王太子
3月15日
あの婚約破棄の一件からすぐに、ヴァイオレットとヴィクトールは王宮へ向かった。これは、二人も呼ばれていたからだ。証言者として。
王の間には、先ほどの息子と同じく騎士たちに取り囲まれ、困惑するケイン一世の姿があった。捕らえられていたエルドレッドもそこに追い立てられるように並べられた。
貴族の多くが王の間に既に集結していたが、ほとんどが、一体これから何が起ころうとしているのか知らされておらず、この異様な雰囲気に戸惑っている。
「アーカーソン侯爵!貴様、謀反を企てたか!」
「おやおや、これは人聞きの悪い。そもそも、謀反を起こしたのはエンブリー公ではないですか」
アーカーソン侯爵は、もはや彼を陛下とは呼ばなかった。この十年間、陛下と呼ぶたびに、胸の内から黒いものが湧き起こるのを、どうにか理性で押し留めてきたのだ。
「何をそのような……」
「玉座はその正統な後継者が座るためのもの。そこは、あなたのための場所ではありません」
「正統な後継者!?わたしこそ、正当な……」
「いいえ。正統な後継者は、ここに」
そう言ってアーカーソン侯爵が振り向くと、ラドクリフの父、前宰相であるカーライル侯爵に伴われて、一人の青年が入室してきた。
死んだとされていたカーライル侯爵の姿に、貴族の多くが驚き、目を見張った。
ヴァイオレットの近くにいたラドクリフは、父の姿を見ても平然としている。彼は、父親が生きていることをとうに知っていた。といっても、知ったのは三年前の話だが。
入室してきた青年は癖のない銀髪をなびかせながら進んだ。白磁の様な透き通る肌。前王妃の血を受け継いだことがよくわかる、美しい青年だった。
「ま、まさか」
その顔立ちは端正でありながら気品と風格が備わり、前王の面影を色濃く映しているのが、誰の目にも明らかだった。
「エイベル・セドリック・グレネル様。この国の王太子であり、国王となられる方です」
厳かな口調でカーライル侯爵が告げる。
「十年前、あなたの指示によって毒を飲まされ、生死を彷徨っていらしたのを、何とかお助けしました。しかし、お命があると知られれば、また狙われるのは必至。秘密を知るカーライル侯爵もまた然り。ですから、われらは殿下の御身を、ひそかに安全な場所で保護させていただいていたのです」
「お久しぶりです、叔父上。あの時の毒の苦みは今でも忘れられそうにありませんが、叔父上も今後苦い思いを味わわれるのだと思うと、ようやく報われそうです」
そう言って顔を上げた彼の瞳は、透き通るような青だった。
「な、なにが叔父上だ!大体、お前が言うことなど全てでたらめだ!」
「まあ、確かに顔立ちは前王によく似ておられるし、銀髪は我が国には珍しいが……」
そう言うのは、ケイン一世の従兄でもあるウォートン公爵だ。彼の言う通り、王子セドリックのような銀髪は非常に珍しい。隣国の貴族層ではそれなりに見かける色ではあるが。
ウォートン公爵はちらりとセドリックと名乗る青年の手首を見た。王族の血を引く彼は、王太子となる彼が、身元を証明する方法を知っている。
「それなら証拠をお見せしよう。叔父上もご存知のはず。我が国の王太子が、手首にその証を刻まれることを」
この国グレネルの王位継承権を持つ者は、みな幼少時に手首に焼き印を押される。王家の家紋でもある薔薇とグレネルのGを合わせた複雑で精巧な造りの刻印は、模造するのは酷く難しい。
最初に聞いた時、ヴァイオレットはまるで奴隷のようだと思ったが、王位を持つ者は、この国の奉仕者であると言われているので、その見解はあながち的外れではない。
また、過去に王位をめぐって王族の間で骨肉の争いがあった頃、一時期身を隠した者が、後に己の身元を証明するためにこの習慣ができたと聞いたこともあるが、そっちの方が理由としては説得力がある。
セドリックが自身の腕に付けられているブレスレットを外すと、「おお」とあちこちから声が上がった。その手首に記された薔薇の刻印は。
「これはまさしく!」
「偽物だ!どうせ、刻印を真似て、後からつけたのであろう!」
往生際悪くそう叫ぶケイン一世に、「いいえ」とアーカーソン侯爵が鼻で笑った。
「よくご覧ください。この色あせ方、このむら加減。子供の頃につけられたために、このように変化するのですよ。成長に伴い多少伸びますしね。こういった部分は、真似しようとも真似できますまい。この御方こそ、エイベル・セドリック・グレネル様」
「何より、私が保証しますよ。私の顔は、皆さま覚えておられるでしょう」
カーライル侯爵が一歩前に足を踏み出す。勿論、前宰相として華々しく活躍していた彼のことを、ここにいる多くの貴族が覚えていた。
この銀髪の青年が王太子エイベル・セドリック・グレネルであることを、もはや疑う者はいなかった。
あと数話で終わります。
誤字報告してくださった方、ありがとうございました!