第三十九話 砂上の楼閣は脆くも崩れゆく ④
銀河連邦総軍本拠地であるアスピディスケ・ベース。
惑星ダネルの衛星軌道上に浮かぶこの堅牢にして巨大な要塞構造物は、銀河連邦の力の象徴であるばかりでなく、様々な新技術を生み出す場としても、広く銀河に知られた存在である。
特に軍政部傘下の技術開発局には銀河中から優秀な科学者達が集まり、革新的な研究に取り組んでいるのだ。
大小様々なラボラトリーの数は千にも上り、勤務する人間の数は下っ端の研究員まで含めれば、実に十万人にも達する規模だった。
※※※
「幾ら火急の用件だったからと言って、我々ではなく、執務室の女性秘書官に連絡を入れるのは止めて戴きたい!」
キャメロット腹心のランデル中佐が、不快感を隠そうともせずに苦言を呈すのを、サイモン・ヘレ博士は惚けた顔で聞き流す。
ここは技術開発局でも奥まった場所にある小規模ラボラトリーの密集区画であり、その中の一室を与えられたサイモン・ヘレの研究室でもある。
研究室と呼ばれてはいるが、高級ホテル並みの豪華な居住空間が併設されており、気軽に外出できないのを除けば、至れり尽くせりの環境が整っていた。
秘匿性の高い研究が行われているが故に、この区画への部外者の立ち入りは厳しく制限されており、偶然にしろ他者から見咎められる心配はない。
また、此処に籍を置く研究者達は自身の研究以外には関心がなく、他の研究者の動向を詮索する様な物好きは皆無だ。
言うなれば、脛に傷持つヘレ博士には極めて都合の良い環境が整っており、誰にも邪魔されずに秘匿兵器の分析に没頭するには絶好の場所だったのである。
そんなヘレ博士から『至急ラボに来られたし』という一方的な連絡を受けて困惑した女性士官の顔を思い出したランデルは、苛立ちから更に声を荒げてしまう。
博士と面識もなくその正体も知らない彼女にしてみれば、上官に取り次ぐべきか否か迷ったのは当然であり、相談されたランデルが眩暈を覚えたのも極めて当然の反応だと言えた。
「正体が露見して困るのはお互い様でしょう!? 連絡は私かオルドーを通すよう厳守して戴きたいッ!!」
そんな彼の苦言に面倒くさそうに鼻を鳴らすヘレ博士。
その態度に激昂しかけたランデルを制したのは、他ならぬキャメロットだった。
「もうそれ位でいいだろう、ランデル。それで博士、依頼していた件に何か進捗がありましたか?」
その問い掛けを待ち侘びていたのか、渋面を浮かべていたヘレ博士は、一転して喜色を滲ませた顔で声を弾ませる。
「勿論さ。そうでなければ、こんな小五月蠅い男のヒステリーに付き合う趣味など、私は持ち合わせてはおらんよ」
鬱憤晴らしに軽口を叩いたヘレ博士は、視線を険しくするランデルには御構いなしに一気に捲し立てた。
「ファーレン王国が秘蔵している『精霊石』は、まさにマジックアイテムと呼ぶに相応しい奇跡の物質だぞ! 使用者の能力を補完増幅するだけではなく、その伝達される意志に絶対的な強制力を付加する能力を有しているのだ!」
興奮を露にする博士の解説はひどく抽象的だったが、言わんとする内容は朧気ながらもメージできる。
だが、それだけでは、あの驚異的な性能を誇る迎撃兵器が、如何なる手段を以て稼働していたかの説明にはならない。
「ファーレンの貴石が神秘の力を秘めているのは理解できました……しかし、あの小型無人迎撃兵器の全容を解明したとは言えないのではありませんか?」
核心をついたキャメロットの問いに、意味深な笑みで口元を歪めたヘレ博士は、その双眸に狂気の光を宿らせて哄笑する。
「そんな些事は最早どうでもいいのだッ! 肝心なのは『精霊石』を得て、我が『フォーリン・エンジェル・プロジェクト』が真の意味で完成するという事実だけなのだからなぁ──ッ!」
再び胎動を始めた悪夢が銀河の秩序を喰らい尽くす……。
博士の雄叫びからそんな甘美な幻想を思い浮かべたキャメロットは、知らず知らずのうちに口角を吊り上げて冷淡な笑みを浮かべていた。
(あの忌まわしき狂気が蘇り、無慈悲で虚飾に満ちた世界を終局に導く……人の世など所詮は脆弱な砂上の楼閣に過ぎない……ならば、いっそ滅ぶべきだッ!)
◇◆◇◆◇
「やれやれ……漸く終わったか……」
倦怠感と共に蓄積した滲む疲労を自覚し、達也は溜め息交じりに呟いた。
『精霊石』の取り扱いについてヒルデガルドと協議し、近日中にファーレン王国のエリザベート女王と会談の場を持つと合意したまでは良かったのだが……。
蓮や詩織ら若手の訓練指導や、新設される学園特区の視察に忙殺されてしまい、気が付けば日付が変わろうかという時間になっていたのは完全に想定外だった。
(仕事、仕事……仕方がないとはいえ因果なものだ。分相応の生き方で満足すれば良いものを、なまじっか理想を捨てきれないばかりに大切な者達にまで苦労を掛けてしまう)
そう慨嘆しながらも家路を急ぐ達也の脳裏を過ぎるのは、自分の運命に否応なく巻き込んでしまった愛妻と子供達の存在に他ならない。
自分のような陸でもない男に出遭いさえしなければ、もっと穏やかで幸福な生き方を得られたのではないか……。
今更考えても仕方がないと分かってはいても、周囲を取り巻く厳しい状況を自覚する度に、胸に去来する悔恨の情を持て余してしまう。
(今は為すべき事をやるしかない……そうでなければ、死んでいった大勢の者達も報われないだろうからな)
そう心の中で呟くのと同時に我が家の巨大なシルエットが目に入り、達也は迷いを胸の奥底に封じて表情を改めた。
苦悩する顔など最愛の家族に見せて良いものではない……。
それは達也なりの矜持であり、譲れない信念でもある。
時間が時間だけに皆も寝静まっているだろうと思ったのだが、屋敷の窓から微かに光が漏れ出る場所を見つけた達也は小首を傾げてしまう。
(由紀恵母さんや正吾達はもう休んでいる筈だし、子供たちが起きている時間でもないが……)
そう考えれば明かりの主は自ずと察しがついた。
物音を立てずに玄関から邸内に入り、薄明りの廊下を足音を忍ばせて目的の部屋まで移動する。
三分の一ほど開いたキッチンのドアの隙間から漏れ出る明かりに誘われるように中を覗くと……。
大きくなったお腹の所為なのか、何処か窮屈そうにしながらも、料理の下拵えに精を出すクレアの姿があった。
「もしもし、奥さん? こんな夜分にお夜食の準備とは感心しないね?」
「ひいっ! あっ……な、なんだ達也さんだったの……もうっ! ビックリさせないで! 心臓が止まるかと思ったわ」
思わず冗談を口にした達也だったが、愛妻は想像以上に驚いたらしく、憤慨して唇を尖らせながら文句を言う。
「あ~~ごめん、ごめん。こんな遅い時間に明かりが点いていたから何事かと思ってね……明日の朝食の仕込みかい?」
「もう……そうやって直ぐに誤魔化すんだから……でも、お帰りなさい達也さん。遅くまでお仕事ご苦労様でした」
拗ねた様な物言いは一瞬であり、何時もの柔らかい微笑みを浮かべたクレアは、労いの言葉を掛けてから夫の質問に答えた。
「さくらが幼年保育を卒業するでしょう? だから、明日の卒業式が終わった後で卒業生全員で簡単なパーティーをするの。でも、お菓子とフレッシュジュースだけの簡素なものだから、せめて種類だけでもと思って……」
妻に言われて初めて愛娘の大事な節目を思い出した達也は、自身の迂闊さに嘆息し自虐的な呟きを漏らしてしまう。
「やれやれ……つくづく俺は父親失格だな。愛娘の大切な日すら失念するなんて……本当に済まない」
だが、そんな夫を責めるでもなく、愛妻は微笑んだまま慰めの言葉を口にする。
「今のあなたには大切なお仕事があるのですから……それは私も、そして、さくらも良く分かっているわ。だから、そんなに気に病まないで」
「とは言ってもね。今日も殿下から『忙しさに感けて、愛妻を蔑ろにしている君が悪い』と揶揄われたばかりでね。改めて自分の不甲斐なさを思い知らされて、少々凹んでしまうよ」
「もう! 達也さんらしくもないっ! そんな弱気では、あなたに期待する全ての人々がガッカリするわ……でも、まあ……」
一旦は不満げに唇を尖らせたクレアだったが、急に照れくさそうな表情を浮かべるや、消え入りそうな声で本音を漏らす。
「……忙しい中、私の事も気に掛けていてくれていたのだと知れば、やっぱり嬉しいわ……うん、嬉しい」
愛妻の無邪気な物言いとその笑顔に達也は心癒される思いだった。
「馬鹿だな……俺が君を忘れる筈がないじゃないか。何時だって想っているよ」
だから、気恥ずかしいのを我慢して精一杯の賛辞をプレゼントしたのだ。
その言葉に表情を綻ばせたクレアは、大きくなったお腹を庇いながらも、そっと夫の胸に寄り添ったのである。
◇◆◇◆◇
クレアがお菓子類の仕込みの仕上げをする間に、達也はお風呂に入って汗と疲労を癒す。
因みに『一緒にどう?』と誘ってみたが、既に入浴は済ませたとの返事があり、少々残念に思う達也だった。
サッパリとした気分で寝室に戻ると、ゆったりした寝間着に着替えたクレアが、寝酒のつもりなのかブランデーを用意して待ってくれていた。
然もグラスは二つ……達也は思わず苦笑いして揶揄う。
「珍しいね。君がブランデーなんて?」
すると愛妻は夫の隣に腰を下ろすや、何処か澄まし顔で意味深な問い掛けをしてきたのだ。
「さて、神将白銀達也閣下に質問です。今日三月十日は、一体全体何の日でしょう? 因みに大切な記念日ですからね」
その仰々しい物言いと突飛な質問に戸惑う達也だったが、脳内で日付を繰り返すうちに正解が閃き、思わず破顔し声を弾ませた。
「そうか! 三月十日……俺が地球に帰って来て、君に初めて出逢った日だね! 青龍アイランドに向かう船上だったな……」
「ピンポ~~ン! 正解です! 良く思い出せたわね。感心、感心」
破顔して燥ぐ妻は御褒美として、ブランデーを注いだグラスを達也に手渡すや、残る一つを手にする……二つのガラス器が軽く打ち鳴らされ同時に夫婦は微笑みを交わしあう。
「本当に不思議なものね……今こうしてあなたと夫婦になっているなんて、一年前のあの時には想像もしなかったわ」
如何にも愉快だと言わんばかりにクレアが微笑めば、達也も釣られて口元を綻ばせた。
「そうだね。左遷された地球で最高の伴侶に出逢えるなんてなぁ。然も、君の様な素敵な女性が俺の様な強面の唐変木を好いてくれたんだ。俺は生まれて初めて神様の存在を信じたものさ」
「まあっ! うふふふ。そんな罰当たりな事を言っていると、由紀恵母様に叱られてしまうわよ。それに、私はあなたの真摯で優しい人柄に魅かれたんですもの……見た目なんか関係ないわ」
そう言いながら傾げた頭を達也の肩に乗せたクレアは、心地よさそうに柔らかい笑みを浮かべる。
だが、達也は愛妻の言葉に素直に喜ぶ心境にはなれず、躊躇いがちに慚愧が滲む問いを返した。
「なあ、クレア……本当に後悔していないかい? 俺なんかを好きになったばかりに反逆者の汚名を着せられて地球を追われ、その挙句、この辺境の惑星で隠遁生活を余儀なくされてしまった。然も、この先も生き残りを賭けた凄惨な戦いが待っている……俺と出遭わなければもっと平穏で豊な人生があったんじゃないか? そう考えると何だか遣り切れなくてね……」
自分の口から零れた言葉が後悔という刃となって胸に突き刺さる。
そうであって欲しくはないという思いと、そう嗤笑されても仕方がないという 自嘲が心の奥底で鬩ぎあう。
だが、ほんの寸瞬の間を経て帰って来たのは、意外にも呆れを含んだ揶揄う様な言葉だった。
「本当に馬鹿ね……毎日朝から夜遅くまで仕事に追われていた中で、そんな詮無い事を考えていたの? 達也さんって豪胆に見えるけれど、意外に繊細な所があるのよね……尤も、そこが可愛いのだけれど。うふふふ」
そう言って笑う愛妻からは欠片ほどの悲嘆も窺えず、寧ろ亭主の性格分析をする余裕さえある始末。
肩透かしを喰って脱力した達也が、渋い顔で文句を言おうとした刹那……。
しなやかな人差し指でそっと口を押えられ、不満を封じられてしまう。
そして、優艶で喜色に満ちた妻の言葉に心を揺さぶられたのだ。
「私が後悔なんかする筈がないじゃない。達也さんに出逢えた御蔭で、私もさくらも苦しみから解放されたわ。その上、ティグルやユリア、そしてマーヤという素敵な子供達ともめぐり逢って家族になれたんですもの……だから私は今とっても幸せよ。あなたのお嫁さんになれて本当に良かったと思っているわ」
何の虚飾もない素直な想いの吐露に、達也は不覚にも双眸に熱いものが滲むのを自覚してしまう。
込み上げてくる喜びに想いを任せてしまえば、きっと無様な姿を晒すだろう。
そう思ったからこそ精一杯の虚栄を張って、短い言葉で謝意を伝えたのだ。
「ありがとう……君には心から感謝しているよ……だからいつまでも俺の隣にいておくれ……」
その言葉が嬉しくて、達也に寄り添うクレアは何度も頷くのだった。
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