すみれの素顔
3月10日
「ヴァイオレット様。この前頂いたハンドクリーム、とても素晴らしかったですわ」
そう話しかけてきたのは、クラスメートの伯爵令嬢だった。
「それにこの香り。寝る前につけたのですが、この香りに包まれて眠ると、ぐっすり眠れるんですの」
ラベンダーには安眠効果やリラックス効果、頭痛を和らげる効果がある。
「それに、唇に塗ったら、こんなにツヤツヤと」
よほど気に入ったのか、彼女は自分の唇に指で触れて、その感触に微笑んだ。
「お気に召したのならよかったですわ。これは試供品ですが、今後販売する予定なので、よければ今後ともよろしくね」
そう言えば、聞いていた他の令嬢も色めきだった。みな、一度はヴァイオレットのハンドクリームを試したことがある。それが商品化されると聞けば、思わず身を乗り出してしまう。
「あのクリームがいつでも買えるなんて、とても助かりますわ。おかげで肌の調子もよくて。そういえば、ヴァイオレット様はいつも温室で植物のお世話をされているのに、手がとても綺麗なのも、このクリームのおかげなのですね」
そう言って、彼女はヴァイオレットの手をちらりと見た。
「本当だわ。それに、ヴァイオレット様、実はお肌がとてもきめ細かくていらっしゃるのね」
そう言われてヴァイオレットはぎくりとした。令嬢の一人が、彼女の顔をじっと見ていたから。
「それに、瞳も大きくて、睫毛もとても長い。あら?」
令嬢の方でも、おやと首を傾げた。ヴァイオレットという少女は、頭の良さは何度も話題になったが、その外見で話題に上ることはほぼなかったのだ。普段俯きがちなので、顔をまじまじと見られることもなかった。そのせいで、彼女は気付いたようだ。ヴァイオレットの眼鏡の奥の瞳は澄んでいて、その肌は、雀斑さえなければ、滑らかで透き通るようだと。
その時、「お義姉さま!」とわずかに怒りのこもった声でずかずかとローザがヴァイオレットのクラスに入って来た。
「わたしとのお約束があったでしょう?忘れてしまったの?」
そんな約束はなかったが、ローザは少しヴァイオレットに苛立っているらしい。いつもの儚げな笑みを浮かべることもなく、ヴァイオレットの腕をぐいぐいと引っ張って、クラスの外まで連れ出してしまった。
残された女生徒たちは、しばらく呆然とした後、こっそりローザの悪口を言い始めた。
「何なのかしら、あの態度」
「いくら侯爵令嬢だといっても、所詮は養女でしょうに」
「侯爵の庶子だって噂は本当かしら」
「あら、私は侯爵の愛人って聞いたわ。まさかとは思ったけれど、あれだけ男性と仲良くできるところを見てしまうと、ねえ」
「……あの子、ヴァイオレット様の素顔を見られるのを嫌がったのだわ」
先ほど、ヴァイオレットの顔をまじまじと見ていた令嬢が、ぽつりと呟いた言葉は、誰にも聞かれることはなかった。