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009 プロローグ09 道導


 楽しかった思い出しか無かった。


 彼女と俺はいつも一緒だった。彼女はいつも笑顔だった。怒った顔や困った顔もよく覚えている、でも彼女はすぐに笑った顔を見せてくれたんだ。

 すぐに怒るけど笑ってくれた。すぐにすねるけど笑ってくれた。いつも楽しそうで俺が笑うと彼女も笑っていた。俺が困っていても彼女は笑っていた。俺が怒っていても彼女は笑っていた。俺が彼女でまず思い浮かべるのは無邪気な笑顔だったんだ。


 悲しい顔なんて思い浮かばない。


 彼女の悲しい顔は印象的だった。笑顔が霞んでしまう程印象的だった。彼女は何故あんな悲しい顔をしたのだろうか? よく笑って、よく怒って、たまに困って、それでも笑っていたのに。彼女は何故悲しいのだろうか?


 いつでも一緒だった。楽しかった学校で一緒だった。みんなで遊んでる時も一緒だった。家に帰ってからだって一緒、どちらかの家に一緒にいるのが当たり前だった。一緒に寝た事だってしょっちゅうだった。今からじゃ考えられない位に一緒だった。どんな時でも笑っていたんだ。


 俺も笑っていたんだ。彼女が悲しいのは、彼女が悲しいのは……。


 俺が悲しいからだろうな……。




「――行ったぞぉぉっ!!」


「えっ?」


 声に反応して思考の海から顔を出すと……出すとっ! 一瞬で状況を思い出して狼狽える! ヤバイ! とにかくヤバイ! 何がヤバイって説明する暇も無いくらいにヤバイ!


「十八ぁっ!!!」


 突然の俺を呼ぶ声。声とほぼ同時にバシィッと気持ちのいい音が俺の耳に飛び込んでくる。そしてゴロゴロ〜っと転がって行く声の主。周りからはおお〜と野郎どもの感心したような歓声、少し遠くからきゃーきゃーと黄色い声援も聞こえる。


「あっ? えっ?」


 急展開した状況について行けず、先ほどとは違う狼狽をする俺。


「十八! 大丈夫か?」


 ゴロゴロしてた奴がひどく慌てた様子で俺に詰め寄って来る。瞬だった。


「あっ、ああ。大丈夫、大丈夫、ありがとう」


 その瞬の顔を見て俺はようやく安堵する。


 今はE組との合同体育の授業中。昼休みを終えたばかりの五限目である。授業内容はグラウンドでの試合形式の野球。今は守備で俺の守備位置はライト、比較的ひまな守備位置という事もあるが、ピッチャーの好投のお陰で本当にひまだった。さっきまでの生徒会長室での余韻を引きずりまくったというのもあるが、ぼお〜っとつっ立って考え事をしていた俺はライト強襲の痛烈ライナーに……って、あれっ?


「ピッチャーってお前じゃなかったっけ?」


 瞬に訊く。俺の記憶が確かなら好投を見せていたピッチャーは瞬だった筈だ。その瞬が投げたボールを打たれたのに、どうして外野にいる俺が直撃しそうになったライナーをダイビングキャッチ出来るんだ?


「ああ、すまん。ライトには絶対に打たせない筈だったんだが、ちょっとSFF(スプリットフィンガーファストボール)の練習をしていたらすっぽ抜けて打たれちまった……間に合って良かったよ」


 おいおい。そんなメジャーリーグで主流になってる変化球の練習を授業中にやるなよ。だいたい野球部でもないのに今まで野球部も混ざっているE組打線にかすらせもしなかったじゃないか。俺のツッコミ普通に返してるし。本当に瞬の運動神経は常軌を逸脱している。この規格外完璧超人めっ。


「まぁ、もう打たせないから安心しろ」


 そう言うと、ふわっさぁっと長めの茶髪を翻しながらマウンドに戻る瞬。周りからは尚も続く歓声。いや、みんな? 瞬の異常な運動神経に少しは疑問を持とうね?

 ……と、それはともかく……その歓声に混ざって聞こえてくる内容が嫌でも頭に入ってくる。


「佐山もすごいけど塩田も本当にしょうがない奴だよな」


「まぁ塩田だからな。しゃあないって」


 後方の球拾い兼ギャラリーの会話。別に俺をはっきりと馬鹿にしている訳ではない。それは俺を知る人にとって常識だった。


 俺は運動が出来ない。それはもう酷いもので体育の成績はクラスでも下から数えた方が早い。情けないが俺は運動音痴なのだ。だから体育教師が決めたF組ナインのみんなもあぶれて球拾い兼ギャラリーをしているみんなも不満はあるらしい。瞬だけは別だし、情けない自分は理解しているけど……いたたまれないよ……。






 そして放課後。昨日に引き続き今日も一人ではなかった。昨日は違ったけど渉は普段なら部活。瞬もだいたい用事があるか生徒会執行部。実に珍しい事だ。


「今日は生徒会ないんだ?」


 昨日の渉に代わり今日は瞬が一緒だった。当然のように隣に並んで歩く瞬に普段との相違を尋ねてみる。


「いや、今日もあるけどバックれてきた」


 いつも通りというか、少し上の空の様子でしれっと答える瞬。


「って、えっ?」


「お前に話があったからな」


 やはりごく自然に普通〜にしれっと改まる瞬。瞬がこうして改まって話をしようとするのはちょっと珍しい。いつもの瞬なら大事な話だろうが、引っ張らないと面白くない話だろうがあっさりと言ってしまう奴だ。


「なんの話だよ?」


「うーん……実はな十八。はっきり言うと、俺は怒っているわけよ」


 あくまでいつも通りに普通な口調と態度で言う瞬。怒っている? 瞬が俺に対してはっきりとマイナス感情を示すのはやはり珍しい……いや、たぶん初めてだ。


「怒っているって、俺に?」


 全くもって身に覚えがないが訊いてみる。


「いや、お前もそうだけど、お前だけじゃないよ」


 ???


「……なんだよ、はっきり言えよ」


 意味が分からない。瞬らしくない引っ張った言い方も含めて少し苛ついてしまう。


「昼休みの件だよ。俺は十八と刹那に怒っているんだ」


「えっ?」


 瞬の言葉をすぐ理解できない俺は足を止めてしまう。並んで歩いていた瞬も足を止める。そして俺に向き直り、少し真剣な表情で俺を見据えた瞬は口を開く。


「お前らなんなんだよ……十八の『あれ』が原因なのはわかる。……でもおかしいだろ? あれだけ仲のよかった二人だったのに、昼休みん時なんて知らねえ奴同士みたいだったじゃねえか」


「…………」


 せっちゃんとの事を言われたのもあるが、瞬の口から出た『あれ』という言葉に嫌でも意識が持って行かれる。



 頭の中に煉獄と化した忌まわしい記憶の連鎖が始まる。


 目眩がする。


 吐気がする。


 血の気が失せる。


 体が震える。


 ……瞬の言った『あれ』。その内容は俺を知る人全てにとって禁句だった。


 俺と瞬なら『あれ』だけで通じてしまう事。


 俺の過去。大切だったもの。俺の全てだったもの。俺が好きだったもの。取り返せないもの。


 『あれ』だけで伝わってしまう事も……俺には重すぎる事だというのも……瞬は知っている筈だ。


「すまん……簡単に引き合いに出すような事じゃないのはわかってる。でも、事実だ。その事をわかった上での話なんだよ」


 途端に気分の沈んだ俺を気遣うように言う瞬。その瞬の表情を見て少しだけ俺の心が浮き上がる。俺を気遣ってくれる人の事を思う事で記憶の連鎖が緩む。


「……ああ」


 わかってる、と言わんばかりに気のないような相槌を返す。正直、沈みきった心のサルベージが済んでいないが続くであろう瞬の話を聞こうと聴覚に意識を集中させる。


 きっと瞬は大切な話をしてくれる筈だから。


「十八、お前……刹那と付き合っちまえ」


 …………。


「…………」


 考える。


 …………。


 ???


「えっ? 何?」


 意味がわからん。


「だからっ! お前とっ! 刹那がっ! 付き合っちまえって言ってんのっ!」


 俺と……? せっちゃんが……? 突き合う? いや違うか、付き合う? 付き合うって付き合うって事だよな? あれっ? どういう意味だっけ? 確か……。


「……って、はあっ!!??」


「面白い反応するなぁ十八。分かったか? お前と刹那でいい関係になっちまえっての」


 さっきまでの真剣な態度を一変させ、にゃははと笑いながら言う瞬。


「なっちまえじゃねえってば! どうしてだよ?」


 ちゃらけたような瞬の態度に少し苛立ちながらもツッコむ。同時に沈んでいた気持ちが一気に浮上してくれた気がする。


「はっはっは。双子の弟である俺が全面的にバックアップしてやるぞっ! 大船に乗った気持ちでいろ」


 もう完全にいつも通りの雰囲気に戻った風な瞬。


「だからどうしてだって言ってるだろう? 俺とせっちゃんが付き合うって有り得ないだろうが!」


 やたらとテンションの高くなってしまった瞬にちょっと必死に反論する。


「十八……」


 俺の反論を聞いた瞬間、瞬の表情が真顔に戻る。俺の目をはっきりと見て口を開く。


「十八……お前、無理しすぎなんだよ。昔からそうだったけど、最近は日に日に酷くなってるぞ? 思い詰めるような表情が増えてきているぞ? 気付いてないか?」


 瞬は真摯にゆっくりと言う。それを見た俺は何も言えなくなってしまう。


「刹那もそうだ。無理をしている。刹那らしさがどんどん減ってきている。同じ日に生まれて、同じ家に住んでいる姉弟だけど……分かんなくなってきたんだよ、最近さ……どうしてだかわかるか?」


「…………」


 瞬の質問には返答できなかった。頭の中に浮かんだ返答はある。


『俺がいないから』


 瞬が俺に求めた返答は多分これだろう。でも、違う。瞬には悪いがそんなのはただの妄想だ。仮に本当にせっちゃんが俺という存在を求めていたとしても、それはやはり妄想に過ぎない。



 だってそうだろ……遥、もうお前はいないんだから――。



 瞬が求めるものが昔の俺達なら、俺があがいたところで無駄なんだよ。決定的に足りないものがあるから。


「有り得ない事じゃないんだよ。昼休みにも言ったろ? 普通の事だって」


 返答をしないで沈黙を続ける俺に諭すように言う瞬。


「それともお前は刹那が嫌いなのか?」


「嫌いじゃないよ」


 当然、即答する。この質問に対しての沈黙は絶対に嫌だった。


「じゃあ、いいじゃねえか! 俺に任せろってんだよ!」


 そう言いながらガシッと俺の肩に腕を回してくる、表情はもう笑顔だった。瞬は俺を気遣っておどけているのだろう。


 隣でおどける瞬に苦笑しながら思う。




 瞬、俺だって戻りたいよ……。







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