過去の悲劇
3月14日
「いよいよ明日か。ようやく、あのわずらわしい女と離れられるのだな」
そう言って笑うエルドレッドに、傍に控えていたラドクリフ・カーライルは頷いて見せた。ラドクリフは元宰相子息で、王子の側近でもある。
宰相家は代々王家に忠誠を誓った家柄である。ラドクリフの父も、前王の忠臣であったが、彼は十年前に不慮の事故で命を落としている。若くして爵位を継いだラドクリフは、父の名に恥じず優秀に成長し、今では王子の右腕的存在でもある。エルドレッドが立太子となれば、将来は宰相として華々しく活躍するのではと目されている。
「明日はお前たちも来るだろう」
「卒業パーティーですからね。勿論出席しますが、ヴァイオレット嬢の断罪時は、他の生徒たちに紛れていますよ。一人の令嬢相手に集団で囲むことなどしては、まるで弱い者いじめをしているようにとられかねません」
首を振ったのはグレゴリー・ヒースコートだった。屈強な体つきの彼は、騎士団長子息であり、現在騎士団に所属している。王子の同級生ではあるが、学園内という排他的な世界の中、王子の護衛も務めている。
彼の家もまた、王家に忠誠を誓っている。その一例としてよく取り上げられるのが、グレゴリーの兄ブラッドリーの存在である。
三年前、この大国グレネルに大きな暴動が起きた。今の王であるケイン一世が、王位簒奪者であると民衆を煽った者たちがいたのだ。
ケイン一世は十年前に即位する前は、エンブリー領を王家から賜っており、エンブリー公爵と呼ばれていた。彼の兄であるエイベル五世が突然死したことで、その弟のエンブリー公爵が王位を継ぐのは、ごく自然なことではある。
そのエイベル五世の死因は落馬だった。前王の日課は早朝馬に乗って軽く中庭を散歩することだったのだが、その日に限って、いつもおとなしい彼の愛馬が暴れ出したのだ。
結局その時の怪我のせいで、王の意識は戻ることなく崩御、王の弟であるエンブリー公爵が王位を継いだ。
馬が突如暴れ出した原因はわからずじまいだったが、恐らくストレスによるものだろうと、馬番の男、トムという名の男が責任を追及され処刑された。トムは無実を訴えたものの、暴れた馬は、その日のうちに殺処分され、城の犬に与えられていたため、今となっては、なぜ馬が突然暴れたのか、誰もわからない。
エイベル五世の妻、銀髪に青い瞳の美貌の王妃シモーヌは夫を失った悲しみにより臥せってしまい、後に病死。
息子であり王子である七歳になったばかりのエイベル・セドリックはその後、肺の病で夭折している。母と同じ銀髪の、それは美しくも利発な少年だった。こうも立て続けに悲劇が、しかもケイン一世に実に都合がいい方向へ起こるなどあるだろうか。誰もが疑念を抱き、誰もが現王家に疑いの目を持った。
そういった疑惑の中、内乱は起こった。
もともと前王の時代から不作が続き、財政は徐々に悪化し、それをどうにかとどめていたのだ。それをケイン一世が王位を継いだことで、進めていた計画が頓挫したり、急遽別の政策が推し進められたりと迷走していた。そして三年前に悲劇は起こった。
主食であるジャガイモに、ある伝染病が蔓延したのだ。不作が続く中の救荒作物でもあったジャガイモが壊滅的な被害を受け、人々は飢えに苦しんだ。この件に対して、王家はほぼ無策だった。これにより、ただでさえ今の王に反感を抱いていた民衆は、はっきりとした憎悪を抱いた。
そこで起きた暴動を収めることを、十五になったばかりの王子ケイン・エルドレッドが任された。ちなみに、この国の王家の男子は、父親の名前を受け継ぐことが決まっている。
そして、その王子を支え、守るためにグレゴリーの兄であり、当時騎士団に所属していたブラッドリーは王子と共に戦い、彼を庇って戦死した。
彼のような犠牲を払いつつも何とか暴動は収まった。王子は見事役目を果たして王都に戻る。
その頃、アーカーソン侯爵家によって、各農家に健康な種芋がいくつか提供された。また、ヴァイオレット・アーカーソンは、作物の病気を防ぐためには一緒にネギやニンニク、ハーブ数種類を植えることが有効であると論文にまとめ発表し、わかりやすく綴った冊子を配った。その手法は成功し、見事に事態を収束へ導いた。
この一件の功績を称えられ、アーカーソン侯爵家は地位をさらに確立。ヴァイオレットは第一王子であるエルドレッドの婚約者となったのだが、彼の方はそれが大層気に食わなかったようだ。
しかし、アーカーソン侯爵領地は豊かな土地を持ち、さらに令嬢であるヴァイオレットの農学知識により作物は非常に質がいい。おかげでアーカーソン家は国内でも人気が高い。
人気のない王家のためにも、ぜひともアーカーソン家を取り込みたい王としては、この結婚は絶対だった。
かくしていやいやながらも、エルドレッドが婚約者に会いに行った時、そこで彼は運命的な出会いを果たす。その相手こそ、婚約者の義妹、薔薇に喩えられるローザ・アーカーソンだ。




