第三十七話 生き残りし者 ①
「手術は成功しましたが、予断を許さない状況に変わりはありません」
五時間にも及ぶ手術を受けたセリス皇子が、辛うじて一命を取り止めたと医師から聞かされた達也は、手放しで喜ぶには早いと思いながらも胸を撫で下ろした。
ファーストミッションを終えて無事帰還したイ号ー四○○紅龍は、驚くべき情報と重要人物をセレーネ星へ齎した。
帝国でクーデターが発生したという事実は、今後の梁山泊軍の進路を左右しかねない重大事であり、クーデターの結果と、その後発足する新体制次第では、計画の抜本的な再検討が必要なのは衆目の一致する所だ。
当然ながら速やかな情報収集の必要があるが、ロックモンド財閥傘下の輸送部門も稼働を始めたばかりであり、世上に出回る憶測情報以上に詳細なものを得るのは難しかった。
そんな中で一縷の光明となったのが、詩織の果断な決断によって救出した、帝国第十皇子セリス・グランローデンの存在だ。
末席に等しいとはいえ帝室の一員であり、父皇であるザイツフェルト皇帝の近習であった彼ならば、詳細な情報を持っていても不思議ではなく、今回、彼の身柄を確保できたのは正に僥倖だったと言えるだろう。
しかし、帝星アヴァロン脱出以降、執拗な追撃艦隊の攻撃を受けた彼の座乗艦は敢えなく大破し、セリス自身も瀕死の重傷を負っており、辛うじて救出に成功はしたものの、既に、その命脈は風前の灯火だった。
幸いにも、紅龍に搭載されている医療カプセルは、負傷者の延命を第一義に設計された優れモノであり、辛うじてセレーネ到着まで彼の命火を護り通したのだ。
梁山泊軍には軍医の資格を持つ者が僅かしかおらず、彼らはアルカディーナ達の健康診断や慢性病の治療にと日々多忙を極めており、現状では作戦行動中の艦艇にまで軍医を常駐させる余裕はない。
その為に、素人でも比較的取り扱いが易しい、延命処置に特化したタイプの医療カプセルが搭載された訳だが、今回はそれが功を奏したのである。
だが、それ以上に称賛すべきは、カプセルの延命機能をフル稼働させてセリスの命火を繋ぐ間に、紅龍の全能力を振り絞って最短時間でセレーネへの帰還を果たした詩織らクルーの活躍に他ならないだろう。
何か褒美を出さなければならないな……。
そんな事を考えながら、達也は疲労の色を滲ませるドクターの言葉に頷いた。
「そうですか……ですが、きっと回復しますよ。彼の命を繋ぎ止めて戴き、心から感謝します」
深々と頭を下げる達也が謝意を伝えると、ドクターは照れた様に微笑んだ。
そして、二~三日は自動治療カプセルで経過を見ながら、逐次適切な治療を行う旨を告げ、ICUを後にしたのである。
医療用機材が整然と並ぶ集中治療室の最奥に設えられているカプセル。
まだ新品同然のそれを取り囲む様にして、子供達が特殊な硬質ガラス越しに中を覗き込んでいる。
ユリアは嘗て肉親だった兄に対する情に心が揺れるのか、憂いとも不安とも取れる複雑な表情で横たわるセリスを見つめていた。
対してさくらやマーヤ、そしてティグル達は、生死の境を彷徨っている男の子がユリアのお兄さんだと知り、只々純粋にその回復を祈っている。
「さあ、あなた達……明日も学校があるのよ。後は私が見ているから、今夜はもうお休みなさい」
クレアが微笑んでそう促したが、ユリアが血相を変えて抗弁した。
「そんな! お母さまこそお休みになられて下さい! 無理をしてお腹の赤ちゃんに何かあったら大変です。セリス兄さまは、私が、あっ!」
しかし、ユリアは唐突に抱擁されるや、クレアの心地良い温もりに包まれて言葉を途切れさせてしまう。
「あなたは長い航海を終えて帰って来たばかりなのよ。お父さんのお願いを頑張ってくれた上に、お兄さんの安否にも気を配ったのでしょう? だから、今夜ぐらいは私に任せてゆっくり眠りなさい。私は大丈夫……だって、この方はユリアのお兄さんですもの。だったら私の子供も同然だし、この子にとっても大切なお兄さんになるのではなくて?」
クレアの手が自分のそれを、少し膨らんで来たお腹の上に導いてくれる。
その奥に息づいている小さな命の鼓動を感じ、そして、始終一貫して変わらない母親の慈愛に胸を衝かれたユリアは、込み上げる熱い想いに瞳を濡らしてしまう。
すると今度は、さくらとマーヤが縋りついて来るや、躊躇いがちにではあるが、甘えた声で懇願してきた。
「ユリアお姉ちゃん……さくら、約束通り良い子にして待ってたんだよ。だから、今日はお姉ちゃんと一緒に寝たいよぉ~~」
「うぅ~~マーヤもいっぱい我慢したよ。寂しかったけど、泣かなかったよぉ」
大好きな妹二人から懇願されては、さすがに我を通しにくい。
困惑して顔を上げれば、視線の先にいるティグルが、ニカッと満面の笑みを浮かべており、『ユリア姉の負けだよ』と揶揄われている様で妙に腹が立ったが、逡巡したのは僅かな時間だった。
「心配しなくていい。セリス殿下は見掛けによらず豪胆な方だ。この程度の怪我に屈しはしないさ。此処はクレアに任せて、さくらとマーヤの面倒をみておくれ……如月御夫妻との面会を終えたら、僕がクレアと変わるから安心していい」
主治医との話し合いを終えた達也からそう諭されれば、それ以上抗う術はユリアにはない。
「分かりました。お父さま、お母さま……セリス兄さまを宜しくお願いします」
深々と頭を下げてそう懇願するユリアの顔からは憂いの色は消えており、それを見た達也とクレアは胸を撫で下ろす。
長女を中心にして、ワイワイ燥ぎながら部屋を出て行く子供達の背中を見送りながら、達也は念のために愛妻に訊ねた。
「ユリアがいるから問題はないだろうが、家までの帰り道は大丈夫なのかい?」
「ええ、心配しないで。正吾君がロビーで待ってくれているから」
「そうか……それじゃあ、俺も先に用事を片付けて来るよ。如月御夫妻と面談しなければ……院長室にいるから、何かあったら直ぐに連絡をくれ」
「あなたも無理はしないでね。それから如月さんの御両親には、明日私も御挨拶に伺いますと伝えて下さい……新居の準備は整っていますから、直ぐに入居可能よ。会談を終えたら御案内するよう担当士官に申し付けていますから、あっ、んんっ」
相変わらず行き届いた完璧な心配りと、子供達へ変わらない愛情を注ぐクレアが堪らなく愛おしくて仕方がない達也は、愛妻の柔らかい唇を己のもので塞ぎ感謝の気持ちに代えたのである。
◇◆◇◆◇
「お待たせして申し訳ありませんでした」
会談の場に指定した院長室に入室すると、ソファーで寛いでいた蓮と詩織、そして彼らの両親である信一郎と春香が立ち上がるや、会釈して出迎えてくれた。
生まれたばかりの愛華は、別室で女性士官が面倒を見てくれているらしい。
達也は彼らに歩み寄ると、信一郎と春香に深々と頭を下げて謝罪した。
「この度は大切な御子息と御嬢様を御預かりしているにも拘わらず、私の力が及ばなかったばかりに、この様な災禍に巻き込んでしまいました。また、貴方がたにも多大な御迷惑をお掛けして申し訳なく思っています。詫びて済む事ではありませんが、どうかこの通り……」
達也の性格を熟知している蓮と詩織は平然としていたが、初対面の信一郎と春香は、その腰の低い真摯な態度に目を丸くしてしまう。
彼らにとって白銀達也とは地球人初の銀河連邦軍将官であり、最高評議会から【神将】の称号を賜った英雄に他ならない。
バイナ共和国軍と海賊の連合艦隊を相手取り、これを完膚なきまでに叩いて地球の危機を救ったのは記憶に新しく、そんな雲の上の存在に等しい人間から頭を下げられれば、彼らが面食うのも当然だった。
「どうか頭をお上げ下さい、白銀閣下。貴方が頭を下げる謂れなど、何一つありません……寧ろ、地球人として、そして統合軍に籍を置いていた者として、私の方が閣下に詫びねばならぬ身です」
「此処に来るまでに、子供達から色々聞かされております……断罪されるべきは、卑劣な手段を用いて貴方様を貶めた者達でありましょう……どうか頭をお上げください。そうでないと、私共の方が居た堪れませんわ」
蓮と詩織から親同士が再婚したとは聞かされていたが、ふたりから伝わって来る極めて誠実な雰囲気は、達也にとっても非常に好ましいものだった。
その心遣いに感謝した達也は、再度謝意を述べてから寛ぐ様に勧める。
「御二人の御住まいは、私の自宅の隣家を用意しております。後で御案内いたしますが、家財道具は最低限のものしか揃えておりません。御存知かもしれませんが、現在新都市の建設を急ピッチで進めていまして、この春にも住民の移転を行う予定なのです」
対面のソファーに腰を下ろす早々に達也は話を切り出す。
「ほう……子供達から大規模な都市開発を行っていると聞いてはいましたが、もう完成したのですか?」
話を聞いた限りでは着工してまだ二月しか経っていないし、移転予定の時期まで残りの月日を含めても半年にも満たない。
驚き目を丸くする信一郎に、達也は微苦笑を返して言葉を続けた。
「取り敢えずは、我々入植組と先住していたアルカディーナ達の住居が完成するというだけです。希望者の受け入れや移民を募るのはこれからになりますが、まずは生活基盤を確保して産業を振興し、住民達が収入を得る手段を確立せねばなりません……ですが、難題は山積みの上に人手不足が喫緊の課題なのです」
「まあっ! それは素晴らしいですわ! 私は内科医の資格を持っていますから、是非とも働かせてくださいませ。娘の出産の為に休職していましたが、腕は落ちていませんわよ」
春香がそう言えば、信一郎も協力を申し出る。
「私には軍務以外に成し得るものはありませんが労は惜しみません。是非とも蓮や詩織同様に貴方の下で働かせてください」
「そう言って戴けるのは望外の喜びです。お医者様や看護師は圧倒的に不足しておりますので、アルカディーナの中から希望する者を募り、教育しようと思っています。是非とも奥様には、彼らの指導もお願いしたいのですが?」
その懇願に春香が笑顔で頷いてくれたのを見て、今度は信一郎に向き合い謝意を伝えた。
「経験豊富なベテランは貴重な戦力です。未熟な若手や新しい戦力の指導は急務ですので……是非! 貴方の御力を御貸し下さい。我々は、貴方がたを心から歓迎いたします」
信一郎も快く了承し、二人は固い握手を交したのである。
この後如月信一郎は軍政部門で類稀なる才能を発揮し、梁山泊軍の兵站を一手に差配して信頼を勝ち得ていく。
また、彼は教官としての能力も高く、多くの優秀な士官を育て上げて、梁山泊軍の戦力育成に大きく寄与したのである。
如月春香は優秀な内科医として辣腕を振るい、気さくで温厚な性格も相俟って、多くの住民から慕われた。
また、彼女に師事した若者たちは一廉の医師として大成し、セレーネの医学界を発展させる礎となっていくのである。




