第四十話 ハッピーバースデーと意外な来訪者 ①
「へえ~~。二世帯型住宅と言うから、もっと煩雑な造りかと思っていたけれど、小洒落た良い物件じゃない」
真新しい二階建て住宅を仰ぎ見たアイラは相好を崩して声を弾ませた。
今日は久しぶりに皆の休暇が重なったのを幸いに、密かに関係を進展させて恋人同士になっていた蓮と詩織を祝福(?)するべく、何時ものメンバーでお宅訪問と洒落込んだのだ。
穏やかな陽光が大地に降り注ぐ四月上旬を以て、旧都市から新都市バラディースへの移転が一斉に開始され、セレーネ星は今まさに喧騒の只中にある。
そんな中、再婚して夫婦になった両親との同居を決めた蓮と詩織は、都市西部の閑静な住宅地に建つ二世帯住宅へと引っ越しを終えたばかりだった。
「えへへ。本当にラッキーだったわ。あのまま士官学校を卒業して統合軍で任官していたら、こんな素敵なお家は絶対に手に入らなかったもの! 然もタダよ!」
完璧に浮かれ気分の詩織が頬を上気させて宣えば、喜びを隠そうともしない蓮も追随する。
「地球にある僕らの実家は両方とも築年数が嵩んでいたからね。彼方此方にガタがきて改修が必要だったし、それを思えば、地球を放逐されて却って得したかも?」
そんな不謹慎極まりない二人の台詞に憤慨して苦言を呈したのは、珍しくも純白のワンピースに薄桜色のジャケットという華やかな出で立ちのサクヤだった。
「ふたりとも滅多な事は言わないで下さいね。全ての物が無償で与えて貰えると勘違いされては困るのですから」
彼女にしてみれば、今回の大盤振る舞いは、些かやり過ぎではないかという思いが強いのは確かだ。
捲土重来を期して力を蓄えている現在、先々の事を思えば支出は可能な限り切り詰めたいというのが偽らざる本音だし、そうあるべきだと思っている。
だが、アルカディーナ達が喜んでいる姿を見れば、達也に諫言するのも躊躇われてしまい、渋々ながらも承認せざるを得なかったという経緯から、つい愚痴めいた言葉が口を衝いて出てしまったのだ。
すると、控えめながらも諭すかの様な言葉にサクヤは耳朶を打たれた。
「まあ、そう言わずに……各産業が立ち行くか否かは、今後の彼らの奮闘に懸かっていると言っても過言ではないのだから、士気高揚の為にも、僕は効果的な妙手だと思うけどね?」
そう言って場を執り成したのはセリスだった。
最近では蓮や詩織と共に達也やエレオノーラから厳しい指導を受けており、彼らとの関係もより親密なものへと変化している。
おまけに白銀家へ居候しているセリスは、同居しているサクヤとも何かと行動を共にする機会が増えていた。
「もうっ! 貴方は……またそんな軽率な事を……」
二歳年下の帝国第十皇子が漏らした呑気な台詞に、皇国第一皇女は失望したかのように小さな溜め息を吐いて嘆く。
神将白銀達也に私淑するセリスが、その存在に一歩でも近づかんと躍起になって努力する姿勢は好ましく思っているのだが、彼の盲目的な憧憬の念には危惧を懐かざるを得ず、事ある毎に注意しては口論になるのも屡々だった。
今回も彼の過ちを正そうとしたサクヤだが、険悪になりかけた雰囲気を慮ったアイラの介入により、その話題は有耶無耶にされてしまう。
「外観ばかり眺めていても仕方がないわ。詩織、早く屋内を案内してよ」
その気遣いを無視する訳にもいかず、サクヤは喉まで出掛かった苦言を胸の中に仕舞い込むのだった。
◇◆◇◆◇
新居の中を見て廻った一行はリビングに落ち着くや、詩織が用意してくれた紅茶とお菓子を囲んで気安いお喋りに興じたのだが……。
「まったくぅッ!! いつの間に艶っぽい関係になったのよ? あれでしょう? この星に辿り着いたあの夜に何かがあったのね?」
「ちょ、ちょっとアイラったら! イヤラシイ言い方をしないでよね……べ、別に何があったわけじゃ……そ、そうよ、何もなかったわよ」
情緒の欠片もない名探偵アイラの過激な追及に頬を赤らめる詩織は、顔を背けて語尾を濁してしまう。
そんな仕種を見て自分の推理に確信を深めた名探偵は、追及の矛先を共犯者へと転じて舌鋒鋭く畳み掛けた。
「さあ、蓮! 観念して白状しなさい! 初陣の後アンタなんか変だったよね? それなのに翌日は晴々とした絶好調スマイルで浮かれていたじゃん? 詩織を押し倒して大人の階段を上ったんでしょう?」
もはや酔っぱらいオヤジモード全開のアイラだったが、その妄想交じりの指摘が的を射ているだけに始末が悪い。
人生経験の不足により世慣れていない蓮は、その追及をきっぱりと否定できず、泥沼に嵌り込んでしまう。
「ば、馬鹿な……俺がそんな不埒な真似……おほんっ! んっ、んん──ッ!? 何か喉の調子が……」
「ああぁぁぁぁッ!! この反応っ!? 図星よっ! 図星ッッ! この白々しいお惚けッ! いやあ~~んッ! 蓮も詩織も初心な顔してやる事はしっかりやってるんじゃないッ!! さっそくぅぅ~~志保に報告しなきゃぁ──ッ!」
「や、やめてぇぇ──ッ!!」
「ふっ、巫山戯んなぁぁッ!」
まるで鬼の首を取ったかのように歓喜して情報端末を取り出すアイラと、それを阻止せんと詰め寄る蓮と詩織。
しかし、眼前で繰り広げられる『恋バナ』というお題の喜劇を目の当たりにしたサクヤは、唖然とした顔で傍観するしかなかった。
大国ランズベルグ皇国第一皇女として生を受けて十八年になるが、これほど明け透けで、ざっくばらんな会話は初めての経験だ。
友人らの会話の内容は理解できるのだが、如何せん、怒涛のマシンガントークに圧倒されて口を挟む隙すら見つけられない。
チラリと隣を窺えば、自分と同様に帝国の第十皇子様も愕然とした表情で三人のやり取りを眺めており、眼前の事態にどのように対処すれば良いのか判断がつきかねている様に見えた。
(無理もないわ……歳の近い者達と気安くお喋りに興じるなんて、私達には絶対に許されなかったもの……)
自分と同じ境遇の人間がいる……。
そう思い至った途端、サクヤは思わず微苦笑を浮かべてしまう。
すると、まるでその反応を待ち兼ねていたかのように、口元を綻ばせたアイラから声を掛けられた。
「やっと笑ったわね。サーヤは絶世の美女なんだから、暗く思い詰めた表情なんか似合わないわよ」
その言葉を聞いて彼女の気づかいを知ったサクヤは、心が浮き立つ様な温もりを感じて思わず微笑んだのだが、そんな姫君とは対照的に憤慨して唇を尖らせた詩織がアイラを詰る。
「なによ! サーヤを慰める為に私と蓮を笑い者にしたのぉ? ちょっと酷くないかなぁ~~」
「何が酷いのよ? 被害者顔して誤魔化そうとしても無駄よぉ。やる事やったんでしょう? ちゃんと志保には報告しとくからね」
ニマニマ意地悪な笑みを浮かべながら断罪するアイラと、機密の漏洩を断固阻止するべく真顔で詰め寄る詩織。
再開された彼女らのコミカルなやり取りに、サクヤは今度こそ声を上げて笑うのだった。
◇◆◇◆◇
「本当に衝撃的だったなぁ……未だに頭の中で彼女達の声が木霊しているようだ」
まだカルチャーショックから完全に立ち直れないのか、唸るようにボヤくセリスが可笑しくて、サクヤは含み笑いを漏らしてしまう。
ライツフォル大河に沿って整備された遊歩道を並んで歩くふたりを、春の黄昏が優しく包み込んでいる。
彼女達が居候している白銀邸は、遊歩道の先にある小高い丘陵地帯に居を構えており、詩織や蓮の住まいがある住宅地からは徒歩で十分ほどの距離だった。
「うふふふ。そうね……とても騒々しくて猥雑だけれど……でも、それがとっても心地良いの。貴方もそうは思いませんか?」
そう問われたセリスは何故自分が困惑していたのか、その理由に思い至って苦笑いしてしまう。
「そうか……私も貴女も『友人』と呼べるような存在は身近に存在しませんでしたからね。だからこそ新鮮で、却って戸惑ってしまったのかもしれない……」
そう言った彼に、『正解です。良くできました』と言わんばかりに満面の笑みを投げるサクヤと、その美しさに視線も心も釘付けにされてしまうセリス。
だが残念ながら、サクヤは彼の心情には気付かず、不出来な弟を諭す姉を気取って得意げな顔で語るのだった。
「彼らは友人として真摯に接してくれているのです。勿論それは、そうするように私が懇願したからではありますが……それが我々王族にとって、如何に尊く貴重なものか……今ならば理解できるのではありませんか? セリス殿下」
その上から目線の物言いにはモノ申したい気分だったが、彼女の話にはセリスも頷かざるを得ない。
「ここは『共生』の理念を掲げる場所です。身分の壁なきこの場所に身を置いて、その理想の実現の為に働ける喜び……そして、それを支えてくれる友人達がいる。今この瞬間がとても愛おしくて、私は本当に幸せなのだ……そう思うのです」
そう感嘆する彼女の言葉にセリスも同意するしかなかった。
「そうですね。確かに貴女が仰る通りだ。白銀達也殿や奥方様、そしてユリアを含めて子供達から貰った厚情は計り知れないものがある。それらと同じ想いで接してくれる彼らの存在は、私にとって掛け替えのないものです。彼らと同じ刻を共有できる自分は、本当に幸せだと感じています」
その答えに充分満足しながらも、サクヤはどうしても確認しておかねばならない事を切り出す。
「……そうですか……ならばこれ以上の説明は不要でしょう。ですが貴方が不快に思うと分かった上で敢えてお訊ねします……実の兄上であるリオン皇帝を、貴方は憎んでいますか?」
ほんの寸瞬の間が空いたが、セリスは愁色を濃くしながらも、自分の決意を吐露するのを躊躇わなかった。
「憎んでいないと言えば嘘になるでしょう。しかし、その憎しみに拘泥するのが、友人として接してくれる彼らに報いる方法だとは思えない。だから、何故あの様な暴挙に及んだのか兄に問い質し、その上で誤った道を正したいと思っています」
その言葉には既に迷いはなく、セリスの表情からも憂色は消えている。
期せずして決意を滲ませたその双眸に魅入られ、達也を彷彿させる彼の雰囲気に当てられたサクヤは、胸の中で何かが跳ねるのを感じて戸惑ってしまう。
(な、何かの見間違いだわ……こんな子供が達也兄さまと同じ訳が……)
内心の動揺を悟られまいと平静を装うサクヤだったが、間を置かずに続いた彼の一言で、そんな努力は木っ端微塵に打ち砕かれるのだった。
「それはそうと貴女には言っておきたい事があります。僅か二歳ばかり年上というだけで、姉のような顔をして説教するのは止めて戴きたい。御自身の年齢を鑑みれば、そろそろ嫁ぎ先の懸念もしなければならないでしょう? 『口煩い姫君』との悪い風評が立てば、皇国の体面にも差し障りが出るのではありませんか?」
本人は至極真面目な忠告のつもりなのだろうが、失恋してそう月日が経っていないサクヤには、癇に障ること甚だしい暴言でしかない。
胸の奥底から込み上げて来る不快感に、ピクッ、ピクッとこめかみ辺りが痙攣するのを自覚するサクヤだったが、それでも取り乱したら負けだと己に言い聞かせ、精一杯の笑みを美しい顔に貼り付けて皮肉交じりの罵倒を叩き返した。
「余計な御世話ですわ。私が誰の下に嫁ごうが、貴方には関係のない話ではありませんか? だいたい自分の未熟さを窘められたぐらいで、年上の女性に暴言を浴びせるなんて……その様な為体ですから子供扱いされるのです! それに、貴方のような可愛げのない弟など、私の方から御免被りますわッ!」
「なっ!! そ、そこまで言いますかっ!? それだったら私も言わせて貰いますが、だいたいですね……」
サクヤの言葉に憤慨したセリスも負けじと言い返す。
結局二人は白銀邸に帰り着くまでずっと、黄昏時の淡い温もりの中で他愛もない口論を続ける羽目になったのだが、ふたりにとってそれは不快なだけではない……とても不思議な感情に彩られた出来事だったと、後々になって気付くのである。
 




