つけを払う時
「僕の母が、カーライル侯爵に必死で言いました。息子も毒を、と。それを聞いた瞬間カーライル侯爵は持っていた水筒の水を僕に無理やり飲ませ、口に指を突っ込みました。僕に全てを吐かせるために。僕はたまらず胃の中のものを全て吐き出しました。それが、僕を救いました」
セドリックはそう言うと、再びカーライル侯爵に微笑みかけた。彼の対処は実に的確だった。迅速に対処したことで、幼い王子は一命をとりとめたのだ。
「そうそう、僕が助かった理由は、先ほど女官長が入れてくれた砂糖と、友人が持ってきてくれたお菓子にもあるのです。砂糖は苦扁桃の毒を中和する作用がある。ただし、胃の中に入ってしまうと再びその毒性が復活するそうですが。それでも、しばらく毒は中和状態のままだったのです」
砂糖をたっぷり入れたお茶と、砂糖がたっぷり含まれた菓子。だからこそ、彼が受けたダメージは最小限で済んだ。
「今思えば、女官長はそれを見越していたのかもしれません。彼女は、僕が甘いお茶を好まないことを知っていましたから」
王妃と王子の毒殺を命じられた時、彼女は死を覚悟した。自分の命を捨てても、愛する人の子供を守ると決意をした。だが、同じくらい王子のこともまた、愛しい存在だったのかもしれない。
「その頃、我らの家に手紙が届けられました。女官長からでした。罪の告白と謝罪の言葉、そして彼の息子を助けて欲しいと」
アーカーソン侯爵が続けた。隣でヒースコート伯爵も頷く。
「し、知らん!余は知らん。大体、余は当時の女官長などとは会ったこともない!」
「そうでしょうな。彼女も、自分を脅す男はフードを被っており、名前も顔もわからなかったと書いていた。その男は、エンブリー公爵ではなかったことでしょう」
「ほ、ほら見ろ!一体何を根拠にそんなことを……」
「だから、この十年苦労しましたよ。あなたは実に巧妙で、証拠を残さなかった。関与していた人間の多くはなぜか不慮の死を遂げている。ですが、例えば共犯関係にあった者などもいたことでしょう。ある程度上位貴族の者で。そうそう、話は変わりますが、最近、事業に失敗されたと噂の……え~と、どなただったかな?気の毒な方がいらしたのですが」
話しながら、急に話を大きく変えたアーカーソン侯爵に、ケイン一世だけでなく、周囲の貴族もきょとんとした。アーカーソン侯爵は、そんな周囲を気にすることなく、まるで世間話でもするかのようににこにこと微笑みながら続けた。
「おい、連れてこい」
隣にいるヒースコート伯爵は、にこやかなアーカーソン侯爵と違い、騎士らしくしかつめらしい顔のまま部下に促した。心得たように部下の騎士が一礼した後退出し、すぐに一人の男を連れてきた。
「な!?か、彼は」
その男は、騎士二人に左右から挟まれた状態で、力なく、のろのろと歩いてきた。
貴族たちの多くは、彼の顔を知っていた。彼の子息が最近しでかしたある出来事は、社交界で非常に有名になっていたからだ。
「没落すまいと、ご子息をさる令嬢と結婚させることを思いついた。まあよくある手段ですな。結婚まで何とか援助を受けつつ、結婚時には持参金を受け取る……はずだったのですが。ところが、肝心のバカむす……いや失礼、そのご子息は何と土壇場になって別の女性と婚姻を結ぼうとしたとか。全く、若者とは時に後先考えない怖いもの知らずなところがありますなあ。しかし、世の中はそんなに甘くない。誠実さに欠ける対応に、当然相手の家は今までの援助金の返還を求めますな。しかし未だご子息の学費すらままならない。この手の噂は広まるのが早い。そんな家に、援助する奇特な家はない。八方塞がりです。しかし、この方には、この危機的状況を打ち破る手段がまだ一つ残されていた。この方は以前、ある方に大きな貸しがあった。勿論、貸しというよりも、ご本人にとっても大いに利益のある取引だったでしょうが。過去をちらつかせれば、相手はきっと手を貸してくれる。そのための証拠も当然確保している」
多くの貴族たちが、渦中の人物、モラン伯爵を凝視していた。普段の彼は穏やかそうな紳士に見えた。それが、十年前に主君殺しという恐ろしい罪に加担していたとは……。
「王宮へ向かったところで、取り押さえました。証拠も、こちらで確保させていただきました。その証拠とはあの苦扁桃の毒ですな。あれは空気に触れると毒成分がほとんど抜けるので、おそらくもはや毒の効果はないでしょうが。それと、それを入手するまでの経路を示す指示書。手紙も数枚ありましたな。前王の愛馬が毎朝通るルートが書かれたものや、女官長と馬番の男の関係が書かれているものもありましたな。他の共犯者の名前も書かれている。いざとなったら道連れになさるおつもりだったのかな。おやおや、これは大物貴族の名前までありますぞ。しかし、ああ、極めつけはエンブリー公爵がケイン一世としてサインをされた指示書。相手はいつあなたを切り捨てるかしれない。きっと、何かあったら都合の悪いことを全て押し付け、知らんぷりをする。だからこそ、あなたは協力する条件の一つに、ケイン一世直筆のサインを要求した。王妃と王太子暗殺への指示書に」
「ああ、その指示書は既に騎士団が受け取り、筆跡鑑定に出している。しかし、封蝋に王家の印璽が押されていたのでほぼ確定だな。何しろあの印は、ケイン王朝仕様だからな。つまり、今現在ケイン一世しか使えないはずのものだ」
ヒースコート伯爵がそう言ってケイン一世を睨みつけた。
「これはこれは言い逃れできませんな。何しろ、騎士団は国のための物。公平な判断がされることでしょう。モラン伯爵、あなたは今までずっと自分の尻拭いから逃げてきた。つけを溜めこんできた。膨れ上がったつけを、払う時が来たようですな」