クーデターのその後で
3月16日
ヴァイオレットは、王宮のある部屋で座って、静かにお茶を飲んでいた。すぐ傍には兄のヴィクトールが茶菓子を摘まみつつ、新聞を読んでいる。市井に出回っている新聞を、なぜ彼が手に入れられたのかはわからない。おそらく彼が秘密裏に雇っている密偵に持って来させたと思われるが、ヴァイオレットは何も言わなかった。新聞には、恐らく昨日の、そして十年前の王家転覆事件が、面白おかしく、様々な脚色が加えられて書かれているのだろう。
どうもこの部屋にいると気が抜けてしまう。この部屋で過ごした過去の記憶のせいかもしれない。
「おいおい、二人ともずいぶんと寛いでいるじゃないか」
そう言って入ってきたのは、ラドクリフとグレゴリーだった。ノックもなかったことを、ヴァイオレットもヴィクトールも責めはしなかった。
「ちょうどよかった。あなたたちもお茶を飲む?」
おかわりを淹れようとしていたヴァイオレットが微笑みかけた。
「いいな。眠気を覚ましたい」
グレゴリーがうきうきとソファに腰掛ける。昨夜は、ヴァイオレットたちだけでなく、彼らもまた、王宮に泊まっている。ケイン一世の罪が白日の下に晒された後、罪人である親子は更迭され、厳しい取り調べが始まった。
それに立ち会うのはアーカーソン侯爵やカーライル侯爵が主だが、息子であるエルドレッドに深く関わっていたヴァイオレットたちもまた、証言者として何度か呼び出されていた。
ヒースコート伯爵と騎士団は、十年前にケインたちに加担したとされる貴族を捕らえるため、昨日から奔走している。
取り調べは今も続いているが、一段落ついたということで、しばらくヴァイオレットたちが呼ばれることはないようだ。
「ヴィオのお茶も久しぶりだね」
ラドクリフも座り、ヴィクトールが差し出す焼き菓子を摘まんだ。
「こうしていると、昔みたいね」
お茶を飲みつつ、ヴァイオレットが部屋にある、巨大な肖像画を見上げた。そこに描かれているのは、今は亡き前王妃シモーヌと、その子供、第一王子エイベル・セドリック・グレネルだった。
シモーヌ妃の首には、意匠を凝らしたアクアマリンのペンダントがかけられている。隣国からの輿入れの際に身に着けてきたものだ。彼女はこれを将来セドリックの伴侶に贈るつもりだと、ヴァイオレットに教えてくれたことがある。
シモーヌが毒を飲まされて息を引き取ったのは、ここから少し離れた部屋だった。そこは後に開かずの間と呼ばれることになる、王妃の私室であった。
その部屋に形見でもあるペンダントをこっそり置いたのはヴァイオレットである。王妃教育として何度も出入りしていた彼女は、こっそりこの部屋に入り、見つけやすい場所に置いておいたのだ。勿論、兄ヴィクトールの協力もあった。エルドレッドが偶然聞いた噂は、彼が通りがかった時に、ヴィクトールが雇った使用人に語らせたのだ。誰もそんな噂を知らなくて当然である。
「あ、俺にはミルクたっぷり入れてくれ」
「はいはい」
ラドクリフは、出されたお茶に手を出していない。彼は猫舌なのだ。
グレゴリーのお茶にミルクを注いでやりながら、本当にこの幼馴染は変わらないと、ヴァイオレットは苦笑した。昨日の彼は三年間ひたすら耐えていた反動で、感情を抑えきれずに激昂し、罵倒し、そうして、全てが終わった後、誰もいない部屋で静かに泣いていた。……と思う。楽しそうに笑う彼の目元は、今も少し赤い。
「それにしても、ヴィオが眼鏡を取った顔も新鮮だな。でもあの馬鹿王子、昨日はそれを見ても思ったほど驚かなかったな」
今現在ヴァイオレットは眼鏡をつけていない。もともと視力はいいので必要ない。雀斑も偽物である。化粧で雀斑っぽく見せていただけだ。それを拭い、眼鏡を取り、艶やかな髪を結った彼女は、どう見てもあの野暮ったい少女とは別人だった。
「あのヴィオも悪くはなかったですよ」
ラドクリフがそう言ってフォローするが、ヴァイオレットとしてはさして気にしていなかった。
「何としてでもあいつには婚約破棄してもらう必要があったからな。王位簒奪者の息子の婚約者だなんて、どんな飛び火が来るかわからない」
ヴィクトールがそう言って妹に笑いかけた。
エルドレッドは、今は王位簒奪者の息子であり、前王妃が大切にしていたペンダントを持っていたということで、前王妃の暗殺に関わった疑惑すら持たれている。当時八歳だった彼にそんなことができるわけもないのだが、誰も彼を庇いだてようとはしなかった。
彼が三年前、結局のところ何一つも功績を上げていないどころか、誠意をもって諫言する部下を故意に死なせたことが明るみに出たところで、彼もまた捕らえられることとなった。
「あいつの扱いが一番難しかったからね」
ラドクリフがようやく、まだ湯気が立つカップに手を伸ばした。一口飲み、微かに顔を顰め、彼はカップを置いた。まだ彼好みの温度ではないらしい。
ケイン一世は前王殺害の容疑で捕らえることができたが、エルドレッドを捕らえる理由は、なかなか難しかった。
あの場で三年前の真相を話したことはインパクトはあったし、あの場にいる誰もが彼の非を信じただろうが、もし彼が「あの時は気が動転していた。結果的にああなっただけだ」と言い張れば、彼の罪を立証しにくくなる。
あの一件に関する証人は山ほどいたが、物的証拠はほとんどない。しかも証言者が死んだ騎士に対する思いが強い騎士仲間、罪人、その時命の危険に瀕していた一般人とくれば、いまいち説得力に欠ける。裁判になれば、彼を有罪に持ち込むのは難しいだろう。
前王妃のペンダントを持っていたということで関与は疑われたが、こちらも難しい。
エルドレッドにペンダントを持たせたのは、彼を一時的にでも拘束できる理由が欲しかったのと、もう一つ別の理由が存在していた。理由としては、後者の方が大きい。
ヴァイオレットとの婚約破棄が、実は一番彼を失脚させる理由になりうるのだ。
何しろ、ヴァイオレットとの婚約は王家からの勅命であり、侯爵家との契約である。それを、正当な理由がないどころか、あらぬ罪をでっちあげ、婚約者に汚名を着せようとしたのだ。その相手は国を救った人物であるというのに。
王家の信頼、威信に重大な瑕疵を与えたとして、それだけでも廃嫡の理由にはなる。彼は今現在軟禁されている。王位どころか、貴族籍すら剥奪されるだろう。
「冤罪に関しては、共犯者のローザ嬢もいるわけだが、彼女は早々にアーカーソン家を勘当されて、行方をくらませている」
おそらく、今後彼女の姿を見る者はいないだろう。しかし、今の時点でそれを知るのはわずかばかりの人間だ。
「エルドレッドは相当な苦渋を嘗めることになるでしょうね。絶対に殿下は容赦しないでしょう」
「後顧の憂いを断つためにもってことね」
ヴァイオレットがそう言うと、ラドクリフが「まあ、それもあるでしょうけど」と彼にしては珍しく歯切れが悪い物言いをした。
「他にも理由があるの?」
「ええ、まあ、たぶん……」
彼は、自分の発言を誤魔化すように、カップに手を伸ばした。ようやく好みの温度になったらしく、それを一口飲み、彼は頷いた。
その時、ノックの音がした。
「どうぞ」
「やあ、みんな揃っていたのか」
笑顔で入ってきたのはこの国の王太子であり、次期国王でもあるエイベル・セドリック・グレネルだった。
次回いよいよ最終回です。
誤字報告してくださった方、ありがとうございました。いつも本当に助かってます。