第五十話 悲劇のその裏で ②
「ルドルフ大公陛下! 最早一刻の猶予もありませんぞッ! 可惜時間を浪費して手を拱いていては、我が皇国の威信が失墜するは必定!」
議場の自席から立ち上がって声を荒げる筆頭公爵ヴァンゲル・ヘルツォークが、高段の玉座に身を委ねる前皇王ルドルフに決断を促す。
近代的な皇都の建築物の中に在って一際古めかしい威容を誇る白亜の大議事堂は、専制君主制を敷くランズベルグ皇国の政治を司る象徴として国民からも親しまれている。
専制君主制とはいっても皇国のそれは立憲君主制に近く、皇王が最終的な決定権を持ちながらも、議員に選出された貴族との合議制で国家の運営が行われて来た。
しかし『始まりの七聖国』の一柱として、銀河連邦内でその地位を確固たるものにしてきた皇国も、現在は国家の存亡を左右する分岐点にあり、連日連夜に亘って喧々諤々の議論が繰り広げられている最中だ。
昨年末に行われた大祭に於いて、皇族を乗せた御座船が原因不明の爆沈を遂げ、皇太子並びに皇后、そして現皇王の血脈に列なる全ての子供達が犠牲になるという悲劇が勃発した。
随伴していた近衛艦隊は元より、多くの艦艇が投入されて懸命の捜索に当たったものの、結局、生存者は誰ひとりとして発見されず、この突然の悲劇に皇国全ての国民が悲嘆に暮れたのである。
しかし、それ以上に問題だったのは、皇后をはじめ寵姫と皇太子を含む子供らの全てを失ったレイモンド皇王がショックから床に臥せった事により、政治的空白が生まれてしまったという点だった。
不運としか言いようのない災厄に見舞われた王の心情を思えば致し方ないとはいえ、国家は一日たりとも主不在では成り立たない。
それ故にこの国難に際し、レイモンドの父である前皇王ルドルフが復権したのは至極当然の成り行きだった。
だが、この一ヶ月間というもの、眼前で繰り広げられる茶番劇を玉座から眺めていなければならない老公にしてみれば、厄介な役を押し付けられたとの思いは否めず、如何に忍耐強いルドルフも、いい加減辟易していたのである。
だから、この辺で三文芝居に幕を降ろすべく、道化を演じる男に問うたのだ。
「なるほど。卿の言う通り悲嘆に暮れてばかりもおれぬな……ならば、この難局を乗り切るには如何にすべきか、その妙案はあるのか?」
その下問を待ち侘びていたかのように、ヘルツォーク公爵は芝居がかった風情で両腕を拡げるや、臆面もなく言い放った。
「病の床に臥して御復帰の目途も立たぬレイモンド陛下に、これ以上の艱難辛苦を御背負い戴くのは余りにも惨く、臣下としては慚愧に堪えません。そこで陛下には御病気の治療に専念する為にも御退位いただき、皇族の血を引く者を後継に据えて皇国の立て直しを図るしかないと愚考する次第であります」
(その後継とは其方なのであろう? はっきりとそう口にすれば、まだ可愛げが あるものを……)
卑しい笑みを浮かべた公爵が拡げる両腕は、議場の議員席を指し示しており、 それはこの場の全ての議員達が自分の意見に賛同しているのだ、という意志表示に他ならない。
玉座と演壇を要として扇状に拡がる議場の席を埋める貴族らを見廻せば、如何にも後ろめたげな表情で顔を逸らす者達が散見される。
現皇王家の系譜が絶えるのが確実となった以上、沈む船に乗り続ける馬鹿はいない……そう言う事かと納得しながらも、一抹の寂寥感を禁じ得ない老公だった。
彼らの決断を責めるわけにはいかないが、それでもルドルフは自身の不甲斐なさと併せ、皇国貴族の凋落を嘆かずにはいられなかったのである。
(虚しいものよ……しかし、それは私を含む歴代皇王の至らなさが招いた結果でもある……やはり諸共に滅ぶが相応しかろうよ)
やりきれない想いを懐くルドルフは、その悲嘆を胸の中に押しやるや、淡々とした表情のまま貴族らの総意とやらを受け入れた。
「よかろう。ヘルツォーク卿の言は尤もであろう。気鬱のレイモンドに判断はつくまいから、余の権限に於いて皇王の座から退位させるとしよう……尚、皆で衆議を重ねた上で、後継者をすみやかに選出して報告せよ」
歴史的と評しても差し支えのないその決断に貴族らは興奮を露にし、彼らの熱気と高揚感が議場を満たしていく。
そんな愚昧で滑稽極まる臣下へ冷めた視線を投げるルドルフは、変遷する祖国の行く末を想って嘆息せずにはいられなかった。
(精々束の間の夢を楽しむがよい……所詮は我も汝らも、新しき時代の贄に過ぎぬのだからな……)
内心でそう嘯きながら玉座を立ったルドルフは、喧騒に呑まれゆく嘗ての臣下らに背を向けて議場を後にしたのである。
◇◆◇◆◇
「まったく。とんだ貧乏くじを引かされたものだ。それに引き換えレイモンドよ。其方は日がな一日ベッドの上で寛いでいられて良い身分だな?」
騒然とする議場を後にしたルドルフはその足で皇宮に戻るや、レイモンド皇王が臥せっている私室へと赴き、開口一番で嫌味を零した。
現在皇王が住まう皇宮の一角は閑散としており、世話役として傍に侍っているのは、彼が皇太子だった頃から仕えて来た老侍従と数人の女官だけである。
皇王家に対する忠誠心の塊である彼らはレイモンドの真の状態を知っており、悲嘆に暮れる近習を完璧に演じ、事態の隠蔽に大きく貢献していた。
それ故に今の皇国にあってこの空間だけは、煩わしい演技を必要としない唯一の憩いの場だともいえる。
だからこそ、ルドルフも明け透けな物言いで室内にいるふたりを詰ったのだ。
「その言い様は少々酷くはありませんか? そもそもが『欲深な連中の相手は儂に任せて、おまえは寝ていろ』と嬉々として仰られたのは父上ではありませんか」
父からの非難に苦笑いしながら反論するレイモンドがいるのはベッドではなく、部屋の中央に設えられた木製の高級円卓だった。
その横の席にはガリュードが、これまた気持ちが良いくらいの笑みと共に寛いでいる。
「老いて皇王位を譲って隠棲したにも拘わらず、まだまだ生臭さが抜けぬようだな? ルーよ」
兄の揶揄う様な物言いに憮然とするルドルフが空いた席に腰を下ろすや、老侍従と女官が厳かに茶器を整えていく。
その用意が終わって彼らが退出するまで、三人は黙して語ろうとはしなかった。
恭しく一礼した侍従が重厚な扉を閉めるや否や、それを待ち兼ねたガリュードが口火を切る。
「それで? 本会議は如何なる仕儀になった?」
「全ては達也の目論見通りに……栄えある皇国の凋落など、私如き凡愚には想像もできませんでしたが、驚くほどに呆気ないものでしたよ……それにしても兄上。『生臭い』とは心外なっ! 本来ならば皇王たる私の責務は、長子たる兄上こそが負うべきものだった筈……」
ルドルフは鼻を鳴らしてそう告げるや、老いて尚精悍な兄に不満をぶつけた。
弟の恨めしげな視線に、ガリュードは慌てて表情を取り繕って咳払いひとつ。
「今更大昔の話を持ち出すな。そもそも武闘派で粗野な性格の儂に王など無理だと言ったのは死んだ父上ではないか。何事も慎重で思慮深いおまえが皇王位を継承したのは、当時の重臣達の願いでもあったしな」
「そうやって、然も美談の如く物語を捏造するのは兄上の悪い癖ですぞっ!」
毎度毎度、顔を会わせるたびに交わされる仲良し兄弟の社交辞令。
父と伯父が繰り広げるコミュニケーションという名の愚痴合戦に付き合わされるレイモンドは、苦笑いしながらも脱線した会話を元に戻すべく口を挟んだ。
「まあまあ……父上も伯父上もそれ位で……」
ふたりにとっては実の息子と甥であるレイモンドだが、現皇王陛下の言葉ともなれば無視する訳にもいかず、漸く矛を収めて表情を改めた。
「父上。達也の目論見通りと仰いましたが、次期皇王はヘルツォークで決まりですか?」
「ふん。まあ間違いあるまいよ。既に国務大臣や外務大臣と気脈を通じている様でな。皇王位の禅譲を迫る台詞にも自信が満ちておったわ……他の貴族連中も次期政権下でのポストを約束されておるのだろう」
後ろめたい表情で目を逸らした貴族達の姿を思い出したのか、ルドルフは虚しい胸の中で、そっと溜息を零した。
「銀河連邦の貴族閥がその野心を露にし、同じ七聖国のファーレンまでもが理不尽な仕打ちを受けたのだ……我が身かわいさに保身に走るのも致し方あるまい」
弟の心中を慮ったガリュードが慰めるかの様に言えば、レイモンドも頷きながら同調する。
「そうですとも、父上……ですが、彼らばかりを責める訳にはいかないとはいえ、愚かにも我欲に目が眩んだのは事実。その選択が自身を滅ぼすとは、誰も気づきもしない……本当に恐ろしい男ですね……達也は」
その台詞には老兄弟も同意して頷くしかなかった。
『新嘗の大祭』に於ける不幸な事故を始まりとした一連の流れは、達也の進言によって計画された謀略に他ならない。
ランズベルグを敵視する貴族閥が強硬手段に打って出る前に、安全なセレーネ星へ皇族を避難させる。
その為のカムフラージュとして事故をでっち上げ、皇族全員が死亡したと装い、モナルキア派や内通する国内の敵対勢力の目を欺いたのだ。
その上でショックで病に臥せるレイモンド皇王が皇王位を禅譲すると宣言すれば、野心を懐く連中の親玉が浮かれて正体を現すだろう……。
そう予見した達也の思惑通りに事態は推移している。
『まずは目先の危険を回避し、皇王家の御方々と国民の生命財産を護る為に、今は耐え忍んで戴きたい……』
そう懇願する達也の言を皇王も皇后も、そしてアナスタシアも受け入れたのだ。
計画はほぼ達成されつつあると言っても過言ではなく、その卓越した戦略眼に、彼らは改めて感嘆せざるを得なかったのである。
「皇王位をヘルツォークに譲りさえすれば、銀河連邦も強引な武力侵攻を行う理由を失いますからね。それによってセーラと国民を戦火に曝さずに済むのであれば、玉座など惜しくもありません」
レイモンドはそう言うや、表情を和らげて安堵の吐息を漏らす。
「確かに一石二鳥の妙手よ……己の息の掛かった者が皇王になれば意の儘に操れると有頂天になるのが人の常だ。さしものモナルキアも油断するであろうからな……国民の命が危険に晒されるのを避け、陰に隠れていた敵を炙りだすか……確かに、レイモンドの言う通り恐い男だ」
感嘆したかの様にルドルフまでが唸るので、達也の上官だったガリュードとしては苦笑いするしかなかった。
「確かに恐ろしい男だよ……儂も長く戦場で生きて来たが、達也だけは敵に廻したくはないと何度も思ったものさ。傍で見ていて、まるで勝てる気がせんからな」
そう言って肩を竦めたガリュードに、ルドルフとレイモンドも苦笑いを返すしかない。
兎にも角にもこの日、栄えある七聖国の一柱であるランズベルグ皇国は、新しき皇王を選出するべく動き出した。
しかし、そこには歓喜はなく、得体の知れない焦燥と不安が国民の心に暗い影を落としたのである。
為すべき事を終えた三人が安堵した瞬間、フロアーの入り口に待機している侍従から連絡が入った。
『陛下。シャリテ・サジテール様が拝謁を賜りたいと仰られておりますが、如何いたしましょうか?』
来訪者の名を聞いた三名の顔に一様に憂慮の色が浮かぶ。
そして、彼らの心情を如実に表す一言をガリュードが漏らしたのである。
「そうか、まだ彼女の処遇が片付いていなかったなぁ……あれも頑固者だから……さてさて、どうやって納得させたものやら」




