第二話 大っ嫌いっ! ②
一連の騒動による喧騒も収まらぬ中、伏龍士官学校は夏期休暇を迎えていた。
例年ならば約半月の休暇期間中、候補生らはバカンスや里帰りに忙しいのだが、今夏はその様相を大きく変えており、校内は自主訓練に励む生徒達の熱気で息苦しいほどだった。
何故この様な事態になっているのかといえば、最新式の訓練用ヴァーチャルシステムが、銀河連邦宇宙軍から地球統合軍に贈与され、傘下の士官学校全てに導入されたからに他ならない。
当初は貸与に留まる筈だったのだが、同盟軍の戦力強化は銀河連邦軍にとっても有益である……そんな上層部の思惑も絡んで贈与と相成ったのだ。
豊富なシミュレーションパターンには、ここ五年間に銀河連邦軍が収集した実戦のデーターが余すところなく網羅されており、より実戦的で有益な訓練が可能になっている。
それ故に学年を問わずほぼ全ての候補生らが、目の色を変えて訓練に打ち込むのも当然だと言えるだろう。
しかし、候補生たちの学習熱が高まる一方で、彼らの教官である遠藤志保中尉の生活はあくまでマイペースだった。
「かあさん。動き廻って大丈夫なの? 暑いんだから無理しちゃ駄目よ」
「室内にいれば快適なんだから大丈夫よ。大体ねぇ、私を気遣ってくれるのなら、アナタも人並みに料理のひとつもできないとねぇ……お客様をお呼びしておいて、チーズやナッツみたいなオツマミしか出さないのは失礼よ?」
「うわぁっ! それは言わない約束じゃないのぉ? 料理の腕前は遺伝しないんだからね」
「何が『ね』ですかっ……練習をしないアナタが悪いんでしょう? 少しはクレアさんを見倣いなさい。そうでないと嫁の貰い手がなくて、一生独身で過ごす羽目になるのよ? 分かっているの志保?」
「はっ! 前向きに善処させて戴きます!」
「もうっ! この娘ったら返事だけは良いんだから……」
青龍アイランド北部港湾地区にそびえ立つ五十階建てのタワーマンション。
その中階層の賃貸物件で、志保は母親の美緒と一緒に暮らしている。
父親は十五年前に事故死しており、その時のショックで心臓疾患を併発した美緒は、それ以降入退院を繰り返していた。
完治させるには機能不全を起こしている心臓を人工心臓に置き換えるか、脳死によるドナーからの臓器提供を受け移植手術をするしかない。
美緒は確率の低い後者を選択しており、人工心臓の置換手術による確実な延命を望む娘の説得さえも拒んでいた。
そんな事情もあって、志保は女性でも一定以上の収入が確約されている職業軍人の道を選んだのである。
士官学校に入学すれば、学費免除の上に成績優秀者には僅かだが俸給が支払われるというのも大きな理由だった。
「そんなに気をつかわなくても大丈夫よ……今日来るのはエレンとアイラだけだもん。お酒と御つまみで気軽にやるから良いの」
「何を勝手な事を言っているの! 飲酒が認められているとはいえ、アイラさんは育ち盛りなのよ。あの娘に粗末な物はだせないわ!」
憤慨しながらも楽しそうに料理を作る母親の姿は、志保にとっても嬉しいものに違いなく、思わず目を細めて見入ってしまう。
志保からアイラを紹介された美緒は、どちらが本当の娘なの?と、実の娘が呆れる程に彼女を気に入ってしまい、家に遊びに来る度に腕を振るって美味しい料理を振る舞っている。
アイラも早くに母親を病気で亡くしている為か、美緒を実の母親同然に慕っており、傍から見れば二人の方が本当の母娘に見えるほどで、志保としては苦笑いするしかない。
(これじゃぁどっちが本当の娘か分からないわよね……でも、かあさんがすっかり明るくなって良かったわ)
一時は日々をベッドの上で無気力に過ごすだけだった母の姿を覚えているだけに、見違えるように元気になった様子に心から安堵していた。
そんな事を考えていた志保は、来客を知らせるチャイム音によって、現実に引き戻され顔を上げる。
二人が訪ねて来るには少々時間が早過ぎると思いながらもインターフォンに出ると、そこには何故か困り顔のエレオノーラが映っていた。
「随分と早かったわね。でも、暇を持て余していたから丁度良いわ。母さんの料理も完成した所だから、早く上がって来てちょうだい」
エレオノーラの異変などさして気にしない志保は、マンション玄関のロック解除とエレベーターの起動信号を送る。
何らかの手段で不審者が入り口のセキュリティを突破したとしても、エレベーターが動かずに階段もないとなれば、それ以上の侵入は不可能だ。
至って安易な警備システムだが、それだけに効果は抜群だった。
因みに、万が一の際の脱出システムは他に確保されている為、住人からの苦情も今の所は皆無である。
しかし、暫しの時間が経過した後、自宅玄関のベルが鳴り響いたので迎えに出てみれば……。
「やっほ──ッ! 楽しい女子会があると聞いて、やって来たよぉ~~ん!」
キラキラと目を輝かせ、既に弾けたテンションのヒルデガルドが跳びはねている姿を見た志保は唖然として立ち尽くすしかなかった。
然も、その後ろでは申し訳なさそうに両手を合わせているエレオノーラの姿があり、それを見て全てが手遅なのを察した志保は、受け入れるまでに三秒と掛からなかった自分の気っぷの良さを褒めるべきか、それとも諦めの早さを責めるべきか、大いに悩んだのである。
◇◆◇◆◇
ホーネスを発したロックモンド財閥のプライベート船は、一路惑星バンドレット目指し定期航路を航行していた。
このまま問題なく航海プランを消化すれば、定期便より早く明日の夕方以降には目的地に到着する予定だ。
豪華極まる設備を誇るこのプライベート宇宙船に乗船を許された人間は、一人の例外もなく恐懼感嘆し、影武者相手に大袈裟な賛辞を口にするのが常だった。
銀河系内最大の経済集合体であるロックモンド財閥の恩恵に与ろうと、誰も彼もが卑しくも媚びを売る姿は見ていて滑稽の極みでしかない。
そんな人間達を執事を装って観察してきたジュリアンは、名士と呼ばれる彼らが、その高邁な仮面の下に如何に浅薄で我欲に塗れた素顔を隠しているか、嫌というほど理解していた。
だからこそ、泰然とソファーに座って静かに読書をする、透き通るような美しさを持つ少女に興味を惹かれたのだ。
ユリアと名乗ったその少女は、最低限度の敬意と挨拶を疎かにはしなかったが、他の人間とは違いロックモンド財閥の名に媚び諂う事もなく、総帥たるジュリアンに対しても愛想笑いすら見せようとはしない。
「なあ。少しは話に付き合ってくれてもいいんじゃないのかい? こう見えても、僕と話ができる幸運に浴せる者など限られているし、望んでも叶わない人間の方が遥かに多いんだよ?」
などと自ら積極的に声を掛けてみるが、少女は反応する所か視線すら合わせようとしないのだから困惑は深まるばかりだ。
だが、これまでの有象無象とは違う彼女の態度に戸惑いながらも、膨らむ好奇心に煽られたジュリアンは、何とかユリアを振り向かせようと躍起になる。
一方のユリアは空いた時間を使って読書を満喫するつもりでいた。
何といっても電子書籍ではない本物の紙の本を手にしているのだから、胸の中に拡がる歓喜を抑えられないのだ。
この時代、紙製の書籍は一部好事家が所持する貴重品だったが、幸い学問の師であるイェーガーはその数少ない収集家の一人であり、旅の無聊の慰めになればと、年代物の歴史書を貸し与えてくれたのである。
しかし、その喜びも雑音同然の下品な声に邪魔されては台無しだ。
自分の世界観を拡げてくれる書物に触れる時間は、ユリアにとっては宝物同然であり、無遠慮な物言いで邪魔をするジュリアンに良い感情を懐ける筈もない。
ましてや、敬愛する父をペテンにかけようとした不埒者である彼の印象は最悪のままだった。
「そんな恥ずかしい自慢をして何が嬉しいのかしら? 影武者まで仕立てて他人が一喜一憂する姿を見て楽しむなんて……悪趣味以外のなにものでもないわ」
苛立ちに任せて辛辣な言葉を口にすると、さすがに相手も気を悪くしたらしく、不満げに文句を返して来た。
「やっと喋ったと思ったら随分な言い種だね。僕はこの船を提供しているオーナーだよ? 少しぐらい敬意を払ってくれても良いだろう?」
「勘違いしないで頂戴。お父さまと私はアナタの無粋な行為の詫びを受けているに過ぎないわ……恩着せがましい言い方はしないで」
少女の完全拒絶の姿勢には【鬼才】と異名を取る大実業家も面食らうしかないが、そんな彼女だからこそ興味を惹かれるのだと、ジュリアンは確信にも似た想いを懐いていた。
彼女の何処にという事ではなく、存在そのものに強く惹かれるのだ。
それは、僅か十五歳にして銀河系最大財閥を率い、銀河連邦を含む数多の国々の経済を実質的に左右する怪物の直感だった。
「成程ね……確かに君の言う通りだ……僕が悪かったよ。謝罪するから、少しだけ僕の話に付き合ってくれないかな?」
急に謙虚になったものの、少年のしつこさに根負けしたユリアは、小さな溜め息を零して本を閉じ視線を上げる。
要求を受け入れてくれたのだと察したジュリアンは、嬉々として口を開いた。
「実はホーネスで偶々君達を見かけた時、君のお父さんの素性は直ぐに分かったんだ。ここ最近では突出したニュースだったし、我がロックモンドも『日雇い提督』には興味を持っていたからね」
彼の台詞に何か不穏なニュアンスを感じたユリアは眉を顰めたが、敢えて言葉を挟んで話を遮る様な真似はしなかった。
「傭兵上がりにも拘わらず【冥府の金獅子】と恐れられたガリュード元帥の後継者として将官にまで昇進した軍略の天才……しかし、派手な軍功とは裏腹に、世渡り下手の性格が災いし正当な評価を受けられずにいた白銀達也……それ故の『日雇い提督』という蔑称」
愉快そうに口元を吊り上げるジュリアンは、その好奇心を隠そうともしない視線で眼前の不愛想な少女を観察しながら言葉を続ける。
「今回の【神将】騒動も裏を返せば、銀河連邦軍の主流派レースから脱落したともとれるからね……我が財閥の警備部門に引き抜くべきだとの声もあり、身辺調査を命じたんだが、その報告の中に少々不審な点を見つけたんだ」
「何を言いたいのか知らないけれど、勿体ぶって遠回りな説明をするのはやめて、はっきりと言ったらどうなの?」
ユリアは覗き込むような彼の視線にも顔色一つ変えずにそう問い返した。
「結婚相手の女性は再婚で連れ子が一人いた。そして白銀提督には養子が二人……この養子達の素性が不明というのは如何にも不自然だと思っていたが、今日、君に出会えて納得がいったよ」
その持って回った台詞の意味が理解できないユリアは、陸でもない内容を想像して思わず身構えたのだが……。
「君を宇宙港のロビーで見かけた瞬間。僕の直感が叫んだのさっ! 君はこの世の全ての存在に辟易しているのだとねッ!」
想像の斜め上をいく彼の台詞にユリアは眼前の男の正気を疑うしかなかった。
何が嬉しいのか満面に笑みを浮かべ、如何にも『どうだ!』と、喝采を叫びそうなジュリアンの思考が理解できず、唯々呆れるしかない。
しかし、ユリアの沈黙を肯定だと受け取って気分を良くしたのか、彼は速射砲のように早口で捲し立てた。
「どのような経緯で彼の養子になったのかは知らないけれど、君の瞳には他の存在を疎んじる……いや、拒絶する意思があるっ! それは今の生活に鬱屈した思いを懐き、家族面する連中を煩わしく思っているからだっ! そうだろう?」
自己陶酔癖でもあるのかと疑いたくなるほどの狂態。
先ほどまでとは別人のようなジュリアンの姿に、薄ら寒いものを感じたユリアは眉を顰めたが、彼の台詞を首肯するなど断じて有り得なかった。
それどころか無視して聞かなかった事にするのさえ我慢ならず、ユリアは得意げに哄笑する少年を瞋恚の炎を宿した瞳で睨みつけて言い放ったのである。
「貴方が何を考えようが私にはどうでも良いわ。でもね、醜い偏狭な思い込みで、私の大切な家族を侮辱するのは許さないわよ」
底冷えするような冷淡な声に打ち据えられジュリアンは我に返る他はなく、只の一度も感情を露にしなかった少女が、その瞳に強い怒りを宿して自分を睨みつけているのに気付き困惑するしかなかった。
「確かに貴方の見立てはあながち間違いではないわ。生まれたその瞬間から自分の運命を呪い、人間の姿をした心無い有象無象達に辟易させられてきた……肉親こそが憎しみの対象だったわ。でも、その苦痛しかない日々も十年で終わった。御立派な情報網をお持ちの貴方ならば話ぐらいは聞いているのではなくて? 帝国十八姫【災厄の魔女】の噂を」
ジュリアンはその独白に驚愕し、双眸を見開いてユリアに見入ってしまう。
詳細は明らかになってはいなかったが、帝室の幼い姫君を生贄にして、銀河連邦に謀略を仕掛けた痕跡があるとの報告は受けていた。
「まっ、まさか君が? しかし、君は生きて……」
「えぇ。生き延びたわ……でもそれは、死んだ母様が私に十年の時間を残してくれたからに他ならない。私は絶望の底で新しい希望に出逢えた……こんな汚れた私を受け入れてくれただけでなく、実の娘として絆を結んでくれたお父様とお母様……そして可愛い妹に弟。私にとってはこの世で唯一の宝物なの。その家族を煩わしく思う筈がないでしょう?」
ジュリアンは呆然として話を聞いていたが、次第に表情が強張り握り締めた拳が震えだすのを自覚してしまう。
そんな彼を一瞥したユリアはこれ以上の会話は不要だと思い、立ち上がって退出するべく足を踏み出したが、背中に叩きつけられた激しい言葉によって引き留められた。
「家族の絆だってぇ? そんなモノは幻想に過ぎない! 肉親だって例外じゃないぞ! 血が繋がっているというだけで、卑しい打算と欲望に塗れた連中ばかりじゃないか! 見せかけだけの綺麗事には欠片ほどの値打ちもありはしないんだッ!」
振り向いた先にユリアが見たのは、大財閥の総帥でも【鬼才】と恐れられた天才商人でもなく、癇癪を爆発させて感情的に喚き散らす、何処にでもいる普通の十代の少年だった。
その姿はまるで親に捨てられた幼子のようで憐れでもあったが、だからと言ってユリアに彼の心情を慮ってやる義理はない。
だから、醒めた視線で一瞥し、冷淡な言葉を投げ掛けたのだ。
「哀れなものねぇ。貴方は何も分かっていないわ。抱き締めてくれる人がいる……それがどれほど幸せな事か。そんな事も知らない、いいえ、知ろうともしない人間なんか唯の駄々っ子と同じよ」
鋭い侮蔑の刃を突き立てられたジュリアンは、狂ったように頭を振り乱して喚き散らした。
「五月蠅いッ、五月蠅いッ! 五月蠅いぞ黙れよぉッ! 出て行け、お前なんか、さっさと出て行けぇぇぇ──ッ!」
ユリアは小さく鼻を鳴らすや、それ以上は何も言わずに部屋を後にする。
その後扉が閉ざされた部屋からは、暫しの間、物が壊れる激しい音が漏れ聞こえたのだった。




