5.なろうエッセイ・批判系エッセイ(過去作は検索除外しているのでこちらから)
感想欄での傷つくような指摘って、誰だって嫌だと思うんですよ。
うん、少し思うところがあって筆を走らせてみようと思い立ったのですが。こうして見ると「なろうエッセイ」にありがちなタイトルのエッセイですね。
……実のところ、最近はあまり「小説家になろう」の作品を探索できてなくてですね。他の方の感想欄がどうなっているのか、正確なところはわからないのですが。でもまあ、ツイッターとか見る限り、批判に対してやたらと敏感なのはあまり変わっていないんだろうな、と。
まあ、私は「小説の感想欄では」そんなに嫌な思いをしていないのですが。エッセイではいろんな方からいろいろアレな感想をもらってますし。その経験も踏まえて、すこし思ったことを書かせてもらおうかな、なんて思います。
――ここはアマチュアの小説投稿サイトなのに、指摘やアドバイスの類がタブーになったままというのはどうなんだろう、と。
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いやまあ、自分にも小説が書けるかななんて感じでおっかなびっくり書き始めた人にやたらと攻撃的な感想を送り付けるのはどうかと、私だって思いますが。実際のところ、攻撃的な感想を書きたい方ってどの位いるのかな、とは思うのですよ。
残念ですが、ゼロじゃないことは分かります。ツイッターでも、延々と人の呟きを拾っては「それは間違いだ」「その発言は問題だ」「実績も無いのにその発言はどうなの」「批判は良くない」と垂れ流してる人とかもいますし。……すごいよね、批判は良くないとか言いながら、人の書いたエッセイに対して「ハッキリ言って、こういう実績ない人の創作論ほど見るに堪えないものはない。」なんてことを呟く人がいるんですよ。
他にも、一度も言葉を交わしたことのない人に間接的に(名前を伏せて)「敬意のない正直さなんて、ゴミですよ」なんて言われたこともありますし。ホント、ツイッターは魔境ですよね。……まあ、エッセイ(批評、批判文)の感想欄も似たようなものですが。
それでもね、政治ネタや賛否が分かれるようなエッセイはしょうがないと思うんですよ。批判や批評は反論を覚悟して書く類の文章ですし。むしろ反論が来た方が健全だと思います。
――でも、小説はね、批判覚悟で書くものでも無いですよね。少なくとも、物語の内容に「反論」されても困る訳です。
あるとすれば、問題点を指摘する場合ですが。その場合も、普通は「こうすれば良くなると思います」というのがあるからこそ指摘する訳です。
そうではない、単に攻撃的なだけの感想なんて、良くて「そうですか、お気に召さないようで残念です」としかなりませんよね。もらったところで役に立てようもない訳です。
で、もしかしたら傷つくかもしれないと。……まあ、私はまだ小説でそこまで厳しい意見をもらったことがないので、実際にはどうなるのかわかりませんが。
――ただ、そんな攻撃的な感想とは違う、善意から来る指摘でもね、悪いところを指摘することには変わりはない訳です。だから、もしかしたら指摘されれば傷つくこともあるかもしれないとは思います。
で、思う訳です。こうすればいいのにと思ってても、その指摘で相手が傷つくかもなんて考えてしまうと、例えそれが有益で前向きな指摘だったとしても、なかなか指摘できないよねと。
そりゃあ、誰しもが指摘を欲しがっている訳ではありませんし、傷つきやすさも違う訳ですが。でも、もしその相手が指摘を欲しがっててしっかりと受け止めることができる人なら、これってちょっとした不幸ですよね。
――結局ね、指摘というのは例え善意から来るものでも、指摘する側もされる側も少しずつ嫌な思いをする可能性はあるよねと、そう思うのです。
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今のweb創作界隈って、そういった忌憚のない情報交換がやりにくくなっていると思うのですよ。これには、指摘する側の問題もあれば指摘される側の問題もある。
例えば指摘される側に立って考えたとき、どれだけ「自分は指摘を求めてます」と思っていても、ある日突然「創作者はこうあるべき」だの「広く公開するからには」みたいな形で自己正当化を完了した人が現れて、明らかに良識から外れた放言をして立ち去っていくことも現実にある訳で。そんなことまで許容すべきかと言われれば、微妙だと思うんですよ。仕方が無いのかも知れないけど、余計なコストだよねと。
それとは逆に指摘する側に立って考えてもね、今度は「適切に受け取ってもらえるか」という問題が立ちはだかる。もしかしたら相手を傷つけるかもしれないし、逆に何も考えずに鵜呑みにされてしまうかもしれない。ほっておけば自分で気付けたかもしれないことが、指摘を受けることで逆に意固地にさせてしまうかもしれない。個人的にはむしろ、指摘する方が難しい気がします。
そうやって考えると、「いいからみんなバンバン指摘しあおうぜ!」みたいなのも現実的とは言えないのも、また事実だと思うのです。
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ちなみに。エッセイでちょっと目立ったことのある人ならわかってもらえると思うのですが。喜び勇んではしゃぎながら、まるでこちらを打ち負かそうと言わんばかりに指摘してくる方の「ご指摘」は、かなりの確率で役に立ちません。少なくとも私は、そういった方から有益な指摘をもらったことは皆無だと思っています。
――そりゃそうです。「お前は間違ってる」みたいなことを言うのに、その相手を小馬鹿にしていることをわざわざにじませてくるような人が、こちらに有益なことを言ってくれる訳がありません。
ちゃんと話ができる人というのは、相手に納得してもらえる話し方ができる人ですし、こういった場で発言をする際に第三者の目を意識して話すことができる人です。
仮に私が間違っていて、さらに頑迷に聞く耳を持たなかったとしても、別に私を屈服させる必要なんてありません。感想欄に私よりも正しい論を置いておけばそれで事は足ります。なのに「私を」打ち負かそうとする時点で、その人は色々お察しな人なのです。
と、いうか。そう簡単に議論で他者を屈服させることなんてできないんですけどね、特に第三者の目を気にしたら。なのに、穏当に「マナーやルールを守ろう」的なことを論じたエッセイにすらやってきますからね、そういう人。なんであんな発言をしたいと思うのか、私にはよくわかりません。
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普通の人はね、受け止められるかどうかわからないような指摘なんて、本当ならしたくないのです。特に初心者はそれでやる気に水が差される危険がある、そんなことは指摘する側だって百も承知です。
だから、以前私が読んでいた作品で行った「美術室で転倒して水がかかってますが、何で水?と感じました。なぜ濡れたのか、記述した方が良いのでは?」という指摘を始めとした数々の指摘も、その人のやる気を削いだであろうことは重々承知しています。……ちゃんと面白いとも伝えていたんですけどね。
それでも、その後一、二回だけ更新したあと、結局その人は退会されてしまいましたし、その退会と私の指摘が無関係だったなんて言うつもりはありません。でも、その指摘はできるだけ早く直して書き方を考えないといけない、そういう類の内容だったと、今でも確信しています。
――それでもね。そんな指摘を、まだ執筆を始めて間もない人に対して、更新直後のタイミングにしなくてはいけなかったのは、とても悲しいことだったと思います。
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小説作品は基本的にフィクションです。特に「小説家になろう」を始めとしたweb小説で主流となっているファンタジー小説は、フィクションの比率がとても高い。だから、そのフィクションの枠をわざわざ取り外したりあえて物議を醸し出すようなことを書かなければ、そもそも指摘の必要性は低いはずです。
……私の場合、プロフィールやあらすじ等になにも書かれていなければ、致命的だと感じた問題に対してだけ指摘をする位になると思います。そういった方も多いのではないでしょうか。
例え作品の出来が悪かったとしても、それで何か問題が発生する訳でもない。どれだけ日本語が下手でも、小説技法が未熟でも、それで倫理や良識を問うのもおかしな話です。
お高い作品を書いても良いし、ザ・大衆向け作品を書いても良い。そんなことでいちいち批判されてたらね、おちおち創作を楽しむこともできません。
――まあ、置き場所や注釈等は考えないといけないかもしれませんが。普通の恋愛作品だと思ってたら突然全方位BL作品になったりしたらね、それはまあ文句も言いたくなるかもしれないとは思います。
逆に言えばね、そういう「あらかじめ予告しておいた方が良いな」と思えるようなこと以外で指摘できることなんて、ほとんど無いのです。だから、「指摘をお願いします」なんて言われたところで、指摘できるのはせいぜい誤字とか視点ぶれとか、その程度のことになってしまうはずです。
それ以上のことはね、結局のところ、「作者がどういうつもりで書いたのか」「どういうアドバイスを求めているのか」がわからないと、そう簡単に書くことなんてできないのです。誰だってね、善意で相手を傷つけるようなことなんてしたくないのですから。
――だから、アドバイスを求める人は、そのアドバイスが罪にならないように行動をしてほしいな、なんて思うのです。
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皆さん、読まれるために宣伝するじゃないですか。そりゃそうです、そのまま置いておくだけだと埋もれるだけですから。じゃあ、アドバイスをもらうために、同じように努力しましょうよ。
作品を公開して「指摘をください」と書くだけでは足りないのです。それだけでは誰もアドバイスなんてしてくれません。欲しいアドバイスをもらうためには、努力をする必要があるのです。
ここには小説が書きたくて仕方のない人がたくさんいます。小説がどうあるべきか、語りたい人だってたくさんいるに決まってます。
そういう人に、小説がどうあるべきか、自分の書いた作品を例にして語ってもらえば良いのです。ここで語りましょうと声を上げれば良いのです。
あなたが気にしているのは何ですか?
小説作法ですか?
行の長さや空行の頻度ですか?
視点ブレですか?
直近の見せ場の満足度ですか?
――みんな、書き始めた頃は気になることばかりですよね。
あなたの作品の読者なら、「機会があれば」きっと答えてくれますよ。だから、機会を作りましょう。
別にそんな大それたことをする必要ないと思います。ただ、何か一つテーマを決めて活動報告とかで聞いてみればいい。「自分は○○のように書いていますが、書けていると思いますか? あと、他の書き方とかあれば参考にしたいです」みたいな感じで聞けば、答えてくれる人だって出てくると思います。
聞くためだけに活動報告を書くのが難しいのなら、活動報告で「更新しました」と書いた時に、一緒に聞いてみてもいい。「今回の話は、○○を意識して書きましたが、難しかったです。いい方法があるといいなぁ~ |д゜) チラ」とか書き加えておけば、だれかがコツを教えてくれるかもしれません。
創作論に目を通して参考にしても、自分がその通りに出来ているか不安な時だってありますよね。なら、その創作論通りに書けているかいろんな人に聞いてみましょう。もしかしたら、その創作論をあなたの作品に当てはめて考えた、「あなたのための」意見がもらえるかもしれません。
なんならいっそ、自分で自分の作品の批判をしてもいい。私は昔、自分の作品のダメ出しエッセイを書いたことがありますが、このエッセイの感想で作品の批評を頂くことができました。
そりゃね、本人が自分の作品のことをどう思っているのかが相手に伝われば、相手も指摘がしやすくなると思います。宣伝にもなりますし。もしかしたら私のように、批評をもらうことができるかもしれません。
ただ、基本的に自分の作品を自分で「貶す」のは駄目だと思います。自分の作品をどれだけ好きなのか、一緒に伝えるようにした方がいいと思います。
――そうやって、「相手に悪いところを探してもらって指摘してもらう」という形から「知りたいことを話題に上げてその感想をもらう」という形にするのです。それだけで、相手はかなり話しやすくなると思います。いろんなことを教えてくれる可能性も上がるはずです。
ここはね、本当に作家ばかりであふれている場所です。なのに、創作論の類が本当に少ない。明らかに少なすぎるのです。
感想欄だのポイントだのこうすれば読まれるだのは、本来創作論ではありません。創作とはどうあるべきか、どう執筆すべきか、物語とは何か、創作論とはそういう、創作の助けになることを説くことのはずなのです。
ここには、好きで創作をしている人がたくさんいます。好きな創作のことを語りたい人も、一緒に創作を楽しみたい人もたくさんいます。指摘しあい、教えあい、喜びあいたい人もたくさんいるのです。
――誰かを傷つけずに指摘をしたい、罪にならないようにアドバイスをしたい、そんな人はたくさんいるはずです。そんな人たちが気持ちよく創作のことを語れるよう、その創作の話を聞きたい人は手を差し伸べてあげてほしいなと、そんな風に思います。