第四十六話 コンバット・オープン! ①
方針が決まるや否や、梁山泊軍は救出作戦決行に向けて走り出す。
そして僅か半月後には、作戦実行艦隊の出撃準備を完了させるに至った。
ラインハルトは再度ヴェールトに赴き、円滑に作戦を進める為の下準備を行うべく、現地で情報収集の任にあたるクラウスと共に既にセレーネを発っている。
軽護衛艦クラスのイ号潜を隠密裏に着陸させ、避難民を迅速に収容し、短時間で離脱を果たすというのが今回の作戦の骨子だ。
口で言うほど簡単ではないが、ラインハルトならば必ず成し遂げてくれると達也は信じて疑ってはいない。
また、クラウスにはヴェールトでの任務を終えた後、東部方面域で燻ぶっている退役軍人達を勧誘して欲しいとも要請してある。
指揮官経験者や練達の兵士たちを獲得できるか否かは、今後の梁山泊軍の命運を左右する重要なファクターだと言っても過言ではない。
一人でも多くの人材を確保したい……それは達也の切なる願望だった。
海賊のアジトを攻略する急襲部隊主力の指揮は志保に一任されており、ラルフら航空隊の面々がその支援に廻ると決まっている。
出撃までの短い時間を入念な打ち合わせと、実戦宛らの激しい訓練に明け暮れる空間機兵団の面々は、総じて旺盛な士気を堅持していた。
それは、この部隊のメンバーの大半がアルカディーナの獣人達で構成されているからこそであり、不遇な同胞を救出するという目的意識が、彼らの使命感と熱意を弥が上にも高めているのだ。
既に先遣部隊はヴェールトで活動を開始しており、計画通りならば間もなく段取りが完了する頃だった。
志保ら空間機兵団も出撃を明朝に控え、彼女達に遅れること半日後、陽動作戦を指揮する達也の乗艦と、五十隻のイ号潜で編成された救出艦隊が出撃する手筈になっている。
各々の艦隊は作戦のタイムスケジュールに従い、それぞれの役割を全うするべく隠密行動を義務付けられており、通信による部隊間の連絡は許されてはいない。
作戦中に生じる、ありとあらゆるイレギュラーを指揮官と部隊の力量で克服し、望む結果を掌中のものにする。
それが作戦参加者に課せられた使命であり、成し遂げるべき必須の事案でもあるのだ。
何はともあれ、動乱の時代へと梁山泊軍は舵を切ったのである。
◇◆◇◆◇
「やあ~~んっ! ほっぺたぷにぷにしてて可愛いわぁ~~」
爽やかな夏の日の午後。
出撃を明日早朝に控えた志保は、緊張感の欠片もない奇声を上げながら、白銀家のリビングでデレていた。
だらしなくも思いっきり相好を崩し、その腕に抱いている赤ん坊の柔らかい頬を突いては、お気に入りのアイドルを偶然発見したJKの如く燥いでいる。
作戦前の準備を全て完了させた志保は、部隊として初めて臨む実戦を前にして、一日だけだが配下の団員達へ休養を与えていた。
たとえ万全を期したとしても、実弾飛び交う戦場では何が起こるか分からないのだから、万が一の時に悔いを残さない様に家族の下で作戦前の時間を過ごせとの、彼女なりの気遣いだったのだが……。
「それで? そう言った本人が、こんな所で他所様の赤ちゃん抱いて奇声を上げているなんて、どうなのよ?」
如何にも呆れましたと言わんばかりのエレオノーラが問えば、眉根を寄せて表情を曇らせるクレアも、腐れ縁の相方へ促す。
「美緒小母さまも寂しがっているわよ? こんな所で油を売ってないで、早く帰って安心させてあげればいいのに」
今回の作戦では留守居役という貧乏くじを引かされたエレオノーラが、憂さ晴らしをしようと白銀邸を襲撃したのが全ての始まりだった。
蒼也相手に至福の一時を満喫しようと目論んだのだが、その癒しのひと時を志保に奪われたのだから、憤慨して嫌味の一つも口にするのは無理もないだろう。
だが、母親の名前を出された志保が露骨に不貞腐れた顔をし、唇を尖らせて愚痴を零すものだから、クレアもエレオノーラも小首を傾げてしまった。
「寂しい? ハンッ! 残念でしたぁ! 最近は不肖の馬鹿娘に見切りをつけたらしくてね、他所様の娘ばかり猫可愛がりしてるのよ? だから、私が蒼也ちゃんを可愛がっていても、全然ッ! 全くッ! おかしくはないのよっ!」
最近母親の愛情が益々アイラに傾倒する一方で、実の娘である自分へのぞんざいな対応に大いなる疑問を懐いた志保は、現在ささやかな反抗の真っ最中なのだ。
だが、捨て鉢な物言いで憤る志保を弄る気満々のエレオノーラは、そんな事情など知った事ではないと言わんばかりに呵々大笑して揶揄した。
「何よ志保ぉ! 妹分にヤキモチ焼いてるのかしら?『大好きなお母様を盗られてお姉ちゃん悲ピー』という訳なのねぇっ! いやぁ~~アンタも意外に可愛い所があるじゃない。見直したわぁ」
その言い種が癇に障ったが、これまでの付き合いの中で、この面の皮が厚い悪友に反論するのは悪手だと、志保は嫌になるほど思い知らされている。
なまじ頭が切れるだけに口論では絶対に勝てないのだ。
だから、悔しさに歯噛みするしかない彼女は、澄まし顔のエレオノーラを睨みつけてから、如何にも自分は悲劇の主人公だと言わんばかりの仕種で嘆いて見せた。
しかし、その相手は彼女の腕に抱かれている幼気な赤ん坊なのだから、クレアやエレオノーラにしてみれば、唯々呆れるしかないというのが偽らざる本音だ。
「蒼也ちゃぁ──ん! 性格の悪いオバサン達が志保を虐めるのぉぉ! ねっ? ねぇっ!? 私かわいそうだよね? 蒼也ちゃんは私の味方だよね!?」
((……被害妄想を拗らせたカワイコブリッコか? アンタは))
あまりに見苦しい親友の為体に辟易しながらも、思わず心の中でツッコミを入れる二人。
しかし、母親らの慨嘆とは裏腹に、志保の愚痴の最大の被害者である筈の蒼也は『キャッキャッ』と笑みを浮かべて歓声を上げるものだから始末に悪い。
普通の赤子ならば、騒々しい雰囲気に負けて大泣きしそうなものなのに、喜びを露にするなんて……。
母親として息子の将来に一抹の不安を禁じ得ないクレアだった。
「あ~~ん! 蒼也ちゃんは本っ当にっ好い男になるわぁぁ! もう私はアナタに身も心も奉げちゃうッ! これからは鬼ママに虐待されたら私に言うのよ? 志保お姉さんが守って、ア・ゲ・ル!」
味方をして貰えたと勝手に解釈した志保は、調子に乗った挙句に不穏当な世迷い事を口走ったが、鬼認定されて眦を吊り上げたクレアから強引に蒼也を奪い返されてしまう。
然も、小言のオマケつきときたものだ。
「蒼也に変な事を教えないで頂戴! 大体ねぇ志保。あなたが何時までもフラフラしているから、美緒小母さまも心配するのよ? いい加減に結婚して落ち着きなさいよ」
その説教に呆れた声を上げたのは、他ならぬ志保本人だ。
『なに言ってんのコイツ?』という心の声が駄々洩れしている顔で、何故か得意げに宣うのだった。
「クレア……アンタもう痴呆症が始まったの? 結婚するには相手が必要なのよ? 旦那さんになってくれる相手がね。寂しい独り者の私に一体全体どうしろと言うのかな?」
凡そ胸を張れる事ではないが、その言い種に何処かやけっぱちの匂いがするものだから、クレアも二の句が継げられない。
しかし、口煩い親友をやり込めた志保だったが、別方向からカウンターパンチを喰らった事で、事態は一気に急展開を見せる。
「あら? 志保。あんた、ラルフの旦那と熱烈交際してるんじゃないの?」
「…………はああぁぁッッ!???」
一瞬、何を言われたのか理解しかねた志保だったが、その問い掛けの意味が脳に染み入るや、間抜け面を晒して素っ頓狂な叫び声を上げてしまった。
だが、相手が呆然自失状態の親友であっても、有能な軍人であるエレオノーラは追撃の手を緩めない。
然も、ニマニマと意地の悪い笑みで美しい顔を飾っているだけに、尚更悪質だと傍で見ているクレアは嘆息せざるを得なかった。
「地球を脱出して私達と合流するまでに、ラルフの旦那と色々と艶々のストーリーがあったそうじゃない? 各艦の艦長たちやパイロット連中の間では、どっちからプロポーズするかで賭けが行われているわよ」
己の与り知らぬ間に想定外の事態が展開しているのを知って愕然とする志保は、目の玉をひん剥いた変顔で口をパクパクさせるしかない。
まさか、自分が道化にされ、面白可笑しい賭博のネタにされているなんて……。
凡そ年頃の女性らしからぬ醜態を晒しているのを棚上げした彼女は、突き付けられた緊急事態に悩乱して必死に逃げ道を探す。
(私が赤髭と? ないっ! ないっ! ある訳がないじゃないッ!)
頑固一徹の赤髭達磨の顔が脳裏に浮かび、ほんの一瞬だけ胸にチクリとした痛みが走ったのを自覚するが、全力で頭を振って妄執を否定した志保はエレオノーラへ食って掛かった。
「ちょっとエレン! 無責任な噂を吹聴しないでよ! 私があの赤髭達磨と結婚っ?? ないわぁ──っ! ありえないわッ! 私は理想主義者なのっ! 将来の旦那様はイケメン一択! あんな滑稽な小男は端からアウトオブ眼中なのよッ!」
その物凄い剣幕に顔を引き攣らせたエレオノーラは、上体を仰け反らせながらも苦笑いするしかない。
相手が反論しないのをチャンスとばかりに、志保は自己弁護に狂奔する。
「あんなデリカシーの欠片も持ち合わせていないセクハラサンタなんか、私の方で願い下げなんだからね! これ以上根も葉もないデマを吹聴する気なら名誉棄損で訴えるから! そのつもりでいなさいよッ!」
鼻息も荒く捲し立てる親友の物言いに呆れながらも、エレオノーラは半眼で睨み返して不満を漏らす。
「思いっきりラルフの旦那を誹謗中傷しておいて、名誉棄損もないでしょうが? 大体ねぇ。この話の出所は私じゃないからね」
そう言った彼女は、現状蚊帳の外に置かれている人物に視線をやって、その者にとって都合の悪い真実を暴露した。
「そもそもが、アンタ達の結婚説を広めたのはクレアだからね。ラルフの旦那とのやり取りでアンタが泣きべそかいたり、オトコマエの啖呵をきったりしている交信データーを、部下達とのお茶会でおつまみ代わりにしていたのもクレアだし」
最初から秘密を暴露する気満々のエレオノーラは講談師宛らの熱弁を揮う。
「今や士官や下士官を問わず、飲み会の鉄板ネタとして話題沸騰中よ、あんた達。何と言ってもクレアの功績よね。彼方此方に顔を出しては吹聴して廻っているんだもの『今一番ホットなふたり』……だって!」
それを聞いた志保の顔から一切の感情と色素が抜け落ちていく。
「クレアぁぁ……」
虚ろであるにも拘わらず、怒りの炎を宿した視線で睨め付けた先には、冷や汗を流しながらも聖女の微笑みを浮かべる竜母様がいる。
「さ、さあっ! 蒼也ちゃん。お乳の時間ね。それにお昼寝もしなきゃいけないから、向こうの静かなお部屋に行きましょうねぇ~。ハイッ! オバちゃん達に! バイバイ~~!」
一気呵成にそう宣い席を立って逃げ出すクレアの背中に、憐れな腐れ縁の罵声が叩きつけられるのだった。
「巫山戯んじゃないわよッ! ちょっと此処に来て正座しなさいッ! 今日という今日は絶対に許さないからねぇぇ──ッッ!」
◇◆◇◆◇
我が家で面白騒動が勃発しているとは思いもしない達也は、衛星ニーニャにあるヒルデガルドのラボを訪れていた。
「なんだい、出撃前の忙しい時間に? クレア君や子供達への別れは済ませて来たのかい?」
新型補助艦艇の設計に没頭していたヒルデガルドは、図面が表示されたモニターから顔を上げ、怪訝な表情で問う。
司令官ともなれば御用繁多で、他のメンバーの様に休んでもいられないのは重々承知しており、ましてや梁山泊軍の主戦力たる新型護衛艦の建造が順調な今、自分の下を訪れる理由はない筈なのだが……。
「ええ、既に昨夜済ませましたよ。最近では友達と遊ぶのが楽しくて仕方がないのか、以前のように駄々を捏ねなくなったのですが、子供達の成長が嬉しいやら悲しいやらで複雑な心境ですよ」
そんな呑気な返事が返って来て、思わず苦笑いしたヒルデガルドだったが、次に達也が切り出した話を聞くや、目を丸くして驚きを露にするしかなかった。
「本気で言っているのかい? あれは君自身が忌避した代物じゃないか?」
絶句する彼女を尻目に、達也は憂いを帯びた眼差しで静かに言葉を紡ぐ。
「万が一の為の保険です……不思議な因縁と言うのか……発端となったあの事件が未だに尾を引いている様に思えてならないのです。ユリアの件もありますので……最悪の場合を想定して開発をお願いしたいのですが?」
その真剣な物言いに、ヒルデガルドは腕組みをして唸るしかなかったのである。




