第四十三話 生誕の息吹 ①
「うん! これでバッチリだわ」
子供達が好きなメニューの下拵えを終えたクレアは、会心の出来栄えに得意げにガッツポーズを決めた。
今日五月の末日は白銀家長女ユリアの誕生日だ。
『自分の誕生日を祝って貰うなんて、生まれて初めてで……本当に嬉しい』
そう言って微笑んだ時の愛娘は本当に幸せそうで……。
だからこそクレアは、胸を締め付ける切なさを覚えずにはいられなかった。
ユリアの実年齢は十五歳だが、公式的には十歳として周囲には認知されている。
それは、さくらの精神と一体化していた五年間はなかったものとし、彼女が彼女として生きた月日のみを尊重したが故の処置だった。
だが、そんな表面的な事象を如何に取り繕ったとしても、ユリアが味わった苦痛が無かった事になる訳ではないのだ。
だからこそ、これから彼女が歩む人生が、温もりに満ちた穏やかで素敵なものになりますように……。
クレアはそう願わずにはいられなかった。
そして、そのユリアはといえば……。
「お母さま。リビングの掃除が終わりました。テーブルクロスも用意しておいた方が良いでしょうか?」
息せき切ってキッチンにやって来た愛娘が、弾けんばかりの笑みと共に手伝いの進捗状況を報告するものだから、クレアとしては苦笑いするしかなかった。
「もうっ……。今日の主役は貴女なのよ? 準備は皆に任せて、のんびりと寛いでいて良いのに……」
「でも落ち着かなくて……先月のさくらとマーヤのお誕生会で雰囲気は分かっているのですけど、自分が祝って貰う番になると何だか気恥ずかしくて……あっ! お、お母さま!??」
歩み寄って来たクレアに抱き締められたユリアは、戸惑いながらもその心地良い温もりに陶然となる。
然も、正面から抱き締められている為、必然的にお腹の膨らみの中で息づく命を感じ、胸が弾むような幸福感に包まれた。
「本当にユリアは素直で優しい自慢の娘だわ……ただ、もう少し砕けた口調で話してくれると、もっと嬉しいのだけれどね?」
「あっ……いけない……私ったら、なかなか癖が抜けなくて」
達也やクレアに対する敬愛の情が強すぎるからか、何処か他人行儀なユリアとの会話を心配したクレアが『家族の間で丁寧語は使わない』と課題を課したのだ。
しかしながら、弟妹達や友達との間では普通に会話できるようになったものの、達也とクレアを相手にすると勝手が違うらしくて畏まる癖が抜けない。
「ど、努力はしているのです……あっ、いや、しているの……でも、つい……」
口から零れた言葉を慌てて言いなおす娘がいじらしくて、クレアはユリアの頭を優しく撫でてやる。
「焦らないで。ゆっくりで良いのよ……まずは『さま』を『さん』に変えましょうか? 『お父さん』『お母さん』……はい、私を呼んでみて?」
腕の中の愛娘にそう要求すると、やはり照れ臭いのか身体を捩る様にして躊躇ってしまう。
それでもクレアが辛抱強く待っていると……。
「お、お母さん……あぁ、クレアお母さん」
一度口にしてしまえば、いとも容易く望む言葉が唇から零れ落ち、満面に笑みを浮かべたユリアは母親に抱きついた。
その笑みに彼女の想いの全てが込められている気がしたクレアは、嬉しくて嬉しくて、腕の中の愛娘を強く抱き締めたのである。
◇◆◇◆◇
「わぁ~~素敵……まるで宝石を鏤めたよう……」
たった今完成したばかりのクレアお手製特大バースデーケーキを見たユリアは、陶然とした表情で感嘆の吐息を零してしまう。
レギュラーサイズの倍以上はあろうかという特大スポンジに、バタークリームを薄く塗ってから、その上に大量のホイップクリームを厚めに重ね塗りしていくのだが、クレアの手際の良さにユリアは只々見惚れるばかりだった。
仕上がったケーキには見る見るうちに見事なデコレーションが施され、仕上げとばかりに、冷凍保存されていた地球産のベリー類とセレーネ産の果実が飾り付けられていく。
「さあ! 特製バースデーケーキの完成よ! 我ながら中々に良い出来栄えだわ。でも、うちの子供達は揃いも揃って食いしん坊ばかりだから心配……今日はあなたが主役なんだから、この前みたいに遠慮して、ティグルやさくらに食べ尽くされてしまわないようにね?」
御茶目な仕種で控え目に小さくガッツポーズを決めたクレアは、先月のさくらの誕生日会の出来事を思い出してか、真剣な表情で忠告するのを忘れない。
「うふふふっ。お母さんったら……さくらやティグルが聞いたら『自分はそんなに食いしん坊じゃないッ!』、と怒りそうだわ……でも、今日は譲らない! だってお母さんが私の為に作ってくれたケーキだもの」
そう宣言するや、母親を真似てガッツポーズを決めるユリアは、今この時に漸く真の意味で白銀家の娘になれたのだと自覚し歓喜した。
嘗ては『忌み子』と忌避され、蔑まれていた自分なんかが……。
達也とクレアら新しい家族に迎え入れて貰いながらも、そんな忌まわしい過去の記憶が邪魔をして、これまでは何処か遠慮していたように思う。
しかし、敬称も畏まった物言いさえもが不要だと言われた今、長く纏わりついていた呪縛から解放され、軽やかで弾むような気分が胸の奥から溢れて身体中を満たしていくのが分かる。
それが嬉しくて堪らず、クレアの慈愛に満ちた瞳を見つめたユリアは、心からの感謝を言葉にしていた。
「ありがとう……お母さん。私は今日という日を絶対に忘れない……だから、これからもお母さんの娘でいさせて下さい」
「当然よ。ユリアは私の自慢の娘ですもの。それは一生変わりはしないわ。私こそ頼りない母親だけど、これからもずっと仲良くして頂戴ね?」
(プレゼントよりも何よりも……お母さんの気持ちが一番嬉しい……)
陽だまりの様な温もりを感じさせてくれた言葉が堪らなく嬉しく思えたユリアは、それを大切に心の中の宝箱に仕舞ったのである。
※※※
楽しくお喋りしながらパーティーの準備をしていたクレアだったが、時計の針が午後四時を指すのに気付くや、不満げに眉根を寄せ溜息を吐く。
「さくらやマーヤだけじゃなく、ティグルまで帰って来ないなんて……あの子達は一体何処で寄り道しているのかしら? 今日はお姉ちゃんの誕生日だから、準備を手伝う様に言っておいたのに……」
いつもならオヤツ目当てにとっくに帰宅している筈の弟妹達が、未だに誰一人として姿を見せないのだから、子供大事の母親が心配するのも無理はないだろう。
そう思ったユリアは含み笑いを漏らしてしまう。
それを見咎めたクレアは、拗ねた様に頬を膨らませて、子供のような文句を言いだしてユリアを慌てさせた。
「なぁ~~に、その笑いは? もうっ! 最近ユリアは達也さんに似てきて困ってしまうわ。時折私を見ては可笑しそうに笑う癖……そっくりよ、あなた達?」
「えぇっ!? そ、そんな、お母さんを笑ったんじゃなくて……でも、お父さま、あっ、いや、お父さんに似ているというのは嬉しくて……」
子供達の安否を思い煩い、少しだけ困ったような母親の表情がとても美しくて、つい見惚れてしまった……。
そう思ったのだが、気恥ずかしくて口にはできずにあたふたしていると、今度は含み笑いを漏らすクレアから見つめられてしまう。
その優しい視線が妙に生温かいような……。
そんな居心地の悪さを感じたユリアが身構えていると……。
「ユリアは本当に綺麗になったわね……ううん、これから、もっと、もっと綺麗になるわ……だって恋する乙女は、それだけで美しくなれるんですもの」
「───ッッ!! こ、恋するっ?? わ、私がッ!?」
唐突に『恋する乙女』に認定されて狼狽するユリアは、素っ頓狂な悲鳴を上げてクレアに詰め寄るや、猛然と抗議した。
「ご、誤解でっ……よッ! わ、私はジュリアンなんかに恋しているわけじゃありま……ないしっ! だいたい、あの男は強引でデリカシーがなくて、生意気で……だから、違うの! そんなんじゃないのぉッ!」
思わず口を吐いて出そうになる余所余所しい言葉を修正しながらも懸命に訴えるのだが、とっくに自爆している事にも気付けないユリアは、微笑みを強くした母親から更なる追い打ちを喰らってしまう。
「あらあら、御相手がジュリアンだとは一言も言ってはいないのだけれどねぇ……ふっふっふっ。もう少し素直になった方が良いわ。そうでないと大切な人を逃がしてしまうわよ。そんなのは嫌でしょ?」
優しく微笑んでそう諭してくれるクレアは何処か楽しげで……。
自分の顔が真っ赤に染まっているのを自覚するユリアは、恨めしげに母親を見つめて呻くしかない。
「ううぅぅ~~~お、お母さんの意地悪っ!」
そんな愛娘を、クレアは再び優しく抱き締めてやる。
「ごめん、ごめん。でもね、照れ臭いからといって邪険にしては駄目よ? 想いを向けられたからといって、無理して彼の気持ちに応える必要はないわ。大切なのはあなた自身の気持ちなのだから……ゆっくり考えれば良い……ユリアがどんな答えを出したとしても、私はあなたの味方よ。それだけは忘れないでね?」
母親の想いを嬉しく思ったユリアは、その腕の中で小さく頷くのだった。
「さあ……そろそろあの子達も帰って来るでしょうし、サクヤさんやセリスさんも戻って来られる頃だわ。私は料理に掛かるから、あなたは収納庫の棚からテーブルクロスを持って来てくれるかしら?」
そう頼まれたユリアは頬の火照りを静めるために深呼吸をしながら、バスルーム横の空き部屋へと向かう。
そこにはアルカディーナの家具職人から贈られた、立派な衣装箪笥が鎮座しており、タオル類をはじめ様々な日用品が収納されていた。
その箪笥の幅広の引き出しから、純白のテーブルクロスを取り出したユリアは、それを持ってリビングへと戻ろうとしたのだが……。
その途中で何かが砕ける派手な音に耳を揺さ振られ、嫌な予感に衝き動かされる儘に音がしたキッチンに駆け込むや、テーブルの横で床に蹲るクレアの姿を発見して悲鳴を上げた。
「おっ、お母さんッ! どうしたのっ? しっかりしてぇっ!!」
胸を引き裂かんばかりの不安に狼狽し、慌てて母親に取り縋ったユリアだったが、当のクレアは脂汗が滲んだ顔に苦し気な笑みを浮かべながらも、娘を安心させるように囁いたのである。
「あはっ、ど、どうやら来ちゃったみたい……うっ、この子が外に出たいそうよ。あうっ……痛っ、ご、ごめん、ユリア……マ、マリエッタさんを呼んで……」
「は、はいっ! 待っていて! 直ぐに呼んで来るからッ!」
再び苦悶に顔を歪める母親にそう告げたユリアは、脱兎のごとくキッチンを飛び出し廊下を駆けるのだった。




