第四十二話 衰亡しゆくもの ②
「分かった。達也……其方の申す通りだろう。今後の連邦内の情勢の推移次第では、一時的に災禍を避けて退くのも止むを得まい」
レイモンド皇王の苦渋に満ちた言葉が、その場にいた全員の耳朶を震わせる。
「「陛下っ!?」」
ガリュードは目を丸くして皇王を見ただけだったが、悲鳴にも似た叫び声を上げるソフィアとアナスタシアは、思わず椅子から腰を浮かせてしまう。
そんな后と伯母を片手で制した皇王は、落ち着いた声で真意を吐露した。
「早合点するではない……難を避ける為に庇護を願うのは子供達とソフィア……其方と他の側妃たちだけだ。無論、アナスタシア伯母上にも目付け役として同行して貰わねばなりません」
思ってもみなかった無情な言葉を告げられたソフィアは驚倒し、狼狽を露にして夫に縋りつくや、悲嘆を滲ませた声で詰る。
「なんと無慈悲な事を仰るのですか! 后として陛下を御支えするのが私の責務でございますっ! それなのに……」
感情が昂ったのか、ソフィアはその美しい顔を痛苦に歪め、最後まで言葉を紡げない。
すると、日頃から己が身を弁えて慇懃な態度を崩さないアナスタシアまでもが、怒りを露にして皇王へ食って掛かった。
「不甲斐ないっ!! 仮にも七聖国の一柱たるランズベルグを統べる皇王が、戦う前からその様な弱気な姿勢を晒すなど、絶対にあってはならないことですッ!! 恥を知りなさいッ!!」
このふたりの剣幕には然しもの達也も気圧されたのだが、レイモンド皇王は些かも怯まず、淡々とした口調で敬愛する伯母へ問い返した。
「この度の門閥貴族達の跳梁跋扈は、銀河連邦に加盟する全ての国家にとって看過できるものではない……しかしながら、最高評議会は意思の統一すら叶わず、機能不全に陥る有り様……これでは、彼らの暴走を止める術はないに等しい」
そう指摘されたアナスタシアは、苦虫を嚙みつぶしたような顔で押し黙らざるを得なかった。
それはガリュードやソフィアも同じだったのだが、事情が分からない達也は怪訝な表情でアナスタシアへ視線を投げるしかない。
すると、その視線に気づいた彼女は深い溜息を吐き、ここ数日で大きく様変わりした最高評議会の内情について説明してくれた。
「カルロス・モナルキア大元帥が軍部を完全に掌握したのと同時に、最高評議会を構成する七聖国のうち、ティベソウス王国、ルーエ神聖教国、ゼクスト同盟の三国が、モナルキアを支持する声明を公にしたのです」
ある程度は事前に予想できた事態だったが、些かタイミングが良すぎると達也は思った。
(事前に懐柔工作を行っていたのだろうな……貴族偏重の思想が見えかくれしていたテベソウス王国と、庶民層の救済を謳いながらも、裏では高位貴族にべったりなルーエ神聖教国……そして、利に聡い商人ギルドの集合体であるゼクスト同盟……切り崩し易い所から手堅く攻め落としたか……相変わらず抜け目がない奴だ)
宿敵であるキャメロットの顔を思い浮かべた達也は、内心で舌打ちしながらも、その理に適った手際の良さに舌を捲くしかなかった。
そんな彼の思惑には気付かずにアナスタシアは説明を続ける。
「三国の声明によって、連邦評議会内のパワーバランスは一気に貴族閥に傾くでしょう……その結果、あの強欲な男が銀河連邦大統領の座を簒奪するのを阻める者はいなくなったと言っても過言ではないわ……いずれは、クイント共和国とジガンテ共和連邦も追随せざるを得ないでしょう。そうなれば目の敵にされるのは、残ったランズベルグとファーレン……それは分かってはいますが、だからと言って……」
皇王の決断に納得できないのか、低く呻いたアナスタシアは言葉を途切れさせてしまう。
気付かぬうちに裏工作で一気呵成に外堀を埋められては、如何に政治巧者の彼女とて為す術はない。
アナスタシアは自身の見通しの甘さを嘆き、臍を嚙むしかなかった。
(それにしても素早いな。テベソウス王国を通じて他の七聖国を篭絡し、相容れる可能性が低いランズベルグとファーレンを孤立させる……乱暴な手段だが一番堅実なやり方でもある……我々も準備を急がなければならなくなりそうだ)
達也の胸に焦慮が去来した時、敬愛する伯母の言葉を引き継いだレイモンド皇王が改めて己の意志を皆に告げた。
「これから銀河連邦は未曾有の混乱に見舞われるであろう。その様な中で、未来に希望を残すのは我ら皇族の義務でもある。たとえ一刻の屈辱に甘んじたとしても、銀河連邦創設の理念を失わせてはならない。その為にも、ケインをはじめ子供らは全員避難させる。これは皇王としての命令である! 何人であっても異論は許さぬから、そう心得よ!」
殊更に語気を強めたレイモンド皇王の視線の先には、泰然としたガリュードの姿がある。
実父である前皇王の兄に当たる彼を説得できるか否かが最も重要……そう皇王は考えたのだが、意外にもガリュードは口元を綻ばせ、微笑みを以て甥の意志に理解を示した。
「それで良い。皇王として其方が決断した以上、我々臣下は黙ってその意志に従うのみだ。病床にあるルドルフ(前皇王)と陛下の御身は儂が必ず護って見せる! だから安心して己が意を貫かれよ……しかしなぁ、いつまでも年寄りの顔色を窺う必要はないのだから、いちいち儂の顔を見ないでくれ。『甥っ子に甘い』とシアに叱られるのは儂なのだからな」
最後に軽口を叩いてみせ、その場の雰囲気を和らげるガリュード。
だが、彼らの考えは変えられないと知ったアナスタシアは仏頂面で溜息を吐き、ソフィアは愛しい夫を哀切の情を湛えた瞳で見つめるしかなかったのである。
レイモンド皇王は安堵して口元を綻ばせるや、軽く頭を下げてガリュードに謝意を伝えてから達也に視線を向けた。
「それで達也よ。具体的な手筈は如何いたすつもりなのだ?」
その問いに笑みを以て頷いた達也は、敬愛する人々の不安を安んじるべく、自信に満ちた力強い口調で断言する。
「私共に万事お任せ下さいませ。必ずや皇族の皆様方を安全に我がセレーネ星へと御連れ致します。それから、くれぐれも御短慮なきように……ケイン皇太子殿下には、まだまだ陛下の薫陶が必要なのです。決して死に急がれますな……奸賊共には、いずれ必ず罪過を贖わせます故に……」
そして達也は、未だに血気盛んな敬愛する老将にも釘を刺すのを忘れなかった。
「私の妻が閣下に謝意を伝えたいと申しております……ですから、どうか御無理はなさいませぬように……是非とも私の自慢の妻に会ってやってください。その日が来るのを私も楽しみにしておりますので……」
◇◆◇◆◇
激変すると思われる今後の情勢を考慮した達也は、最も可能性が高いと思われるケースを例に挙げて脱出プランを説明した。
軍人であるガリュードは提示されたプランに、感心したとでも言いたげに不敵な笑みを浮かべたが、アナスタシアなどは、『これだから軍人という生き物は』と、何処か呆れ顔で溜息を吐く。
レイモンド皇王は無言ながら、大きく頷いて了承の意志を示す。
皇王が賛意を示せばソフィアもその意を汲む他はなく、不承不承ながらも同意するしかなかった。
「作戦の立案と実行は全て私共が責任を以て遂行いたします。ですから、殿下達には決行直前まで詳細は伏せておいてください……正義感と皇族としての矜持を弁えておられる方々ばかりですから、義憤に駆られて騒がれては、計画に支障をきたす恐れがあります。特にケイン皇太子殿下には御気を配られますように。計画を知れば、必ず残ると言い張りましょうから」
最後に達也が念押しすると、漸く何時もの毅然とした表情を取り戻したアナスタシアが快諾する。
「それは私に任せておきなさい……それから従者の件も、内々に信頼できる者達を選抜しておきます。ですが、決行のタイミングは貴方に任せるしかない以上、連絡だけは密にして頂戴」
「承知いたしました……その代わりと言っては何ですが、可能な限りで構いませんので、最高評議会の決議を引き延ばして時間稼ぎをして戴きたく……」
「勿論そのつもりです。ファーレンのエリザベート陛下とも、事前に打ち合わせておきましょう……ですが、稼げる時間は年内いっぱいが精々でしょうね」
やや顔つきを険しくしたアナスタシアにそれで充分だと告げてから、達也は漸く一息ついた。
これで今回の秘密会談の目的は果たしたと言える。
円卓を囲む全員が緊張から解放され、室内には弛緩した雰囲気が漂う。
そのタイミングを見計らったかの様に初老の執事が慇懃な仕種で入室して来るや、紅茶と菓子の用意を始めた。
アナスタシアに長く仕えて来たこの執事は皇族の信任も厚く、この様なお忍びの際には欠かせない存在だ。
「あ、あの……達也殿……」
最高級の茶葉を贅沢に使用した紅茶を堪能していた達也は、どこか躊躇いがちな声で名前を呼ばれて顔を上げた。
声の主はソフィア皇后だったのだが、いつもならば穏やかな微笑みを絶やさない貴人が、その両の瞳に遣る瀬ない想いを滲ませているのを見た達也は、何とも形容し難い嫌な予感を覚えてしまう。
「な、何で御座いましょうか? 皇后様……」
努めて平静を装ったつもりだったが、警戒心が邪魔をして引き攣った笑みにしかならない。
「サクヤは息災なのでしょうか? あの娘が生きていると私達が知らされたのは、つい先日の事なのです……然も、アナスタシア様は極秘に来訪したサクヤに逢っていたのに、それを御隠しになっておられたのですよ!? あの娘の訃報に打ちのめされた私や陛下が、どれほど嘆き悲しんで憔悴していたか……それを知りながらの惨い仕打ち……私は初めて伯母上様を御怨みいたしました!」
喋っているうちに気持ちが昂ったのか、次第に語気が荒れて怨みがましい口調になっていく。
勿論、ソフィアが語った話は達也も初耳だった。
(うわぁ……多分、サクヤの発案だな。仕方がないとはいえ、せめて自分の両親にぐらいは無事を知らせてやれば良いものを……)
達也らの生存を秘匿するという一点に於いてサクヤが下した冷厳とした判断は、やり過ぎの感は否めないものの決して間違ってはいない。
しかし、母娘が再会した時のことを思えば、ソフィアとサクヤの間に諍いの種を残す訳にもいかず、達也は自分が悪者になってでも、この場を穏便に収めようとしたのだが……。
謝罪の言葉を口にするよりも早く澄まし顔で紅茶を楽しんでいたアナスタシアが、意地の悪い笑みを浮かべて皇王と皇后夫妻を揶揄し、達也の思惑を台無しにしてしまうのだった。
「貴方達夫婦は呑気で人が良すぎますからね。愛娘の生存を知って浮かれた挙句、うっかり秘事を漏らしては一大事……それを懸念したサクヤ自らが私に口止めをしたのですよ。文句があるのならば、あの娘に直接言いなさい」
身も蓋もないその物言いにソフィア皇后は唇を噛んで恨めしそうに伯母を睨んだが、アナスタシアは柳に風とばかりにその視線を受け流して知らん顔。
室内の気温がジリジリと下がる中、レイモンド皇王とガリュードは、愛妻同士のバトルから目を背けて現実逃避に余念がない。
いよいよ進退窮まった達也は、何とかふたりを仲裁しようとしたのだが……。
「優しかったあの娘が親を蔑ろにして恥じない真似をするなんて……其れも此れも、達也殿がサクヤの想いを拒んだりしたからですわっ!」
やり場のない歯痒さに憤慨する皇后が怒りの矛先を達也に向けるや、八つ当たり気味に言い放ったから堪らない。
突然のとばっちりを受けて狼狽した達也は、ソフィアの怒りを解こうとしたが、絶妙のタイミングを見計らって特大の爆弾を投下したアナスタシアが、その努力を木っ端微塵に粉砕する。
「それは仕方がないさね。あのクレアさんが相手では、最初からサクヤには勝ち目はなかった……達也からすれば、サクヤなど所詮は青臭い小娘同然……食指が動かなくても仕方がないでしょう」
甚だ不本意な人格の持ち主だと決めつけられれば、どう取り繕うべきかか分からない達也には、酸欠気味の魚の如く口をパクパクさせる以外にできる事はない。
しかし、老獪な悪女の言葉に触発されたソフィアは、一転して興味津々といった風情で瞳を輝かせるや、声を弾ませてアナスタシアに問い掛けるのだった。
「まあ!? 達也殿の伴侶はそれほどの女性なのですか?」
「それほど所か、銀河中を捜しても滅多にお目に懸かれない才色兼備の奥方ですよ……しかし、解せない事があります。あんな素敵な女性が、よくもまあ、こんな強面の野暮天に惚れたこと……さすがの私も未だに理解不能なのよ」
「伯母上様がそこまで仰られるなんて……ならば尚の事、責任は達也殿にあるのですわ! あぁ……母親としては、サクヤが不憫で不憫で……」
「本当だねえ……せめてこの男が、うちの旦那様や陛下の様に女好きであったならばねぇ……本当に世の中というものは儘ならないものですよ」
アナスタシアの物騒な台詞に顔を背けて何も聞こえないフリをする旦那達。
何時の間にか非難の矢面に立たされ、鬼畜認定されて罵られた達也は、御婦人達の集中攻撃を受けてグロッキー寸前に追い込まれてしまう。
だが、理不尽だとは思いながらも、二人が仲違いせずに済むのなら良いか……。
そう自分に言い聞かせる達也は、非難の嵐が過ぎ去るまでじっと耐え忍ぶしかなかったのである。
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