白装束の女
服部は金槌が自分の頭蓋骨を打破る瞬間を待っていた。できるならあまり痛みを感じることなく早く事切れて欲しい。そう願ったが彼に中々死の瞬間はやってこなかった。
(死の間際というのはゆっくり時間が進むものなのだろうか)
そうも思ったが、あまりに時間が経ち過ぎている。目を開けてもう一度後ろを振り返ると、金槌を握った白装束の女の手が初老の男に取り押さえられていた。
「は、放して!」
「馬鹿なことはよさないか」
そんなやりとりの最中、男は白装束の女の後頭部に手刀を食らわした。すると彼女は気を失い、地面に倒れ込んだ。服部がポカンと様子を見ていると、初老の男が話しかけた。
「君が服部君だな。まあ間に合って良かった」
「えっ、どうして僕の名前を?」
「城尾君から聞いていたんだよ。今日必ず服部君がここに現れるはずだとね。あ、因みに今回の件を彼に依頼したのはこの私だ」
「ということはあなたが島津署の朝比奈さんですか」
「そうだ。とりあえずこの眠っているお嬢さんと一緒に署に来てもらおうか。ちょっと運ぶのを手伝ってくれないか」
朝比奈はそう言って白装束の女に手錠をかけ、服部と一緒に車まで運んだ。
(それにしても城尾め、僕の行動まで読んでいやがったとは……)
服部は車での移動中、心の中でそうボヤいていた。朝比奈を挟んで後部座席の反対側に座っている白装束の女は車に乗るとすぐに目を覚ました。しかし車を降りるまで終始無言であった。車が島津署に到着すると、朝比奈は二人を取調室ではなく、会議室へと案内した。
「とりあえず君たちの名前を聞こうか。職業もね」
「服部礼です。現在無職ですが、城尾探偵事務所に就職するかもしれません」
「近藤小百合、東方音楽大学声楽科の3年生です」
服部に襲いかかってきた時とは打って変わって近藤と名乗った女は借りてきた猫のようにおとなしくなっていた。そんな彼女に朝比奈は優しいトーンで聞いた。
「歌科の学生さんがどうして呪いの代行なんか始めたんだい?」
「一年生の時、夜女(モーツァルトのオペラ『魔笛』に出てくる夜の女王のこと)をやることになったんですが、それが教授のへんちくりんな演出で神社の巫女という設定だったんです。その役作りのために神社で巫女のバイトをしました。その時に拝み屋みたいなのが何か板に付いちゃったというか、案外向いてるなとか思って……。
ところで私は奨学金で勉強しているんですが、それだけだと結構生活が苦しいんです。それで思いついたのが丑の刻参りを代行して代金を頂戴するというものでした。
とりあえずサイトは立ち上げたのですが、一年くらいは全く依頼はありませんでした。それで呪い代行業は諦めていたのですが、ひょっこり依頼が来てしかも私が呪った人が偶々病気で亡くなったのです。なぜかそれがネットで流れてそれから依頼が相次ぐようになったのでした」
服部が質問した。
「丑の刻参りを行う神社が高峰神社、閣照神社、詠流神社の3社に限られているのは何か理由があるのですか?」
「私がバイトをしていたのが高峰神社、閣照神社、詠流神社の3つでした。社務所の入り口のパスワードも知ってるから白装束に着替えるのに都合が良かったんです」
今度は朝比奈が尋ねた。
「君が呪いをかけた人の多くは事故や自殺など不審死を遂げているのだが……単刀直入に言うが、君が直接彼らに手をかけているのではないのかね」
「いいえ、滅相もありません!」
近藤は慌てて否定した。
「そうだなぁ……でも君は服部君を襲おうとしたわけだから少なくとも傷害もしくは殺人未遂罪にあたるぞ。もっともそれはこの服部君が起訴するかどうかによるが」
そう言って朝比奈と近藤は服部の方を見た。本当はこんな女牢屋にぶち込んで欲しいところだが、どうやらここは許さなければならない流れのようだ。
「この人が今後僕を襲わないって誓うなら別に訴えたりしませんよ」
「……って服部君は言っているが、どうだい? お嬢さん。そもそもどうして襲いかかったりしたんだい」
「丑の刻参りは人に見られてはいけないと聞いたのを咄嗟に思い出したんです。もし見られたら祈祷者にその呪いが降りかかってくる。その呪いを解くには目撃者を殺さなければならないとされています」
「じゃ、呪いを解くために僕を殺さなければならないということですね」
近藤はまた慌てて手を振った。
「いえいえ、あの時は無我夢中で襲いかかりましたが、今こうして捕まってみてこんなこと良くないと思い直しました。だからあなたをもう襲うつもりはありません」
ここで朝比奈がここまで、と合図するように手を上げて言った。
「話はわかった。今日はもう遅いから留置所に泊まっていきなさい。朝が開けたら一緒に来て欲しいところがある。服部君の就職先の城尾襄探偵事務所だ」
朝比奈が話すのを聞きながら、服部はまたあの癖の強い探偵に会うのかと思ってゲッソリした。