第四十一話 灰色狐は大いに嘆息す ①
達也はクラウスを促して自分の書斎へと場所を移した。
こう表現すれば能動的に行動した結果に聞こえるが、実際はエリザに追い出された結果に過ぎない。
彼女の思惑が分からずに困惑する達也は、クレアを残して退室するのを躊躇ったのだが、愛妻が柔らかい微笑みを浮かべて頷くのを見れば否を唱える訳にもいかず、不承不承ながらも、共にお邪魔虫認定されたクラウスを引き連れてリビングを後にしたという次第だった。
「まあ、気の利いた持て成しはできないが、何もないよりはマシだろう?」
そう言いながら、こじんまりとしたサイドボードの中からスコッチウイスキーのボトルとグラスを二つ取り出し、部屋の中央の応接セットに設える。
真昼間からアルコールなど不謹慎だと思わないでもないが、クラウスも酒は嫌いではない。
然も、出された一品がビンテージ物の高級酒とくれば、拒む理由など一ミリとて持ち合わせていないのが、真の酒飲みというものなのだ。
「いえいえ、これは僥倖と言う他はありませんねぇ……妻に素気無くあしらわれて傷ついた心が癒されるようですよ」
いけしゃあしゃあと宣う灰色狐に呆れながらも、達也はサイドボードのギミックである製氷庫から適当に氷を取り出してグラスに移した。
そして、琥珀色の液体を注げば、シンプルなオンザロックの完成だ。
二人はガラス器を手にして目線の辺りまで持ち上げ互いを見やる。
グラスを叩く氷が心地よい音を奏でる中、達也は皮肉交じりの言葉を口にした。
「それでは……憎まれっ子同士、無事の再会を祝して……乾杯」
「ふっふふ……乾杯」
ガラス器が触れ合い、そこから発した澄んだ音に耳を擽られて含み笑いを漏らしたふたりは、豊潤な香りがする液体を一気に呷る。
そして軽く吐息を吐いた達也は、クラウスに席を勧めてからソファーに腰を下ろし、口元を綻ばせて話を切り出す。
「さっきの殿下の話で合点がいったよ。あの夜、リブラの甲板上でやり合った時。貴方を死なせる訳にはいかないと、ヒルデガルド殿下が言った意味がね……まさかエリザベート女王陛下の縁者だとは思わなかったが……」
「私自身は平凡な一市民なのですがねぇ……まぁ、妻の出自のお蔭で貴方に殺されずに済んだのですから、肩の凝る親戚付き合いも大切だと、今更ながらに痛感しておりますよ」
あれしきの酒で酔いが廻った訳でもなかろうが、クラウスは軽口を叩いておどけて見せる。
「それだけ減らず口が叩ければ充分だ……それで? エリザベート女王陛下の使者という話だが、用件は何だい? 事前に連絡をくれれば迎えぐらいは用意したものを……ロックモンド財閥と我々が繋がっていると看破した上で、態々密航までしたのは、何か急を要する理由でもあったのかな?」
交渉の前哨戦を終えた達也は表情を改めて本題を切り出す。
このセレーネ星で発見された精霊石の鉱床を譲渡する件は、既にヒルデガルドを通じてエリザベート女王に連絡済みだが、ロックモンド財閥との協力関係については秘匿した儘だった。
だから、その事実を容易く見抜いたクラウスの慧眼には驚くしかなかったのだが、相手が『灰色狐』と異名をとった稀代の情報員であるのを思えば、その程度の事は然程の難事ではないのかもしれない。
それ故に密航の件については深くは追及しなかった。
また、如何なる目的があってこの星を訪れたのか、その辺りの事情も気になる。
単に精霊石の譲渡に対する謝意を伝える使者かとも思ったのだが、それにしては遣わされた人物達が大物過ぎる。
そう考えて身構えた達也の勘は強ち間違いではなかった。
「精霊石の無償譲渡に対する謝意を伝えに来た……それだけならば、私も気楽な物見遊山を満喫できたのですがね……ガリュード・ランズベルグ閣下の件はお聞き及びですか?」
意味深な物言いをするクラウスが、瞳の奥に怜悧な光を湛えて訊ねてきた。
「そう遠くない中に更迭の憂き目をみる……という程度の情報は私も得ているよ。目の上のたん瘤でしかない閣下を排斥しようとするのは、モナルキア派にとっては当然の流れだろう?」
「ええ、その通りです。既に、銀河連邦軍は貴族閥の支配する所となり、良識派を自任する連中の中には、辞表を叩きつける者も出始めているとか……」
そう言いながら、ボトルから琥珀色の液体を自分のグラスに注いだクラウスは、その豊潤な味わいを楽しむかの様にゆっくり喉に流し込む。
遠慮会釈もなくお気に入りの逸品を嚥下するクラウスからボトルを奪い、達也は自分の空のグラスにウィスキーを注いだ。
「だが、そんな気骨のある連中は、ほんの一握りに過ぎないだろう? 大勢に影響が出るとは思えないが?」
悲しいかな栄枯盛衰は世の常であり、それは軍という特殊な権力機構に於いても例外ではない。
その時々の時流に乗った者が実権を握る……。
太古の昔から変わらない茶番劇が、今回もまた繰り返されるだけなのだ。
クラウスの話に憂慮すべき点を見つけられなかった達也は、だからこそ、呑気な物言いをしたのだが、口元に笑みを浮かべたクラウスの返答を聞いて思わず顔を強張らせてしまった。
「えぇ。文字通り『蛙の面に小便』ですねぇ……ですが、そんな者達が頻繁に我がファーレンを訪れては女王陛下に訴えるのですよ。『このまま奸賊の横行を許せば銀河連邦が崩壊する。責任ある七聖国の一柱として、今こそファーレンが貴族閥の悪行を正すべきではないか』……とね」
自分が突きつけた事実に瞬時に顔色を変えた達也の反応に、クラウスは満足げにほくそ笑む。
「……誘いだな……耳障りの良い忠言に乗せられて迂闊な真似をすれば、取り返しがつかない事態を引き起こす可能性があるぞ?」
呻く様に呟いた達也へ、クラウスは心からの喝采を贈った。
「さすがは『神将』の誉れ高き名将白銀達也ですねぇ。現場で叩き上げられた軍人には、己の経験に盲従する単細胞が多いのですが……敵の猿芝居をあっさり看破なさるとは……いやいや、敬服いたしました」
「少しも褒められている気がしないのは、私が狭量だからなのかな?」
その揶揄うかの様な物言いが癇に障った達也は、胡乱な視線をクラウスへ向けて問い返す。
だが、その程度の威嚇など軽く受け流した彼は、肩を竦めて惚けた挙句に、その抗議を完全に無視して達也を呆れさせたのである。
「態々、辞職を装ってまで、モナルキア派の増長ぶりを喧伝する狙いが何であるのか? 御心当たりはありませんかねぇ。実はエリザベート陛下からは、その辺りを詳しく御教授いただく様にと念押しされておりましてね……それ故に本日私が罷り越したという次第なのですよ」
(なにが灰色狐だ……こいつには腹黒狸の方がお似合いだ)
内心で毒づくが、確かにエリザベート女王やクラウスの懸念は尤もであり、銀河連邦を取り巻く状況を鑑みれば、杞憂に過ぎないと一笑に付す訳にはいかない。
しかし、敵の狙いが何処にあるのか……。
余りにも情報が少な過ぎて、神将白銀達也といえども明確な答えを導き出すのは容易ではない。
「軍部を掌握したのちに貴族閥が狙うのは、七聖国の権威の破壊だろう……その中でも、明確に敵対の意志を明らかにしているファーレンとランズベルグを標的にするのは分かるが……う~~ん……」
暫し黙想していた達也だったが、小さな溜め息を漏らして首を左右に振った。
「奴らが何を狙っているのかは現状では判断できないな……ただ、陸でもない事を企んでいるのだけは確かだろう……近日中にランズベルグに行くから、アナスタシア様と相談してみよう。何か分かれば直ぐに連絡するよ」
そう約束するのが精一杯の達也にクラウスも理解を示す。
「それでも充分に有難いですよ……女王陛下に成り代わって御礼申し上げます」
彼は真摯な言葉で謝意を告げて慇懃に頭を垂れるのだった。
◇◆◇◆◇
「そういえば、貴方はローラン・キャメロットと面識がありましたよねぇ?」
今後のファーレン王国との協力体制の構築や、ファーレン人の移住について意見交換をした後、徐にクラウスがそう切り出した。
質問の意図を図りかねたが、隠し立てする事でもないと思った達也は頷いて肯定する。
「神将の称号に伴う待遇について元帥閣下らと会合した時、モナルキア元帥の筆頭補佐官だと紹介されたのが初対面だったな。二度目はあの逃避行の最中だったよ」
そう口にした達也は彼から感じた不気味さを思い出し、今更ながらに背筋に冷たいモノが走る気がして溜息を漏らしてしまう。
「心の中にどんな鬼を飼っているのやら……エンペラドル元帥はいいように利用されて使い捨てにされたのだろう……あの時、彼から感じた不穏な気配は、どうやら本物だったようだな」
その言葉にクラウスも同意するが、彼にしては珍しく内心の憤りを隠そうともせずに語気を荒げた。
「全くですよ……仕事に忠実なだけが取り柄の私に、さんざん汚れ仕事をやらせておいて、その報酬に爆弾を寄越すなど非道にも程があります。正しく『骨折り損のくたびれ儲け』でしたよ」
「その『汚れ仕事』とやらは、俺のスキャンダルを吹聴して廻る事だったんだろう? よくもまあ、いけしゃあしゃあと……本当に面の皮が厚い男だ」
達也は呆れて苦笑いを漏らしたが、クラウスが己に仕掛けた策謀に腹を立てている訳ではない。
当時の彼が銀河連邦軍に所属する情報員であった以上、その行為は任務の範疇であり、自分と敵対する行動をとったからといって、彼を責めるのは御門違いだと割り切っている。
その気持ちを理解したクラウスは、口元を綻ばせて僅かに頭を垂れた。
「台詞の割に悪意がない……本当に貴方という人はお人好しなんですねぇ。だが、あのキャメロットを相手にする以上油断は禁物です。あの男が何を考えて暗躍しているのかは分かりませんが、おそらくモナルキア元帥も使い捨ての駒ぐらいにしか思ってはいないでしょう。尤も、どんな道化役を押し付けるのかまでは未だに見えて来ませんがねぇ」
「何が狙いなのかは、そのうち嫌でもはっきりするさ。だが、ひとつだけ気になる事があってね」
「ほう? あの感情を表に出さない鉄面皮の何が気になったのですか?」
クラウスの興味深げな視線を感じながら、達也は上手く形を成さない疑問を口にした。
「目だよ……あの深く澄んだ瞳に見た気がしたんだ……憎悪という名の炎をね」
何の根拠もない直感ではあったが、強ち間違ってはいないという、確信にも似た強い思いが達也にはある。
その言葉に反応したクラウスは意味ありげに口角を吊り上げるや、驚くべき情報を口にして達也を驚かせた。
「お気づきではないようですが……彼こそが、あのウィルソン・キャメロット博士の実の息子なのです……博士の名は御存知ですよねぇ?」
「ウィルソン・キャメロット博士といえば、あの忌まわしい『フォーリン・エンジェル・プロジェクト』の主任研究者のひとりじゃないか!?」
「えぇ、その通りです。貴方も私も散々振り回されましたからねぇ……」
「記憶の片隅に何かが引っ掛かるような違和感があったんだが……迂闊だったな、もっと早くに気付いていれば……」
己の貧弱な記憶力に歯噛みする達也にクラウスが軽い口調で気休めを言う。
「仕方がありませんな……あの事件は連邦評議会が躍起になって火消しに奔走しましたからねぇ……主流メディアは元より、あらゆる情報媒体に圧力を掛けた上に、キャメロット博士が獄死したタイミングで、有耶無耶の中に事件の捜査も打ち切られてしまいましたから」
確かに彼の言う通り、あれから既に八年という年月が過ぎ去った今、事件は完全に過去のものになったと言っても過言ではない。
だが、プロジェクトの主任研究員でもあり、非業の死を遂げたキャメロット博士の一人息子が、何某かの思惑を秘めて暗躍している……。
達也にはそれが唯の偶然だとは思えず、得体のしれない不安ばかりが胸の中で蟠ってしまう。
とは言え、大っぴらに調査も出来ない現状では打つ手は無いに等しい。
だから、その道の専門家に厚かましくも懇願してみたのだが……。
「なぁ? それとなくローラン・キャメロットの動向を調べて貰えないかな?」
「真っ平御免ですな……。私はもう情報員ではありませんのでね。面倒事はお断りですよ」
極めて慇懃にお願いしたのだが、間髪入れずに敢然と拒絶されてしまった。
「そんなツレナイ事を言わないでくれよ。うちには情報戦のエキスパートがいなくて困ってるんだ。『精霊石』の件で便宜を図ったんだから、多少は恩に感じてくれても良いんじゃないか?」
それでも諦めきれない達也が尚も言い募るのだが、クラウスはソッポを向くや、けんもほろろにその懇願を一蹴する。
「あの空港のスタンドショップで言いましたよね。『引退してまで、貴方のような危ない人間に関わりたくはない』と……一応は死んだ事になっている身ですから、俗世の柵から解放されて清々しているのですよ。女王陛下への義理を果したら、当分は女房と何処か辺境の静かな星でのんびりするつもりです……おっと! この星も静かで良いとか言っても聞きませんからね! いずれ騒々しくなるに決まっているのですから!」
断固拒否を言い渡された達也は、口に出来なかった説得の言葉を持て余してしまい、腕利き情報員の勧誘は諦めるしかなかったのである。




