第三十九話 砂上の楼閣は脆くも崩れゆく ②
「そんな馬鹿な! どうして……どうして、そんな惨い真似ができるんだっ!」
ジュリアンの口から語られる凄惨な話を聞いたセリスは、悲痛な想いに打ちのめされて呻くしかなかった。
苛烈を極めたクーデータが帝国に齎したのは、旧主派に対する陰惨で徹底した粛清の嵐だった。
ザイツフェルト皇帝が弑逆されたのを皮切りに、主だった重臣達は問答無用で誅殺され、市中広場に曝された彼らの首は、帝都臣民を恐怖のどん底へと突き落としたのである。
だが、惨劇はそれだけに止まらなかった。
リオンは血に濡れた刃を自身の身内にまで向け、母である皇后や側妃に愛妾などザイツフェルトの妃ら全員を処刑した上に、血の繋がった弟妹達までをも情け容赦なく粛清したのだ。
その結果、前皇帝の血を継し者はリオン唯一人となり、正当な継承者として帝国の全てを手中にしたのである。
「帝室の方々の処刑は一般にも公開され、市民にはそれを見届けるようにとの布告まで出されたようです。まだ十代そこそこの子供達まで処刑されるとあって大半の市民は眉を顰めたそうですが、新皇帝のやり様を非難する者は片っ端から捕らえられて投獄される始末……現在は恐怖政治が蔓延している状態です」
肉親らの無惨な末路を思い悲嘆にくれるセリスは堪え切れずに痛哭の涙を流し、ジュリアンは掛ける言葉もなく瞑目するしかなかった。
しかし、何時までも悲しんでばかりもいられない。
どんなに嘆いた所で死者が蘇る筈もないのは自明の理だ。
ならば、生き永らえた者は死者の分まで今生を生き抜くしかない……。
長い軍人生活の中で悟った諦念を胸に、達也は処刑されたセリスの親族に哀悼の意を捧げて心から冥福を祈った。
そして表情を改めるや、悲劇の渦中にある皇子に問うたのである。
「セリス皇子……貴方が進むべき道は貴方自身が決めるしかない。死んだと思われているのを幸いに、身を隠してひっそりと生き永らえるか……」
「有り得ないッ! そんな不様な真似は断じてできませんッ!」
不本意な選択肢を声を荒げて遮ったセリスは、空虚なだけの生を断固拒絶した。
「私は……私は兄を許せないッ!! どんな理由があったのかは知る由もない……しかし! 肉親を、幼い弟妹達の命まで奪っていい筈がないじゃないかッ! 然も父が愛し護ろうとした帝国の民を虐げて恥じもしない。そんな破廉恥な行為は看過できませんッ!」
一気に捲し立てたセリスは、達也を見据えて決意を露にする。
「微力ながら私も貴方の力になって見せますッ! ですから……どうか! どうか私にも御助力を賜りますようっ! お願い致します、白銀提督っ!?」
セリスは険しい顔でそう懇願して深々と頭を下げた。
強い決意が滲むその表情から彼の本気を察した達也は、鷹揚に頷いて了承の意を示すや、念を押すかの様に言葉を返す。
「貴方自身がそう決めたのならば、私も出来る限り協力致しましょう……ですが、その想いを成すのは、決して容易な道程ではない……そう覚悟して下さい」
敬愛する神将から助力を確約されて喜色を浮かべるセリスは、何度も頷いて感謝の意を露にした。
だが、セリスを匿い助力を約すというのは、リオン新皇帝を、延いてはグランローデン帝国を敵に廻すという事に他ならない。
銀河連邦のみならず、帝国をも同時に相手取るのは無謀に等しい選択だが、両者が密約を交わす間柄だと看破している達也にとっては今更の話でしかないのだ。
(強大な相手に尻込みするほど初心な神経は持ち合わせていない……寧ろ、苦難に満ちた道程の方がやり甲斐があっていいさ……)
口元に不敵な笑みが浮かぶのを自覚しながらも、高揚する心の中など微塵も見せず、達也は眼前の年若い二人を見据えて口を開く。
「先程ジュリアンには少し話したが、銀河連邦軍とグランローデン帝国……具体的には、ローラン・キャメロットと新皇帝の思惑が一致した結果、両者は不可侵協定を結んだ……そう私は見ている」
ジュリアンは納得済みである為、その言葉に頷いただけだったが、初耳のセリスは双眸を見開き狼狽を隠せない。
「そ、そんな突拍子もない……あ、有り得ませんよっ! だって銀河連邦も帝国も相手を仮想敵と定めて対立して来た間柄ですよ?」
信じられないと言わんばかりに語気を荒げるセリス。
しかし、達也が微苦笑を返すと、話の途中で口を挿んだ無礼を恥じた彼は、顔を赤らめて口籠った。
「勿論『盟友として協力し共に銀河の覇権を掴もう』……そんな高尚な話じゃないさ。飽くまでも双方の問題が解決するまでの一時的な密約……暫定的な妥協に過ぎないと思う」
迂遠な達也の物言いをもどかしく感じながらも、取り乱した己の醜態を恥じ入ってか、セリスは想いを言葉に出来ないでいる。
そんな世慣れていない皇子殿下を見かねたジュリアンは、さり気なく彼の心情を代弁した。
「双方の問題とは? 帝国のリオン新皇帝が革命の正当性を確立し、己の権力を盤石なものにする為の時間を欲したのは充分に理解できますが、それを指を咥えて看過する銀河連邦……いや、モナルキア派に何の得があるのですか?」
「おそらくは……これから、あるのだろうさ。何時の時代も軍部を掌握した蒙昧な権力者が考えるのは、凡そ碌でもない事ばかりだ……差し詰め七聖国が牛耳る最高評議会を無力化し、延いては、銀河連邦を己のものとし覇権を握る。その間帝国は連邦に対し不干渉を貫く……確証はないが、この辺りが妥当な落し所だろうね」
事も無げにそう言い切る達也の言には筋が通っており、若いふたりは納得し頷かざるを得ない。
その推論は至極尤もなものであり、それに思い至らなかった自分を恥じるふたりだったが、彼らを責めるのは酷だとも言えるだろう。
そもそも敵対していた銀河連邦と帝国が過去の恩讐を越え、協力関係を構築すると考える方が荒唐無稽なのだから。
「帝国のリオン新皇帝にしても、自身の基盤を確固たる物にするには今暫くの時間が必要だろうし、如何に軍部を掌握したモナルキア派とはいえ、絶対的権力を有する七聖国の絆に楔を打つのは容易じゃない……まぁ、双方それぞれの事情で時間が必要だった……それ故の共闘だと考えるのが妥当だろう」
そんな達也の分析に、セリスは言い知れない畏怖を懐かざるを得なかった。
(感情的になるでもなく、無知蒙昧な推論に酔う訳でもない。この御方は一体全体どこまで見通しておられるのだ……)
嘗て、反乱分子の襲撃で絶体絶命の窮地に陥った時、神業かと見紛わんばかりの指揮を見せ付けられた衝撃が脳裏に蘇る。
その瞬間に背筋を貫いたのは歓喜だったのか、それとも……。
セリスは胸を衝く熱い感情に思わず身震いしていた。
「何度も言うが両陣営の思惑がどうであれ、今の我々にできる事は限られている。君達には今後も無理をお願いするが、どうか私に力を貸して欲しい」
そう言って達也が頭を下げるや、ジュリアンとセリスは揃って大きく頷いて協力を約束した。
……と、その時だ。
「お~~い! 達也ぁ! お邪魔するよんッ!」
前触れもなく入り口が開かれるや、緊張感の欠片もない言葉と共にヒルデガルドが入室して来た。
「おやん? 来客中だったのかい? これは失敬、失敬。それにしても昼間っから美少年を二人も侍らすなんて良い身分じゃないかい? 不埒な真似をする気なら、クレア君に言い付けちゃうぞッ!?」
七聖国の一柱でもあるファーレン王国次期女王候補筆頭を前にしたジュリアンとセリスが恐懼して礼を尽くす中、達也は呆れ顔で彼女に苦言を返す。
「やめてくださいよ殿下。ただでさえ出産を控えて慌ただしいのに、バラディースの住人やアルカディーナ達からの相談事まで引き受けてしまって、天手古舞している真っ最中なんですよ? 冗談でも本気にし兼ねないほどクレアにも余裕がないのですから、これ以上煩わせるのは止めて下さい」
「あはははは! それは御愁傷様だよん! でもそれは、忙しさに感けて愛妻を蔑ろにしている君が悪いんじゃないのかい?」
ヒルデガルドの容赦ないツッコミに顔を顰めるしかない達也。
彼女に指摘されるまでもなく、最近ではクレアとゆっくり話す時間も取れないでいる自覚はあるし、出産前の不安な時期に力になれずに忸怩たる想いもある。
だからこそ、彼女の言葉が胸に突き刺さるのだが、張本人たるヒルデガルドは、そんな達也の心情には御構いなしに言葉を続けた。
「実は相談したい話があるんだけれど……う~ん、出直した方が良いかい?」
すると、頃合いだと察したジュリアンとセリスが達也に一礼し辞去を告げる。
「それでは私達はこれで……二日ほど滞在しますので、またお時間を下さい」
「失礼致します。今後も御指導の程を宜しくお願い致します」
達也が笑顔で感謝の言葉を返すと、ふたりは揃って退出した。
「さて……暴虐無人を絵に描いたような貴女が『出直した方が良いか?』などと、珍しく人並みの配慮をしましたが……今度は何を企んでいるんですか? 殿下」
二人っきりになった室内で警戒心を露にして問うた達也だったのだが……。
「い、嫌だなぁ~~そんなに警戒されると、取るに足らない些事でも切り出し難いじゃないか」
何故かモジモジと恥じらいながら、不気味と評するしかない流し目を送って来るヒルデガルド。
これは関わってはいけない案件だ……そう本能で察した達也は、思わず椅子から腰を浮かせかけたが、瞬間移動してきたヒルデガルドに背後から両肩を押さえられ、その見た目からは想像できない馬鹿力で強引に座らされてしまう。
「なんだい、なんだい! 随分と薄情じゃないか……あんな手間暇かかる面倒事を押し付けておいて、君はボクの些細なお願いすら聞いてくれないのかぁ~~い?」
ニマニマと意地の悪い笑みを浮かべながらも、彼女の口から零れたのは恫喝以外の何物でもない。
しかし、このモードのヒルデガルドが絶対に妥協しないのを知っている達也は、深い溜息を吐いて観念するしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
一方達也の下を辞去したセリスは、ジュリアンに誘われる儘に白銀邸の奥にあるサンルームを訪れていた。
そこに待っていたのは、自身の窮地を救ってくれた真宮寺蓮と如月詩織。
そして、生死の境を彷徨っていた間ずっと看病してくれていたサクヤ・ランズベルグだった。
彼女がかの七聖国の一柱ランズベルグ皇国の第一皇女だと知って驚きはしたが、その気さくな性格にも助けられて、セリスは直ぐにサクヤと打ち解けたのである。
彼女の類稀なる美貌に心奪われてはいても、帝国軍人としての矜持もあってか、そんな素振りはおくびにもださずに平静を装っていた。
しかし、そんな努力を嘲笑うかの様な声が背後から投げ掛けられ、驚いたセリスは肩を跳ねさせてしまう。
「セリス兄さま。そんなに見惚れていては、サクヤ様に失礼ではありませんか?」
その声に反応した一同が顔を向けると、そこには人数分の紅茶を乗せたトレーを抱えるユリアが立っており、妙に冷たい視線を兄へ向けている。
だが、狼狽を露にしたセリスが弁明するよりもはやく、当のサクヤが含み笑いを漏らしながら爆弾を投下した。
「ユリアさんったら。そんな風に揶揄うものではありませんよ。折角達也様が、『年の近い若者同士仲良くする様に』と機会を設けて下さったのです。病み上がりの兄上様を気遣う気持ちは分かりますが、もう少し素直にならなければ……そんな事ではジュリアンさんも呆れられてしまいますよ?」
思わぬ所から反撃を受けたユリアは憤慨と羞恥に顔を赤く染めるや、視線を険しくしてサクヤに抗議した。
そんな想い人の微笑ましい様子にジュリアンは何処か嬉しそうだし、蓮も詩織も顔を見合わせて笑い合っている。
そんな他愛もないやり取りが妙に新鮮に感じられたセリスは、思わず相好を崩してしまう。
その馴染みのない感情は、軍人として懸命に生きて来た彼をして心地良いものに他ならず、心に温かい風が吹くかのようだった。
これが、この後一生ものの付き合いになる者達との出逢いであり、それはセリスにとって掛け替えのない財産になるのだが……。
苦難の直中にいる彼がそれを知るには、今暫くの時間が必要だったのである。




