第二話 大っ嫌いっ! ④
「うぅ……んっ……お父さまぁぁ……」
あどけない寝顔のユリアが微かに身動ぎする。
父親の二の腕を枕代わりにし、華奢な身体をその腕に委ねて静かな寝息をたてる愛娘へ、達也は優しい眼差しを向けていた。
良い夢でも見ているのか、幸せそうな笑みを浮かべており、そんな彼女を心から愛しいと思う。
(強がってはいても、やはり疲れていたんだな……)
幼気な寝顔に掛かる髪の毛をそっと直してやる達也だったが、甘酸っぱい切なさに胸を衝かれ、何れは訪れるであろう未来を想って感傷に浸る。
(見た目は幼いが本来ならばこの娘は十五歳だ……宿主の精神が成長するのに合わせてアバターも変化するそうだから、直ぐに大人になってしまうのだろうなぁ)
柄にもなくセンチになっている自分に気づき、らしくもないと苦笑いして左右に軽く頭を振った。
兎にも角にも、ユリアの未来を確保するには、父親であるザイツフェルト皇帝に直談判し、彼女の身の安全を担保させる必要がある。
そして、可能な限り穏便な話し合いで、皇帝からの譲歩を引き出さねばならないのだ。
ユリアは半ば無理だと思っているようだが、勝算はあると達也は確信していた。
それは、彼女の母親の願いを聞き入れた皇帝が、十年という時間を確約し、その間は何人たりとも手出しを許さなかったという事実が、彼の心情を雄弁に物語っているのではないかと思ったからだ。
(プライベート客船に乗せて貰ったお陰で一日早く……今日の夜にはバンドレットに到着する。会談は明日になるが、どの様な趣向を凝らしてくるか? それ次第で皇帝の器量も知れるというものだ)
結局の所ぶっつけ本番で交渉をするしかないのだが、ユリアに危害を加える者には教団の刺客と同じ末路を辿らせてやる、と此方の決意を伝えるだけでも、意義のある会談になる筈だと達也は思っている。
そんな事を考えていると、懐に収まっている愛娘が、微かに両の瞳を瞬かせているのに気付いた達也は、表情を綻ばせて柔らかい声音で語り掛けた。
「御目覚めかな?……気分はどうだい。眠り姫さま?」
我ながらキザな物言いだと呆れながらも、愛情に不慣れな娘が照れる様子見たさに精一杯恰好をつけてみたのだが……。
「おはようございます。お父さま! とても好い夢が見られました」
はにかみながらも、幸せそうな顔を摺り寄せて来る娘の愛らしさに、無様にも脂下がるという醜態を晒してしまい、自分で自分に呆れるしかなかった。
その後ベッドを出て顔を洗い、身支度を整えた頃。
見計らったかのように朝食の準備ができたとのアナウンスが入り、準備を終えたユリアは部屋を出ようとしたが、達也に呼び止められて何事かと小首を傾げた。
「今日の夕方過ぎにはバンドレットに到着するだろう。それまでにジュリアン君と仲直りしておくんだよ」
敬愛する父親の言葉ではあるが、昨日の彼の様子を思い出せば憂鬱な気分にならざるを得ず、ユリアは思わず口籠ってしまう。
「でもあの子は……」
拒絶しようとしたが、優しく頭を撫でられてしまえば、それもできなくなる。
「『袖振り合うも多生の縁』、と言うだろう? 最初の印象だけでその人の全てを分かった気になるのは損だよ。ユリアが僕ら家族を大切に想ってくれるのは嬉しいが、それを理由にして他者を排斥するのは間違っている。父親としては改めて欲しい点だね」
聡い少女は父の言葉を理解し、躊躇いながらも小さく頷いた。
「分かりました……気は進みませんがお父さまがそう仰るなら……私から謝っておきます」
「ありがとう。やはりユリアは自慢の娘だよ……それから、もう一つだけ頼みがある。僕の杞憂であれば良いのだが、恐らくは厄介事が夕方前には起こるだろう……万が一の時はジュリアン君を護ってやってくれ」
唐突に物騒な話を告げられたユリアは驚いて目を丸くしたのだが、具体的な内容を問うても言を左右してはぐらかされてしまい、仕方なくそれ以上の詮索を諦め、父親の願いを了承したのである。
◇◆◇◆◇
朝食を終えたユリアは、昨日ジュリアンと口論した応接室で読書をしながら時間を過ごしていた。
父親の言いつけとはいえ、自分から頭を下げるのには幾ばくかの抵抗があったのだが、幸いにもジュリアンは自室に籠っている様で、今に至るまで彼とは顔を会わせていない。
しかし、自分の方から部屋を訪ねて謝罪する気にはなれず、漫然とお気に入りの本に視線を落としていたのだが、父が懸念していた厄介事とやらも起きる様子はなく、ユリアは少々肩透かしを食った気分だった。
その達也も今はこの場にはおらず、専用通信が入ったと知らせに来た船員に案内されて艦橋へと向かった後だ。
すると不意に応接室のドアが開いたかと思えば、懸案の相手であるジュリアンが姿を見せたのである。
気まずい心の中を鉄壁の澄まし顔で装うユリアだったが、ひどく思い詰めた顔をした彼が傍まで近づいて来たものだから、思わず身構えてしまう。
しかし、眼前に立っておきながら、躊躇う様な素振りで一向に喋ろうとはしない相手に業を煮やしたユリアは、早々に観念して自分から話し掛けた。
尤も少々苛立っていた所為もあり、口から飛び出た言葉は、挑発的で刺々しいものになってしまったのだが……。
「何か私に用かしら? 昨日の口論の続きをする気なら……」
「ちっ、違うんだっ! そ、その……昨日は失礼な事を言って本当に悪かった……どうか許して欲しい」
驚いた事にユリアの言葉に間髪入れずに反応したジュリアンは、深々と頭を下げて謝罪の言葉を口にしたのだ。
その想定外の出来事に面食らった少女は、不躾だと思いながらもマジマジと彼の顔を見つめてしまった。
幼稚で傲慢だと思っていた彼の変貌ぶりを目の当たりにして困惑するユリア。
しかし、直ぐに我に返った彼女は、意地を張って素直に謝ろうとしなかった自身の負い目もあって、渋々ながらも謝罪の言葉を返した。
「そんなに畏まって謝る必要はないわ。言い過ぎたのはお互い様だし、私も腹立ち紛れにひどい言葉で貴方を傷つけてしまった……本当にごめんなさい」
その言葉にホッとしたのか、思い詰めていた少年の表情が緩んで笑顔に変わる。
(そんな顔をしていれば、年相応に可愛げがあるのにね……)
胸の中で呟いた失礼な感想などはおくびにも出さず、ユリアは長ソファーの隣の席を彼に勧める。
昨日とは打って変わって殊勝な態度を見せるジュリアンは、執事然とした仕種で自ら紅茶を用意してユリアの前に置くと、遠慮がちに彼女の隣に腰を降ろす。
まだまだ幼い彼らにとってふたりだけの空間は少々気詰まりであり、少年と少女はそれを誤魔化す為にぽつりぽつりと会話を交わし始めた。
「ロックモンド財閥は僕の曾祖父と祖父が、仲間達と共に築き上げた新興勢力だから……世間には『成り上がりの山師集団』と陰口を叩く連中も大勢いるんだ」
何処か懐かしむかの様に語る少年の表情からは、微かだが誇らしげな風情が見て取れる。
「でも……小さな個人商店を現在の大財閥に育てた功績は誰にも否定できない……時代の潮目を読んで、時には敢然と博打を打って、法に触れるかどうかギリギリの荒事を切り抜け今日の財を成したんだ。僕にとって曾祖父と祖父は英雄以外の何者でもないのさ」
「そう……貴方にも誇れる御家族が居たのね。でも昨日は何故あんな事を?」
「残念だけれど尊敬できるのは祖父の代まででね……父や同世代の親族は生まれながらのセレブだった所為もあって、その恩恵を享受するだけの穀潰しでしかなかったのさ。その事に絶望した祖父は、生まれて間もない僕を両親から引き離して手元に置くや、徹底的な英才教育を施したんだ」
諦念の滲んだ表情で乾いた含み笑いを漏らすジュリアンの告白に、自分の過去を重ね見たユリアは、寂寞の情を禁じ得なかった。
「十歳になった時に祖父が病気で亡くなった……遺言で財閥の全てを継承させられた僕は、不安で、恐ろしくて震えていたよ。なのに十年振りに再会した……いや、物心がついて以来初めて顔を合わせた両親は、実の息子を『総帥』と呼んで片膝をつき、卑しい愛想笑いを向けて来たんだ。それ以降彼らが会いに来るのは金を無心する時だけさ」
彼の独白には遣る瀬ない想いを懐かずにはおれず、ユリアは微かな溜息を漏らしてしまう。
彼の境遇を思えば、家族という存在に絶望して自暴自棄になっても不思議ではないし、知らなかったとはいえ、事情も聴かずにひどい言葉を投げつけた己の浅慮を恥じる他はなかった。
「ごめんなさい……そんな事情があったとは知らずに、昨日は本当に無神経な事を言ってしまったわ。謝ったからといって許されるものではないでしょうけれど」
痛苦に満ちた表情で謝罪する少女を頭を左右に振って押し留めたジュリアンは、悔恨の情を滲ませた言葉を返す。
「それは違う! 昨日別れた後、僕は改めて君に関する調査報告書に目を通したんだ。事の真相は調査不能となっていて知る由もなかったが、末席に近いとはいえ、帝室の姫君が忽然と消息を絶つというのはどう考えても異常だし、僕には窺い知る由もない何かがあった……そう気付いたんだ」
一旦言葉を切った少年が、再び深々と頭を下げた。
「僕の浅はかな妄言の所為で、君に不愉快な思いをさせた事を謝罪させて欲しい。今の君が幸せだというのは、白銀提督とのやり取りを見ていれば分かるのにね……たぶん嫉妬したんだと思う……僕にはもう縁のないものだから」
謝罪し顔を上げたジュリアンの表情には、強い徒労感が滲んでいるようにユリアには見えた。
だから、余計なお節介ではないかと逡巡しながらも、今の自分が拠り所にしている大切な想いを伝えたのだ。
「私はね……今更過去を蒸し返されても痛痒にも感じないわ。今は、お父様や素晴らしい家族に恵まれているもの。でも、それは貴方だって同じじゃないかしら? 家族は新しく作り増やせばいいのだし、貴方の知らない親族や、疎遠になっている兄弟の中には、貴方を慕う人だっているかも知れないじゃない? どんな苦境にあっても決して諦めない……御爺様達はそう教えて下さらなかったの?」
目の前の少女が淡く優しい微笑みを浮かべて諭してくれる。
然も、その耳障りの良い声で初めて名前を呼ばれたジュリアンは、心の中に温かい何かが流れ込んで来たような感覚に陶然となり、言葉を失ったままユリアの顔を見つめ返す他はなかった。
「なっ、なによ……そんな間抜け面で見つめないでくれるかしら?」
説教めいた台詞を口にしたユリアは、自分らしくもないと照れてしまい、それを誤魔化そうとして殊更に不愛想を装ってしまう。
その言葉で我に返ったジュリアンは、弾かれた様に少女に詰め寄って懇願した。
「名前を呼んでくれて嬉しいよ! だったら僕にも君を名前で呼ばせては貰えないかい? ユリア」
「許す前に呼んでいるじゃないの。もうっ……まぁいいわ。勿体ぶるような名前でもないしね。でも、私の方がお姉さんだから、名前の後に《さん》をつけるのよ。いいわね?」
「えぇ~? どうして君の方がお姉さんなのさ? 同い年の筈だろう? 大体さぁ君は見た目は随分と幼いよ? 自覚はないのかい?」
言い分が真っ向から対立して睨み合うが、しかめっ面を続けるのは無理だったらしく、直ぐに表情を綻ばせたふたりは、どちらからともなく笑み崩れた。
(取り敢えずはお父様の言い付け通り仲直りはできたのかな……)
達也の言いつけを果たせたと安堵するユリアだったが、そこでもう一つの懸念が現実のものになる。
和解を果たしたふたりの間には和やかな空気が流れたが、それは、前触れもなく開いたドアから乱入して来た複数の男達によって台無しにされてしまうのだった。
その不躾な乱入者はこの船の乗員達であり、彼らはサブマシンガンやハンドガンで武装し、その銃口を躊躇わずに雇い主であるジュリアンと居合わせた少女に向けたのだ。
然も暴漢達の先頭に立つのはラッセル・グーンに他ならず、嗜虐的な笑みを口元に浮かべ、冷淡な視線でジュリアンを睥睨しているではないか。
「いったい何の真似だっ! 客人に対して無礼は許さないぞラッセル!」
状況が分からず混乱するジュリアンだったが、咄嗟に立ち上がるや鈍く光る銃口の前に身を投げ出してユリアを庇った。
その少年の勇気を目の当りにして一番驚いたのは他でもないユリアだ。
(へぇ~~男らしいところもあるのね……見直したわよ。ジュリアン)
一応は礼を言おうとしたユリアだったが、それは口角を吊り上げて下品な笑みを浮かべるラッセルの挑発によって遮られてしまう。
「我々の標的は貴方ですよジュリアン。その少女と父親は巻き添えを食った不運な旅行者に過ぎないのさ。薄々は気付いているのでしょう? 御両親をはじめ多くの親族が貴方を疎ましく思っているのを?」
一番聞きたくない現実を突き付けられたジュリアンの心が軋む。
もしも、この場にユリアが居なければ、自暴自棄になって無様に怒鳴り散らしていたかもしれない。
しかし、ジュリアン・ロックモンドがそんな情けない男だと、背に庇った少女に思われるのだけは嫌だった。
だから、何が何でも最後まで足掻こうと決意を強くしたのだ。
時間さえ稼げば、誰か他の人間が救援に来てくれる……そう信じて。
「幸い三年間も完璧に貴方の影武者を務めて来た私を偽物と見抜ける者は居ませんからな……貴方を始末し、私が本物のジュリアンになるのです。そうすれば財閥の実権を握るなど容易いでしょう?」
「馬鹿なっ! 僕のこの道楽を知っている執行役員や重役は多い。おまえの戯言を真に受ける筈がないだろう? それとも、彼らも全て始末する気か?」
「おやおや……【鬼才】と異名を取る貴方らしくもない。彼らは貴方の父上や叔父上らの説得で全員こちら側に寝返っていますよ。生意気なお子様に顎でこき使われるのは真っ平だそうです」
「くっ! 僕を廃してどうやって財閥を運営していくつもりだ? 御爺様達に見限られた無能者に代わりが務まるとでも思っているのかっ?」
信頼していた重役たちの裏切りを知らされ激昂したジュリアンが声を荒げると、ラッセルは小馬鹿にしたかの様に両肩を竦めて醜く口元を歪めた。
「そんな面倒なことをする気はありませんよ……財閥など全て解体して叩き売ればよろしい。見切り値で処分したとしても天文学的な売却益が出るでしょう。貴方の御両親も親族の方々も、全員で山分けを了承していますから楽なものです……諦めなさい。今の貴方に逆転の妙手は何も残されてはいないのですから」
身内である両親や親族の馬鹿さ加減を思い知らされたジュリアンは、深く失望せずにはいられなかった。
創業者一族の誇りも矜持も、そして財閥を支える社員や社会に対する責任感すら持ち合わせていない彼らが己の身内だという現実が、腹立たしくて仕方がない。
そして、家族に対する儚い未練に縋り、現実から目を逸らし続けて来た己の馬鹿さ加減に歯噛みするしかなかったのである。
「さて。いつまでも最後の時を引き延ばすのも悪趣味ですからね。そろそろ引導を渡して差し上げましょうか」
険しい視線で睨みつけて来る嘗ての主を嘲笑うラッセルが、勝ち誇って終わりを宣言する。
「待てっ! 僕はどうなっても構わない! だがこの娘は! ユリアは何の関係もないんだッ! お願いだから見逃してやってくれ!」
「おやおや。この期に及んで命乞いですかな? 自分ではなく彼女の……というのが泣かせますが……生憎と私は愁嘆場が嫌いでしてね」
下卑た笑みを浮かべたラッセルが右手をゆっくりと上げていく。
それを合図に手下達の銃口が一斉にジュリアンとユリアに向けられた。
しかし、正に絶体絶命というその刹那、ひどく落ち着いた声が彼らの動きを止めたのだ。
「ひとつだけ聞かせて頂戴。お父さまは何処に居らっしゃるのかしら?」
今まさに撃ち殺されようとしている瞬間に、泰然とした物言いで問うてきた少女の豪胆さに驚いたラッセルは、得体の知れない不気味なものを感じながらも、彼女にとって残酷な現実を問いの答えとして返した。
「安心したまえ。君が死んだ時に寂しくない様に一足先にあの世に送って差し上げたさ。父上は天上で君が来るのを待っている……彼が呼び出された先には、三十人以上の仲間が待ち構えていたからね。ハチの巣になって死ぬ以外の結末はないよ」
ラッセルは少女が絶望し悲嘆に暮れるのを期待したのだが、ユリアは泣き叫ぶでもなく、それどころか場違いな笑みを浮かべたのである。
「そう……それを聞いて安心したわ」
「それは良かった……では、心おきなく父上の下へ逝きたまえ!」
年端もいかない少女の不穏な笑みに微かな怖気を懐いたラッセルは、何かに急かされる様に声を張り上げていた。
そして、二人に向けられた銃口が一斉に火を噴き、耳を劈く激しい銃声とビームガンの連続した発射音が室内に木霊する。
その刹那ジュリアンは歯を食い縛ってユリアの盾になったが、一向に銃弾が身体を穿つ感触は訪れず、覚悟した激痛に見舞われる事もなかった。
一体何事かと恐る恐る閉じていた瞼を開けた彼が見たものは……。
水面を打つ雨粒が描くが如き波紋が、眼前で次々に拡がっては消えていく幻想的な光景だった。
その波紋が、透明なシールドにぶつかって消滅していく銃弾の残滓だと気付いたジュリアンは、唖然として立ち尽くすしかない。
「こっ、これは……いったい?」
目の前で起きている状況が理解できず、そう呟くしかない彼の背に温もりを帯びた優しい声が染み入る。
「私を護るために盾になってくれてありがとうね。地位も名声も財産も投げ捨てて他人を庇える貴方は立派よ。きっと、御爺様達も草葉の陰で喜んでおられるわ」
この超常的な現象が彼女の力に因るものだと知ったジュリアンは、驚きと同時に高揚感を覚えざるを得ず、然も、此れまでに受けたどの賛辞にも勝る彼女の言葉に不覚にも目頭が熱くなるのを抑えられなかった。
「えぇ──いッ! どうした事だ? どんな手品を使ったぁッ!?」
摩訶不思議な現象に困惑するラッセルが喚くや嘲笑が浴びせられる。
「お馬鹿さんね。他人の努力の上前を撥ねようなんて下衆な人間に、教えてやる事など何もありはしないわ……それにアナタはお父さまを見縊り過ぎているわ」
「なっ、何だとぉーっ!?」
狼狽するラッセルが呻いた瞬間だった。
背後で激しい破砕音がしたと同時に、多重構造の合金製ドアが四分割されて吹き飛ぶや、派手な音を響かせて床を跳ねたのだ。
ラッセルらが恐懼して視線を向けた先には、穏やかな笑顔を浮かべた達也が炎鳳を片手に立っていた。
「キサマぁっ! 何故ここにぃっ? 仲間達が待ち伏せしていた筈だっ?」
呻くラッセルの疑問に答えたのは、満面に笑みを浮かべたユリアだ。
「だから言ったでしょう? お父さまを見縊り過ぎだと……チンピラに毛が生えた程度の輩が三十人ぽっちで、白銀達也をどうにか出来ると本気で考えていたのならば、本当におめでたいとしか言い様がないわ」
愛娘の過剰な父親自慢が気恥ずかしくて仕方がない達也は、それを誤魔化すかのように苦笑いしながら言葉を足す。
「笑顔は取り繕えても、殺気をだだ洩れさせていては船員役は失格だ。次回はもう少し演技が達者な奴らを雇うんだな」
「くっ! 構わん、殺せっ! 皆殺しにしろぉ──ッ!」
ラッセルの雄叫びを合図に男達が殺意を剥き出しにした。
最も至近距離に居た二人が、サブマシンガンを投げ捨てナイフを抜き放って躍り掛かる。
彼らは獲物を牽制すると同時に、他の仲間の一斉射撃でトドメをさす為の囮役でもあったのだが、その切っ先は達也には掠りもしない。
そして、次の瞬間に喉元へ強烈な手刀を叩き込まれた暴漢らは、その一撃だけで気道を潰されて悶絶し床の上をのた打ち回るのだった。
他の仲間達が慌てて引鉄を引いた時には既にそこに達也の姿はなく、烈風に等しい暴威が室内を蹂躙する。
両手、或いは両脚を砕かれた者などはまだ幸運な方で、ある者は両眼を潰され、別の者は顎を粉砕され、自前の歯の大半を鮮血塗れにして床にばら撒く破目に陥った哀れな者もいた。
たった三分……それがラッセル以外の男達全員が床に這うまでの時間だった。
「お前達は運がいい。娘に人殺しだと詰られるのは辛いのでね。黄泉路の片道切符は御預けにしてやるよ。あぁ、先ほど襲い掛かって来た連中も同じ程度には可愛がってやった。命に別状はないから安心しろ」
果たしてこの状態が安心できるのか、判断は難しいとジュリアンは息を呑むしかなく、倒れ伏す男達は辛うじて生きているというだけで、この先真っ当な日常生活を取り戻せるかどうかは、甚だ疑問だと言わざるを得ないだろう。
「さて……私の娘が世話になった様だね。父親として礼を言わせて貰うよ」
達也の底冷えする様な声と冷たい視線に貫かれたラッセルは、どの戦場でも経験した事のない殺気に恐怖し、なりふり構わずに渾身の右ストレートを達也の顔目掛けて放つ。
当たれば顔面を破砕するのは確実という拳が空を裂くが、残念ながらその威力を知らしめる機会は永遠に訪れなかった。
何故ならば、その拳を顔を僅かに傾けて躱した達也が、ラッセルの顔面に強烈な頭突きを見舞ったからだ。
「グゥッ、フギャァァッッ!」
悲鳴を上げて仰け反ったラッセルは、そのまま後方に逃げようと足掻くが、その前に胸元を掴まれて万事休すと相成った。
「悪いな。私のは格闘術などという高尚な代物ではない……只の喧嘩だよ」
その捨て台詞と同時に顔面にめり込んだ拳がラッセルの意識を刈り取るや、漸く一連の騒動に終止符が打たれたのである。
◇◆◇◆◇
通報で駆けつけたGPOの捜査官達に犯人達の身柄は引き渡された。
「悪いねジュリアン君。貴社のシャトルまで貸して貰って」
「いえ……お世話になったのは僕の方ですから。貴方とユリアがいなければ、僕は間違いなく死んでいたでしょう。御ふたりは私にとって命の恩人であるのと同時に得難い英雄です」
バンドレットに急がなければならない父娘の為に、ジュリアンは船に搭載されていたシャトルを快く提供したのだ。
その好意と賛辞に達也は口元を綻ばせるのだった。
また、ジュリアンが愛娘の名を直に呼んだにも拘わらず、素知らぬ顔をして文句も言わないユリアの様子から、ふたりが関係を修復したのだと察した達也は大いに喜び、心からの謝意を伝えたのである。
「そうかい……それは身に余る光栄だ。だが、男ならば英雄に憧れるのではなく、英雄になれるように頑張りなさい。君ならそれができると私は信じているよ。改めて礼を言わせてくれ。娘を護ってくれてありがとう」
達也にしてみれば率直で他意のない激励だったのだが、ジュリアンはその言葉に勇気づけられたのか、心の命ずる儘にユリアに対する熱い想いを吐露していた。
「はいっ! お言葉を胸に刻んでこれからも精進します! ですから、お嬢さんと! ユリアさんと結婚を前提にしたお付き合いをさせて下さい!」
「おやおや……仲直りするようにとは言ったが、そんな話になっているのかい? これは少々驚いてしまったなぁ……」
突然の交際宣言に目を瞬かせて驚く達也は、思わず愛娘と少年の顔を交互に見比べてしまう。
娘にもそんな相手ができたのかと何処かもの寂しさを覚えたのと同時に、積極的なジュリアンの度胸に感心もしたのだが……。
能天気な父親とは違い、現状はユリアにとって青天の霹靂以外の何ものでもなく、想定外の悪夢だと言っても過言ではなかった。
敬愛する父親の前で望みもしない告白をされた挙句に、彼との仲を誤解されてしまうなど、彼女的には絶対にあってはならない事なのだ。
しかし、嚇怒して憤慨しながらも、顔が火照り胸が早鐘を打つのは何故なのか?
ユリアは理解不能な感情を持て余してしまい、混乱に煽られるまま腹立ち紛れに罵詈雑言を叩きつけていた。
「あっ、あなたねぇぇッ! お父さまの前で巫山戯た事を言わないで頂戴ッ!! 結婚を前提? 御付き合いさせて下さい? はんッ! ゾウリムシの分際でっ! 寝言は寝て言いなさいッ!」
「お、おい……ユリア。幾ら何でもゾウリムシは言い過ぎじゃ……」
「お父さまは口出しなさらないで下さいッ! こんな思いあがりも甚だしい餓鬼など、ゾウリムシで充分ですぅッ!」
大人びている愛娘が、年相応の少女の素顔を晒して癇癪を起すさまを微笑ましく思いながらも、悪しざまに罵られるジュリアンを哀れに思い擁護しようとした達也だったが、そのユリアから一喝されれば、黙って引きさがる以外に選択肢はない。
「いいこと、ジュリアンっ! 私の横に立ちたいのならば、せめて人間に進化してから出直していらっしゃいッ! そうしたら考えてあげても良いわ」
精一杯の皮肉と侮蔑を込め、殊更に口汚く罵ったしたつもりだった。
これだけ罵倒すれば、ジュリアンでなくても愛想を尽かすに違いない。
そう確信したユリアだったが……。
「そうかッ! 分かったよユリア! 人間に進化したと必ず君に認めさせてみせるよ! そして君と共に新しい家庭を築くんだッ! 僕のお嫁さんは君しかいない。この想いは一生変わらないからね!」
【鬼才】の称号持ちの財閥総帥は、何処までもポジティブだった。
拒絶されて諦める処か、益々闘志を燃やして茨の道を選択するとは……。
少年の想定外の反応に思惑が外れたユリアの方が愕然とさせられ、腹立たしくて仕方がない彼女は地団太を踏むしかない。
然も『家庭を築く』とか『お嫁さん』という言葉に羞恥心を煽りに煽られた彼女は、耳まで真っ赤にして大爆発するのだった。
「ばっ、馬鹿ぁ──ッ! あんたなんか大っ嫌いなんだからぁぁ──ッ!!」
◎◎◎




