第五十一話 殿下たちの憂鬱 ②
「さくらっ! なんですかノックもせずに御行儀の悪いっ! エリザベート陛下やヒルデガルド殿下に失礼ですよ!」
母親からの叱責に思わず両肩を竦めたさくらだったが、それでもバツが悪そうな笑みを浮かべただけで、少しも反省した様には見えない。
「ごめんなさぁ~~い。でもでも、ヒルデっちに会うのは久しぶりなんだもん! ねぇ! またニーニャの話を聞かせてよ?」
叱られた事など何処吹く風と言わんばかりの愛娘は、ヒルデガルドに抱きつくや、期待に顔を紅潮させてニーニャの話が聞きたいとおねだりした。
この春に初等教育部を卒業し、九年間の義務教育課程に進学したさくらは、そのお転婆ぶりを遺憾なく発揮して実の母親を大いに嘆かせている。
しかし、それは子供の成長としては至って普通のものであり、寧ろ、精神的にも大きく成長しているのが分かるだけに、クレアもどう接すれば良いのか戸惑わざるを得なかった。
好奇心が旺盛で何にでも興味を持ち、学校の教師は元より、周囲の大人達にも彼是と質問するさくらは、誰からも好かれて受け入れられている。
おまけにその学習欲を容易く満たしてやれる存在が傍にいるのも、彼女にとっては幸運以外の何ものでもなかった。
その存在とは言わずと知れた長姉ユリアであり、最近精神に引っ張られた為か、心身共に急激に成長している白銀家長女は、さくらの良きお手本になっている。
そんなユリアが弟妹達の勉強を見ているのだから成績が悪い訳がなく、それが『白銀家の子供達』の評判を更に高める結果になっていた。
また、バラディースに開設された中等教育の学園は、増え続ける移民の数に比例して増設が進んでおり、現在は五つの施設が開校されている。
さくらやティグルが通う第一学校は、六年間の一般教育課程と三年間の専門教育課程の併用で構成されており、常に旺盛な知識欲を抑えきれないさくらにとっては、まさに心弾む素晴らしい日々を過ごしていると言っても過言ではなかった。
それだけならばクレアも純粋に我が子の成長を喜べば良いのだが、彼らは良くも悪くも『白銀達也の子供』という色眼鏡で見られる可能性が高い。
それが子供達の成長にとって歓迎すべきものでないのは火を見るよりも明らかだし、それによって増長する様な事があれば取り返しがつかない、そうクレアは懸念しているのだ。
だからこそ、目上の人に対する礼儀や、他者への気遣いなどを今まで以上に注意する様に、と口喧しく言っているのだが……。
「おう! 何でも聞きたまえよん! さくらっちのお願いならば、一級の軍事機密も大公開しちゃうぞ! いっそ今度の冬期休暇の時にでも遊びに来ればいいよん」
「ええぇぇ──ッ! 良いのぉっ!? 行くよっ! 絶対行くぅぅ! そうだ! キャッシーちゃんやクラスのみんなも一緒で良いかな?」
「勿論さぁ! 賓客待遇で歓迎するよん!」
眼前で抱き合って燥ぐ見た目同年代の少女達の姿を見れば、クレアとしては暗澹たる思いを懐かざるを得なかった。
幾ら自分が厳しくしようとしても、周囲の大人達が挙って甘やかすから、一向に礼儀作法が身に付かないのだ。
天真爛漫といえば聞こえはいいが、礼儀知らずという評価と同列では、子供達の将来にも悪影響を及ぼしかねない。
(やはり五月蠅がられても、母親の私が言わなければ……)
エリザベートやヒルデガルドの前ではあるが、躾は必要だと思い口を開きかけたクレアだったが、優雅な仕種で紅茶を満喫していたエリザベートに声を掛けられ、喉まで出掛かった言葉を呑み込まざるを得なかった。
「そう焦る必要はなかろうに。無邪気でいられるのは子供のうちだけではないか。長じれば嫌でも作法など覚えよう……ならば、今暫くは子らの好きにさせてやるのも親の務めではないかのう?」
その全てを見透かしたかの様な女王の物言いにクレアは思いっきり狼狽したが、見た目は二十歳前後であるにも拘わらず、実際には五百年以上を生きているのだと思い出せば、達観した物言いも当然かと納得するしかない。
だからつい、愚痴めいた言葉が口から零れてしまったのかもしれない。
「ですが……ただでさえアルカディーナの方々からは特別視され、子供にしては分不相応な扱いを受けているのです……それが父親に起因するものだからこそ、けじめが必要なのではないでしょうか? それが曖昧になればあの子達にとっても不幸だと思うのですが……」
子供達の将来を案ずるからこそ厳しくしなければと葛藤するクレアを、含み笑いを漏らすエリザベートは諭す。
「心配無用……其方の子らは賢くて思いやり深き者ばかり。それに、謙虚な両親を間近に見ているから、他人に対する気遣いを自然と身につけておる。妾が保証しよう……何も心配はいらぬよ。『共生社会の申し子』たる彼らに、矮小な人間が作った身分制度など無用の長物……このまま好きにさせておくが良い。礼儀作法など、時期が来れば呼吸をするよりも簡単に身につけようて」
余りにも楽観的だと思わないでもなかったが、嫋やかな笑みを浮かべて断言する女王を見ていると、躍起になっている自分が滑稽に思えてしまう。
だから、微かに口元を綻ばせたクレアは、頭を垂れて謝意を伝えるのだった。
頭を上げて紅茶の御代りを頼もうと立ち上がったのと同時にセリスがリビングに顔を出すや、エリザベートとヒルデガルドに一礼してからクレアへ訊ねる。
「クレアさん只今戻りました。提督はまだ御戻りではないのですか?」
国を追われているとはいえ、れっきとした帝国皇子から丁寧語を使われるのは不遜の極みだと思うのだが、再三の懇願にも拘わらず、セリスは態度を改めようとはしない。
クレア自身は気恥ずかしくて勘弁して貰いたいのだが、最近では敢えて気にしない様に努めており、状況が許す限りは許容していた。
「えぇ。今日も朝からサクヤさんと出掛けた儘ね」
梁山泊軍の雑事と自身の鍛錬に日々の大半を費やしている彼だが、頓に精悍さを増している、と先輩諸兄からの評判は上々だ。
然も、自分の出自など鼻にも掛けず誰とでも気さくに接する為、アルカディーナの市民からも親しげに声を掛けられる様になっていた。
また、ユリアは元より、さくらやマーヤも懐いており、おまけに……。
「だあぅ! うぅ~~~!」
腕の中の我が子がセリスを視界に捉えた途端、手を伸ばして憤るのを見たクレアは、口元を綻ばせて微笑んだ。
「あらあら、蒼也はママよりもセリスお兄さんの方が良いのねぇ~~。はいはい、ちょっと待ってね」
そう言って立ち上がり、これまた照れくさそうな笑みを浮かべて歩み寄って来たセリスに蒼也を抱かせてやると、途端に満面の笑みを浮かべた赤ん坊は、明るい声を上げて燥ぐのだった。
すると、それを見たさくらが眉根を寄せるや、唇を尖らせて不満を漏らす。
「ぶうぅ~! 蒼也は私が抱こうとしたら泣くクセに、お父さんやセリスお兄さんだと嬉しそうなんだもんっ! 不公平だよぉ!」
その仕種が可愛らしいやら可笑しいやらで、リビングは賑やかな笑いに包まれてしまう。
すると、揃って帰宅した達也とサクヤがリビングに顔を出し、室内の明るい雰囲気に相好を崩した。
「おやおや随分と賑やかだね。何か良い事でもあったのかな?」
そう問う達也だったが、破顔して飛びついて来たさくらを抱き止めるのが精一杯で、その答えは聞けずじまいだったのである。
◇◆◇◆◇
それから間を置かずにユリアとティグル、そしてマーヤも学校から帰宅した為、閑散としていた屋敷は一気に賑やかになった。
最近子供達は早々に宿題を片付けるや、我先にと蒼也に群がっては『子守り』に託けてじゃれるのを日課にしている。
マリエッタが監視がてら傍についているので心配はないが、兄姉達の玩具にされながらも嬉しそうに燥ぐ我が子を見れば、胸中に去来する漠然とした懸念に不安を覚えるしかない達也だった。
(まさか、生涯さくら達のオモチャにされる運命じゃないだろうな?)
そんな馬鹿な事を真剣に悩むのも幸せの証だが、遠い将来の話よりも現在の懸案事項を解決するのが先だと思い直す。
リビングに残されたのは達也とクレア、そしてサクヤとセリスの四人だけであり、エリザベートとヒルデガルドは腹具合が満たされたからか、将又他に用事でもあるのか、連れ立って女王の部屋に籠ってしまった。
必然的に残された四人の話題は、二日前に受け入れたランズベルグ皇王家の処遇以外にはなく……。
「本当に申し訳ありません……達也兄さまにまで、あんな無礼な物言いを……」
その美しい顔に苦衷の色を濃く滲ませたサクヤが、疲れ切った声音で謝罪するのを手で遮った達也は、努めて明るく振る舞い彼女を慰めた。
「君が謝る必要はないし、罪悪感を懐くなんてそれこそ筋違いだよ。ケイン殿下は聡明な御方だ。御自分が蚊帳の外に置かれた所為で、今は混乱しておられるだけだよ。根気よく話せば御理解頂けるはずさ」
ふたりのやり取りを聞いたクレアとセリスは、本日も説得が不調に終わったのだと察して表情を曇らせてしまう。
銀河系を大いに賑わせた『ランズベルグ皇国家の不幸』から早くも二週間近くが過ぎていた。
だが、御座船の謎の爆発に巻き込まれて死亡したと報道されている皇王家の人々は全員が健在であり、嘗て移民船として活躍したバラディースの都市部に居を構えて落ち着いているのが真実だ。
幸いにも住人らは全て新都市に移転を終えており、行政機能だけしかない都市は広大な空き家同然だった為、元白銀家の邸宅だった屋敷と周囲の住居を仮宮として使用するのに何の不都合もなかった。
ただ唯一の問題は、今回の計画を知らされていなかったケイン皇太子が、癇癪を爆発させて『国に帰せ!』と言い募り、母皇后やアナスタシアの説得にも耳を貸さない険悪な状況が続いている事だろう。
「それ程に御怒りであらせられるのですか? ケイン皇太子殿下は」
クレアからの問いに達也も苦笑いするしかない。
「イ号潜に皇王家の方々と御座船の乗員らを収容し、ガスの中を突っ切って惑星の重力圏を脱したまでは良かったんだが……計画の真実を知ったケイン殿下が激怒してね。温厚なあの御方が皇后様を罵倒する程に嚇怒なされるとはな……俺の計算が甘かったよ」
その何処か飄々とした物言いからは、深刻な気配は一切感じられなかったが、他の皇族の面々が居並ぶ前で、達也が兄から口汚く罵倒されたのを知るサクヤは、とてもではないが平静ではいられなかった。
計画の立案者である達也は己の責任だと言い切ったが、サクヤに言わせれば全てはケインの定見の無さが原因であり、それが実の兄の所業なればこそ腹立たしくて仕方がないのである。
だからこそ、知らず知らずのうちに厳しい言葉が口を衝いて出たのだ。
「達也兄さまに責任はありませんわ! 大伯母様も仰られた通り、全ての原因は、狭量で傲慢な兄自身なのですからッ!」
しかし、憤る彼女を元帝国第十皇子が宥めた。
「その様に一方的に責めては、兄君が御可哀そうだよ」
場の空気が微妙なものになるのを感じた達也は、胸の中で小さな溜め息を零すしかなかったのである。




