婚約破棄
「ここには、元婚約者のヴァイオレットが、未来の王妃に対して行った無礼の数々がしたためられている。いくら義姉とはいえ、このような不敬、到底許すわけにはいかない!よって、ヴァイオレット・アーカーソンは、この王子ケイン・エルドレッド・グレネルの名によって地位を剥奪した後、国外追放に処す」
「あら」
扇で口元を隠しながら、ヴァイオレットは微笑んだ。
「そのような権利、エルドレッド様にございますでしょうか?大体、その証拠とやらの根拠は?」
「何を今更。ここに書かれているだろう。お前がローザにした嫌がらせの数々。ここに、証言者のサインもある」
「ふうむ。拝見しておりますが、どの証拠とやらも、証人のサインはすべて同じ筆跡なのですね」
ヴァイオレットの横から、王子が突きつける書類を見ていたヴィクトールが、鼻で笑った。もはや、彼らはエルドレッドへの侮蔑を隠そうともしていなかった。
「は!?」
「ほらご覧ください。このサインも、これも……というより、どれも同じ人物ですね。名前が同じです。……おや?ここの記述、女子更衣室でローザに罵声を浴びせた、とあります。どうしてそれを、男子生徒であるトーマス・トレヴァーが目にしたのでしょうか?」
ヴィクトールが、朗々と記述を読み上げた。
こんなことだろうと思った、とヴァイオレットはこっそりため息をついた。エルドレッドは、トーマスに証拠のいくつかを文書にまとめろ、証人のサインも集めて載せろと命令したものの、出来上がりの書類にろくに目を通すことをしなかったのだ。
「おおおおお許しください!」
観衆の中から、トーマスが進み出た。
「お許しください。いかに王子殿下のご命令であろうと、これ以上の嘘を重ねることは、耐えられません!」
「な!?貴様!」
エルドレッドが言うよりも早く、トーマスがまくしたてた。
「殿下はローザ様と婚約したいがため、けれどご自分が泥をかぶるのはよしとしなかったため、ヴァイオレット様のありもしない罪をでっちあげよと……。抵抗しましたが、わたくしめは所詮後ろ盾のない平民の出。父の商会を潰すと言われれば、命令通りに動くしかできませんでした。しかし、何の罪もないヴァイオレット様に、このような謂れのない罪を押し付けることは、神の教えに反する行為!これ以上嘘を重ねることはできません。虚偽の罪による罰はわたくしめが全て引き受けます。ですが、どうか、どうか商会だけは、父が築き上げた商会を潰すことだけは!」
彼は床に額をこすりつけ、ヴィクトールに懇願する。誰を味方につければいいのかわかっている辺り、やはり商人の息子である。そして、よどみなく告げるこの口上。きっちりこのセリフも用意していたに違いない。
子供の頃は無垢で愛らしかったのに、今ではすっかり抜け目のない商人の息子である。
「トーマス、酷いわ何を言うの!?」
ローザが金切り声を上げるが、トーマスはローザの方を見ようともしない。
「トーマス貴様!平民の分際で、よくも私をたばかるようなことを!」
感情のままエルドレッドが叫んだが、この発言はまずかった。
「やはり身分が低い者を捨て駒にしようとしたのか。それも、妹との婚約を破棄したかったばかりに」
ヴィクトールが言うと、エルドレッドは「違う!」と叫んだ。が、もはや誰も信じようとはしなかった。
「殿下。妹との婚約破棄、我がアーカーソン侯爵家は謹んでお受けしよう。今この場にいる皆様が証人となってくださるでしょう」
「ええ。わたくしヴァイオレット・アーカーソンは、殿下からの婚約破棄の申し込みを、謹んでお受けしますわ」
ヴァイオレットがここで高らかに宣言する。
「後にこのことは書面に残しましょう。慰謝料などの細かい決め事も残っていますしね」
ヴィクトールの言葉に、エルドレッドが「慰謝料だと?」と怒鳴った。
「当然でしょう。公衆の面前で侮辱し、あろうことか、ありもしない罪をでっちあげたのですよ。このことは正式に抗議させていただきます」
ヴィクトールがそう告げた瞬間、ホールの扉が大きな音で開けられた。
「ああ、ちょうどいい」
ヴィクトールはそう言って、入って来た父親に笑いかけた。
「ちょうど、婚約は破棄されましたよ、アーカーソン侯爵」
「なるほど」
頷き、ヴィクター・アーカーソン侯爵はエルドレッドに微笑みかけた。
「ケイン・エルドレッド様。我らにご同行願います」
そういう父の隣には騎士団長であるヒースコート伯爵がおり、彼の後ろには、数人の騎士たちが控えていた。
この時、王族なら必ず付くはずの「グレネル」の部分が取れていたことに、ヴァイオレットは気付いていた。父が、それを付け忘れることなどありえない。つまり、それは。
「な!一体何だというのだ」
「お父上に王位簒奪者としての嫌疑がかけられています」
「誰がそのようなことを!無礼だろうが」
「エイベル・セドリック・グレネル様ですよ」
父の声は、王子の近くにいた者にしか聞こえなかった。
「な!?あいつは死んだはずじゃ……」
「生きておられたのです。このままでは身の危険とお隠れあそばされていましたが、ようやく戻って来られた。あなたのお父上が犯した王殺しの罪の証拠を持ってね。それに、そのペンダントを見るに、あなたからも話を聞く必要があるようですな。おい、連れていけ」
ヴィクターの言葉に、真っ先に動いたのは、いつの間にか騎士たちの中に入り込んだグレゴリーだった。あの茶番の最中、こっそり抜け出して合流していたのだろうか。
「グレゴリー!一体何を」
「お静かに」
静かな声でそう言い、彼は問答無用でエルドレッドを抑え込んだ。
「お前たち、みなグルだったのか!全員で共謀したのかラドクリフ!グレゴリー!トーマス!ヴァイオレット!お前たち何をしたのかわかっているのか!?王太子である僕によくもこんな……」
「あまり暴れられると、うっかり手が滑って骨の一本や二本、折ってしまいそうになる」
グレゴリーの目に、静かな怒りが映っているのを見て、エルドレッドは息を呑んだ。
「な、なぜ……なぜだグレゴリー」
「その理由は、たぶんあなたが一番ご存知のはずですよ」
そう言って、グレゴリーは些か乱暴にエルドレッドを立たせた。
数人の騎士たちに囲まれて、諦めたように立ち去ったエルドレッドを見た後、ヴァイオレットは「さて」と呟いて義妹に向き合った。
「茶番は終わらせないとね」




