第四話 巣立ちの時 ①
銀河連邦評議会加盟以降、地球は単一国家としての歴史を歩んで来た。
開星してから百年という時間が過ぎるまでは、決して平坦な道のりではなかったが、戦後復興を糧にして急速に社会が発展していく中、先人達の努力によって少しずつ良い方向に歩を進めて来たのは確かだ。
既に民族間の対立による紛争などは絶えて久しく、地球に住む人々はそれなりに平和な時代を謳歌していたのである。
蓮と詩織は夏季休暇に入った翌日に揃って故郷に帰省した。
当然の事だが、日本という国家は既に存在しておらず、東アジア地区の一地域だと周知されている場所が彼らの故郷だ。
二人の実家は旧関東地方の横須賀にあり、詩織の父親が勤務している地球統合軍海上防衛局横須賀基地の目と鼻の先にある。
父親同士も幼馴染で自宅も隣同士となれば家族同然であり、蓮と詩織が生まれて以降、両家は家族ぐるみの交流をして来た。
しかし、詩織の母親が病気で早世し、五年前には蓮の父親が土星宙域海戦で戦死するという不幸に見舞われたばかりか、子供達が揃って統合軍士官学校に進学して家を出る事になり、蓮の母親の春香は随分と寂しい思いをしたものだ。
だから、春香に心配をかけないようにと心を砕いた詩織は、士官学校を退校する決意をした蓮を急かして帰省したのである。
しかし、自分の決断が母親に寂しい思いをさせるのが分かっているだけに、蓮は帰省する足取りまでもが重く感じられて躊躇せざるを得なかった。
家が近づくにつれて、次第に口数が減る蓮と詩織だったが……。
「かっ、かあさん?」
「はっ、春香おばさま……い、いったい?」
玄関口で出迎えてくれた春香を見た二人は、驚愕に目を見開き呆然と立ち尽くしてしまう。
身長が百六十㎝しかない春香は年齢を感じさせない童顔も相俟って、可愛らしいという言葉が違和感なく通用する女性だ。
実際詩織と並んでも年の離れた姉妹で通るのだから、十八の息子がいる四十五歳の未亡人だと看破する者など誰一人としていなかったのである。
だが、そんな事は百も承知している二人が、年齢不相応な春香の見た目ぐらいで今更驚く筈はないのだが……。
蓮と詩織を驚愕させたのは、両手で左右の頬を押さえながら、朱に染まった顔を傾がせ、テレテレに恥じらう春香のお腹の辺り……。
サイズが大きい服を着ても誤魔化せないほどのふくらみに他ならない。
詩織は驚きながらもその現実を受け入れたが、実の息子である蓮は、そう簡単に目の前の光景を許容できなかった。
だから、よせばいいのに……。
「かあさんっ! だからあれほど松月堂のおはぎを食べ過ぎちゃ駄目だって言ったじゃ─っ、ぐふぅぅぅッッ!」
テレテレの笑顔のままで見事なステップを駆使して高速移動するや、不埒な息子の鳩尾に稲妻の如き右フックを叩きこむ春香。
運動不足解消とストレス発散の為、三年前から始めたボクシングジム通いの成果を息子の身体に刻む母親の顔は見惚れるような笑顔だった。
「蓮……お母様に無礼な口を利いてはいけませんと昔から教えてきたでしょう? まさか、私が和菓子の食べ過ぎで太ったように見えるのかしらねぇ~?」
「ぐっ……ぐふ……ご、ごべんば、さい……」
打たれた腹部を押さえ両膝から崩れ落ちて悶絶する蓮。
鈍い上に小心者の幼馴染に呆れ果てた視線を送った詩織は、そんな事に斟酌している場合ではないと思い直し、足元に蹲る蓮を無視して春香に詰め寄った。
「お、おばさまっ! 無茶しちゃ駄目よっ! で、でも……本当に……妊娠なの? 赤ちゃんができたの?」
実際に自分の目で見ているにも拘わらず、その現実が容易には信じられなくて、震える声でそう訊ねると、春香はますます頬を染めて小さく頷いて肯定する。
「う、うん……今六か月目なの。もう目立っちゃって……まさかこの年で妊娠するなんてねぇ。死んだ主人とは二十年も連れ添ったのに、授かったのは蓮一人だけだったから今更とも思うけれど……」
母親の口から真実が語られた以上は疑う余地はない。
腹部の痛みも忘れて猛然と母親に詰め寄った蓮は、凄い剣幕で最大の懸案事項を問い質した。
「妊娠って……どうしてっ? そもそも相手は誰なんだよッ!?」
自分が不甲斐なかったばかりに約一年間も帰省できなかったとはいえ、いきなり妊娠したと言われれば狼狽しない方がおかしいだろう。
然も、大切な母親を妊娠させた不埒な男の存在を思えば、腹立たしさを抑えきれなくなってしまう。
そんな激昂する息子を春香が宥めようとした時、聞き覚えのある声が、その場にいた全員の耳朶を打った。
「あ~~すまない蓮君。春香さんの相手は……この私だ」
すぐ隣の家の玄関。所謂詩織の実家から顔を出した家主が、如何にも後ろめたいといった風情で自らの所業であると告白したのだから、蓮のみならず、詩織までもが目を点にするしかない。
何故ならば、その人は詩織の実父である如月信一郎に他ならないのだから……。
「おっ、お父さんッ?」
「しっ、信一郎おじさんっ?」
驚愕の告白にこの日二度目の間抜け顔を晒した蓮と詩織は、御近所中に響き渡る素っ頓狂な叫び声を上げるのだった。
◇◆◇◆◇
蓮と詩織が様変わりした両親の関係に仰天していたのと丁度同じ頃。
白銀伯爵家とその一党が本拠地とする巨大移民船のメインブリッジでは、ラインハルト・ミュラーがスクリーンに映し出された情報番組を熱心に見ていた。
この眉目秀麗な青年将官は〝日雇い提督″こと白銀達也の頼りになる副官であり、気心知れた親友でもある。
達也が【神将】の称号を下賜されて貴族に叙せられたのを機に、彼も銀河連邦軍を退役し、妻と娘と共にこの移民船に居を構えたのだ。
冷静沈着で用意周到と評される彼は前線指揮官としても参謀としても優秀な軍人であり、伯爵位を得た達也に代わって白銀軍の実質的総司令官を務めている。
尤も、戦力と呼べる艦隊は無いに等しいため、今はこのバラディースの艦長として多忙な日々を送っていた。
「TV観賞なんて珍しいじゃない……『この星の番組は低俗過ぎる!』って文句を言っていたくせに」
彼以外に誰もいない艦橋が途端に騒がしくなり、ラインハルトは顔を顰める。
だが、親友の不遜な態度にも何ら頓着しないエレオノーラは近くの席に腰を降ろしてスクリーンへ目をやるや、小馬鹿にした様に鼻を鳴らした。
「何だ大統領選挙の予備選を見てたの? 今日だったのねぇ。まぁ、この二週間はやたらと賑やかだったけれど、誰が選ばれても同じじゃないの?」
「おいおい。シラケて貰っては困るなエレン。誰が大統領になるかで、統合政府に対する我々の対応も変えざるを得ないのだからな」
ラインハルトに説教された彼女は、皮肉げに片頬を歪め肩を竦めて見せる。
「シラケもするわよ。あの騒動で銀河中に醜態を晒した挙句、民衆に突き上げられて大統領選を行ったまでは良かったけれど、最終候補二名を決める予備選挙が大衆に対する御機嫌取りに終始しているようではねぇ……誰が選ばれても私達に有利になるとは思えないんですけどぉ~?」
開いた口が塞がらないとでも言いたげに、おどけて見せる彼女の言葉を否定できないラインハルトも苦笑いするしかない。
最終的に各地区から選出された議員の投票で新大統領が選ばれる訳だが、その為の最終候補二名を民衆の投票で決めるのが予備選挙である。
現在、統合議会代議員は二千名に上っており、大小合わせて三十もの政党が乱立している状態だ。
総代議員数の実に六割を占める巨大与党が、バック前大統領失脚の余波で求心力を失い、民衆の厳しい批判を一身に浴びて独自候補の擁立を見送ったが為に選挙は大混乱の様相を呈している。
与党の圧倒的な支配力が雲散霧消した現在、弱小政党であっても、新大統領さえ輩出しさえすれば地球を含む太陽系の舵取りを左右する立場を得る絶好の機会なのだから、各党が選挙戦に血眼になるのも無理はなかった。
その為、擁立された新大統領候補は実に二十五名にも上り、耳障りの良い公約が派手に飛び交う選挙戦が繰り広げられたのである。
「銀河連邦内で失墜した地球統合政府の失地回復などそっちのけで候補者達が語ったのが、期限付きの税の免除? 低所得世帯への現金給付? これだけでも充分に笑えるのに、大型リゾート開発や、他の観光を生業にする星系国家への旅行資金の大幅な補助よ? 金をバラ撒いて選挙民の御機嫌を取るしか能がない人間に、何を期待すればいいのかしら?」
彼女が失笑する気持ちは分かるが、まるで喜劇のような選挙を一笑に付すわけにはいかない事情がラインハルトにもあった。
「言い分は尤もだがね、目下我々の最大の懸案事項は拠り所になる終の栖をどうするのかという事に尽きる。古い仕来りにより下賜された領地も、人間が生存できない星系では意味をなさないし、最悪の場合は、この太陽系内に間借りする可能性も選択肢の一つである以上、交渉相手のトップになる人間の去就に敏感になるのは、我々としては当然じゃないか?」
しかし、エレオノーラは不満顔で彼の言い分に対し否定的な意見を返す。
「銀河連邦の技術供与という恩恵を断たれた途端、各惑星の資源開発も儘ならなくなって干上がるしかないこの国に間借りする気なの? そんな脆弱な地盤に固執するようでは、銀河連邦の制度改革なんて夢のまた夢じゃないかしら? いっその事ランズベルグやファーレンの申し出を受けちゃえば良いじゃない」
貴族閥主導による銀河連邦評議会の猛反発を受け、本来与えられる筈だった領地を得られなかった白銀家に対し、内々に自国星系内の無人惑星を貸与しても良いという話が両国政府から提示されていたのだが……。
「それは達也が丁重にお断りしたよ。今回の件であの二国からは過分な厚情を賜っているからね。それに、我々を敵視している貴族閥からの批判が高まれば、如何に七聖国でも厄介な事になりかねない……それを達也は心配しているのさ」
エレンは落胆を隠そうともせずに溜息を吐いて嘆いた。
「ふう~~生真面目というか馬鹿正直というか……もう少し欲深くなってもいいでしょうに? 達也の力量に私達の未来も掛かっているんですからね?」
「ははは。真摯な姿勢がアイツの持ち味でもあるからね……そのお陰で我々を支援してくれる方々が絶えないのだから、責めるわけにもいかないさ」
「ふん……それで? 当の達也は何て言っているのよ?」
「近い中に下賜された星系の様子を視察して来ると言っていた……長年放置されていただけに、面白いものがあるんじゃないかと冗談半分に笑っていたよ。何を決めるにしても、その結果次第になるだろう」
「無駄足にならなきゃいいけれどねぇ。その呑気な伯爵様は何時アスピディスケ・ベースから御帰還なさるのよ? 銀河中心域への探査航海となれば乗艦はシルフィード一択でしょう? 準備の都合があるから早めに決めて欲しいんですけどね?」
エレオノーラは他意なく訊ねたのだが、返って来た言葉は彼女を驚倒させるには充分すぎる代物だった。
「もう十日ほどは掛かるかなぁ。ユリア君の安全を担保する為に、グランローデン帝国皇帝に話をつけて来るって言っていたからね」
「はあぁ~~っ! 何の冗談よそれは!?」
「アイツがこんな事で冗談を言う筈がないだろう? 可愛い娘の為に必死なんだよ達也も」
「ラインハルトッ! アンタねぇっ! 『自分にも娘がいるから分かる』みたいな顔をしているんじゃないわよ! 護衛も無しに敵の総帥に会うなんて正気の沙汰じゃないでしょうに!」
物凄い剣幕で詰め寄って来る親友を手で制したラインハルトは、苦笑いしながら言葉を重ねた。
「俺だって護衛をつけるように言ったさ。寧ろ、俺自身がついて行くともね。でも断られたよ……アイツなりに無事に会談できる勝算があるのだろう」
此処にも呑気な馬鹿野郎がいたと憤慨するエレオノーラが、更に非難しようとした時だった。
スクリーンに映し出されたキャスターが、大勢が判明した選挙結果について喋り始めた為、言葉を呑み込んだふたりは報道番組へと意識を向けたのである。




