もりに身を任せながらも、脳裏に(よみがえ)るのは昨夜の出来事。


(どうして……どうしてあんな事になったのだろう? 私はただ彼に感謝して謝りたかっただけなのに……)


 彼という心の(つぶや)きは、直ぐに脳内でセリスの姿に変換されてしまう。

 その途端、胸を締め付けられるような苦しさと共に目頭が(あつ)くなる。

 その(ねつ)は流れ落ちるお湯のものではなく、サクヤの感情の発露(はつろ)に他ならないし、それは彼女自身が誰よりも良く分かっていた。


(初めて出会った時の彼は瀕死(ひんし)の重症を負っていた。達也兄さまに頼まれて看病し、その甲斐(かい)あって一命を取り止めた時は本当に嬉しかった……ユリアのお兄さんでもある彼と親しくなるのにそう時間は掛からなかった。彼は自分の目標を見据えて頑張っていたし、実直で優しい人柄で周囲の人々から信頼を得るのを見て、私も嬉しかった……皇国に残して来た弟達に会えない寂しさから、お姉さんぶって説教もしたけれど、彼は嫌味を返しながらも、私を邪険にする様な真似(まね)は一度たりともしなかったのに……)


 セリスと知り合ってからの出来事が、脳裏に浮かんでは消えて行く。

 そして自分の不注意から、汚い言葉で彼を傷つけてしまった。

 それなのに、彼は腹を立てる所か一言も責める様な言葉は口にせず、何時(いつ)もの様に笑っていたのだ。


(間の悪い事にマーカスの失踪騒動が重なって謝罪できなかったのに、彼はケイン兄様を説得して弟を……そして私を助けてくれた……それなのにぃッ!)


 サクヤは自分で自分の身体を抱き締めて唇を噛む。

 何時(いつ)しか肢体は温もりを取り戻しており、寒さは感じなくなっている。

 しかし、彼女の心は(いま)だに葛藤(かっとう)と困惑の中にあり、出口の見えない冷たい迷路を彷徨(さまよ)い続けているのだった。

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[一言] 悩め少女よ。 その先に答えはあるッ!!(迫真
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