ある教師
3月12日
その日、ヴァイオレットは図書館で調べ物をしていた。
「あら、お義姉さま」
声をかけてきた人物の姿に、ヴァイオレットはこっそりため息をついた。できれば、校内でまで会いたくなかった。ただでさえその美貌で生徒たちの注目を浴びているのだ。そうして、不仲と言われている自分たちがこうして接触していれば、さらに生徒たちの好奇な視線はこちらに向く。
「お姉さまってばまた調べ物?たまにはお日様の光を浴びないと、体に悪いわよ?」
そう言ってにこやかに微笑むローザに、ヴァイオレットは「あら、そう」とおざなりに返した。
「そうよ。もちろん浴び過ぎはお肌を焼いていけないけど、適度に浴びるのは美容にもいいことなのよ」
「よせローザ。美容など、ヴァイオレットには全く関係のない話だろう」
小馬鹿にした笑みを浮かべながら、エルドレッドがやってきた。ローザの姿を見かけた時からまさかと思ってはいたが、案の定一緒に来ていたらしい。
「ごきげんよう、エルドレッド様」
一応婚約者としての義理で挨拶をしたが、王子は不愉快そうに顔を逸らしただけだった。ヴァイオレットの方も、別に気にするようなことではないので、再び本に目を落とした。
「ねえお姉さま。私、もうすぐテストなの。今度お勉強教えてね?」
ヴァイオレットやエルドレッドは数日後に卒業だが、一学年下のローザは昇級試験が控えている。尤もローザはこう見えて成績は常にトップを維持しているので、ヴァイオレットが教えるほどでもないのだが。
「ローザ。こんな女に教わらなくてはいけないことなど、何一つないだろう?」
その通りである。ヴァイオレットも成績は優秀だが、どうしてもむらがある。彼女の得意分野は当然薬学や植物学などだが、語学は少し不得意なのだ。それに対して、ローザはどの教科もトップクラスだ。
「さあ、行くぞローザ」
そう言って、エルドレッドはローザの手を引いた。ヴァイオレットに対する挨拶は当然のようにない。
「相変わらずですねえ」
ようやく読書を再開したヴァイオレットの背後から、間延びした声がした。
「ダドリー先生」
後ろにいたのは、この学校の歴史学の教師で、歴史学者でもあるジョシュア・ダドリーだ。まだ三十二歳と教師としては若い方だが、教え方は丁寧で、誰にでも物腰柔らかな態度で接するため、生徒の人気は高い。その優しげな容姿も、人気の理由なのだろう。
「もうすぐアーカーソンさんも卒業ですね」
「ええ。三年間お世話になりましたわ。今年担任を受け持たれたのだから、来年はそうならないのでしたっけ?」
ジョシュアは学校所属の歴史学者でもある。
かつては王宮お抱えの歴史学者で、王宮の歴史書の編纂をしたり、若き第一王子エイベル・セドリックの専属教師をしたりと、華々しい経歴の持ち主だった。
侯爵令嬢であるヴァイオレットや兄のヴィクトールも、幼い頃に彼とは何度か顔を合わせている。あの頃から、ヴァイオレットは彼を先生と呼んでいたものだ。
「ええ、今年は楽しい一年でした。優秀な生徒が多かったですからね。来年度は少し自由がききそうです。おかげで、かねてより希望していた歴史書の編纂に手が伸ばせそうです」
そう言って彼はにっこりと微笑んだ。
「それはそうとヴァイオレット様」
微笑んだ彼の瞳が、わずかに細められた。相変わらず口角は上がり、笑みの形を保ってはいるが、その瞳はもはや笑ってはいなかった。
「はい」
「くれぐれも、ローザ様のことを気にかけてあげてくださいね」
あの方は大切な方なのですから。
彼の瞳がそう言っていた。




