裁かれぬ殺意
一行は成田空港を引き上げ、島津署にやってきた。そこで坂井陽一郎死亡の件を他殺の面から調べていた篠原警部補に話を聞くことにした。篠原は朝比奈より階級は上だが後輩にあたり、かつては朝比奈から指導を受けており、“ヒナさん”と呼んで朝比奈を慕っていた。
「ヒナさん、俺もこの件に関してはかなり疑ってかかってましたがね、あれはやはり自殺と認めざるを得なかったですよ」
「お前さんがそう思った根拠は何だい?」
「遺体に争った形跡が全くないんですよ。もしあれが他殺だとしたら余程国際級のプロの仕業だ。でもこう言っちゃなんですが仏さん、そんな輩に狙われるような大物でもありませんしね」
「なるほどな、他にも何かあるのか」
「坂井陽一郎のかかりつけの精神科医にも話を聞いたんですが、鬱の症状が発作的に出る傾向があり、いつ自殺したとしてもおかしくない状態だったそうです」
「そうか……お前さんが自殺と判断するなら間違いないだろうな」
朝比奈がそうつぶやくと、篠原は姿勢を立て直して言った。
「でもちょっと気になることがない訳でもないんです」
「ほう、何だね」
「精神科医が言うには、坂井陽一郎は一定の時間一人になった時に自殺衝動を起こしやすい傾向があったそうです。それで奥さんにも出来るだけ一人にさせないように、と言付けてあったようなのですが……」
「すると坂井真紀はそれを知っていて敢えてテニスに出かけて陽一郎を一人にさせたと……」
「ええまあ、仮にそうだとしても陽一郎の自殺であることには変わりないんですがね」
「うむ……確かにそれで殺人事件の立件は難しいが、坂井真紀にもう一度当たってみよう」
「僕も行っていいですか?」
服部が言うと朝比奈は手を振って答えた。
「いや、君が出てくるとややこしくなる。ここはこらえて引っ込んでいてくれ」
朝比奈に言われて服部はしぶしぶ引き下がった。結局朝比奈と城尾の二人だけで坂井真紀を訪ねた。
「またあなた方ですか、今度は何のご用ですの?」
真紀が少し苛立ち気味に言ったが、朝比奈は臆することなく質問した。
「あなたは精神科医からご主人を一人にさせてはいけないと指導を受けていた……それにもかかわらずあなたはご主人を一人残してテニスに出かけた。これは意図的にあなたがご主人を自殺に追い込んだと受け取れるのですが、本当のところはいかがですか」
「私はお医者様からそのような指導を受けた覚えはありません」
真紀はとぼけたが、朝比奈は敢えて追求しない。
「ほう……覚えておられないと。でもあなたは丑の刻参りを依頼したほどだ。ご主人に殺意を抱いていたのは間違いないでしょう」
「ええ……私はあの人が死んでしまえばいいとずっと思っていましたわ。私がどれほどあの人から苦しみを受けてきたか、あなた方には想像出来ないでしょうね。あの人が死ななければ私が死んでいました」
坂井真紀が感情をさらけ出したので朝比奈は押し黙ったが、しばらくして態勢を立て直してから質問を続けた。
「ところで、あなたと小湊研二は自宅のパソコンではなく、ネットカフェから丑の刻参りサイトにアクセスしたそうですが、何か理由がおありなのかな」
「ネットカフェからかどうかは知りませんが、小湊さんに私の代わりに依頼してくれるようにお願いしたんです。自宅のパソコンは夫がくまなくチェックしていて使えませんでしたし、あのサイトは私の携帯ではうまく表示されなかったのです」
今度は城尾が聞いた。
「そもそも丑の刻参りを依頼しようと言い出したのは誰なんです? 小湊さんか、それともあなたですか?」
「小湊さんは丑の刻参り代行依頼にはあまり積極的ではありませんでしたので、私の方が依頼をしたいと願い出ました。すると彼も一緒に依頼することにしたのです」
「なるほど……小湊さんが積極的ではなかった理由というのは何ですかな」
「いえ、知りません。あの、今回のことで私は何か法的に罪に定められるのでしょうか?」
朝比奈が間をとって答えた。
「あなたは法的に殺人者として裁かれることはないでしょう。せいぜい恐喝罪か自殺幇助罪です。でも天はすべてを見ています。我々の出来ることはその裁きに委ねることくらいです」
「そうですか。他にご用がありませんのでしたら、どうぞお引き取りを」
半ば追い返されるように朝比奈と城尾は坂井家を後にした。
その後、朝比奈は篠原の協力のもと坂井陽一郎の自殺の件について調べ直してみた。しかし、どこをどう調べても他殺の要因は見つからなかった。何より朝比奈自身の長年の刑事の勘がこれは自殺だと言っていた。彼はここで捜査にピリオドを打った。後は彼自身言うように天の裁きを待つしかない。
(次回は最終回です)