079 第二章曜子22 陋見
三学期二日目。当然のことだが、始業式の翌日からでも授業は通常通りに行われる。
一時間目はいきなり体育。今日は男子も女子も体育館で、男子はバスケットボール、女子はバレーボールである。
「整列! ハッハッハ!」
普通の体育館の二倍くらいはありそうな第一体育館にマッチョ先生の大きな声が木霊する。
合わせて仕切りネットの向こう側からクスクスという女の子たちの笑い声が聞こえてくる。
更に合わせて男子みんなの疲れたため息も聞こえてくる。
「ハッハッハ! 今日は時間の許す限り、燃え尽きるまで試合ですよーっ!」
相変わらずマッチョ先生はむさくるしい、冷蔵庫並に冷えきってる体育館なのに今日も短パンにタンクトップ姿だ。そして、相変わらず授業方針は試合形式だ。
「まずは筋肉痛になるくらいに準備体操しますよー! ハッハッハ!」
ふぅ……。
ジャージ姿の俺は自然と瞬と渉の傍に行く。二人一組になってやる体操もあるので、授業開始からペアを作るのはいつものことだった。
「っほい」
俺たち三人は顔を合わせると同時にグーパーをする。これは体育の時間など、ペア分けをする時に俺たちの間で決まっている暗黙のルールなのだ。
俺と渉がグー、瞬だけがパーだった。
「なん……だと……?」
渾身の必殺技をあっさり防がれてしまった人みたいな感じで放心状態の瞬、自分の出したパーを見てわななく。
「シオッ! 体操体操っ!」
「あ、ああ……」
早々に瞬を見捨てた渉が俺の手をぐいぐいと引っ張ってくる。真っ暗な特殊効果に包まれた瞬は自分のパーを見つめた状態でひとり取り残された。
見渡してみればペアが出来ていないのは瞬とマッチョ先生だけだった。
「さ! や! ま! カモン! ハッ! ハッ! ハァッ!」
エクスクラメーションが発生する度にぎゅむっぎゅむっとマッチョなポーズを取りまくるマッチョ先生、これでもかってくらいに瞬を大歓迎していた。
「うわぁあああ! 十八ぁあああ!!」
すまない瞬、俺には過激すぎて直視できないんだ……さ〜て、体操体操っと。
股わりする渉の背中をぐいぐいする俺。
マッチョ先生の授業は試合形式ばかりではあるが、準備体操と整備体操はしっかりしている。そのお陰か、マッチョ先生の体育で大きな怪我人は出たことがない。
そんな訳でマッチョ先生の準備体操はちょっと過剰気味、やりすぎなくらいの体操の後は柔軟体操なのである。
「シオさ、風紀委員会に乗り込んだって本当なのっ?」
グキッ
「――いででででっ!」
「あ、ご、ごめん」
渉がいきなり言ったことに驚いた俺は、思わず力を込めすぎてしまう。いらん怪我人を出すところだった。
「痛いなぁっ! いやさ、オッキーに聞いたんだよねっ。『山崎さんの友達の塩田さんが風紀委員会室に来ました』ってさっ」
オッキー? ああ、たぶん沖田君のことだな。
しかし渉、来たと乗り込んだは全く違うと思うぞ?
「乗り込んではいないけど、風紀委員会室には行ったよ。そういえば、伊吹君も第一剣道部だよね? 沖田君もそうなの?」
「そうだねっ、イブちゃんは部長、オッキーも一年生で一番強い子だよっ」
イ、イブちゃん……? 昨日の伊吹君とのギャップから、そのニックネームに俺はいろいろと引きつってしまった。
「ん〜っ? はっは〜ん、シオってば部長に何かされちゃったっしょ〜っ?」
やはりこいつは余計なことに関しては鋭い。
「部長は正に唯我独尊だからね〜っ。でも、強いし、カッコいいし、いいやつっしょっ?」
「…………」
渉の言葉が俺の胸にグサリと突き刺さる。偏見が嫌いなくせに、一度しか会っていない伊吹君をそうした目で見ていたのだということを痛感した。
「まあ、気持ちはわかるよ〜っ、俺も最初はムカついたもんねっ。でも、全部がムカつく訳じゃないから割り切ってあげてねっ」
無邪気に笑う渉。
こいつのこういうところは本当に尊敬している。
「でさっ、ムカつくって言えば、未だにムカつくんだけどさっ、部長はあの"二年生イケメン四天王"のひとりなんだよっ! モテるんだよっ!」
出た。この学校に何故か定着している何々四天王。
「ちなみに訊くけどさ、その何々四天王って何なの?」
「シオってば知らないの? 去年の文化祭で各ジャンル毎に決まったじゃんっ?」
知らんわ。去年の文化祭で俺は生徒会じゃない委員会活動で忙しかったんだ。
「二年生の男子だったら、瞬と部長、あとは……確かだけど、図書委員の本城……だっけ? もうひとりはC組の河本ってやつだったと思うよっ」
全員知ってるよ。っていうか、去年の文化祭でそんなことをやっていたのかよ。
「たぶん俺は僅差で五位だったと思うんだよねっ! で、ちなみに二年生女子の四天王は、もちろん刹那ちゃんがぶっちぎりで、あとはやっぱり図書委員の折原ちゃんと……」
「わかったわかった。もうわかったから」
こいつはなんだってこんなに情報通なんだ。しかも、女の子側に偏っているし。
「なんだよーっ、最後まで言わしてくれてもいいじゃんっ……って、あっ! 曜子ちゃん見っけっ!」
唯我独尊はお前だ。
体操しながら、話しながらも半分こした体育館の向こう側を凝視していた渉、俺たちと同じように準備体操をしている曜子さんを発見しやがった。
「曜子ちゃんは俺が独自に決めた二年生"裏"美少女四天王のひとりなんだっ。あとはB組の由ちゃんとか、J組の棗ちゃんとか……」
渉が何か言ってるが、俺は曜子さんを見て固まってしまっていた。
俺たち男子のようにペアで準備体操をする女の子たち。しかし、曜子さんのペアは生徒ではなかった。
瞬と同じように体育の女性教師とペアを組んでいる。……いや、瞬の"それ"とは明らかに違う。
「…………」
くそ……自分のネガティブな思考が嫌になる。こうして考えてしまうことだって偏見じゃないか。
でも、こうして曜子さんを見ていると、刹那の言っていたことをどうしても思い出してしまう。
『……曜子はE組で浮いた存在、らしいの……。私、そんなの絶対に嫌だわ……』
準備体操を終え、試合形式の授業が始まる。
E組チーム対F組チーム、どちらのクラスも4チーム。いくら体育館が広くてもコートは二面なので、前半後半で総入れ替えとなった。
既に試合は始まっているが、俺のチームは後半から、前半が終わるまで端っこで自由時間なのである。ちなみに同じチームには当然のように瞬と渉がいる。
「バスケなんて久し振りだな」
バインバインとバスケットボールをドリブルしながら言う瞬。マッチョ先生から開放されてやつれてるくせに、嬉しそうな爽やか笑顔だ。
「ちぇいっ! ちぇいっ!」
その瞬から、すばしっこい動きでボールを奪おうとする渉。
しかし、瞬はドリブルを左右に切り替えしたり、一歩だけ下がったりなど、渉を全く見ないでかわしまくる。それについていく渉も凄いが、やはり瞬は凄い。これで運動部に在籍していないのだから本当に惜しいことなんだと思う。
基本的に瞬はどんなスポーツでも得意だし、好きらしい。この様子だと、バスケは中でも特に好きなスポーツなんだろう。
しかしだ、瞬には悪いが、俺の意識はそちらに向かない。
「シオッ! ダブルチームだよっ!」
「…………」
渉を無視した俺は瞬たちから視線を移す。
どうしても気になってしまう仕切りネットの向こう側、女子たちがバレーボールの授業中である。
俺たち男子と同じように試合形式の授業らしく、一面だけ造られたコートでは試合をしている。コートの外には、やはり俺たちと同じように自由時間のようで、座って談笑しているグループや輪を作ってボールで遊んでいるグループがいる。
一見、誰が見ても、黄色い声を響かせる楽しそうな授業風景に見えるだろう。
しかし、俺には何処か寂しいものに見えてしまう。
曜子さん、隅に座っている彼女はひとりぼっちで膝を抱えていた。
友達は? 刹那のようなクラスメイトはいないのだろうか?
いや……俺以外の誰とも目を合わせない彼女に本当に仲のいい友達がいるだろうか?
「…………」
俺は幾つかある女子グループを見渡す。
……いた、阿部さんだ。
輪を作って遊んでいるグループの中に目的の人物を発見した俺は体全体を使って激しい身振り手振りを開始する。
ナ・カ・マ・ニ・イ・レ・テ・ア・ゲ・テ!
たぶんやってる俺にもわからないブロックサイン。阿部さんはちょうどこっちを向いているので気付いてくれさえすれば何とか伝わるかもしれない。
ア・ベ・サ・ン! キ・ヅ・イ・テ!
あっ! 気付いてくれた!
俺の必死の念波が通じたのか、阿部さんは俺の方を向いてくれた。
よし、あとは内容を伝えるだけだ!
ヨ・ウ・コ・サ・ン・モ・イッ・ショ・ニ!
ぜえぜえ言いながら手足を振り回して出来る限り内容を形にする俺。
対して阿部さんはしばらく首を傾げて……ポンと手を叩いて頷いてくれた!
伝わった!?
ブンブンブン!
思いっきり手を振ってきた! 笑顔で目一杯に手を振ってきたよ! ぜんぜん伝わってないよ!
くそぅ、橘には視線だけで伝わるのにぃ! もう一度だ!
ニ・ン・ズ・ウ・フ・エ・タ・ホ・ウ・ガ・タ・ノ・シ・イ・ヨ!
ヒィヒィ言いながら体全体での激しいブロックサインを再開する俺。上履きがキュッキュいうくらい激しく動きまくる。
ブンブンブンブン!!
向こうも激しくなった! 阿部さんめちゃくちゃ楽しそうだよ!
そんな不毛な行動を繰り返している内に後半開始となった。
「「「ぜえぜえ……」」」
ブロックサインで疲れ切った俺、マンツーマンでボールを取り合っていた瞬と渉。三人とも試合開始前から息も絶え絶えだった。
ちなみに俺たちのチームの残りのメンバーはクラス一体重の軽いメガネ君(仮)やクラス一体重の重いポッチャリ君(仮)など、クラスの運動神経のワーストランキングの下位を俺と争う猛者どもである。
「勝負はまだ終わってないよ瞬っ……ぜえぜえ……今度は試合で、どれだけ活躍できるか……ぜえぜえ……勝負だっ!」
「臨むところだ……はぁはぁ……お前には負けん!」
フルマラソンを走り切った後なんじゃないかと思うくらいに疲労困ぱいなくせに、まだ何かを始めようとしている瞬と渉。
「まあ、女子の視線は俺のものだろうがな」
「言っとくけど、活躍した方が勝ちだぞっ? 俺はPGなんだから、アシストに徹するんだからさっ!」
わかってるってとニヤける瞬はPFである。
その様子を見ていた俺はピーンときた。
もし、この二人が活躍しまくったとしたら、体育館の中にいる全員の意識が集中するんじゃないだろうか?
そうなれば……いや、そうなるのは間違いない筈だ。
「瞬! 渉! それやってくれ!」
気が付けば俺はその考えに飛び付いていた。
「な、なに? どうしたんだ十八?」
「それって活躍しようってやつっ? なんだってシオがっ?」
ええい、いちいち説明できることじゃないわい!
「とにかく俺は二人が活躍するところを見たいんだ! 凄いところ見せてくれよ!」
半ば暴走状態の俺は自分でも意味不明だ。だけど、もうすぐ後半が始まってしまう。なりふり構ってる暇なんてないんだ。
「シ、シオがついに俺を認めてくれたっ! 頑張るよっ! 絶対に頑張るよっ!」
なんか知らんが、感動してる渉。
「みなぎってきた!!」
ちょっと怖い瞬。
よくわからないが、二人はあっさりとやる気になってくれた。
後半開始。
マッチョ先生がジャンプボールのボールをトスする。
「おりゃあ!!」
F組ジャンパーの瞬は最高到達点を折り返したばかりのボールを易々と捉える。まるでバレーボールのスパイクの要領で振り抜く。瞬よりも長身のE組ジャンパーの頭の上からボールを床に叩き付けた。
「行くよシオッ! 見ててっ!」
そこにいたのは渉。床を穿つ勢いで跳ねたボールを片手で受け止めた渉が直接ドリブルに移行する。開始直後、未だ相手チームは俺たちのペースについて来れていない。一回、二回、三回、倒れ込みそうなくらいに低い渉のドリブルはたったそれだけで棒立ち同様のディフェンスを振り切る。はっきり言って早いなんてレベルじゃない、ドリブルの音が全て繋がっているんじゃないかと思うくらいのスピードでゴール下に到達した渉。
ノーマークからのレイアップシュート。
ゴール。
自分の身長を理解し、最大限の能力を発揮した渉のシュート。見とれてしまうほどに鮮やかだった。
「「「…………」」」
体育館にいる全ての人間の思考が未だについて来れていない。マッチョ先生ですら、しばらく笛を吹けなかった。
「シオーッ! 今のシュートはシオの為に打ったんだよっ!」
無邪気な笑顔の渉はF組コートに戻りながらバカでかい声を発した。それは体育館全体に響き渡った。
「おのれ! アシストに徹するとか言ってたくせに!」
なんか悔しがってる瞬。合わせて盛り上がる仕切りネットの向こう側。
「ははは……」
俺はひとりで引きつっていた。
そして。
「ちぇいっ!!」
相手コート、体がブレたんじゃないかと思うくらいのスピードでパスカットをする渉。
「シオッ! 俺のっ! 友情パスっ!」
キラキラした瞳で俺にフワッとパスをくれる渉。
「お、お、俺かぁ!」
そりゃあコートに立っている以上は頑張るつもりだったけど、そう頭の中で愚痴りながら渉の盛り上がりまくった勢いにたじろぐ俺。
しかし、受け取ったボールの感触と接近しようとするE組ディフェンスにやるべきことを察知する。
一歩、二歩、ドリブルしながら後退した俺はスリーポイントラインの外へ、素早くボールを掲げ、シュート体制に入る。
目前に迫るE組ディフェンス、左手は添えるだけでいい筈だ、自分にそう言い聞かせながらボールを放つ。
バイ〜ン
ゴールに嫌われました!
やっぱり駄目だった俺のシュートは無情にもリングの先端に弾かれて飛んでいく。みょーんって感じで。
「ナイスパスだぜ十八ぁぁぁ――!!」
フリースローサークルの遥か上空、弾け飛んだボールの行き着いた先、そこには腕を大きく振り抜こうとする瞬、不可視の翼を生やしたかの如く、ゴール目掛けて翔んでいる瞬。
振り抜く右腕には俺のミスショットで弾け飛んだボールがしっかりと握られている。それが意味する理由は一つ。
ダンクシュート。
壊してしまったのではないか、誰もがそう思ったであろう大音響を響かせてボールは直接叩き込まれた。
明らかにスリーポイントラインより外から飛んだ瞬、振り抜いた腕でリングに掴まったまま一度大きく揺れると華麗に着地する。
「十八がボールに込めたメッセージ、確かに受け取ったぜ!!」
ビシッと俺に親指を立てる瞬。
言っとくけど、パスした覚えもなければ、これっぽっちのメッセージも込めちゃあいない。
でも、引きつる俺を無視して怒号のような大歓声が響く。もちろん、仕切りネットの向こう側からだ。
「くわぁぁっ! 俺はシオにパスしたのに、どうして瞬がシュートしちゃうんだよっ!」
いや、その前に、どうしてお前はそこで対向するんだ?
「ダンクが何だよっ! 目立つだけだったら俺だってっ!」
そう言うと渉は俺の方に向かって走り出した。
「な! なんだなんだ!?」
タタンとリズミカルに両足を鳴らした渉は硬い床もお構いなしに豪快なロンダート、続いてズダダンとバク転、もう一回ズダダンとバク転、スピードと勢いを大きく加算させた渉は俺の目の前でズダン!という大きな音と共に背面ジャンプ。
ムーンサルト。
『おお〜』という歓声が上がる中、渉は体操選手顔負けの月面宙返り、しかも伸身で俺の頭の上を越えて行く。
ズドンと着地する渉。少しもよろけない。
「どうだっ!」
あちこちから上がる拍手を受けながら、何故か俺だけに向けて言う渉。
「い、いや……どうだと言われても……もうバスケじゃなくなってるし……確かに凄いけどさ……」
それ以前に、もはや何がやりたいんだかわからん。
「十八ぁ! 俺を見てくれー!」
あっちでは瞬もズダダンやってるし。しかも、捻りの一回多い新月面宙返りだし。
結局、その後も瞬と渉は意味不明の争いを繰り返し、体育館は二人の独壇場と化していた。
ちなみに、バスケとは関係なしになった二人を欠いたF組チームは惨敗しました。
みんなの中に、少しでも嫌なものがあるとするなら、そうじゃないもので覆い尽くしてしまえばいい。
自分でも幼稚な考えだっだと思う。
それで根本が変わる訳ではない。自分では出来ないからと、瞬と渉に頼りきってしまった。
それが正しいと確証がある訳でもない。
……でも、彼女に向けられていたかもしれないものは逸らせたかもしれない。
今はそれでいいと思った。
ただ一つ、気になることがあった。
授業中、曜子さんが一度も俺を『見なかった』ことだった。
読んで頂いてありがとうございます。
今回から『図書委員会編』が始まります。
これは二章の最後のくだりとなります。よろしくお願いいたします。