終わりの始まり
連載物が途切れがちになったので気分転換に。数話で終わります。
3月15日
「ヴァイオレット・アーカーソン。この日をもって、お前との婚約を破棄する。そして私はこの場で宣言する。ここにいるローザ・アーカーソンこそ我が伴侶にふさわしい。彼女こそ、この第一王子ケイン・エルドレッド・グレネルの婚約者であり、未来の王妃である」
学園の卒業パーティーの日に、衆人環視の下突如宣告された婚約破棄にも、ヴァイオレットは動じなかった。
目の前の元婚約者であるこの国の王子ケイン・エルドレッドが守るように抱きかかえているのは、義妹のローザ・アーカーソンだ。ローザはエルドレッドに守られつつ、怯えた様子でヴァイオレットを窺っている。いや、正確には怯えたふりをしている。
大勢いる観衆には見えていないようだが、正面から向き合っているヴァイオレットには、彼女が、王子の袖で隠しているものの、こっそり口元を笑いの形に歪めているのが見てとれた。
それは、自分の計画が思った通りに進んでしてやったり、といった風だった。抑えようとも、思わず笑いの形になってしまったのだろう。ニタリといった形容がふさわしい、令嬢にあるまじき笑みだったが、いつもエルドレッドに向ける儚げな微笑より、よほどローザの美貌を魅力的に見せていた。
蜂蜜色の柔らかそうな金髪、深い青い瞳。白磁のように白く華奢な肢体はすらりとして、まごうことなき美少女だ。淡いピンクのドレスは可憐で、ローザの魅力を存分に引き出している。
対峙するヴァイオレットは、それなりに整った顔立ちをしているものの、野暮ったい黒縁眼鏡と顔中に散らばった雀斑のせいで、誰もその事実に気づいてはいない。着ているドレスも裕福な侯爵家が誂えたものだけあって上等だが、色合いや形は若い娘向きではなくいまいち地味だ。
彼女自身、着飾ることはそう好きではない。普段温室に入り浸って薬草の研究に勤しんでいる彼女には、きらびやかなドレスよりも珍しい薬草の方がよっぽど好ましい。
こんな王子の婚約者でなければ、薬学者として生きていきたいと思っていた。王子はそんなヴァイオレットを疎ましく思っていたようだが。
「エルドレッド様。こちらはそのようなこと、何も聞き及んでおりません。どうか理由をお聞きしても?婚約を一方的に破棄されるような理由が、妹にあるのでしょうか」
そう尋ねたのは、ヴァイオレットの兄であり、侯爵家嫡男のヴィクトールだ。
ヴィクトールは最近実妹のヴァイオレットよりも、義妹のローザに肩入れすることが多いと言われていたが、今日のパーティーではずっとヴァイオレットをエスコートしている。なぜなら、本来そうするはずのエルドレッドが、婚約者に目もくれずに、ローザをエスコートして入場したからだ。
ヴィクトールが質問する間に、ヴァイオレットはちらりと辺りを見回した。
突然のことに驚きつつも、好奇心を抑えきれないといったようにこちらを眺めている観衆に混じって、王子の取り巻き達の姿が見える。
前宰相子息、騎士団長子息、王都で台頭している大型商会の会長子息、そして若き歴史教師。みな、王子の腕の中にいるローザの信奉者だった。
ヴァイオレットはため息をつきたくなった。もう帰りたくてたまらない。元婚約者が主張する婚約破棄の理由なんか、おおよそ想像はつくが、この婚約破棄がどのように、どういった理由で行われたのか、衆人環視の下で明らかにしておかなくてはいけない。そのためにも、この馬鹿げた茶番にももう少し付き合う必要がある。
本来、貴族間の婚約解消ともなれば、家長同士の合意をもって執り行われるわけだが、両者が成人していた場合は、本人同士で決めることも、一応は可能である。当然、両者の合意と、第三者の立ち合いは必須なのだが。
エルドレッドもヴァイオレットも、学園を卒業することで成人したとみなされる。エルドレッドが婚約破棄を言い渡すのに今日を選んだのは、一刻も早くヴァイオレットとの関係を断ちたかったからだろう。
「その理由は、そこにいるヴァイオレットが一番知っているはずだ」
「存じませんわ。わたくし、何かエルドレッド様のお気に障ることをしてしまったかしら」
「しらじらしい」
吐き捨てるように言った後、エルドレッドはヴァイオレットを睨みつけた。しらじらしいという感想だけは、ヴァイオレットも同意見だった。
「お前が義妹であるローザをさんざん貶めていたことを、私が知らないとでも思ったか」
そう言って傍らのローザの肩を抱き寄せたエルドレッドは、鼻で笑った。
「自分より美しい義妹に嫉妬でもしたか?心根まで醜い女だ」
そう、ローザはヴァイオレットの義妹である。ヴァイオレットの父アーカーソン侯爵が、三年前に引き取った遠い親戚の少女、ということになっている。
しかしアーカーソン侯爵のローザへの溺愛ぶりは、社交界でも有名である。夜会やお茶会でのドレスを見ても、それは一目瞭然だ。娘のヴァイオレットが控えめなドレスを着ているのに対し、ローザのドレスは贅を凝らした見事な物ばかり。当初は養女なのではなく愛人なのではと囁かれたほどだ。
その後、ヴァイオレットの婚約者であるエルドレッドと知り合い、彼が婚約者を差し置いてローザに接触した辺りで、その噂は消えたが。
おそらくは、侯爵が妻以外の女に産ませた庶子だろうというのが、世間の見解だった。それに、ローザは類稀な美しさを持つ令嬢だ。養女ではあっても、侯爵家の後ろ盾があれば、それなりの家柄の貴族と縁を結び、侯爵家の人脈をさらに広げる要員となれるだろう。
いや、あるいは婚約者であるヴァイオレットを気に入らない王子のために、ヴァイオレットの代替としての要員なのかもしれないと思う者までいる。事実、今の現状を見るに、その予想はそれほど的外れとは言えない。もしそうなった場合、侯爵は割とすんなり受け入れるのではないだろうか。
侯爵はおおっぴらにではないが、明らかに実の娘であるヴァイオレットよりローズを気遣っていたし、さりげなく優先させていることは、誰の目に見ても明らかだった。そしてそれに対して、娘のヴァイオレットはどこか冷ややかな、諦めを含んだ目で二人を見ていた。
ヴァイオレット嬢は、父だけでなく婚約者まで義妹に奪われたのか。
周囲の貴族たちは、みなそう思った。同情や好奇の視線に晒されながらも、彼女は毅然とした態度を崩さなかった。
「そのようなことをした覚えはございません」
「そのような言い逃れが通用するか。こちらには、証拠も証人も山ほどあるのだぞ」
そう言ったエルドレッドは、憎い元婚約者に詰め寄った。それは、彼がこの後落ちる破滅への、輝かしい始まりだった。