始まりの終わり
数日後、ひっくり返るような騒ぎが続いていた宮中も、やがて落ち着きを取り戻し始めた頃、ヴァイオレットはセドリックと並んで歩いていた。今日は前国王の最後の尋問が行われる日である。
彼の首元には、母の形見のペンダントがかけられている。女性用のものだが、こっそり身に着けることにした。一応服の下に隠れているため、気付かれることはない。
あのクーデターの日にも、今日この日にも、これを身に着けることができてよかったと彼は思っていた。このペンダントは、彼にとっては今は亡き母との唯一の繋がりである。母を殺した男が地獄に落ちる瞬間を、どうしても見せてやりたかった。
あの男は極刑は免れないだろう。
扱いに迷うのはその息子のエルドレッドである。
「おそらく貴族籍は剥奪の上、国外追放となるだろうね。そうなるよう進めている。再び謀反を起こされないためにも生かしておくべきじゃないという意見も多いけど、僕はあまり叔父と同じことをしたくないんだ。それに、エルドレッド程度に寝首を掻かれるなら、僕もまた、王たる資格はないということだろう」
「不思議です。あの日以降、彼の口からローザの名前が出てきていません。ひょっとしたら、気付いているのでしょうか?」
エルドレッドは尋問中、セドリックに対して怨嗟の言葉を紡ぐことはあったが、ローザの名前はついぞ出てこなかった。
ヴァイオレットは、あの国王糾弾の場で、セドリックがブレスレットを外して見せた時、彼は愛した少女の正体に気付いたのではないかと思っている。ローザは、常にあのブレスレットを身に着けていたのだから。
「いや、それはないね。そもそも、彼はローザをきちんと見ていなかったと思うよ。ブレスレットのことなんか、彼は知らなかったんじゃないかな」
「そんなわけないです。だって、王命を退けてまで結婚したかった相手ですよ。まあ、相手がセドリック様である以上、それは叶いませんが」
セドリックはそれ以上何も言わなかった。だが、彼は知っていた。幼い頃、遊ぶ自分たちを遠目で見る従兄の姿を。
おそらくだが、エルドレッドの初恋の相手はヴァイオレットだ。彼自身も、そのことに気付いていなかったと思うが。
無邪気で天真爛漫な愛らしい少女だったヴァイオレット。秘密だが、彼がローザを演じる時、参考にしたのは、昔のヴァイオレットだ。
その少女が自分と婚約した途端に華やかさを失った。微笑まなくなった。そのことに、彼がどれだけ苛立ち、歯噛みしたか、容易に想像できる。
自分の感情に気付かないまま、湧き起こる焦燥を抑えきれず、当てつけで彼女の義妹に目をかけ、それでも動じない婚約者に、さらに苛立ちを募らせた。
馬鹿な男だと思う一方で、少し哀れだとも思ったが、彼がやった様々なことを思えば、同情する気も失せる。
「あら」
隣を歩いていたヴァイオレットが立ち止まった。
彼女の視線の先には、ジョシュア・ダドリーがいた。
「先生」
ヴァイオレットが微笑みかけ、ジョシュアはセドリックに深々とお辞儀をした。
「お久しゅうございます、殿下」
「先生も、お久しぶりです」
言いながら、何と白々しいとセドリックは思った。
彼が学園で自分に向ける視線はよく覚えている。昔と少しも変わらない、無遠慮で値踏みするような視線。恭しい口調と態度なのが余計に腹立たしい。実際、彼は常に値踏みしていた。セドリックが真に君主足り得る存在か。
そのせいで、一度はじっと見られる居心地の悪さに耐え切れず、ヴァイオレットを前に女子アピールをしてみたことがある。美容の話でもすれば、セドリックを本当の女子生徒だとでも思わないかと期待したが、甘かった。彼は疑惑を抱いていたのではなく、確信していたのだろう。
「殿下。もうじき戴冠式だとか。良き王になられませ。後世に残る賢王に。さすれば、二度と三年前のようなことも起きますまい」
彼が口の端をわずかに上げた。
「ええ、心血を注いで国を立て直しますよ、ミスター」
セドリックの返答に、ジョシュアは声を上げて笑った。
彼が立ち去った後、セドリックは再びヴァイオレットに顔を向けた。彼女は先ほどのセドリックの言葉の意味を、正確には理解していない。男性をミスターと呼ぶのは何もおかしくないからだ。
「ヴィオは、やはり学院に行くつもりなの?」
「ええ、そのつもり。婚約は駄目になったし、お兄様もお父様も反対する気はないって。ラドクリフの言う通り、結婚しても学院に通うことを許してくれる夫がいればいいのだけれど」
思えば、ヴァイオレットが植物学に傾倒したのは、十年前の悲劇のせいだ。
大事な幼馴染の少年を失ったこと。彼が毒殺されたのだという噂を耳にしたことがきっかけだった。
自分はあの時、どうしたら彼を救えたのだろうか。毒が彼を殺したのなら、解毒することができたら救えたのではないだろうか。
どうすれば解毒できたのだろう。毒の知識があれば、薬の知識があれば……。
そうして、いつの間にか植物学にのめり込んでいた。染髪剤も農耕の知識も、その副産物ではあったが、結果的にセドリックの役に立つことができた。
「……王妃だと、さすがに難しいよね、さすがに。……どうするべきか」
「何か言った?」
セドリックの呟きは、暖かい風が吹いたことに気を取られたために、うまく聞き取れなかった。
季節は、もうすっかり春だった。
これにて完結です。ブックマーク登録、評価、感想、誤字報告をしてくださった方、そして最後までお付き合いくださった皆様、ありがとうございました。
一応番外編の予定はありますので、もうしばらくお付き合いください。