マデリーン・アッシュフィールドの婚約者 3
卒業パーティーの日から、マデリーンは考え込むことが多くなった。
まずは婚約者であるアイヴァンのこと。一緒にいたあの令嬢は彼の何なのか。彼がマデリーンに対して愛情を持っていないことは薄々察してはいたが、彼女のことを愛しているのか、マデリーンと婚約を続ける気はあるのか。
これは由々しき問題だ。なぜなら、婚約中の彼の学費はアッシュフィールド家が担っているのだから。
マデリーンとアイヴァンが婚約したのはもう五年も前になる。マデリーンは十三歳、アイヴァンは十一歳だった。あの頃のアイヴァンはかわいかった。まだ結婚どころか恋愛もわかっておらず、マデリーンを姉のように慕っていた。
それが、昨夜のあの台詞である。
(不美人、年上、辛気臭い、気が利かない、華がない、地味、おどおどしている、身体だけはでかい……どれ一つとっても、反論できない……)
彼が言った言葉は屈辱的だが、事実無根だと言えないのが辛い。そのどれもが、マデリーン自身にも自覚があった。
(不美人なのも、年上なのも、背が高いことも、もうどうしようもない。でも、地味とか辛気臭いとかおどおどしていることは、直せるのではないかしら)
まず、地味なところだ。
格好や化粧を変えれば、問題の大部分は解決しそうだ。もう制服を着ることはないし、普段着ている灰色や茶色のワンピースを、ピンクや水色のものに変えてみたらどうだろう。今現在彼女が着ているものは、ほとんどが母のお古を直したものばかりだ。社交界でも人気があった母のドレスは、それなりに価値があったが、そのほとんどはとうに売られているため、残されたものは普段使いのものばかりだ。マデリーン自身は着飾ることにそれほど興味はなかったから気に留めていなかったが、一着くらい華やかな物があったっていいはずだ。
それに、アクセサリー。母が持っていた装飾品のほとんどは、これまたすでに質に入れてしまっているが、何も高価なものがいいとも限らない。
髪の色を変えてみるのもいいかもしれない。例えば最近令嬢たちの間でも話題になっているトレヴァー商会の染髪剤を使ってみるとか。
マデリーンの髪は艶やかな黒髪なのだが、それが父親には大いに受けが悪いのだ。鴉の様に陰気で縁起が悪いというのが彼の言い分だ。母は、マデリーンの黒髪を艶やかで癖がないし、エキゾチックで素敵だと言ってくれていたが、その母ももう亡い。
化粧は、父がいい顔はしないだろうが、試してみたい。マデリーンの黒く、切れ長の瞳はきつい印象を与えてしまいがちなのだ。その辺りをもう少し柔らかくしたら、何とかなるのではないだろうか。
(彼と結婚するまであと二年。それまでに少しでも彼の好みに変えたい)
マデリーンとて、アイヴァンにそれほど深い恋慕の情を持っているわけではない。幼馴染であるがゆえに親しみはあるし、彼が姉に対するかのように慕っていたように、弟のように思っていた。貴族である以上、結婚からは逃れられない。けれど、結婚したからには、それなりに愛を持っていたいとは思っている。
(そのためには、やはり昨夜のあの話、受けるべきよね)
昨夜、アーカーソン家の嫡男ヴィクトールからの誘いを、マデリーンは思い出していた。
「マデリーン嬢、どうかうちの事業に参加してくれないか?」
最初は冗談だと思っていた。アーカーソン家はここ最近不況が続く中でも、かなり裕福な家柄だ。しかも、あの今話題のトレヴァー商会とも提携して、数多くの商品を世に送り出しているらしい。彼が提案したのは、マデリーンをぜひとも広報担当として迎え入れたいということだった。
「私が広報?社交性もないというのに、どうして。母だったらわかるのだけど」
「確かにアッシュフィールド夫人は社交界でも話題の人だった。けど、あなたはあなただろう。あの人と同じものを求めるなら俺は君に声をかけたりしない」
不機嫌そうな口調で言いながら、ヴィクトールはマデリーンから顔を逸らした。女性が苦手と聞いていたので、彼のそんな態度に今更怒りは湧かなかった。
「君は知っているか?ヒノモトという国を」
唐突に彼が話題を変えたので、一瞬マデリーンは声を詰まらせたが、すぐに頷いた。
「知ってるわ。確か東の小国でしょう。最近流行っているお豆のソースは、確かあの国の物よね」
「ああ、あれは絶品だ。だが、それだけじゃない。あの国は他国との交流をできる限り避けているが、最近は商人たちが活発で、この機にぜひともあの国の文化を取り入れたいと思っていたんだ」
「つまりトレヴァー商会が次に売り出すのは、ヒノモトの商品?」
ヴィクトールが頷いた。
「まだほとんどが、その存在しか知らない国だ。けれど、あの国のアクセサリーなどは美しく、あれは売れると踏んでいる」
「どうして私に広報担当を任せたいの?」
「君が、あの国の商品を宣伝するのにうってつけだと思ったからだ。その黒髪に、あのアクセサリーはかなり映えそうだ」
マデリーンの黒髪を評価してくれる人を、母以外で初めて知った。
「マデリーン、そこにいたのか」
ぼんやりしていると、父が呼ぶ声がした。
「お父様、おはようございます」
にこやかに声をかけると、父マーカスは振り返りもせずにため息をついた。
「昨夜は卒業パーティーに行ったのか。アイヴァンにはエスコートを断られたのではなかったのかね」
「え、ええ。ですが、せっかくの卒業パーティーなので」
「コリーンのドレスで行ったのか。あんな緑色のドレス、お前には似合わないとあれほど言ったのに。みっともないだけではないか」
コリーンとは、亡き母の名前だ。彼女は輝くような金髪の巻き毛をした美しい人で父の自慢だった。小柄で明るく屈託のない笑みが魅力の、何もかもがマデリーンとは正反対の母。一つでも受け継ぐものがあれば、父の対応も変わったのだろうが、マデリーンは父親似なのだ。
父に容姿のことで貶められることはいつものことではあるのだが、やはりいい気はしない。自分が不美人であることも、華やかな色が似合わないこともよく知ってはいるが、面と向かって言われるのはやはり気が沈む。
「それにエスコートを断られたと聞く。大丈夫なのか。結婚までアイヴァンを繋ぎとめていられるのか。お前は不美人なのだから、せめて彼を立てないと駄目じゃないか」
「はい、すみません」
昨夜の婚約者の発言を聞いたら、父は怒るよりも同意するだろうな、とマデリーンは思った。
「あのですね、お父様。私も卒業したし、結婚まで後二年あることですし、お父様の事業のお手伝いを少しでもしようと思っているのですが」
マデリーンがそっと声をかけた。これは前から思っていたことだ。母が死んでから、父の事業は一気に傾いた。今までは母の人脈や社交性が大きく繋ぎ止めていたから成り立っていたのだが、それがなくなったのだ。
マデリーンでもわかる。父に商才はないと。弟のモーリスがこの家を継ぐ時に、父の事業はきっと潰れているだろうと、マデリーンは学生の時から思っていた。それなのに、アイヴァンの学費をこちらの家が払っているのは、どう考えてもおかしい。モラン家も崖っぷちに立たされているそうだが、そんなもの、我が家も同じだ。
「何を言っている。お前はコリーンとは違うのだ。その野暮ったい格好で人前に出て、相手を不愉快にしてしまったらどうする。ああ、せめてお前がコリーンのようであれば、喜んで表に出すものを」
まるで、事業が上手くいってないことはすべてマデリーンのせいであるとでも言いたげだ。
「ええ。ですが、人前に出ずとも、裏方でも……」
「お前に何ができる。事業とは、仕事とは箱入り娘が片手間にできるほど甘くないのだぞ」
「ですが、我が家の資産も底を尽き、何かしないと。あの、ではこういうのはいかがでしょう。以前メイリス家がご令嬢の家庭教師を探していました。実は以前から誘われておりましたの。せっかく好成績を収めて卒業したので、それを生かして……」
「これ以上我が家に恥をかかす気か」
悲し気に言われて、マデリーンは言葉を詰まらせた。
「そんなことをすれば、我が家に金がないことが周囲に知られてしまう。全く、そんなこともわからず、何が家庭教師だ。一体何を教えられるというのだ。ああ、コリーンが生きていたら……」
父はそれだけ言うと、顔を覆ってマデリーンから背を向けた。彼が亡き母を偲んでいる間、声をかけるのはアッシュフィールド家では禁忌となっているため、マデリーンはそっと下がった。
結局、何一つ父から許されることはなかった。それならば、昨夜の話を父にしても、恐らく、いや、絶対に賛成すまい。けれど、このままではアッシュフィールド家は破産し、自分は婚約者を失い、弟は学生の身で路頭に迷うのだ。
マデリーンはポケットの中から紙を取り出した。それは、ヴィクトールが渡した、アーカーソン家の連絡先が記されていた。




