第三十九話 砂上の楼閣は脆くも崩れゆく ①
「……うっ……うぅぅ~~~」
一体全体どんな顔をすればいいのだろうか……。
頬の辺りが引き攣るのを自覚するユリアは、言葉を失くして呻くしかなかった。
寒気も緩み始めた三月上旬。
当初予定の工期が満了し、完成した新都市への移転開始を来週に控えた、春先のとある午後の白銀邸。
屋敷の玄関口に佇むユリアの視界は艶やかな真紅の薔薇で埋め尽くされており、彼女は呆然とその光景を見ているより仕方がなかった。
薔薇は地球由来の花であるが、銀河連邦評議会に加盟し開星してからというもの、その美しさを愛する人々の需要に応えて銀河中に拡散し、各星域で改良を施された多彩な品種が栽培されるに至っている。
その美しさは種族の嗜好を問わず、多くの女性を魅了してやまない。
その結果、観賞用としても贈り物としても確固たる地位を築いていた。
しかし、どんな場合も限度というものがある筈だ……。
ユリアが困惑する原因は、その一点に尽きる。
『視界を埋め尽くす真紅の薔薇~』というのは、眼前に薔薇の花園が広がっているという意味ではなく、『自宅の玄関を埋め尽くすほどの薔薇の花束』という呆れるしかない代物を指しているからだ。
抱えている人間の上半身が完全に隠れてしまう程の大きな花束なのだから、決して大袈裟な感想ではないはず……。
己の価値観を正当化する為に、そう心の中で自問自答するユリア。
とは言うものの、迷惑かと問われれば、それも違うと思うから厄介なのだ。
いや、嬉しいという気持ちは確かにあるのだが、それを素直に認めるのは何だか癪な気がして……。
だから、つい嫌味を含んだ物言いが口から零れたのである。
「ねえ、ジュリアン……あなたは限度というものを知らないの? それとも自分はお金持ちだと自慢でもしたいのかしら?」
その途端、巨大な花束の端から頭の先だけを覗かせた間抜けな来訪者が、憤慨しながらも熱い想いを吐露した。
「そんな言い方は酷いよ! この前ヘンドラーで再会した時の事を謝ろうと思っているだけなのに……それに、僕の君に対する気持ちは、この程度の薔薇で伝えきれる様な浅薄なものじゃないんだ!」
何気に格好良い事を言っているが、髪の毛だけしか見えないのでは、何を言われても滑稽でしかない。
「ぷっ! ば、馬鹿ね。限度を考えなさいと言っているのよ。『過ぎたるは猶及ばざるが如し』と言うでしょう? これじゃあ、素敵な花束もコメディの小道具みたいで台無しじゃないの」
思わず吹き出してしまったユリアだったが、それでも彼の気持ちが嬉しくて顔を綻ばせてしまうのだった。
「ちぇっ……つい気持ちが逸ってさぁ……あぁ~~失敗かぁ……」
窘められて意気消沈するジュリアンだったが……。
「でも、花束を貰うなんて初めての経験だから嬉しいわ……然も、こんなに素敵な薔薇の花……ありがとうね、ジュリアン」
一転して消え入りそうな程の小さな声で感謝されたかと思うと、抱えていた花束がふわりと浮いて、そのまま少女の腕の中に納まってしまう。
薔薇の花の隙間から微かに覗くユリアの顔には薄い朱が差しており、その可憐な趣に見惚れたジュリアンは、感嘆の吐息と共に立ち尽くすしかない。
「やっぱり失敗だったなぁ……大き過ぎる花束が邪魔をして、君を抱き締められないじゃないか……あ~~ぁ、残念無念」
「ば、馬鹿……ドサクサに紛れて何を言っているのよ……」
彼の言葉に胸を揺さぶられたユリアは嬉しいやら気恥ずかしいやらで、朱が滲んだ顔を薔薇の花束で隠すのだった。
しかしながら、初々しい少年少女の語らいも、自宅の玄関先で織り成すには些か不用意だったようで……。
「うわぁ~~~ユリアお姉ちゃん、すっごくかわいい~~。みてみて、お姉ちゃんのお顔、真っ赤だよぉ──ッ!」
「ばかっ、さくら! 声が大きいッ! バレちゃうだろ──が! しかし、なんか弱っちそ─な奴だなぁ~~あんな優男にユリア姉を任せて大丈夫なのか?」
「うぅぅ~~赤いお花、とってもきれい……いいな、いいな、ユリアお姉ちゃん、いいなぁ~~」
背後にある豪奢な造りの階段の陰に身を潜めていながらも、自分達の存在を全く隠す気がない弟妹達。
背中に突き刺さる興味津々といった視線と羨望の声に、ユリアの両肩が小刻みに震えだす。
それは怒りの為か、それとも単に気恥ずかしいが故のものだったのか……。
「あ、あははは……これは迂闊だったかな……」
階段の端から顔を覗かせるさくら、ティグル、マーヤの三人に、苦笑いしながらも手を振ったジュリアンの言葉が引鉄になり、ユリアの怒声が玄関ホールを震わせるのだった。
「あなた達ぃ──ッ! 覗き見なんて破廉恥な真似は許しませんッ! 全員お説教してあげるから、そこに正座しなさあぁぁぁ──いッッ!!」
◇◆◇◆◇
「あはははは。あの様子では、当分はオカンムリだな」
二階にある執務室の入り口から階下を覗き見た達也は、快活な笑い声を漏らしてしまう。
怒りに顔を赤くしたユリアが腰に両手を当て、眼前に正座させた弟妹三人を叱り飛ばしている光景は、ある意味父親として達也が渇望したものだと言える。
「す、すみません……彼女に会えると思ったら気が逸ってしまって……つい……」
如何にも申し訳ないといった表情で頭を掻くジュリアンを、達也は静かにドアを閉めてから慰撫した。
「なぁに、気にする必要はないさ。寧ろ、私は感謝しているぐらいだよ。あの娘は自分の気持ちを人に見せるのが下手だからね……君との付き合いが、ユリアの頑なな心を解きほぐしてくれるのならば万々歳だよ」
仲の良い弟妹達にさえ何処か遠慮がちな態度を見せていたユリアが、漸く本当の意味での家族になれたのだ。
それが嬉しくて達也は上機嫌だったが、客人に時間を浪費させるわけにもいかないと思い直し、着席するように促した。
ジュリアンは勧められるままにソファーに腰を下ろすと、達也が対面に座るのを待ってから祝意を口にする。
「新都市の完成おめでとうございます。上空から全容を拝見させて戴きましたが、落ち着いた良い街並みにで感嘆しました。サンライト艦長が『自分も此処に移住したい!』と騒いでいましたよ」
「ありがとう。『共生』の理念さえ尊重してくれるのならば、誰であっても移住は大歓迎だよ。艦長だけではなく、輸送艦隊乗員やご家族の方々も、是非御一考願いたいね。勿論、新規移住者には何かしらの特典をつけるのも吝かではないよ?」
そう言って愉快そうに笑う達也にジュリアンは微苦笑を返すしかない。
「御上手ですね。軍人を引退なさったら、私と一緒に商売をなさいませんか?」
「あっははは! それは無理だ。私はそんなに器用ではないからね。あぁ、それから、新都市の名前が『バラディース』に決定したよ……地球の言語のひとつでね、『天国』を意味する言葉なんだが、アルカディーナ達が大層気に入ってくれたので併設する移民船共々同一名で通す事にしたんだ」
「なるほど! それは良い名ですね。いずれこのセレーネ星が、文字通りの天国に……楽園になれとの願いが籠っている様で……素晴らしいと思います」
一頻り雑談を交わした後、頃合いを見計らってジュリアンが本題を切り出した。
「残念ながら……銀河連邦軍航宙艦隊総司令官であるガリュード元帥閣下の更迭が、近日中に本決まりになりそうです」
その声には先程までの快活さは微塵もなく、濃い無念が滲んでいる様にも感じられる。
それを聞いた達也は顔色ひとつ変えはしなかったが、胸の中では忸怩たる想いを懐かずにはいられなかった。
「止むを得ないさ……寧ろ、良く頑張って下されたと思う。だがね……私としてはやる瀬ない想いで胸が張り裂けそうだよ」
「白銀提督……」
「退役し平穏に過ごされていた閣下を煩わしい世界に引き戻したばかりか、大切な腹心であられたイェーガー閣下を死なせ、今またガリュード様の輝かしい御名声に泥を塗ってしまった……全ては私の責任だ」
それは紛れもなく達也の本心だが、嘆いてばかりもいられないと理解している。
だから、胸に澱む悔恨の情を振り払い、達也は表情を改めて口を開いた。
「それで、解任は何時頃になりそうなんだい?」
「は、はい……銀河連邦軍は現在モナルキア派が牛耳っていると言っても過言ではありませんから……情報筋からの話では、ここ一月か二月の間には確実……と」
「ふむ……これでモナルキア派が軍部を掌握するのは確実か……派閥の領袖が大元帥位にある以上、次の狙いは全権総司令官就任と評議会の切り崩し……」
達也の推測にジュリアンも頷いて同意する。
「最終的には銀河連邦大統領の座を狙っているのは明白です」
余りにも傲慢で盗人猛々しい野心が透けて見え、達也は苦虫を嚙み潰したように顔を顰めて舌を弾く。
「分かり切っていたとは言え、野心に囚われた者の強欲さは、いっそ悍ましくさえあるな……しかし……」
薄ら寒くさえある嫌悪感を懐きながらも、達也は余りに性急で短慮に過ぎる成り行きに違和感を覚えずにはいられなかった。
(我欲の命ずるままに巨大組織を牛耳る? 目指すのは貴族社会が統べる世界? その上で栄耀栄華を欲しい侭にする?)
そんな無知蒙昧で陳腐な野望を、彼が求めているとは思えないのだが……。
顔を合わせたのは僅かに二回という男の面影を、達也は脳裏に思い浮かべた。
(ローラン・キャメロット……オマエはなにを考えている? エンペラドルと俺を葬ってまで欲したものが、モナルキア如きが支配する世界なわけもあるまい?)
「し、白銀閣下?」
思考の海に沈んでいた意識がジュリアンの遠慮がちな声で呼び覚まされ、達也は軽く詫びてから自分なりの予測を吐露する。
「あぁ……済まない……兎にも角にも、今は積極的な作戦行動をとる訳にはいかないから、成り行きを受け入れるしかないよ。熾烈な攻防は最高評議会を巻き込み、政治の場へと移って行くのは必定だ。七聖国も一枚岩ではない以上、モナルキアが銀河連邦を掌握するのを止める術はない」
「しかし、仮にも七聖国を屈服させるとなれば、並大抵ではありませんよ?」
ジュリアンの台詞には大国に対する畏敬と確固たる信頼が滲んでいたが、達也は苦笑いしながら彼の意見を一蹴した。
「過去の栄光など悠久の時間の中ではちっぽけなものさ……風化し瓦解して行くのが自然の摂理だ。どんなに高邁な理想も強靭な組織も、何時かは腐りゆく。それは過去の歴史を鑑みても例外はない」
「つ、つまり、七聖国……いや、銀河連邦の歴史が終わる……そう貴方は見ているのですか?」
喉を鳴らし恐る恐る問うジュリアンに、達也は躊躇わずに彼の言葉を肯定した。
「おそらくは時間の問題だ……精々一年も持ち堪えれば上出来だろう」
「た、たった?」
千五百年以上連綿と歴史を積み重ねて来た巨大組織が潰える……。
俄かには信じ難いその予測に戦慄を覚えたジュリアンは口籠るしかない。
「それで? まさか娘に逢いたいが為に、多忙な財閥総帥が態々足を運んだ訳じゃあるまい?」
しかし、今回の来訪の目的が別にあるのを見透かされたジュリアンは、気を取り直して居住まいを正すや、本命の情報を口にするのだった。
「実はグランローデン帝国の現状なのですが……クーデターの顛末が、漸く判明したのです」




