078 第二章曜子21 面牆
今回はライト要素が強いです。しかも、あまり曜子に関係ありません。他の章に繋がるお話です。
風紀委員会は三年校舎の一階にある。
既に放課後である三年校舎に生徒の姿はない。三年生は受験を控えているし、部活もとっくに引退しているからだろう。
そんなほとんど誰もいない校舎でもあるにも拘らず、校舎全体が何とも近寄り難い雰囲気を醸し出している。やはりは立ち入る機会のない最上級生校舎、当然なのかもしれない。
「付き合ってやってんだから後でジュースくらい奢ってくれよな、先輩」
それなのに、何この下級生、どうしてそんなに余裕綽々なの? ていうか、楽しいピクニックにでも行くみたいにわくわくしてるよね?
「あのな、言っとくけど、喧嘩しに行くんじゃないんだからな?」
さっきの橘の話から察するに、橘と伊吹君は顔見知りだけど、仲がいいとは言い難い関係なんだと思われる。まさかとは思うが、喧嘩を吹っ掛けるんじゃないかと思ったので、念の為、釘を差しておく。
「そんなことわかってるよ。でも、売られた喧嘩は買うぜ」
そう言うと、へへへって感じで嬉しそうに拳を突き出す橘。
さっきまでは、なんて心強いやつなんだ、とか思ってたけど、これじゃただの不安の種である。
「なんだったら俺だけで行ってくるぞ? 付き合ってくれるのは嬉しいけど、目的は俺の話を聞いてもらうことなんだからさ」
「それは駄目だね。伊吹のところに先輩ひとりで行くなんて無謀もいいとこだよ」
思わず突き放すように言ってしまった俺の言葉に即答する橘、少しちゃらけ気味だった表情を真剣に引き締めていた。
「さっきのは冗談だよ。少なくとも先輩の邪魔はしないようにする」
「…………」
そう言われてしまえば信用しない訳にはいかないじゃないか。
"生徒会、風紀委員会室"
三年校舎一階の最深部まで到着すると、物々しい雰囲気が強くなる。
ここに来るまでも、特別指導室や更生指導室といった出来れば係わり合いになりたくない、というより存在すら疑わしい部屋を通過して来た。
ちょっと胃が痛い。
橘の視線を背中に受ける俺は平静を装いながらノックの体制を取る。
「…………」
コンコン
いろいろ葛藤してから控え目にノック。
「…………」
返事なし。
コンコンコンコン
再挑戦。控え目なところは変えず、回数を増やしてみたが、よく考えたらこれは失礼にあたる。
「…………」
返事なし。
いないのだろうか? 一応、今日も活動しているのは確認したんだけど……。
そう思いながら扉に手を掛けてみると、鍵は掛かっていなかった。
「入りますよ〜……」
恐る恐る扉をスライドして、入室する俺。橘は黙ってついて来る。
「「「…………」」」
しーんとしてます。取りあえずしーんとしてます。
風紀委員会室の中には風紀委員会のメンバーの男子生徒が四人。誰もいないと思ってたけど、しっかりいました。返事くらいしてほしかったです。
ちなみに間違いなくメンバーであろうとわかるのは、全員が左腕に赤い腕章を着けているからです。
普通の教室を改装しただけみたいな部屋の中には大きなテーブルが一つ、スチール製の書棚が二つ、事務机が一つ、地味だと思っていた時計棟の事務室と比べても地味である。
この校舎の一番外れにある部屋ではあるが、何故だかやたらと暗い。失礼だが、陰湿な部屋だった。
三人は立っている、しかし、ひとりだけ事務机に座っている男子生徒がいる。一度だけしか会っていないが俺も覚えている。彼が風紀委員長の伊吹君だ。
「…………」
な、何か言ってほしいなぁ……。
机に頬杖をついて気だるそうに座る伊吹君は俺を鋭い視線で睨むだけである。
取りあえず第一印象、とてもガラが悪い。他の三人もそうだけど、伊吹君は特にガラが悪い。すこぶる悪い。
身長はたぶん俺より少し高いくらい、後ろに流したツンツン黒髪、鋭い目、風紀委員なのにネクタイなし、ていうかシルバーアクセサリーだらけ。男の俺から見てもカッコいいヤツなんだと思う。……一応言っておくが、俺にそっちの気はない。
「橘か……何の用だ?」
頬杖をついて気だるそうに座ったままの伊吹君は俺の存在を通り越し、少し後ろに立つ橘に尋ねた。
「用があるのはあたしじゃないよ。ほら、先輩」
黙ってる俺を急かす橘。
「…………」
その様子を見て少し苛立ったような伊吹君は鋭い視線を俺に移す。そして何も言ってくれません。
「え、えーと……執行部から来た塩田十八です、はじめまして」
取りあえず挨拶してみる。
「…………」
無視、ではないみたいだが、やはり何も言ってくれない伊吹君。気だるそうな態度はそのままに、視線だけを更に鋭くした。
「おい、返事くらいしてやれよ」
一応、おとなしくしているつもりだったらしい橘だが、俺と伊吹君の様子を見てイライラがぶり返したらしい。
「橘、いいから……」
「知ってるよ、会長補佐のシオクンだろ? 第一剣道部の山崎からも何度か名前を聞いたことがある」
橘にハラハラしていると、伊吹君はようやく俺に向けて喋ってくれた。一瞬、なんだ無愛想なだけなのか、と思って彼の方に視線を移すが、俺は凍り付く。
「雑魚には興味ねぇけどな」
気だるそうな態度は変わらない、しかし、視線も表情も言葉も、明らかに俺を嘲笑っていた。
それを受けて後ろに立つ橘のイライラが更に強くなったのがわかるが、俺は彼女を遮るように口を開いた。
「知っているなら、本題に入るよ。先月の合同会議で言ってた目安箱ってあっただろ? 徳川先生とも話し合って、やっぱり俺が引き受けることになったんだ。先生の言い付けで風紀委員にも話を通しておく必要があってさ、こうして来さしてもらったんだよ」
お互いのメリットを考え、要件だけを手短に捲し立てた。本当なら協力を要請しなくてはいけないのだが、割愛させて頂く。
「……目安箱、ねぇ……」
薄い嘲笑を貼り付けたままの伊吹君は疲れたように呟く。
「じゃあ訊くが、塩田、お前がその仕事をやる目的はなんだ?」
???
唐突な質問だった。伊吹君の視線も俺を値踏むようなものに変わっていた。
当然、俺は戸惑う。だが、俺だって全く考えていなかった訳ではない。
「……もともとあったものをすぐに無くす必要がないと思ったからだよ。それに俺たち生徒会だけで全てを決めるのだけが正しいと思わないから……更に欲を言えば、生徒会がみんなの助けになれればいいとも思ってる」
徳川先生の言っていたこと、刹那の言っていたこと、二つを秤に掛けるとどうなるのか? 全校のみんなが求めるものは何なのか?
どうなってしまうかなんて俺にもわからない。でも、俺が何をやればいいのかはわかる。
「そういうのを訊いた訳じゃねぇんだがな……まあいい、今の話からだと、お前は人心掌握の手段として仕事を引き受けた訳だな?」
人心掌握――?
「――なっ! そんなことの為に引き受けたんじゃない!」
伊吹君の冷めたような言葉を慌てて否定する。俺が描いたことと先生が描いたことをまとめて侮辱されたみたいで許せなかった。
「……落ち着けよ、別にお前の言ったこと無視して言った訳じゃねぇよ。要はお前自身の為なのか、何か別のことの為なのか、どっちだってことだ。どうなんだ?」
全く動じない伊吹君は冷めた言葉で答える。値踏むように俺を舐め回す視線は俺を見透かしているようだった。
「そ、それは……少なくとも、自分の為ではないと、思う……」
完全に彼の雰囲気に呑まれて動揺を隠すことが出来ない俺は考えながら答えてしまう。でも、言ったことは俺の本心だった。
「そうか……じゃあ、お前が誰かに媚びる為の手段っていう訳か。……誰だ? 幼馴染みの生徒会長様か? 優しい優しい徳川先生か?」
俺の答えは期待通りだったのか、伊吹君はニヤリと勝ち誇ったように口端をつり上げる。そして、俺を嘲るのを再開した。
「おい、先輩への侮辱はあたしに対しての侮辱だと思ってもらうよ」
半ば呆然としてしまった俺に代わり、黙っていた橘が怒りを押し殺したような声を上げる。
「なんだよ橘、ずいぶん肩入れするじゃねぇか……まさか、こいつに惚れてるのか?」
伊吹君はそれすらも予想通りであったかのように貼り付けた嘲笑を消そうとはしない。
「……いい加減にしろよ、伊吹。このあたしをこれ以上怒らせたら後悔するよ?」
伊吹君の挑発に合わせて橘を包む空気が変わる。意外にも静かな殺気を孕んだ空気が俺の肩口を掠めていく。
「……怒るなよ橘、悪かったよ。……だが、だいたいわかった、塩田は何もわかっていないみたいだな」
「えっ?」
俺にも感じることが出来るほどの橘の殺気を軽くいなした伊吹君は俺をニヤリと見据える。
橘に気を取られていた俺は言葉の意味を解することが出来ない。
「お前、この学校の生徒会は何の為にあると思う?」
「生徒会が? 何の為に?」
咄嗟に聞き返すが、俺には未だに要点を捉えることが出来ない。
伊吹君は何を言い出すんだ? そんなのは決まり切っていることじゃないのか?
「生徒みんなの為じゃないのか? いわば組合に近いものだろ?」
何を当たり前のことを、とでも言うように聞き返す俺。間違ったことを言っているつもりは微塵もなかった。
しかし、
「くっ……くはははは! やっぱりなぁ! 堪んねえな! 実に模範的で優秀な答えだ! 間違っちゃいねぇよ! 生徒会、だもんなぁ! ははは!」
俺の回答を聞いた伊吹君はこれ以上ないくらいに笑い始めた。俺を嘲ているというか、俺の回答が本当に面白かったという感じだった。
呆気に取られた俺は何かを聞き返すことも、言い返すことも出来ない。後ろにいる橘も同じなのだろうか、何かを言う様子はない。
「その様子だとオレの読みは大当たりみたいだな。ついこの間、執行部に入ったといっても、説明すら受けてないのか。……沖田、塩田に説明してやれ」
ひとしきり笑った伊吹君は、もはや全てを確信したように自信に満ちた表情で息を吐く。そして、傍らに立つ風紀委員のひとりを促した。
「はい、伊吹さん。どうも、塩田さん、橘さん。風紀委員会一年の沖田です」
伊吹君に促された風紀委員のひとりが前に出る。丁寧に挨拶をしてくれたその風紀委員は小柄で女の子に見えてしまいそうな美少年だった。……一応言っておくが、俺にそっちの気はない。
「まず塩田さん、あなたはこの学校がおかしいと思ったことはありませんか? お金の掛かった私立なのに公立並の授業料、異常な権力を持った生徒会、自由すぎる校風、あまり係わってこない教師たち、はっきり言ってしまうと学校を動かしているのは教師じゃないとは思いませんか?」
確かに、この学校は先生たちとの係わりが極端に少ない気がする。そして、生徒会が普通じゃない権力を持っているというのも頷ける。今思えば俺が生徒会に入ってから、それは当たり前と受け入れるには許容しがたい事実だった。
だって執行部は授業以外の全てを運営していたのだから。
「毬谷家を知っていますか?」
頷くことすら出来ない俺を気遣うような沖田君はそう訊くと返答を求めるように話を切った。
どうやらこの問い掛けには回答がほしいみたいだ。
「……ああ、知ってる……」
当然、知っている。毬谷家、ルナちゃんの家であり、御三家なんて呼ばれているこの町を代表する資産家の一つだ。
「この学校はその毬谷家が作った学校です」
ここは重要です。テストに出ますよ。
そんな感じの教師みたいに俺の目に訴え掛ける沖田君。
「はっきり言いましょう。この学校は毬谷家の人間の養成施設、及び優秀な人材を選抜する施設です」
「い、いや、ちょっと待ってくれ。もちろんいろいろとツッコミたいけど、今は生徒会の話をしてるんじゃないのか?」
養成? 選抜?
学校の母体が御三家のどれかだというのはなんとなくわかっていたが、話が余りにも掘り広げられすぎなんじゃないだろうか? だいたい俺たちは生徒会の話をしていた筈だ。
「脱線しちゃあいないよ、先輩……。生徒会には、正確には武道会もそうだけど、その両方には、その養成する生徒、選抜された生徒だけしかいないんだよ」
俺の背中側に立っていた橘が俺を諭すように、静かに言った。
振り返った俺は、何の冗談だ、と橘を見やるが、橘は嘘ではないと伝えるような真剣な表情で、いや、何処か残念そうな表情で俺を見つめ返した。
「要するに、生徒会として何らかの成果をあげれば毬谷家に携わる就職先が補償されるんだよ。執行部が運営及び統治、図書委員会が施設管理、風紀委員会が治安維持、暗部が毬谷家とのパイプ役、それ以外が教師。武道会だけは少し違うが、似たようなもんだ。それがこの学校の裏の仕組みだ」
戸惑う俺を睨む伊吹君は苛立ちも露にしながらまとめ上げる。
それを聞いた俺は狼狽えながら橘から視線を伊吹君に戻した。
「はっきり言うぜ、塩田。目安箱? 生徒みんなの為? 笑わせんじゃねぇよ。そんなのはよその学校か、中央委員会でやってくれ。お前が人心掌握の為にくらい言うなら、それもありだとは思ったが、そうじゃないとしたら聞き捨てならねぇ。余計な仕事を増やすつもりなら黙ってる訳にはいかねぇんだよ」
鋭い視線を更に強め、怒りを乗せた視線で俺を射抜く伊吹君は吐き捨てるように言った。
「…………」
俺は打ちのめされた気分だった。
余りにも理解しがたい現実を並べられて混乱もしていたが、およそ理解は出来たと思う。
生徒会執行部、風紀委員会、図書委員会、暗部。それらはこの学校の主軸であり、学生として逸脱した役割を担っているということ。
刹那も、瞬も、曜子さんも、ルナちゃん達も……。
「腐った魚の目だなぁ、塩田クン? まあ、知らなかったんだから仕方ねぇとも思うからよ……お前、生徒会、辞めれば?」
「…………」
何も言えない俺の様子に更なる苛立ちをぶつける伊吹君。要するに邪魔だと言いたいらしい。
「チッ……徳川の先生にも困ったものだがよ、執行部もしっかりしてくれねぇと困るぜ。佐山姉弟の能力は認めてもいいが、問題点が目立って仕方ねぇなぁ」
何も言わない俺に更に苛ついたのか、伊吹君はもはや挑発とは言い難い、糾弾を開始した。
「使えねぇ新人会長補佐、時計棟に引き籠もってる生徒会長、友達ごっこに夢中でやる気のねぇ副会長、根暗なアナログ書記……会計なんて特に酷いだろう、偽物に人形、おちこぼれと目も当てられない間抜けだ」
……なんだと?
心から楽しそうな様子で言葉を並べる伊吹君が言ってはならないことを口走っている。
刹那、瞬、曜子さん……よくわからないが、ルナちゃんと進藤さん、ここにいる橘までもを汚す言葉を並べている。
「い、伊吹さん、少し言い過ぎです。謝って下さい!」
「黙れよ沖田。……へぇ……なんだよ塩田、ちったぁマシな目付きも出来るじゃねぇか?」
伊吹君の言動をハラハラと見ていた沖田君が間に入ってくるが、伊吹君は煩わしそうに押し返す。そして、沖田君越しに見えた俺を嬉しそうに視界に捉えた。
俺の視線を捉えたのだ。
「もう一つ教えてやる。この学校、武道会が申請した生徒同士の"公式な喧嘩"は認めてるんだぜ?」
伊吹君がまた何か意味不明なことを言っている。それは俺の苛立ちに拍車を掛けた。
ほぼ無意識に俺の集中力が肥大する。抑制しようとする俺の心が悲鳴を上げているのがわかる。右目に映る視界が不愉快なほどに鮮明になっていく。
俺の無知に関しては謝ってもいい、だが、他は訂正してもらう。俺はそう思って伊吹君を見据えた。
――しかし、その瞬間、疾風が巻き起こる。同時に視界に閃光が走る。
重く低い轟音。金属同士を激しく打ち鳴らした轟音が部屋に響く。遅れてスチール製の事務机が倒れた音とイスが弾け飛んだ音が響く。
橘。
しばらく沈黙を守っていた橘の一撃が伊吹君の胸板を捉えていた。
「あたしを怒らせない方がいいと忠告した筈だよ」
大きく踏み込み、振り抜いた右手をそのままに、橘は低く言った。
「……面白ぇことやってくれんじゃねぇか、橘」
胸を打ち抜かれた筈の伊吹君は橘よりも低い声を返した。
橘の目にも止まらぬほどの一撃は確かに伊吹君の胸板を捉えたかのようにも見えたが、伊吹君は全くの無傷だ。伊吹君の右手には四角く穿たれた跡がある分厚いファイル、それを逆手に構えている。伊吹君はあの一瞬で机の上にあったファイルで完璧にガードしていた。
だが、伊吹君は座っていた場所より窓際まで、およそ2メートルは弾き飛ばされている。耳を劈くほどの轟音を発した橘の一撃が如何に強烈であったことを激しく物語っていた。
「伊吹、あんたが面白くないことをペラペラ吐かすからだよ。言っとくけどね、あたしは塩田先輩のやってることが間違ってるなんて少しも思っちゃいないよ」
言いながら橘は振り抜いた右手を収め、踏み込んでいた両足を鳴らして斜に並べる。そして、左手を腰に当てると同時に右手に握られていた"得物"を開く。ジャキンと先ほどよりも軽く、硬質の音を鳴らして開かれた得物で口許を隠した橘、再び口を開いた。
「あんたの言う公式の喧嘩、やってみるかい?」
橘の得物は扇子。懐か、袖口か、何処かに忍ばせていたのだろう。
扇子といっても、ただの扇子ではない。先ほどの金属音、黒光りした短冊部分、全て金属製の"鉄扇"だ。普通、鉄扇といえば骨組の部分だけに金属を用いるが、橘の鉄扇は骨組も短冊も全て金属製だろう。いったい何キロあるのかわからないが、それをあのスピードで打ち抜くなんて尋常ではない。
球技大会の時、俺の背中に橘が突き付けたものの正体が今更ながら判明してしまった。
「沖田……オレの又三郎を持って来い……」
ばさりとファイルを自由落下させた伊吹君は傍らに立つ沖田君に低い声で何かを促した。弾き飛ばされて踏ん張っていた中腰の体制をゆらりと起こし、完全に据わった視線を橘から離そうとはしない。
「伊吹さん! 流石にマズいですよ! 時間外です!」
「黙れよ……お前からぶった斬るぞ……ああ?」
そうしている時も橘を睨むのを止めようとはしない。対する橘も先ほどの体制のままで伊吹君を睨み返している。
いや……どう考えても、これは冷静になった方がいいだろう。
「た、橘?」
ドコからどう対処したらいいのかわからないが、一番近くでジョジョ立ちしてる橘を呼ぶ。
「先輩は下がってな。隙があれば部屋から出て行った方がいい」
いやいやいや、お前は何を始めようとしているんだ!
「ここは学校! 学校なの! 早くその物騒なものを仕舞いなさい!」
「……? は、はあ? まだそんなこと言ってんのかよ、先輩は」
一瞬だけ固まると、びっくりしながら戸惑う器用な橘。
「ウチの橘がとんでもないことやっちゃったけど、大丈夫……って、怪我は無さそうだね」
若干固まってるっぽい伊吹君たちにも声を掛ける。でも、なんだコイツ、みたいな視線で更に固まってしまった。
「……あ……い、いやぁ、こっちも言い過ぎたりしてましたから、しょうがない……うん、しょうがなかったんじゃないでしょうか? 謝るのはこっちなんでお互い様っていうか、はは……」
少ししてから、沖田君だけが復活して引きつった笑顔を返してくれた。しかし、その沖田君ですら引き気味なのは明らかである。
「取りあえず、俺の無知に関しては謝るよ。確かに普通じゃない生徒会だっていうのはわかってたんだ。流されようと思っていた俺の落ち度だよ。申し訳ない……。今日のところは引き上げるけど、また次の機会にでも必ず出直して来る……」
固まり続ける五人(橘を含む)に向けて言う俺だが、そこまで話したところで、扉を開く音に遮られた。
「ちょっと伊吹! さっきの大きな音はなんなのよ! 二階の私の教室にまで聞こえてきたわよ!」
青葉先輩だった。
「あら、橘と塩田じゃない、久し振りね」
対峙している橘と風紀委員、間に立つ俺を見てあっけらかんな青葉先輩。俺もそうだが、青葉先輩もかなりの勢いで場違いだ。
「い、いや、別に……えーと……はは……」
全てを話す訳にもいかず、濁したことを言おうとする俺だが、言うに言えない。だが、困り果てる前に何かを察したような青葉先輩はガックリとため息を吐いた。
「……伊吹、またあなたね?」
青葉先輩は右手で頭を押さえる仕草と共に伊吹君に向けて言う。
「ああ? オレはやるべきことをやっているに過ぎない。引退したお前が出しゃばる要素はない筈だ」
固まってた伊吹君だが、ハッとしたように復活して当然のように言い返した。
「お黙り! 一年の沖田たちに仕事を押し付けて大した活動なんてしていないじゃない! 私が引退したくても引退できないのは委員長のあなたがだらしないからでしょう! それに先輩には敬語を使うように何度も言ったでしょう!」
「あ……ああっ? お前ごときが説教できる状況じゃないんだよ。だいたい風紀委員につまんねぇルール持ち込んだのはお前だろう」
「伊吹さん! まだ執行部の方がいるんです! みっともないですよ!」
ぎゃあぎゃあとあーでもないこーでもないと悶着を始める風紀委員一行。……まるでコントだ。
「……先輩?」
「取りあえず、ほっとこう」
困ったような橘の呼び掛けに係わらない方が無難である有無を伝えた。
「沖田、土方、斉藤! 行くぞ!」
「は、はい!」
しばらく悶着していた風紀委員一行、どうやら決着のつかないまま、御開きとなったようだ。
「待ちなさい!」
出て行こうとする伊吹君たちを地団駄を踏むくらいの勢いで追いすがろうとする青葉先輩。
「橘、お前のやったことは覚えておく……塩田、お前との話も終わった訳じゃないと認識しておけ」
風紀委員会室を出て行く寸前、思い出したように鋭い視線を橘と俺に向ける伊吹君。
「上等だよ」
「事情を知らなかったことに関しては謝るよ。でも、みんなに言ったことはいつか訂正してもらうよ? 絶対にまた来るからさ」
何があっても、これだけは言わせてもらう。俺だって抑えられないものを我慢していたんだ。
「……チッ、期待を裏切っただけじゃなくても、胸糞悪いヤツだったみたいだな……」
「伊吹さん!」
「わかってるよ……行くぜ」
それを最後に、伊吹君と風紀委員たちは行ってしまった。
「……はあ、本当にしょうがないんだから……」
てっきり追い掛けて行くものだと思っていたが、青葉先輩はぼやきながらも風紀委員会室に残っていた。
「悪かったわね……私から謝っておくわ」
入り口の扉に向かって疲れた息を吐くような青葉先輩は本当に申し訳なさそうに言った。
「別に先輩が謝ることはないと思いますよ」
実際そうだろう。先ほどの悶着からもわかるが、青葉先輩は本来なら引退している三年生なのだ。それを恐らくは自発的に籍を残し、手伝っているんだと思う。
「そうじゃないわ。実は徳川先生から塩田が来る筈だって、聞いてたのよね……まさか三学期の初日から来るとは思わなかったわ……たまたま教室に残っていたから良かったけど、迂闊だった……」
言い終わるとまた、はぁ〜とため息を吐く青葉先輩。察するにいつもこんな感じなのかもしれない。
「とにかく、目安箱に関しては塩田の好きなようにしなさい。風紀の方は私に話を通したということで構わないわ。でも、あの子たちの協力は期待しないで。私でもちょっかいを出さないようにするだけで精一杯だわ」
充分だ。さっきまでの状況から考えれば、これ以上ないくらいの待遇である。
「その代わり、私で良かったら協力できるわ。卒業までは暇だし、進路も決まったようなものだからね」
言いながら振り返った青葉先輩は疲れ切った表情で無理をするような笑顔を作ってくれた。
「……なんか青葉先輩、別人みたいに優しくねぇか?」
俺と共に静観していた橘がいらんことをツッコんだ。
「いつも時計棟に冷やかしに来る時はよ、もっとこう、タカビーな感じで、みっともないイメージが――グムム?」
いらんことすぎる追い討ちを掛ける橘の口をぐわしと手で塞ぐ。
「…………」
絶妙に引きつっている青葉先輩の笑顔。
「はは……は……」
俺は橘の口を塞いだまま、笑い返してみた。
「あらあら! そういえば忘れてたわ! 私だってやるべきことがたくさんあったじゃない! 伊吹たちから目を離す訳にはいかないし、裏庭の草むしりもしないと! お世話になった校舎のお清掃も今の内からやっておきたい気分だわ!」
青葉先輩は何故か俺をギロリと睨むと、ガラガラピシャンと出て行ってしまった。
「「…………」」
風紀委員会室に取り残されてしまった俺と橘。
「一応、青葉先輩のこと見直したよ、って続く筈だったんだよ?」
「お前ちょっと黙っとけ……」
結局、目安箱の仕事は俺ひとりでやるしかないらしい。
俺が執行部に入って二ヶ月。
流されるままでいた俺は浅はかだったのだろう。執行部のみんなに甘えていたのだと痛感した。
本城君、伊吹君。彼らにも背負っているものがあるのだろうか……。この学校の生徒の中心人物として活躍する二人。これからも彼らとは顔を合わせる機会が増える気がする。
自分自身の為か、何か別のことの為か……か。
はっきり言って自分の無知さ加減に心底呆れ返ったが、それでも俺が見据えるものは揺るがない。
俺にだって見据える未来はある。そう、今の俺には未来があるのだ。
刹那、瞬、曜子さん、おぼろげだがルナちゃん達も放っておく訳にはいかなくなった。
ちっぽけな俺でも出来ることがきっとある筈だと、今は信じているんだ。
読んで頂いてありがとうございます。
かなりの勢いで恋愛小説から脱線していますが、ご容赦下さい。
一応、ライバルその一の伊吹君が登場しましたが、本格的に彼と絡むのはまだ先です。
次回からは『図書委員会編』が始まります。よろしくお願いします。